続きです。
3. 新自由主義は、「市場による資源配分」を重視し、「政治による資源配分」を排除する。 経済における資源配分には、「市場による資源配分」と「民主政治による資源配分」
(と筆者は言うが、私は「政治による資源配分」と呼ぶべきと考える)の二つがある。
主流派経済学は、市場の原理は、その価格メカニズムによって効率的な資源配分を実現し、
経済の均衡と安定を約束してくれると考える。
これに対し、政府が財政出動(つまり公共投資など)によって雇用を創出したり、
規制によって社会的弱者を保護するのが「民主政治による資源配分です。
(著者が「政治による資源配分」を弁護するのは、経産省の官僚であった経歴のためかも?)
「非政治化された」経済運営とは、「民主政治による資源配分」を排除する経済運営です。
英国の政治経済学者ピーター・バーナムはブレア政権の経済運営を分析し「非政治化」と呼んだ。
国際的な非政治化の最たる例が、EU,特にユーロという通貨制度です。
4.EUの設計者はデフレを想定していなかった。
EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約により、
欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになった。
同盟各国はその結果、金融政策や為替政策の権限を失った。
各国は財政赤字はGDPの3%まで、公的債務残高は原則としてGDPの60%までと制限しています。
結局のところ、ユーロというシステムは、金融危機やデフレを想定せず、
インフレの防止のみを主眼にしたデフレ・レジームであった。
インフレの防止には有効だが、デフレには逆効果だった。
EUの設計者たちは、国際条約によって「非政治化」さえ行えば、
政治の不適切な介入によるインフレは防止することが出来、後は、
市場のメカニズムが自動的に需給を調節してくれると考えていたのだろう。
5.新自由主義というデフレ・レジームが資本主義を変質させた。 デフレ・レジームは70年代の末から80年代前半にかけて成立した政策レジームだった。
それは、単にインフレを退治したにとどまらず、資本主義を変質させて、金融資本主義を生み出した。
79年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、インフレ退治を掲げて、急進的な高金利政策を断行した。
企業は、高金利のため、資金調達が困難になり、技術開発投資など、リスクを伴う長期的な投資に消極的になり、
短期的な利益を追求するようになる。
この短期志向が製造業の競争力を弱め、また高金利に伴うドル高は、アメリカの輸出競争力を低下させた。
一方、効率市場仮説を支持する新自由主義に支えられ、金融市場の自由化が進められ、
様々な金融商品が開発され、金融市場が膨張し、投機的な性格が強まった。
軍事費など財政支出が増加し、高金利下の政府債務の増加は金利を上昇させ、
海外からの資金を呼び込むことになって、マネーのグローバル化が進行した。
企業の視野の短期化、金融市場の自由化、マネーのグローバル化があいまって、
製造業が後退し、金融のウェイトが大きくなる「金融資本主義」が形成された。(続く)
3. 新自由主義は、「市場による資源配分」を重視し、「政治による資源配分」を排除する。 経済における資源配分には、「市場による資源配分」と「民主政治による資源配分」
(と筆者は言うが、私は「政治による資源配分」と呼ぶべきと考える)の二つがある。
主流派経済学は、市場の原理は、その価格メカニズムによって効率的な資源配分を実現し、
経済の均衡と安定を約束してくれると考える。
これに対し、政府が財政出動(つまり公共投資など)によって雇用を創出したり、
規制によって社会的弱者を保護するのが「民主政治による資源配分です。
(著者が「政治による資源配分」を弁護するのは、経産省の官僚であった経歴のためかも?)
「非政治化された」経済運営とは、「民主政治による資源配分」を排除する経済運営です。
英国の政治経済学者ピーター・バーナムはブレア政権の経済運営を分析し「非政治化」と呼んだ。
国際的な非政治化の最たる例が、EU,特にユーロという通貨制度です。
4.EUの設計者はデフレを想定していなかった。
EUは、その根拠法であるマーストリヒト条約により、
欧州中央銀行が単一通貨ユーロを発行して金融政策を実施することになった。
同盟各国はその結果、金融政策や為替政策の権限を失った。
各国は財政赤字はGDPの3%まで、公的債務残高は原則としてGDPの60%までと制限しています。
結局のところ、ユーロというシステムは、金融危機やデフレを想定せず、
インフレの防止のみを主眼にしたデフレ・レジームであった。
インフレの防止には有効だが、デフレには逆効果だった。
EUの設計者たちは、国際条約によって「非政治化」さえ行えば、
政治の不適切な介入によるインフレは防止することが出来、後は、
市場のメカニズムが自動的に需給を調節してくれると考えていたのだろう。
5.新自由主義というデフレ・レジームが資本主義を変質させた。 デフレ・レジームは70年代の末から80年代前半にかけて成立した政策レジームだった。
それは、単にインフレを退治したにとどまらず、資本主義を変質させて、金融資本主義を生み出した。
79年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、インフレ退治を掲げて、急進的な高金利政策を断行した。
企業は、高金利のため、資金調達が困難になり、技術開発投資など、リスクを伴う長期的な投資に消極的になり、
短期的な利益を追求するようになる。
この短期志向が製造業の競争力を弱め、また高金利に伴うドル高は、アメリカの輸出競争力を低下させた。
一方、効率市場仮説を支持する新自由主義に支えられ、金融市場の自由化が進められ、
様々な金融商品が開発され、金融市場が膨張し、投機的な性格が強まった。
軍事費など財政支出が増加し、高金利下の政府債務の増加は金利を上昇させ、
海外からの資金を呼び込むことになって、マネーのグローバル化が進行した。
企業の視野の短期化、金融市場の自由化、マネーのグローバル化があいまって、
製造業が後退し、金融のウェイトが大きくなる「金融資本主義」が形成された。(続く)