30日は、駅ちかウオーキングに出掛けました。今回は名鉄との共催で印場駅(名鉄瀬戸線)から地下鉄なごやドーム駅までおよそ10.5㎞のコースです。唐九郎記念館と瀬戸市の緑地がメインです。
地下鉄で大曽根駅。名鉄のホームへ行くと「8:01の瀬戸由紀急行はハイキングのため印場駅に臨時停車します」のアナウンス。8:20頃印場駅に着くと、駅前のロータリーはぐるりと8:30の受付開始を待つ人の列。健康ブームで、ウオーキングは大賑わいだ。
ロータリを出て南西に1kmほど歩くと八竜入り口。オーバーな表現だが、「昼なお暗き木陰道」になる。なるほど龍が住んでいたという伝説もあるのだろう。緑地をめぐって4kmほど、少し疲れたので石段を見つけて一休み。隣から「こんにちは」と声がかかったので見ると、同じ住宅のIさんでした。
その後、加藤藤九郎記念館に出た。普段300円の入場料が200円。展示室は1室だけだが、志野の名品が展示してあった。帰宅後記念館をwIKIで見たら、
http://www.mc.ccnw.ne.jp/nagoya-taikan/toukurou.htm
「加藤唐九郎の作品の、氏の蒐集した桃山陶片を展示する。 展示室一室のみではあるが、唐九郎の最高傑作といわれる「氷柱」や「紫匂い」を所蔵しており、 焼き物に少しでも関心のある者には必見の場所である。交通の便が極めて悪い」
なるほどこれだけ木陰道を歩くから交通の便は最悪だ。
藤九郎といえば、私は「志野」を復活させた陶工と思い起こすが、世間的には「永仁の壺事件」で有名らしい。
これもWIKIによると、
「加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31)1月17日)~ 1985年(昭和60)12月24日)は陶芸家、また陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、永仁の壺事件で行った捏造により、無形文化財の資格を失った。事件後は作陶に専念した。建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出。陶壁は唐九郎の造語。
1959年、「永仁二年」(1294年)の銘を持つ瓶子(へいし=酒器、壺)が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作として国の重要無形文化財に指定されます。しかしその直後から、贋作疑惑が浮上。二年後、重要文化財の指定は解除となります。
指定に際して、国際的な陶磁研究の第一人者で、文部技官・文化財専門審議会委員であった小山冨士夫(こやま ふじお)氏は引責辞任。美術史学界、古美術界、文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなりました。
瓶子は加藤唐九郎氏の作であったということで決着しましたが、長男・嶺男氏、次男・重高氏、弟・武一氏などとする異説もあり、事件の真相についてはなお謎の部分が残されているといわれています。」
記念館を出て少し歩くと、二つ池公園があった。
緑地の新緑を楽しんだあと瀬戸街道に出て小幡まで歩く。
小幡白山神社にお参りして小幡宮前の信号を南に歩いて矢田川に出る。川の堤防の上を歩いて宮前橋まで。河原に千代田橋緑地が広がる。
日差しの中、人々が散策やキャッチボールを楽しんでいる。川の向こうは市内の高層住宅が並んでいる。
駅ちかの案内標識、いつも100本ぐらいで終りになるのだが、もう110本を超えている。宮前橋を渡るとすぐ地下鉄の「砂田橋駅」
「ここでゴールならいいのに」疲れてきたのでそう思う。1km弱、大幸町を歩いてゴールに着く。11時20分。標識は125本だった。
その後、プールでトレーニング、イーオンで食事、図書館で雑誌を読み3時半帰宅しました。
地下鉄で大曽根駅。名鉄のホームへ行くと「8:01の瀬戸由紀急行はハイキングのため印場駅に臨時停車します」のアナウンス。8:20頃印場駅に着くと、駅前のロータリーはぐるりと8:30の受付開始を待つ人の列。健康ブームで、ウオーキングは大賑わいだ。
ロータリを出て南西に1kmほど歩くと八竜入り口。オーバーな表現だが、「昼なお暗き木陰道」になる。なるほど龍が住んでいたという伝説もあるのだろう。緑地をめぐって4kmほど、少し疲れたので石段を見つけて一休み。隣から「こんにちは」と声がかかったので見ると、同じ住宅のIさんでした。
その後、加藤藤九郎記念館に出た。普段300円の入場料が200円。展示室は1室だけだが、志野の名品が展示してあった。帰宅後記念館をwIKIで見たら、
http://www.mc.ccnw.ne.jp/nagoya-taikan/toukurou.htm
「加藤唐九郎の作品の、氏の蒐集した桃山陶片を展示する。 展示室一室のみではあるが、唐九郎の最高傑作といわれる「氷柱」や「紫匂い」を所蔵しており、 焼き物に少しでも関心のある者には必見の場所である。交通の便が極めて悪い」
なるほどこれだけ木陰道を歩くから交通の便は最悪だ。
藤九郎といえば、私は「志野」を復活させた陶工と思い起こすが、世間的には「永仁の壺事件」で有名らしい。
これもWIKIによると、
「加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31)1月17日)~ 1985年(昭和60)12月24日)は陶芸家、また陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、永仁の壺事件で行った捏造により、無形文化財の資格を失った。事件後は作陶に専念した。建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出。陶壁は唐九郎の造語。
1959年、「永仁二年」(1294年)の銘を持つ瓶子(へいし=酒器、壺)が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作として国の重要無形文化財に指定されます。しかしその直後から、贋作疑惑が浮上。二年後、重要文化財の指定は解除となります。
指定に際して、国際的な陶磁研究の第一人者で、文部技官・文化財専門審議会委員であった小山冨士夫(こやま ふじお)氏は引責辞任。美術史学界、古美術界、文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなりました。
瓶子は加藤唐九郎氏の作であったということで決着しましたが、長男・嶺男氏、次男・重高氏、弟・武一氏などとする異説もあり、事件の真相についてはなお謎の部分が残されているといわれています。」
記念館を出て少し歩くと、二つ池公園があった。
緑地の新緑を楽しんだあと瀬戸街道に出て小幡まで歩く。
小幡白山神社にお参りして小幡宮前の信号を南に歩いて矢田川に出る。川の堤防の上を歩いて宮前橋まで。河原に千代田橋緑地が広がる。
日差しの中、人々が散策やキャッチボールを楽しんでいる。川の向こうは市内の高層住宅が並んでいる。
駅ちかの案内標識、いつも100本ぐらいで終りになるのだが、もう110本を超えている。宮前橋を渡るとすぐ地下鉄の「砂田橋駅」
「ここでゴールならいいのに」疲れてきたのでそう思う。1km弱、大幸町を歩いてゴールに着く。11時20分。標識は125本だった。
その後、プールでトレーニング、イーオンで食事、図書館で雑誌を読み3時半帰宅しました。