古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

寅さんと経済学

2006-11-28 | 経済と世相

 25日夜、tVで「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」を見ました。
中で寅さんの素晴らしいセリフがありました。満男に『なんのため勉強するの?』
と聞かれた寅さんが答えます。(以下は正確な記憶ではありませんが)

『長い人生にはいろんなことがあるよ。どうしたらよいか考える時ってあるだろう。
そんな時、オレみたいに学問のないヤツは、サイコロの目で決めるか、好みで決めるしかないだろう。
でも、勉強してると、ちゃんと筋道立てて、こうするのがいいと決められるのよ。
そのために、勉強するのと違うか!』

 今、大学で経済学を勉強してるのですが、経済学って科学だろうか、としばしば思うのです。経済学の理論は科学と違って、実験でその正しさを証明できないのです。更に、経済行動は、人間行動の一つで、人間行動は人間の価値観によって、同じ条件下でも異なるから、ある時代、ある社会での実証研究が、他の社会、時代に適用できるかどうか分からない。

 そこで、最近はこう考えるようにしています。 

『経済学は普遍的な理論の記述をする学問ではない。ある経済現象に直面した時、どう対応すべきかを、筋道を立てて考えるツールを提供する学問である。』

 なんのことはない!これは寅さんの「勉強は何故するのか」論と同じではないか。

それにしても、最近の政治家は、経済政策を(筋道立てて考えずに)サイコロの目で決めたり、好みで決めているのだろうか。

娘が母に似る理由

2006-11-27 | 素晴らしき仲間たち
 前便で「孫娘の顔が、どう見ても中学生の時の娘そっくりなのです」と書いて送信した後、
「はて何故だろう?」と考え込みました。娘が母に似るのは当然だろう、
皆さんそう言われるでしょう。でも、娘は母の遺伝子だけでなく、父の遺伝子も
受け継ぎます。母の遺伝子と父の遺伝子と混じったら母とも父とも違う顔になりそうなのに、母そっくりの顔になるのは何故か?というのが私の疑問です。

以下、私の推論です。
 「見る」という操作をしているのは、目でなく(目は光線を脳に中継しているだけ)脳。目から画像(顔)を受け取ると、脳は過去に出会った人の画像(顔)の記憶のから、今受け取った画像(顔)と同じ特徴を持つ画像(顔)を探し出す。
同じ画像(顔)があれば、父とか娘とか判断する。
 今、特徴を持つ画像と書きました。頭脳は、顔を記憶する時、顔そのものを記憶
するのでなく、顔の特徴を記憶するのです。その方が記憶メモリーの節約になるし、目の前の顔は誰か?を判断すり時、その方が早い筈です。
 似顔書きのプロの話を聞いたことがありますが、似顔を描くコツは「特徴を誇張して描くこと」。例えば、顔を写真に撮ってその上に薄紙をのせてトレースした絵よりも、写真とは違うけれども特徴を誇張した似顔絵の方がはるかに似ている。
 似ているかいないかの判断は、その顔の記憶と比較して行う。そして記憶は特徴
だけ記憶するからです。
 それで、娘が母に似る理由ですが、見る人が娘の顔を見た時、脳の中のデータベースから特徴の似ている顔を探すと、母の顔がある。「お母さんそっくりね。」ということになる。その時娘の顔から母に似た特徴を抽き出しているのです。
 次に、娘の母に会ったことがなくて、父とはよく会っている人が娘を見ると、脳の中のデータベースから特徴の似ている顔を探すと、父の顔がある。「お父さんそっくりね」ということになる。その時娘の顔から父に似た特徴を抽き出しているのです。
 娘の顔には、父の特徴と母の特徴が共存するのです。父の知人は、その顔の中に父の特徴を見出し、母を知っている人は母の特徴を見出すわけ。

 以上の推論が正しいとすれば、(私はかねがねそう思っているのですが)次の仮説が成立します。
 「どんな偉い人でも、結局、自分の体験していないことは理解出来ない」
 何故なら、目の判断が過去の画像の記憶と比較して行われるのなら、目だけでな
く、あらゆる人間の判断は過去の記憶との比較でおこなわれる。
と言うのは、目からくる情報を判断する脳の部分を構成する神経細胞も、他の情報
を判断する部分の細胞も同じニュウロン細胞で、同じ細胞は同じ働き方をする筈
ですから。
 


よく似た歌、よく似た顔

2006-11-24 | 素晴らしき仲間たち
 メル友から「賛美歌312番のインターネット検索したら、この歌の唱歌は「星の界(よ)」とあったよ」の便り。「星の界(よ)」?
 私の思ったのは違うなァ。もっと有名な歌の筈。そこで、私も「賛美歌312番 唱歌」で検索してみました。で、出てきた項目をずっと見ていて、これだ!と
思うのを見つけました。
 久世光彦(プロデューサーにして作家)さん、今年の春死去されたのですが、
「マイラストソング」なる著書で、「賛美歌312番のメロデイは”冬の星座”とそっくりだ」というエッセイを書いているという項目でした。
 そうなんです。「冬の星座」です。「木枯らし途絶えて冴ゆる空より・・・」というあの唱歌、チャペルの中で聞いて、思い出せなかったのは「冬の星座」という曲名です。
 本当にそっくりなんです。
 どうしてそっくりなのか?今度図書館に行った折、「マイラストソング」を探して読んでみます。
 それにしても、曲名まで「星の界」も「星座」とよく似てるじゃないですか。

 インターネット検索って、こんなことが分かるから面白いですね。

 同じメールに愚息の顔が小生によく似てるというお話がありました。
「他人から見ると似てるんかなァ」と改めて思いました。
 今回、結婚したのは次男ですが、長男は容貌が私から見ても、私そっくりなんで
す。長男との比較では、次男は私にあまり似ていないと思っていますので、皆様の
メールを見て、やっぱり似ているんだ、と再認識した次第です。
 ついでながら、来年2月の東京マラソンは、長男も走りますので親子での出場で
す。次男はマラソンの趣味はありません。水泳はときたま泳いでいるようですが、
もっぱら「お茶」が趣味といいますから、やはり、父親とは少し違いますね。
 容貌というものは面白いもので、私の娘には3人の子があって一番上が中学1年の女の子。この顔が、どう見ても中学生の時の娘そっくりなのです。披露宴の席でこの孫娘を見て、28年前の娘がそこに坐っているように思えてなりませんでした。

 追伸。次男の年齢は39歳です。嫁さんの方は一周り若いんですよ。
これからは、こうした年齢の離れたカップルが晩婚化で増えるかもしれません。晩婚化で、20代から40歳ぐらいまで結婚適齢期が広がれば、相手を選ぶ年齢の幅も広がりますから。
 

チャペルの結婚式

2006-11-22 | 素晴らしき仲間たち
 22日午後、愚息の結婚式が、名古屋港のアルカンシェル名古屋ウェデイングヴィレッジで行われた。(アルカンシェルはフランス語で虹の意らしい)
http://www.arcenciel-g.jp/nagoya/chapel/index.php

 時間がきて、「式場にご案内します」という女性スタッフについて行く。
チャペルの内部に出た。
 パイプオルガンが奏せられ、新婦が入場すると、コーラスが始まった。賛美歌312番と式次第にかいてあるが、この歌、古くから別の名で日本の唱歌になっている。なんという曲名だったか、一生懸命に考えたが思い出せない。神父さんが登場して聖書の朗読をした。次いで二人の誓約に入る。神父さんの日本語は流暢なのだが「NOZUEさん」の「ZU]の発音がしにくいらしく「NOJUEさん」になる。
 指輪の交換の後、両人のキス!時代が変わったなァ、こちらの方が照れてくる。
署名、祈祷、宣言の後「祝福の歌」の歌とバックコーラス。是は「アメージンググレース」だ。
この歌、スコットランド民謡だったか、黒人霊歌だったか?考えているうちに新郎新婦が退場し式終了。この間30分ぐらい。神父さんが私たちの前に来て
「オトーサン、オカーサン、オメデトーゴザイマス」。その後、新婦のご両親の前に行き、同じ言葉。
 女性スタッフが「フラワー・シャワーですから表の階段の両側にお並びください」。何をやるのかな?と思ったら、花びらを一杯掌に持たされて、階段を下りる両人に両側から花びらを振りかけるわけ。
 
 こういう結婚式ははじめての経験だ。若者達にはこういうのが流行かな。しかし、愚息も花嫁もクリスチャンになったということは聞いたことがないから、結婚式の間半日だけクリスチャンになったらしい。この宗教に対する無頓着さは、やはり、日本人の伝統を継承するものだ。

 テラスでウェデイングケーキにナイフを入れる.これがカメラマン向けのサービスタイム。
 その後、披露宴は3時半から始まり、祝辞は新郎の上司と新婦の上司。それに、
Mさんに両家の親の共通の友人の立場から祝辞を述べてもらった。料理はイタリヤ式なのかフランス式なのか無粋な小生には分からない。
 恒例の子どもから新郎新婦に花束贈呈は、私の孫3人が勤めてくれた。
 6時前、宴を終えることにして、「両家のご両親は正面にお並び下さい」といわれて並ぶと新郎新婦から花束贈呈。その後、小生から列席の皆さんへ型どおりの
挨拶をして玄関に並びお帰りの方々にお礼をして、無事父親役を終えました。
 7時半帰宅。「ヤレヤレ」、でも人生の荷物が、全部ではないが、かなり肩から下ろされた思いです。

ライフプランセミナー

2006-11-21 | Weblog・人生・その他
 18日の土曜日、D社の退職予定者を対象とする「ライフプランセミナー」に招待されました。退職後の生活の体験談を話せというのです。

行ってみると、15~16人(奥様と一緒の人も)。顔ぶれを見て、私より一回り若い連中です。私の退職からもう10年余が過ぎたのですから当然ですが歳を感じましたね。以下、当日話したこと。

『三つのことをお話したいと思います。
1.人間の身体は、そして頭も使っていないとダメになるということ。
2.常日頃、身体を鍛えていても、かかる病気があるという話。
3.退職したら、すべての手続きは自分でやらないといけない、という話です。

 養老猛司さんという解剖学の先生がいます。「バカの壁」というベストセラーで有名ですね。人間の身体を形作る細胞は入れ替わるのだそうです。養老さんの説によると、「7~8年で、一部の細胞を除いて、全部入れ替わる」。

 となると、10年前の私と、今の私とは、物質的にいうと、まるきり別の存在ということになります。
 で、ここからは養老先生の説でなく、私の仮説です。

 細胞が入れ替わるということは、新しい細胞を作って古い細胞と取り替えるという意味です。つまり、時々刻々新しい細胞が私たちの身体の中で出来てゆく。新しい細胞を作るためには、栄養分が必要です。その栄養分は食べたものが身体のそれぞれの細胞に分配されています。その分配の仕方に偏りがあるのです。

 それは、日常欲使われる細胞のところに沢山栄養が配分されて、新しい細胞を作る。日常あまり使われない細胞には栄養分が配分されないので、新しい細胞ができない。そういう細胞は古い細胞が死んでも新しい細胞ができないから、その部分が痩せ細っていく。

 頭脳についても同じことが起きます。 脳も身体の一部なのです。
 要するに、機械は使うと磨耗で磨り減っていく。古くなります。ところが人間は使わないと古くなってダメになっていく。
 早く、あの世に行きたい方は、何もせずにいると早く往生できるわけです。



 では身体を鍛錬していれば病気にもかからないのかというと、必ずしもそうでないという話をします。
 4年前、OB会のバス旅行で安曇野へ出かけました。バスに乗ってしばらくしたら、尿意を催しました。最初の休憩場所で、トイレに入りましたが、出したいものがいくら頑張っても出ないのです。
 結果、安曇野日赤病院に運ばれて、前立腺肥大を起こしていることが分かりました。

 8月、名古屋の国立病院で手術を受けましたが、この種の病気はどれだけ身体を鍛えていても時期がくれば発病する。
 でも、こういう病気には対応する方法があります。
 男性だったらお兄さん、女性だったらお姉さんが、老齢になったときどんな病気になったか?その時、どんな症状が出たかを聞いておくことです。
で、その症状が出たとき専門医師に相談すれば良い。

3番目の話です。
 入院手術して退院のとき医療費の請求が16万円弱でした。
確か、9万円ぐらいを越す医療費を払った場合はその額を上回る分は国保から払い戻しがある、と記憶していました。
 そのうちに国保から通知が来るだろうと思っていましたが、全然来ません。
翌年3月、確定申告に行った帰り、区役所に寄り病院の領収書を見せて尋ねました。
「払い戻しの通知は昨年送りましたよ」と言うのです。
「受け取ってないよ」、「確かに送りました」と押し問答でしたが、最後は、還付の手続きをして6万円余を受け取ることが出来ました。

 会社に在職中は、こうした手続きは人事とか労務とかに専門家の担当者がいてやってくれるのです。しかし、退職後は全部自分でやらないといけないのです。

 と言っても、難しいことはありません。先輩が沢山いますから、聞けば分かるのです。

 以上、退職後の生活で心すべき3点について話しました。 』

Qちゃん惨敗

2006-11-20 | マラソン
 TVにかじりつき、以下、私の東京國際女子マラソン観戦記です。

 下馬評は、高橋、土佐のマッチレース。スタート時、気温10.2度。晴天なら走りやすい気温だ。しかし、雨が降り出している。雨に濡れると体感温度はぐっと下がるから厳しいレースになるだろう。
 予想通り、高橋・土佐のトップ争いだが土佐選手の方が積極的に前に出る。土佐と高橋は6年前の名古屋で競い、高橋が優勝してシドニー出場権を得た。当時無名の土佐は相当離されたが2位だった。2年前の名古屋女子マラソン、高橋は出場しなかったが、出場した土佐が優勝して、ほとんど高橋と思われていたアテネの出場権を高橋から奪い取ってしまった。この2度のレースを目前で見ている。2度とも、土佐の粘り強さには驚嘆した。もしQちゃんが負けるとしたら、あの粘り強い土佐に負けるのなら以って瞑すべき。

 22Km辺でQちゃんが手袋を捨てた。スパートか?いや、依然として土佐選手の後ろにぴたっとついて行くだけ。オカシイな!相当疲れているんと違う?と思った。
 案の定、32Km手前、今度は帽子を捨てた。しかし、Qちゃんスパートできない!逆に見る見るうちに土佐選手に引き離されていく。
 やはり年齢は争えない。しのつく雨に身体が冷え切って筋肉が動かないのだろう。筋肉の若さが勝負を決めた!後は離されるばかり、40Km手前の1kmのタイムはなんと5分、素人のジョギングペースだ。「高橋 まさかの失速」と画面に出る。疲労困憊しているとは言え、あのQちゃんが1kmを5分もかかるなんて、まさに信じられない!資生堂の選手にも抜かれて3位に落ちた。
 土佐が2時間26分余でゴールした後、Qちゃんがゴールしたのは31分過ぎだった。フィニッシュした表情は静かだったが、私はいたいたしくて正視できない思いだった。どんな名選手も、いずれはこういう時期は来るのだ。
 こういう悪条件の中で42Kmを高速で走る通すことはもう無理なのだろう。
Qちゃんが、この次、勝つとしたら、天候条件に恵まれたレースのみと思う。
 Qちゃんの時代は過ぎたのかもしれない。そうであったとしても、初マラソンを別とすれば9回のマラソンで7回優勝、2位、3位各1回は、驚異的な成績で、時代を画した選手であることに違いはない!

Q ちゃん、惨敗!

2006-11-19 | マラソン
  i東京國際女子マラソン観戦記です。

 下馬評は、高橋、土佐のマッチレース。スタート時、気温10.2度。晴天なら走りやすい気温だ。しかし、雨が降り出している。雨に濡れると体感温度はぐっと下がるから厳しいレースになるだろう。
 予想通り、高橋・土佐のトップ争いだが土佐選手の方が積極的に前に出る。土佐と高橋は6年前の名古屋で競い、高橋が優勝してシドニー出場権を得た。当時無名の土佐は相当離されたが2位だった。2年前の名古屋女子マラソン、高橋は出場しなかったが、出場した土佐が優勝して、ほとんど高橋と思われていたアテネの出場権を高橋から奪い取ってしまった。この2度のレースを目前で見ている。2度とも、土佐の粘り強さには驚嘆した。もしQちゃんが負けるとしたら、あの粘り強い土佐に負けるのなら以って瞑すべき。

 22Km辺でQちゃんが手袋を捨てた。スパートか?いや、依然として土佐選手の後ろにぴたっとついて行くだけ。オカシイな!相当疲れているんと違う?と思った。
 案の定、32Km手前、今度は帽子を捨てた。しかし、Qちゃんスパートできない!逆に見る見るうちに土佐選手に引き離されていく。
 やはり年齢は争えない。しのつく雨に身体が冷え切って筋肉が動かないのだろう。筋肉の若さが勝負を決めた!後は離されるばかり、40Km手前の1kmのタイムはなんと5分、素人のジョギングペースだ。「高橋 まさかの失速」と画面に出る。
疲労困憊しているとは言え、あのQちゃんが1kmを5分もかかるなんて、まさに
信じられない!資生堂の選手にも抜かれて3位に落ちた。
 土佐が2時間26分余でゴールした後、Qちゃんがゴールしたのは31分過ぎだった。フィニッシュした表情は静かだったが、私はいたいたしくて正視できない思いだった。どんな名選手も、いずれはこういう時期は来るのだ。
 こういう悪条件の中で42Kmを高速で走る通すことはもう無理なのだろう。
Qちゃんが、この次、勝つとしたら、天候条件に恵まれたレースのみと思う。
 Qちゃんの時代は過ぎたのかもしれない。そうであったとしても、初マラソンを別とすれば9回のマラソンで7回優勝、2位、3位各1回は、驚異的な成績で、時代を画した選手であることに違いはない!

フリードマンに思う

2006-11-19 | 経済と世相
 ミルトン・フリードマン氏が亡くなったと17日の夕刊は伝えた。
かつて氏はこう語ったという。
「私はユダヤ人である。ユダヤ人がスターリン治下のソヴィエトにおいてどういう待遇を受けたか。またヒットラー治下のドイツでどのような残酷な死に遭ったか申し上げるまでもない。
 私が自由な市場に委ねるのが一番いいということを主張するのは、国家も制度も
民族も一切力を持たない、一つのメカニズムが人間社会を結ぶということが最も幸福であるという、ヒットラー治下、スターリン治下のユダヤ人の血の叫びである。」
 彼の経済理論は、「市場に任せれば総てうまく行く」。政府の干渉は極力なくし、所得税の累進制も否定するのです。その背後にユダヤ人の国家に対する不信感があったというわけ。
 また氏に関して、有名なエピソードがある。(数日前死去された宇沢弘文氏の
『経済学は誰のためにあるか』(岩波)に紹介されている。)
 1965年の話です。フリードマンが英貨ポンドの空売りしようとして、ある銀行に行き「一万ポンド空売りをしたい」と申し出た。ところがその銀行のデスクは「われわれはジェントルマンだから、そういうことはやらない」と言って断った。
 アメリカでは大恐慌後の1934年に銀行法が改正され、銀行は投機という反社会的な行動、あるいはそういうプロジェクトに貸付をしてはならない」という条項が入った。
 フリードマンはかんかんに怒って、宇沢さんたち同僚の教授に向かって「資本主義の世界では、儲かるときには儲けるのがジェントルマンなのだ」と言った。
 この話には後日談があって、フリードマンの先生であったフランク・ナイトがこの話を聞いて激怒し、「今後、自分のところで博士論文を書いたということを禁止する」と破門してしまったそうです。
 81年政権を取ったレーガンがフリードマンの経済理論を自らの政策に取り入れ
た。米国80年代の数々の規制緩和です。フリードマンはノーベル経済学賞を受賞
し、経済学者として大成功しました。

 空売りの話から20年後の1984年、レーガン政権はフリードマンの理論を採用して、日本の為替取引きにおける「実需原則」を廃止させています。
 実需原則は、為替を投機の対象とすることを防ぐために、為替の先物予約の際、輸出や輸入など実需の裏付けがなければ認めないとする規定です。日本をはじめアジヤ諸国がアメリカの圧力により実需規制を撤廃し、投機的な通貨の先物取引を解禁したことが、この後、85年からの急激な円高や、96~97年の世界的な通貨危機の遠因になった。

 ところで、(ここからは私の独断です)レーガンはフリードマンの経済学説は正しいと考えたから、彼の学説を採用したのか?
 私は政治家というものは、かなりしたたかな存在であると思っています。
 理論の正しさなどどうでも良かったのではないか。彼らにとっては、自分がやりたいことを支持する理論が正しい(望ましい)理論なのです。
 もともと経済学の理論は実験で検証することが出来ません。実験は出来ないにしても、その理論どおりに、世の中が動いているということはある。仮にそうだったとしても、その時代その社会ではその理論が成立したというだけで、いかなる社会、いかなる時代でも、その経済理論が成立することにはならない。
 何故なら、人々の経済的活動はその人々の”ものの考え方”で変わり、社会を構成する人は、時・所を変えれば変わって、同じ環境に置かれても同じ経済行動をとるとはいえないから。
 つまり、彼の経済学者としての成功は、レーガン政権の好みに合ったため。もう少し上品な言い方をすると、時流に乗ったため。
 彼が成功しようがしまいが、そんなことには私は関心がありません。そういう学者の主張が日米経済構造協議なるしくみを通して、日本の社会を改悪している。
例えば、為替や株式に投機が横行したり、所得税の累進制を弱めたりしている。
そういう日本のあり方が嘆かわしいと思うのです。




友を偲ぶ会

2006-11-11 | 素晴らしき仲間たち
 茶臼山は愛知県と長野県の県境にある。標高1415m、愛知県の最高峰。ここへ行こうと、仲間の相談がまとまったのは一月前。昔、労組活動をやっていた頃から30年以上の付き合いの仲間5人でした。
 ところが、出発する7日になった時4人になっていました。31日、Tさんが急逝したのです。
肝臓ガンとのこと。ここ5~6年、年2回は5人一緒の旅行を楽しんでいた仲間でした。

 茶臼山の向こうは、長野県阿南町。Tさんの故郷です。山頂から阿南の方向を見ながらTさんを偲ぶ会にしようと衆議一決。今まで一度も登山をしたことのないHさんも登ると言います。
 7日10時、JRの岡崎駅に集合しました。Mさんの車に同乗し、東名豊川ICから 151号線で、新城、長篠、鳳来寺を経て北設楽郡東栄町(小生の郷里)、そして茶臼山のある豊根村です。

 「愛知県に村があったの!」とHさん。「ありますよ。この村、隣は浜松市だけど」と小生。都会と違って信号は少ないし、すれ違う車も少ない。「渋滞がないから快適にとばせるんじゃない?」と小生が言うと、ドライバーのMさん「こういうのは快適は言わないね。右に曲がり左に曲がり、対向車が何時現れるかヒヤヒヤでハンドル切ってる!」。ごもっとも!

 ICから1時間半のドライブで茶臼山の手前、「道の駅豊根」に12時半。「蕎麦定食」で腹ごしらえ、Mさんは店のお嬢さんから魔法瓶にお湯を貰う。
「山頂のホットコーヒーは美味しいよ」。
 そこから15分ほど、山間の木々の間に「高原美術館」が姿を見せました。
 写真家・前田真三氏の写真を集め展示する写真美術館です。前田氏は1922年生れ、全国を回って山村の風景写真を撮り、特に奥三河や北海道美瑛の写真は素晴らしい。

 「ここに入ってみよう」と2~30分見学した。その後、宿舎へ。
 休暇村・茶臼山高原は美術館の直ぐ傍でした。「すぐ山に登ろう。5時には暗くなっちゃうから」とMさん、「フロントで地図を貰ってくるから」と小生。「4枚もらってください。地図は一人ずつ持ちます。万一迷子になった時地図がないと困ります」と、Mさんは登山の専門家だけあって細かい気配りだ。
 車から降りると、空気がひんやり。ここは1000m以上だ。Mさんの必死のドラ
イブで1000m近く上がってきたわけ。おまけに今日は立冬だ。風が冷たい。名古屋より10度は気温が低い。
 山頂まで30分ぐらいで着いた。途中紅葉は素晴らしいが、風が強く、紛れもなく立冬!を感じた。Mさんがインスタント珈琲を馳走してくれた。
寒い頂上で飲む珈琲は確かに美味しい。
 登山と言っても登山口(1000m以上)まで車で行かれるし、そこから頂上まで約900mでハイキングコースになっているから、最も初心者向け。「山登りもいいな」と初めてのHさん。すかさずMさんが「今度はもっと高い山に登ろう」。
 3時過ぎに宿舎に戻り、冷えた身体を温泉で暖めた。

 翌8日は、皆さんお忙しい日程とのことなので、8時半帰途についた。浜松に帰るSさんを三河一宮の駅で下ろして、東名豊川から岡崎に向う。
 Hさんが、この前Tさんの葬儀に出席できなかったので、是非、仏前で読経したいというのです。Hさんは岐阜市内の長良川畔の大寺の住職に今秋就任したばかり。岡崎のTさん邸を訪ねることにした。
 11時過ぎ着く。奥様、娘さんに出迎えられた。浄土真宗のお経(らしい)を上げた後、しばらくTさんの懐旧談。「カンツオーネがもう聞けないと思うと残念ですね」とMさん。
 確かに数年前の旅行会で聞いたTさんのカンツオーネ風、北島三郎の「日本海」は圧巻だった。
 12時前辞去。玄関にはTさんの外国旅行の蒐集品が飾ってあった。
中に、メスの狸が、マイクを抱えてカラオケしてる焼き物。胸のオッパイがなんともユーモラスで、Tさんのユーモアを思い起こしました。
  以上、旧友を偲んだ旅行会の報告です。

続・土山マラソン

2006-11-09 | マラソン

 こんなに遅いのはどっか体調がおかしい?医務室に行って「一寸、血圧を測ってくれない」と看護師に頼むと「どうぞ」。「おかしいわね。上が96しかないわ。いつもこんなに低いの?」。「いや、そんなことない。
いつも140~150あるよ」。 通常、運動すると血管の断面積が広がるので血圧は下がる。しかし、96は低すぎる!後にいた医師がこれを聞いて、私に歩み寄り手首を掴んだ.脈を診て「脈の乱れはまったく無いから大丈夫。水をしっかり取ってしばらく休んでください。今日は暑かったから」。看護師が紙コップに水を持ってきてくれた。

 その後、完走証を貰いに行った。
「オフィシャルタイム(含スタートロス)2時間17分32秒 826位」とあった。
 2時間17分もかかったら普通はドベに近い、1300人いたら1200番台だ。
800番ぐらいというのは、皆バテタということらしい。
 千葉ちゃんの言ってたようにコースも厳しかった。
 小憩後、帰り支度して、売店をのぞくと、千葉選手が坐っている。
彼女の新刊本を買うと、サインをしてくれるということだった。

 隣に郵便局が店開きしていた。のぞくと「フレーム切手」というパンフをくれる。
 「フレーム切手」ってご存知ですか。私は初めて知りました.
 自分の好きな写真を持っていくと、その写真の切手を作ってくれるサービスです。
80円切手10枚のシ-トが¥1200。つまり手数料400円で10枚切手が作れる。
自分の写真でもOK!切手になるなんて特別偉い人でないと不可能だったのが、
今は簡単に作れる。郵便局もいろんなサービスを考えるようになりました。

 帰りのバスの中、一緒になったランナーと雑談。東京マラソンが話題になった。
「ボク当選したよ」と言うと、「年代別で抽選やったんですよ。だから、40代、50代は倍率が4~5倍で当選できなかた人が多い」という。
 70代は楽に当選というわけか。

 帰宅してから、インターネットで「血圧降下 脱水症」を検索してみた。
 「脱水症には水分だけが抜ける単純脱水症と、水分と血中のナトリュームが抜ける複合脱水症があって、水分のみの脱水症は血圧が低下しないが、ナトリュームの抜ける脱水症は異常な血圧低下と頻脈を起こす」
 汗で塩分が流出したのが血圧降下の原因だったらしい。
 医者がすぐ脈を調べた理由もわかった。脱水症一歩手前だった!