古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

名城公園プール

2017-08-30 | 水泳

29日午前、名城公園プールに行こうと思い立った。前の夜雨が降ったらしく、少し気温が低くなっている。今日ならプールは空いているだろうと思ったのです。

 名城公園プールは、毎年7月20日から8月末まで開業する屋外プールです。毎年11枚1000円の回数券を購入して11回だけ泳ぎに行きます。なるべく雨模様の天気の日に行くのです。というのは、めっちゃ混雑するのですね。25mプールを長手(25m)方向に泳ごうとするのですが、子供たちがそれと直角方向に泳ぐ。中には、中央で逆立ちして遊んでいる子供もいて、当然ぶつかってしまう。そこで雨の日に行けばプールは空いている。時にはほかに誰もいなくて、プール貸切で泳ぐこともできる。

雨がふったら行こうと思っていたのですが、今年は降らない。台風が接近した日の雨がありましたが、さすがに台風もようでは行く気が起こらずやめたら、8月半ばまで全然いけないのです。16日になって、これでは今年は全く屋外プールでは泳げない、と混雑を覚悟で行くことにしました。当然子供にぶつかりますが、ぶつかったら、そこで止まって、改めて空いている方向に泳ぐという泳ぎ方で、900m泳ぎました。以来、なるべく、空いているだろう夕方などを狙い、昨日までに9日泳ぎに行きました。

「今日は少し気温が低いから空いている?」と朝、10時の開業時刻に行ったのです。案の定空いていました。もちろん、貸切というわけにはいきませんが、今年初めてぶつからずに屋外プールで泳げました。

 前年までは、主としてバタフライの練習を目的に雨の日に行きましたが、今年は平泳ぎ、クロールとバタを300mずつ合計9000m泳ぎ終えて帰ることにしました。バックは止めました。ただでさえぶつかり易いのに前が見えないのでは衝突必至ですから。

 それにしても、泳力が落ちています。25mごとに休まないと泳ぎ続けられないのです。以前はバタフライでも、50mは続けて泳げたのに、平泳ぎでも50m続けてはキツイ!

脚の蹴る力が極度に弱くなっているのが、自分でもわかります。

 齢だからしかたないか!伊達公子さんだって引退するというじゃないか。

25mごとに一息入れながら900m泳ぎました。これで今夏10回泳ぎました。あと一回、最終日の31日に泳ごうと思います。


証券セミナー

2017-08-27 | 経済と世相

証券会社のお姉さんから先日電話「当社の2Fで25日午後、株式セミナーを行います。、時間があればいらっしゃいませんか」

それで25日の午後自転車を転がして、セミナーを聴きに行きました。店頭でロボットが愛嬌を振りまいていました。

めっちゃ暑い日でした。前日の24日は、名古屋は今年最高の35.5℃を記録したそうです。この日も暑く、お姉さんと話しているときにも額からぽとぽと汗が滴る。夏は毎年暑く、気温を調べると、去年より高いわけではないのですが、暑さが体に堪えます。年の所為かな。

 3時半から、「第4次産業革命」というAIの最近の進歩を語る内容で、エース経済研究シニアアナリストの池野さんの講演でした。

 最後に、おすすめの株式ということで、5つの銘柄の紹介がありました。

なるほど、こういうビジネスモデルがあれば繁盛するだろうな、と思わせる銘柄でした。

インベスターズクラウド アパート経営システムで「TATERU」で民泊。リノベーシヨンを扱う。17/12期の配当40円

(人口減少で空き家が増加する中でアパート経営に利益を出すシステム)

日本M&AセンターM&Aを支援するリーデイングカンパニー

ターゲットは全国の黒字中堅企業12万社と廃業予定企業

M&A情報とネットワークとコンサルタント

2018/3期1Q刑場利益36億円

(全国には黒字であっても後継者不在で廃業予想の中小企業が多数。これをターゲト)

ペプチドリームペプチド薬の開発支援

2018/6期経常利益31億円

グノシー  ニュース配信アプリ「グノシー」を展開。

提携メデイアからからニュースを購入し専用アプリでユーザーのスマホに配信。

個々のユーザーの興味に会う「読みたいニュース」を無料敗因。

2017/5期経常利益大幅伸張(15億円9

任天堂 2018/3期営業利益51億円赤→162億円黒字


西田幾多郎

2017-08-25 | 読書

 

 

 先日、佐伯啓思さんの「さらば資本主義」という本を読んで、この著者は面白いと感じたので、市の図書館で「佐伯啓思」で検索したら「西田幾多郎」(新潮新書)があった。早速、港区図書館から取り寄せてもらった。

 「禅の研究」で知られる西田幾多郎は、日本発の哲学を創った哲学者として知られる。京都には「「哲学の路」という観光スポットがある。西田幾多郎が思索を重ねながら散策した道で、桜の時期には観光客でにぎわうらしいが、訪れたことはない。

が、小生は、彼の著作(難解で知られる)を読んだことはないし、どんな思想を有した人か全く知らない。佐伯さんが新書で簡潔に紹介してくれるなら読んでみようと思いました。

第一章で筆者はこう説く。教育の「コクサイカ」は言語道断である。英語養育の前にやるべきことがある。「まずは、日本語で自前の言葉で自己を表現し、他人と議論でき、家族や友人とまともな議論でできるようにすることが先決だ」。

 西田哲学はほとんど唯一の日本発の哲学です。西田の意図は、西欧哲学の成果を踏まえて、それとは異なる日本の哲学を生み出すことだった。

 しかしことさら、西欧と日本を対立させるというより、西欧哲学を突き詰めれば、本当に日本精神(特に仏教)を踏まえた彼の哲学的立場へ行くと考えていたらしい。

 しばしば、西田哲学はかなしみから生み出されたと言われる。西田地震も「哲学の『動機』は驚きではなく深い人生の悲哀でなければならない」と述べている。

 西田の一生をきわだたせているもの、それは多くの近親者との死別でした。3歳で姉と死別、34歳で弟が旅順で戦死。36歳の時、5歳の次女を失い、生まれてすぐの5女を失った。49歳の時妻が脳溢血で倒れ、数年の介護の後54歳の時没した。また50歳の時長男を失い、同時期に3人の娘たちが大病を患い70歳で侍女を失い、74歳で長女を失う。西田自身の死もこの年、1945年6月、終戦の2か月前でした。彼は人生の基底に「悲哀」を見出しそれを徹底的に見つめ、哲学にまで仕立てたと言える。

 西田哲学はしばしば「無の哲学」と言われる。「無」へたどり着く彼の思索は彼の人生の悲哀と無関係ではない。

 死には意味がなければならない。人生の出来事にはそれなりに深い意味がなければならない、と彼は書いている。この「深い意味がなければならない」は、実は「本当は何の意味もない」という根源的な立場と背中合わせでした。

 西田の関心は、西洋哲学の限界を突き詰めて、もっと深くまで行くことだった。そしてその深いレベルで彼が見出したものは「日本的」としかいいようのない観念だったのです。

 西洋哲学はしばしば「主体」と「客体」を整然と区分する。その出発点はデカルトにある。彼は「私は考える。ゆえに私はある」と確信し、これを「哲学の第一原理」とした。

 西洋科学では、「私」という「主体」と「世界(対象)という「客体」の主客二分法がある。しかし、西田はこう述べる。

例えば「私は綺麗な桜を見た」という経験。「私」が「美しい花」を「見た」というのは認識であって経験ではない。

しかし花を見た一瞬、あっと息をのんだ瞬間、確かにある経験をしているのだが、「私は今桜を見ている」ということも[きれいな花だ]など考えたりしません。そんな明瞭な認識はない。この一瞬には言葉もでてこない。ただ「経験」があるのみです。そこには「私」もなければ「桜」もない。両者が融合した「経験」があるのみです。

 西田はこうした経験を「純粋経験」と呼んだ。「私」という主体と「桜」という客体が区別される以前のもので、「私」というものは、後からその経験を振り返ってでてくる。

 愛する者が死ぬ。悲しくて苦しい。ここではもはや自我も、私もありません。ただただ慟哭するだけです。しかし、その際でも何かそれを見ているものが私の中にある。決して慟哭もしなければ動きもしない、慟哭する私を見ているもう一つの私のようなものがあるという。そこに「純粋経験」を超えて西田哲学の重要性が認められる。

わが心 深き底あり 喜びも憂いの波も 届かじと思う。

えば「「西田は京都に住んでいた日本の優秀な哲学者である」という命題を考える。

ここで重要な見方の変更を行います。西田とは、「哲学者」や「日本人」や「「優秀」や「京都に住んだ」などが実現する場だと考える、あるいは、それらの属性を映し出す鏡と考えるのです。上の短歌の「心の底」とは、「無」です。つまり、鏡は最終的には「存在そのものを意味し」、それ自体はなにものでもない、「無」だと考えます。次の短歌もあります。

世を利れ、 人を忘れて 我はただ 己が心の奥底に住む

万葉集にこういう歌があります。

世の中は 空しきものと知るときし

いよよますます 悲しかりけり

ここでいう「もの」とは何か。大野晋によると「もの」には、「さだめ、決まり、自分では変えられないこと」の意味があるという。

通常、「モノ」は物体です。「もの」はいずれ消滅してしまう。それが「さだめ」です。「消滅」とは「無に帰する」意味です。西田にとっては、自己とは「絶対無の場所」。

 ここまで読んで、「われあり」、「われが知る」という主語、述語で成立する西欧言語に対し、日本語では、「われは」は「われにおいては」、の意味で、必ずしも主、・述の関係ではない。

哲学でも科学でも、考える際、日本人は日本語で考え、西欧人は西欧語で考える。

だから言語の構造がそれぞれの哲学に反映するのだ、と私は思いました。


「和解する脳」(2)

2017-08-18 | 読書

 

第2章「裁判する脳」には、こんな話が載っていました。

裁判における事実の認定は、帰納法による。

池谷 たとえばスーパーで買ってきた卵が10個あるとする。1個割ってみたらくさっていた。2個目も3個目も割ってみたらくさっていた。次々割って9個目も腐っていたら、10個目は割るまでもなく腐っていると考える。これが帰納です。でも実際には割ってみないとわからない。科学者はこの帰納を排除する。なぜなら帰納には確定的な根拠がない。10個目が腐っている保証は何もないからです。「10個目も腐っているだろう」というのは仮説です。「科学は仮説を証明するためにあるのでなく、否定するためにある」。

 仮説を棄却するプロセスが演繹です。科学者は仮説を証明するために実験するのでなく、棄却するために実験をしている。こうしたことから、「反証可能性」を重視する。「反証可能性」が科学の前提です。

 先ほどのいくつ卵がくさっていたら、残りの卵もくさっていると思うこの数をNとすると、N=1で帰納をやってしまうほど脳は帰納が好きです。裁判では証拠1で有罪ないですね。

鈴木 刑事裁判ではそうですが、民事裁判では証拠一つで心証が決まることがあります。ちなみに科学では帰納をやらないのですか。

池谷 仮説を立てるところは帰納です。それに、「自然の斉一性」という概念があって、自然はだいたい同じようにできているという大前提です。

鈴木 事件を直接見ていない裁判官に過去のある時点で何が起きたか認定してもらうシステムでは、どうしても真実と異なる判断が出る場合がある。そこで、民事裁判では、裁判官という第三者に結論を出してもらうよりも、自分たちで解決方法を決める方が良いケースが多い。

池谷 それが「和解」ですね。

 因果関係は本当は証明できないのです。

鈴木 章目できないんですか。

池谷 科学的には証明できない。とくに実験科学では絶対無理です。たとえばアスピリンを飲んで熱が下がった。でももしかしたら飲まなくても自然に治ったかもしれない。だから因果関係は証明できない。

では科学の現場ではどうするか。対称実験を行うんです。つまり、アスピリンを飲んだグループと飲まないグループで比較する。しかし、これは因果関係でなく、相関関係を提示しただけです。

因果と相関は違う。科学的に触れることが出来るのは相関のみです。


、「和解する脳」(1)

2017-08-17 | 読書

「和解する脳」

池谷裕二さんの本を読んでみたいと、東区図書館で検索して、「和解する脳」という本を見つけました。弁護士の鈴木仁志さんと池谷さんの対談をまとめた本(小学館2010年)です。第1章「争う能」にこういう話がありました。

池谷 単純に考えて脳の容積は1.5リットルです。その中に神経細胞が並んでいるとしましょう。神経細胞の大きさはだいたい20ミクロンくらい、だから半径は10ミクロンです。半径10ミクロンの球を、1.5リットルの中にぎっしり詰めていっていくつ入るか計算してみると、1000億が限界なんです。

 しかも、脳を顕微鏡で細かく見ると分るんですが、神経細胞のある場所は脳全体の10分の1くらいなんです。残りの場所は神経細胞がない。そこは神経線維を張り巡らす配線場所なんです。神経細胞1000億つまる容積を持っているけれども神経細胞の数は一桁少ない。

 何を言いたいかというと、遺伝子の数は脳の神経数100億に比べてはるかに桁数が小さい。2万個しかないとすると、遺伝子で脳の設計図が書かれているという構図は少し違う。つまり、遺伝子からスタートしたかもしれないけれども遺伝子を超えたところで自己増殖的に増えて脳ができる。脳と遺伝子は親子関係でなく、むしろ対立関係です。

鈴木 対立関係?

池谷 遺伝子はゆっくりとしか変わらない。遺伝子の進化には何万年あるいは何百年かかる。生物は早い環境変化にすぐに対応しなければならない。遺伝子が変化するまで待っていられない。それで脳が必要になる。遺伝子的に不利なで、淘汰されるべきところを脳が抑えてしまっている場合もある。ある意味で、遺伝子の正常な運命に対峙しているのです。

池谷 進化の過程で人間らしさをを司るのは、どう考えても大脳皮質です。といっても大脳皮質があるのは、人間だけにあるのではない。

進化の過程で何が起こったかということですが、脳幹が自分でコントロールするための部下として大脳皮質を活用していた。ところがサルから人間に進化したときに、大脳皮質が一気に大きくなってものすごい数にまで神経細胞が増えて数の力で脳幹が負けてしまう。それまで脳幹が大脳皮質をコントロールしていたのだが、大脳皮質が脳幹をコントロールする。人間が「理」を全面におしたてるのは大脳皮質主導のやり方です。

鈴木 私の推察では、それが起きたのはそんなに昔ではない。700万年前にサルから別れて現在までの人間の歴史で、「理」の独り歩きが始まったにはけっこう最近ですね。

池谷 だと思います。ネアンデルタール人には、明確な形として「理」はまだなかった。と思います。ネアンデルタール人は私たちより脳が大きかったのですが。

なぜネアンデルタール人に「理」がなかったと推察されるか?彼らは言語を持っていなかった。からです

 言語が自己増殖にとってどれだけ重要かということを説明すると。

 言語構造の一つの特徴は、リカージョン、「再帰」にあります。

再帰とはたとえば「タロー君は、ジロー君がハナコちゃんがお人形遊びを邪魔することはいけないと叱った」。再帰が言語構造の基本で、どんな言語にも必ず再帰がある。

再帰ができるということには、非常に重要な意味があって他人の始点からモノが見られるというのも再帰です。

さらに重要なポイントがある。数字を1,2,3とカウントできるのも再帰なんです。たとえば2というのは「1+1=2」。3はもちろん「2+1」なんですが、2は「1+1」ですから、ここに再帰が入っている。

1.2.3.4・・・・と再帰を繰り返して無限になる。つまり「無限」という概念を獲得できるのは、再帰が出来る人間だけです。「無限」がわかると「有限」がわかる。自分の命に限りがあると分るのも人間だけです。

有限性が理解できないと争いは起きないのです。


アベノミクスの評価

2017-08-16 | 経済と世相

 

佐伯啓思さんは「さらば、資本主義」の中で面白い「アベノミクス批判」を展開していました。紹介します。

アベノミクスはうまく行っているのか、それとも挫折しつつあるのか。

アベノミクスの「わかりにくさ」は、この政策に矛盾する考え方が含まれているからです。

まず、第一の矢は、超金融緩和によって2%程度のインフレを実現するというものでした。これは、貨幣供給量をふやせば物価が上がる。つまり貨幣供給量と物価の間に一定の関係がある、という理屈です。経済理論では、この考えはマネタリズムという考えです。そして、第二の矢財政出動によって景気回復を目指すというもので、これはケインズ主義です。

 ところがマネタリズムとケインズ主義はまったく犬猿の仲、50年にわたって敵対関係にありました。ケインズ主義は、不況下にあっては金融政策はさして意味がない、という。下手に金融緩和を行うと、そのお金は実体経済に回らず、金融市場で投機に使われ経済に対して悪影響を及ぼすというのです。一方、マネタリズムは、ケインズ政策で財政拡張しても景気は良くならない。財政赤字を膨張させ経済を混乱させるという。政府ができることは、せいぜい貨幣量を動かして物価水準をコントロールすることに限られる。それは、ただ物価水準に影響を与えるだけで、雇用や景気にはほとんど影響しない、という。そもそも政府が景気を調整することなどできない。景気を良くするには、ただ市場競争条件を整えて、能率の悪い分野から能率の良い分野に資源を移動させるしかない、という。

この考えによると、中央銀行が貨幣供給量をコントロールするのは、もともとインフレを抑えるためだった。それをアベノミクスの場合には逆にインフレをもたらすために貨幣量をふやそうとしている。

かくて、第一の矢と第二の矢はまったく違う経済理論の上に乗っている。

確かに、デフレ脱却のためには何でもあり、安倍首相自らそういっている。だから、犬とサルを同じ檻で共存させようとする政策もありうる。マネタリズムで物価が上がりケインズ主義によって景気が回復すればよい。しかし、両者とも相手を批判している。もしこの批判が当たっていたら、金融緩和はただ金融市場で投機的なバブルを引き越し、財政政策は赤字ばかりを増やしてさしたる景気回復効果を持たない、となると目もあてられない。

いったいどちらになるのかやって見ないとわからないのです。

そこで第三の矢を放って経済成長経路にもちあげようとした。これがまたよくわからない。ここでもやれることはすべてありです。政府が率先して成長産業を生み出し他方でいっそうの規制緩和を推し進めようとする。前者は新重商主義的な政策で後者は構造改革の継続です。

構造改革は、新自由主義あるいは市場原理主義とも呼ばれる。それはただケインズ主義と対立するだけでなく、政府が特定の産業の後押しをしたり、戦略的に経済を牽引することを排除すべしと主張する。

アベノミクスの軸足は、政府が経済を動かす主導的役割を演ずる戦略的経済政策にあるのか、おれとも構造企画をいっそう進める市場競争強化なのか、どちらなのか。首相自ら「できることはすべてやる」というから、こうしt真意を問うても意味はない。結果が全てでしょう。実はこの対立する二つの考えは、少なくとも安倍首相の論理では矛盾するものではない。首相はどう考えているのか。

成長戦略の目指すものは、「この激しいグローバル競争に勝つための競争力をつける」。

グローバル競争に勝ためにはあらゆることをする。政府が主導して成長産業を生み出すという新重商主義的政策も、市場競争を強化するという新自由主義的政策も必要だ。

一見すると矛盾し対立する政策を両方とも包括するものは、まさに「グローバルな競争に飼って成長する」という論理なのです。

しかし、この「「グローバルな競争に勝って成長する」という路線は正しかったのか?

構造改革に明け暮れた約20年は、まさに「グローバル競争力」をつける持続的な実験だった。そしてどうなったか。それがデフレの10数年であり、格差の拡大であり、停滞の20年だった。

そもそもこの10数年にわたるデフレ経済はどうして生じたのか。原因として日銀の金融緩和の不徹底、改革の遅れ、所得格差などが指摘された。しかし、直接的原因はともかく、それをもたらした構造的要因ははっきりしている。

第一には、人口減少・高齢化社会の到来。人口減少・少子高齢化になると、当然市場は縮小する。少なくとも将来の市場拡大は望めない。こういう予想が支配的になると、企業は投資をひかえる。高齢化に向かう人々は消費を減らして貯蓄する。かくてデフレ圧力を生ずる。

第二にグローバル化。先進国は激しいコスト競争にさらされ、企業は海外に工場移転するか、国内にあっても賃金を下げたり派遣に切り替える。これがデフレ圧力になります。

第三に構造改革。構造改革の発想は、市場競争を促し、生産の効率化を図る。供給側の『改善です。問題は供給側でなく需要側にあったのでは。

というわけで、佐伯さんはこう説く。

「グローバル競争に勝たなければ成長できない」、「成長しなければ幸せになれない」という思い込みから我々自身を開放し、矛盾のない論理で政策を組み立てる必要があるでしょう。


2017年の夏(4)日本空襲

2017-08-14 | 経済と世相

 

 

8月15日近づくと、戦争に材を摂るTV番組が数多く放映されている。

13日夜、BS①で「日本は何故やきつくされたか」という空襲の内情を探る番組が放送された。これは興味深いものでした。

1939年当時米国の爆撃機は何機あったか?たった14機でした。当時の航空戦力を見ると、』ドイツが一位で、日本が2位、米国は6位に過ぎなかった。この情勢が変化したきっかけは日本の真珠湾攻撃だった。「これからは空軍が戦争の主役になる」。

当時組織的には米国の空軍はなかった。陸軍に付属する組織で、米国に空軍が生まれるのは1947年だった。だから真珠湾は、当時の米国空軍トップにとって、陸海軍から離れて空軍が独立できるチャンスだと考えられた。

開戦の翌年、空軍のトップは、航空母艦から発進し東京を空襲する計画を実施した。この計画は極めてリスキーなものだった。爆弾で重くなった爆撃機は空母の短い滑走路では離陸に失敗する危険があった。実施した結果は実際、実質的な爆撃効果は大きくなかったし、爆撃後中国に飛んで着陸するまでに日本空軍の攻撃で失われた機も少なくなかった。しかし、「日本を空爆できた」という宣伝効果は大きかった。空軍首脳部は、「空軍だけで、日本を降伏させられる」と、政府・軍の首脳に吹き込んだ。

ルーズベルトは、空軍の予算は100倍に増やした。3億ドルの資金をつぎ込んで爆撃機B29の開発に着手した。高度1万メートルで航続距離5000kmという真影爆撃機の開発に成功した。

サイパン島に置けば、B29は日本爆撃に往復できる。高度1万メートルなら、日本軍の飛行機もそこまで上がってこれないと考えた。

1万メートルの高度になると、空気が薄くなるから、エンジンの馬力が大きくないと飛行できない。

「空軍を独立させ、B29を、陸軍でも海軍でもなく空軍の管轄に置かないといけない。空軍の独立のためには、日本攻略の功績を陸海軍でなく、空軍のものにしないといけない」」

「空軍だけで日本を降伏させうる」。空軍首脳は、必死で政府上層部を説いた。

昭和19年の秋からサイパン発の日本爆撃が始まった。中島飛行機の武蔵工場が最初の標的だった。

ルーズベルトはしばしば、日・独の空爆を非人道的だと非難していた。軍事施設ではなく、一般市民を虐殺する無差別爆撃だと。

そこで、当初米空軍首脳は、無差別爆撃を避け、攻略目標を正確に爆撃する計器を開発していた。が、爆撃の結果は芳しくなかった。1万mの上空には時速200kmの強風が吹いていた(日本上空の偏西風を発見したのは、気象学者ではなく、米軍であった)。更に冬場は雲が多い。計器を用いて爆撃したのだが、爆撃できた確率は2~7%で、成果が上がらない。海軍も陸軍も「B29をこちらに回せばもっと効果を上げる」と空軍非難の声を上げ始めた。空軍はなんとか成果を上げないといけないとあせりはじめた。この頃、空軍頸脳にとって見逃せない出来事が起きた。海軍が硫黄島を攻略しここに築いた飛行場からB29よりもっと小さな爆撃機で東京空襲を実行したのだ。

空軍は。昭和20年初め、爆撃空軍の司令官を更迭した。

カーチス・ルメイの登場である。欧州方面軍から日本空襲の指揮官に抜擢された。昭和20年からルメイが指揮を執ったが、爆撃の成功率は上がらない。

「このままでは自分も更迭される」とルメイは方針を変えた。個々の軍事施設を狙うのではなく、全部爆撃してしまえばいい。焼夷弾による無差別爆撃だ。成果を上げるためには、非人道的などと言っていられない。3月10日、東京大空襲。空軍幹部もルメイの方針を認めた。日本全土を焦土にし、最終的には広島、長崎の原爆投下に至る。非人道的作戦が極まったのである。

 余談になるが、戦後、かーちす・ルメイに日本政府は勲章を送った。自衛隊空軍に対するアドバイスを多としたのである。原爆投下という非人道的行為は裁判に訴えてしかるべきなのに勲章を贈る。こうした決定をした日本の政治家の常識を疑う。ついでに言うと、憲法9条は、日本の戦争を禁止するものではなく、日本の政治家が戦争を決めることを禁止したものだ。私はルメイに対する日本の政治家の決定を見れば、戦争という重大行為を日本の政治家に託することは出来ないという9条を支持せざるを得ない。


2017年の夏(3) 中島飛行機

2017-08-10 | 経済と世相

 

 

8日午前、10時からNHKスペッシャル「中島飛行機」を見た。(BS③)

 

中島飛行機は、太平洋戦争の折、三菱重工と並ぶ戦闘機の大メーカーでした。真珠湾攻撃の97式戦闘機を作りました。創業者は中島知久平(1884~1949)。戦後富士重工業になるが、同社はその創立を「1953年(昭和28年)7月15日」とする一方で、創業は「中島知久平」が「飛行機研究所」を設けた「1917年(大正6年)5月」としている。

中島は明治17年群馬県に生まれた。海軍に入ったが。航空の将来に着眼し、航空機は国産すべきこと、それは民間製作でなければ不可能という結論を得た。これを大西瀧治郎中尉にひそかに打ち明けたところ、大西も大賛成で、中島の意図を実現させようと資本主を探して奔走した。大西も軍籍を離れて中島の会社に入ろうと思っていたが、軍に却下された。

中島の「飛行機製作会社設立願い」は海軍省内で問題となった。中島はこのとき「退職の辞」として、戦術上からも経済上からも大艦巨砲主義を一擲して新航空軍備に転換すべきこと、設計製作は国産航空機たるべきこと、民営生産航空機たるべきことの三点を強調した。

つまり、後期は戦艦の数百分の1のコストで生産出来て爆弾を落とすことで戦艦を沈めることが出来る。工業生産力に劣る日本は、戦艦中心の「大鑑巨砲主義」を止めて亘空機中心主義への転換をと説いた。

 大正6年(1917年12月1日、既に同年5月には「飛行機研究所」(のちの中島飛行機株式会社)を群馬県尾島町に創設していた中島は海軍の中途退役を認められ(予備役編入)。

その後立憲政友会所属の代議士となり豊富な資金力で党中枢へ登り、新官僚や軍部寄りの革新派を形成して勢力を伸ばした。アメリカの国力を知るところから、当初は日米開戦に消極的だった。開戦後は「米軍の大型爆撃機が量産に入れば日本は焼け野原になる」と連戦連勝の日本軍部を批判し、ガダルカナルの争奪戦では日本の敗戦を予想して、敗勢挽回策としてZ飛行機(いわゆる「富嶽」)を提言するが44年まで無視され、時期に遅れて計画は放棄された。当初、軍上層部も乗り気だったが、戦争が劣勢になると、1機の製造に戦闘機が数百機分を要することから計画放棄になったのだ。

空軍の創設も提案した。

近衛内閣では鉄道大臣を務め、昭和13年(1938年)12月2日に鉄道幹線調査分科会をつくり、同年には海底トンネルのための地質調査も始めさせ、その大陸連絡構想は戦後の新幹線に影響を与えた。その組閣3ヶ月後発足した「大政翼賛会」は立憲政治を侵すとして、強力な政党を作ろうとしたが、終戦まで果たせなかった。

昭和20年(1945年)東久邇宮内閣で軍需相、軍需省廃止で商工相。昭和21年公職追放となる。

昭和22年(1947年)A級戦犯指定解除。昭和24年、脳出血のため急死。65歳没。

という経歴だが、凄いとおもったのは、今後は航空機が先頭のしゅりょくになり大鑑巨砲主義は意味をなさないと知り、米国機の爆撃で日本が火の海になることを予見して、逆に大型航空機を開発して米本土の爆撃を計画するなど、後の戦争の推移を正確に予想していたこと。すごい人物がいたのですね。

面白い内容の放送でした。

 


2017年の夏(2)原爆の日

2017-08-09 | 経済と世相

 

 

8月6日は、広島に原爆が投下されて72年の記念日です。

8時15分から広島の記念式典がTVで放映された。広島市長の演説に比べ安倍首相の演説はまったく迫力がなかった。

国連の「核兵器使用禁止条約」に関連して首相は「核兵器保有国と非保有国とがともに参画してはじめて実効ある核兵器廃絶はできる」というのだが、それが日本政府が国連の禁止条約に参加できない理由になるのだろうか。

 9時からEテレの日曜美術館で、北大路魯山人を取り上げていた。ゲストの女優樹木希林が魯山人の言葉を紹介していた。「人間はいつ死んでもいいの、なぜなら、生きているうちにこれだけはやらなくてはいけないというようなことは何もないのだから」という。

自分も80を超え、平均寿命を超えてくると、そう思うようになる。

日美を見終わってからプールに出掛けた。先月、整形外科医で「腰が脊柱管狭窄症を起こしているから、バタフライは止めた方がいい」と言われて一月ほどバタフライは止めている。しかし、「脊椎刊狭窄症」の本を読んだら、「全然腰を使わないのも帰って治りが遅くなる」とあった。

「クロールを泳げばいい」。バッタより腰の負担は少ないが、クロールも腰をゆっくり動かして体を前進させるはずだ。クロールとバックで1000m」弱泳ぐ。このところバッタを泳いでいないので、最後に25mだけバタを泳いでみた。すると気のせいかもしれないが楽に泳げる。クロールで腰を鍛えることができるのだ。と気を良くして水から上がった。

イーオンで弁当を買い帰宅する。帰宅後TVをまたみた。NHKアーカイブ「ヒロシマ原爆投下から72年、核亡き世界を目指して」を13:50~15:00まで見た。

 1945年8月呉を空爆した米国爆撃機が艦砲放火を受けて山口県に落下した。その乗組員の多くが広島に連行され原爆で死んだ。NHKのスタッフがその遺族を訪ねて取材したドキュメンタリだった。

米国の軍人が、米国の落とした原爆で殺される、隠れた戦争悲劇の報道でした。

その後、野球の中継を見た。中日巨人戦です。9回に登板した岩瀬投手が950試合登板の日本記録達成の試合でしたが、70年以上プロ野球の試合をみていますが、こういうケースは初めて!という顛末でした。

9回裏、5:4で中日1点ノリードで岩瀬登板。最初の打者は三振。その後四球・安打でランナー1,2塁になりました。次の3判坂本がセンターに大飛球。背走した大島が捕球したのです。この時1塁ランナーは2塁ベースを越えていました。捕球を見てあわてて1塁へ帰塁したのですが、2塁ベースを踏むことを忘れて帰塁した。内野に戻った球を持った野手がベースを踏んでアッピール。審判が走者アウトを宣告、試合が終わりました。

夜はまたテレビを見ました。9時からのNHK特集、「被爆者55万人のビッグデータから解析した72年目の真実」はいい番組でした。

「真珠湾」を日本がやったのだからヒロシマは仕方がないというのが米国の言い分らしいが、真珠湾とヒロシマは全然違う。真珠湾は戦争施設に対する攻撃であったが、ヒロシマは一般市民の虐殺です。真珠湾は戦争ですが、ヒロシマは犯罪だと思いました。もちろん、ヒロシマを招いた開戦をした愚かな日本人の政治家の責任を否定するものではないのですが。

8日午前には「中島飛行機」を取り上げたNHKスペッシャルも放映されました。これも印象的な内容ですした。

 戦後も72年経つと立派な番組が放映されるようになるものですね。


2017年の夏(1)

2017-08-08 | 経済と世相

 

2017年夏(1)8020それからアベノミクス

金曜日の朝、予約した歯医者にでかけた。虫歯の治療です。虫歯というものは、一旦掛ったら絶対に歯医者で処理しないと治らない。ふた月ほど前から虫歯が痛み週一回歯科医院に通うことになった。

看護師のお姉さんに聞いた。

「8020(80歳になった時自前の歯が20本以上ないといけない)という言葉を良く聞くが、私の自前の歯は何本ありますか?」

「25本です」

「じゃ、一応合格ですね」

治療の最後に医者が言った。

「今日で終わりますが、3か月後また来てください。」

と、一応釈放された。

 

その後、自宅前の「麦わら帽子」という喫茶店に行き珈琲とモーニングサービスをオーダーした。この喫茶店には、週刊文春が置いてあるので、週一回顔を出して、週刊誌で世間の動きに目を通している。宮崎哲也さんのコラムが面白い。

 

「雇用関連統計が発表された。ついに正社員有効求人倍率が1を超えたこの6月は1.01倍だった。有効求人数も116万4454件で過去最大。一般の有効求人倍率はバブル期の最高を越えた4月からさらに続伸1.51倍だ。

7月31日のフィナンシャルタイムスがいいこと書いてた“安倍晋三が、いようがいまいが、日本にアベノミクスは必要だ。”

 アベノミクスと言っても玉石混交。第三の矢の規制改革、成長戦略の部分はろくでもない」。

 

確かに雇用状況は改善されているようだ。経済政策の目的が雇用の改善だとすると、安倍さんはついている。なもしなくても雇用状況は良くなっていく。

人口減にも良いことがあるようです。

しかし、このコラムで評価の高い金融の異次元緩和も出口戦略はあるのだろうか。

 

さらにページをめくると「肉を食べて熱中症を防ごうという記事があった。

「われわれは体内に溜まった熱を全身を循環する血液によって体外に放出しています。ですから身体から熱を逃がすには、体格に見合った血液量の保持が欠かせない。血液量が充分ならそれだけ体温の調整機能が効率よく働く」

「血液の量を調節しているのは血中のアルブミンで、その数値はタンパク質の摂取が影響する。特に高齢者は普段の食事から摂るたんぱく質が不足がち。肉類を意識的に食べましょう」という話だった。

喫茶店を出てから丸善に出掛けた。本を2冊購入してきました。

ブルーバックス「つながる脳科学」  理化学研究所脳科学総合研究センター編

 「はじめに」を見たら、センター長 利根川進さんが書いている。

1987年免疫機構の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川さんが脳科学に転進したのかと、購入した。

もう一冊は佐伯啓思さんの「さらば、資本主義」(201510月新潮新書)

「新潮45」に連載された「反・幸福論」20149月~20156月連載をまとめたものです。

もしかしおたら出口戦略に触れているかも、と購入しました。

暑さで草臥れて、水泳に行くのは止めてしまった。(続)