古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

手作りマラソン大会(2)

2008-06-19 | マラソン
この直進コースで距離を調節しているのだろう。もう100mも走れば、名古屋城の雄姿を見て貰えるのに。公園に戻り周回コースに入ってすぐに給水ステーシヨン。ここで腕の時計を確認すると、19分だ。「1周目は輪ゴムなし。2週目から輪ゴムを貰ってください」、つまり輪ゴムの数で何周か確認する方式らしい。

ここからいつもの周回コース、コースの南で池に架かる橋を左折して園の内部を走る。ここの景色はコースで一番。左に噴水を見て更に「青年の像」を仰ぐと、ここの公園ってこんなに綺麗だった?間もなく第一折り返しに出た。これでコースは分かった。


2週目で給水場前に行くと輪ゴムがない。「輪ゴムはどこで貰うの?」と聞くと、「ありませんから周回数を自己管理してください」。

これには笑ってしまった。いくら手作りマラソンでも、これはお粗末。6周で1回目ゴムなしなら一人5本必要だから出場者数×5は用意しておかねば。まぁ良いか、走るのが好きな人ばかりだから回数をごまかす人はいないだろう。

お天気は曇り。これは助かった。晴天だと暑くて大変だった!

2周目、3周目は38分、57分通過。正確にに1周19分で回っている。

とまぁこんな具合で6周が終わっての給水場前で、スタッフに「6周したけどどっちへ?」左を指すので、広場に入ってフィニッシュラインを踏む。「1時間57分2秒の完走証を貰った。

一寸記録が良すぎる。距離は正確だった?後で計算したら、朝のジョギングは9.3kmを52分で走ることにしているので、この速度で21kmを走ると1時間57分になる。土地勘のあるコースだと早く走れるかな?

手作りの未公認コースだからなんともいえない。

完走証には「70~74歳 第一位、総合順位 第226位」、「あなたの情熱と栄誉をここに永遠に記録します。」

「永遠に」はオーバーだが、立派な完走証だった。

本部受付で、完走メダルとスポーツ飲料と菓子パンを貰い、自転車を転がして家に帰りました

手作りマラソン記(1)

2008-06-18 | マラソン
父の日の15日、名城公園で手作りのマラソン大会が開かれました。

知多の方の川崎さんというマラソン愛好家が会長になって、第1回「名城公園年代別マラソン・フェスタ2008」です。

 8時、自転車で5分、会場の受付に行くと、まだ準備中で10人近くのランナーが並んでいる。「8時受付開始の筈じゃない」と一応文句を言うが、愛好家による「手作り大会」だから人手も足らず、仕方ないか!

 少し散策してから、受付に戻り受付。記念のTシャツ、とゼッケンを受け取る。「コースの案内図とか選手名簿とかないの?」

「コース図はあそこに掲示してあります。選手名簿は配布はしません」とつれない。

3km、5km、10km、ハーフのコース図の掲示を見るが、ピンとこない。公園内だけで21km走らせようとするから、あちこち折り返して複雑な走路図になっている。公園外を走ると警察の承認が必要だから難しいのだろう。

 開会式で、走路説明があるだろうと、9時半の開会式にまた来ようと家に戻る。

9時半、再度会場に行く。開会式はやっていない。受付で「開会式は何時に始まるの?」

ところが受付はアルバイトらしく、分からない。「川崎さんに聞いてください」。

川崎さんってどの人か分かんないじゃない。

「走路説明は何時やるの?」。分かる人が来て「スタート10分前です」

スタート時刻が貼ってある。ハーフは12時30分とある。

「インターネットで11時50分だったが、遅くなったの?」

傍にいたランナーが「早くなったの?案内のハガキは12時50分だった」と言う。

えっ、そうだった?自分は50分だけ見て12時を見てなかったかな?確認しようにもハガキは受付の時渡してしまった。まぁいいか。12時半前に出直そう。



12時過ぎ、今度は走る支度をして自転車で公園へ。自転車置き場に駐輪して、スタートラインに行くとランナーが並んでいた。ゼッケンのNOを見ると、500番台が最高だから出場者は600人弱とみた。

10分前、係員がマイクで説明を始めたが、マイクの調子が悪く良く聞こえない。「・・・6周」だけ聞こえた。6周は掲示でもあったから、とにかく皆の後について6周すれば良かろう。

この公園の周回ジョグコースは1328m、円周率で割ると直径約423mだ。もう25年もこのコースを走っているから1万回も走っているおなじみのコースだが、この広さでどうやって21kmのハーフコースを設定するのか?

走ってみて分かったが、周回コースを離れて公園内部を走るコースは、コースがぶつからない(交差しない)という条件が必要だ。そのため数学でいう一筆書きが必要。具体的には周回コースに内接する三角形で走る。もちろん真の三角でなく、三角を変形したコースです。

フラワープラザ辺りからスタートすると、北西に直進。周回ジョグコース前で第一折り返し、戻ってフラワープラザを過ぎて題に折り返し、2回回って(スタート時だけ)から途中の三叉路を左に折れ南東へ橋の袂で左折して周回コースに入る。紫陽花を眺める間もなく、すぐ公園東南の広場。ここで周回コースを離れ市役所方向への信号を渡らず右折。直進して右にお城が見える直前に第3折り返し。(続く

官僚の思想

2008-06-17 | 経済と世相
 中国大同で、植林活動をしているNPOのGEN(緑の地球ネットワークGreen Earth Network)を主宰する高見邦雄さんから先日メールを受信しました。

四川大地震は今世紀最大の地震災害になるのではと、思っていますが、この大地震に義援金を送ろうと活動を始めたGENに、税務署が「NPO(特定非営利活動法人)の認定を取り消す」と言っているというのです。以下、そのくだり・・
【義援金では、私たちにとって、困った問題があります。
緑の地球ネットワークは、国税庁長官の認定を受けてますから、
私たちへの寄附金は、税控除の対象になります。
今回の義援金も、その対象になるかどうか、
大阪国税局に、電話で問い合わせたら、
対象にならないどころか、認定取り消しの恐れもある、とのこと。
びっくりして、翌日、担当者に会いにいきました。

緑の地球ネットワークの定款は、緊急時の救援を定めていないので、
義援金を募るのも、それを被災者に送るのも、
私たちの特定非営利活動とは、認められないとのこと。
私は、「定款にない活動をするのは違法だ」とまでいわれることを、
とっさに覚悟したんですけど、
さすがに、それはありませんでした。
「そういう活動をするのを、止めはしません。
しかし、ひきつづき認定を受けようと考えるなら、
注意すべき点があることを、伝えておきます」ということでした。

細かなことは省いて、ザクッと書くと、こういうことです。
特定非営利活動に係る事業費は、
総事業費の80%以上でなければなりません。
受け入れた寄附金総額のうち、特定非営利活動に係る事業に充てた額が、
70%以上でなければなりません。
ほかにも、いくつか、ひっかかる項目があります。
今回の義援金が、特定非営利活動にあたらないとなると、
その額が大きければ大きいほど、認定にとって、不利になります。
要件からはずれれば、認定取り消しです。

「集めはじめているんですか?」との問い。
「ええ、集まっています」
「いくらくらい?」
「440万円ほどです」
「えっ、そんなに集めてしまったんですか」

私は、疲れ切って、事務所に帰りました。
気持ちも、ことばも、うまく伝わらないんですね。
もともと、NGOやNPOの活動を、促進するための、制度のはずなんですけど、
運用しだいでは、逆に、規制の作用をするんですね。
認定制度は、今年度から、大きく改善されました。
私は、そう考えていました。
でも、まだまだ、問題は多いようです。】

 以下は私の独断と偏見です。

日本の官僚は、明治以来「国民は愚民であり、官僚が保護すべき存在だ。だから、お金の使い方は、官僚が決めてやるべきで、国民に使わせることは極力避けるのが良い」という思想を持っている。

「NPOを認定すると、それだけ税の優遇措置を講じなければならない。つまりお金の使い方を、官でなく民間で決めることになるので好ましくないし、NPOの金の使い方も厳しく制限する必要がある。」と考えている。

先年話題になった「ふるさと納税制度」も、実施されることになりましたが、「ふるさとの自治体に寄付した金額から5000円を引いた金額を地方税から控除する」ということになりました(当初の案は1万円引いた額だった)。つまり、ふるさと納税を選択した人は自動的に地方税を5000円増税されることになる。

ここにも、「お金の使い方は官が決めるのが良いことだ」という思想が見られる。時代は「官でなく民間が決めるのが良い」時代になっていると思うのですが・・・

豊橋美術館と木喰

2008-06-15 | 美術館と美術展
 7日豊橋に出かけました。平日1800円のJR豊橋・名古屋往復切符が土・日は1500円で買えますので、豊橋美術館の「木喰(もくじき)展」を見にいきました。 

8日の中日がこんな記事が掲載していました。

『修行で各地を訪れ、木像や書を残した江戸時代後期の僧木喰の精神を象徴する全国でも例がない書一点が見つかった。・・・開催中の「木喰展-庶民の信仰・微笑仏」を訪れた浜松市の男性が持ち込んだ書を鑑定した結果、木喰の作品と判明。7日から同展の展示品に追加された。

・ ・・縦30センチ、横49センチの懐紙で、大きな丸の中に「心」と墨で大書され、左側に自作とみられる和歌が添えられている。・・・・

作品は、当時83歳だった木喰が1800(寛政12)年に現在の浜松市付近に滞在中に書いたとみられ、代表句「まるまると まるめまるめよ わが心 まん丸丸く 丸くまん丸」・・・保存状態はよく、落款や書体などから本物と鑑定された。

西端290年を記念する展示会を機に、埋もれていた書の存在が確認された形だ。

早速、公開中の仏像や資料160点とともに展示を開始。』

こういう木像では、円空仏が有名ですが、木喰は円空より100年ぐらい後世の人です。

展示初日に、この書を見たことになります。「わが心 まん丸丸く」ありたいものと思いました。

 豊橋美術館は、豊橋公園の一郭、瀟洒な建物ですよ。私の好きな美術館で、年1回は訪れています。

 インターネットで「木喰仏」を検索したら、熱心な木喰仏の研究者がいました。

http://www.d1.dion.ne.jp/~thx/mokujiki/mokujiki.htm

詳しくお知りになりたい方は、このサイトの「木喰仏を訪ねて」をクリックしてください。

水泳帽だけが収穫でした

2008-06-08 | 水泳
 「なごやマスターズ2008」は、6月8日、JR笠寺駅前の日本ガイシアリーナプールで開催された。

 100mバタフライの70歳グループ(70~74歳)男子は2名だけ。もう一人は例のSATOH KENさんだ。泳ぐ前から2位が決まっているようなもの。

 「お元気ですね。いつもSATOHさんの隣のコースで泳がせてもらいます」と声をかけた。「ああ、NOZUEさん。あちこちの大会に出て見えますね」、「でも、SATOHさんに30~40秒離されちゃいます」、「いや、世の中、上には上がいるもんですよ」と雑談。

 予定より5分ほど遅れ12時半、3コースの飛び込み台へ立つ。SATOHさんが4コースだ。

 いつも25mプールで泳いでいるから、50mプールの飛び込み台に立つと、はるか向こうにタッチ板が見える感じ。飛び込んだら距離のことを考えずに、前へ前へと腕を回そう。「よーい!」で両手の先を飛び込み台の先につけ、静止。「ピー」の笛で飛び込んだ。水温が低い(27度と言っていた)ためか、以外に楽に腕が回る。50mターン、ここまでは順調と思った。2かき1呼吸と3かき1呼吸を繰り返す。 ゴールのタッチ板が目の前だ。最後はキック、キック、キックでタッチした時、飛込台のフレームを摑み損なった。

 「アッ」と思った時、頭は水面下にある。「やばいや」、浮き上がろうと両足で水を蹴った時、右腕をSATOHさんが、左腕を計測員が掴んでいた。一寸照れくさかった。

 タイムは?2分22秒だ。昨年より5秒遅い。この前の短水路レースでも前年より6秒遅かった。すると、これが今の実力らしい。泳いでいる時は、そんなに遅い気はしないのだが、結果は遅いのはなぜか?

 サブプールで400m、ダウンで泳いでから上がる。着替えしてロビーにきたら、ボランテイアが、「血管年齢の測定」をやっている。人差し指を測定具の中に突っ込み、血管の弾力性を電気計測する。測ってもらうと、

「血管年齢に置き換えれば69歳です。

年齢の割に比較的良い血管の弾力性である。とてもいい調子です。・・・」とプリントが出てきたが・・・やはり年相応に血管の老化は進んでいる。血管壁の弾力性もあるが、血液自体も年とともに粘度が高くなり、心臓の一拍で押し出す血液量が少なくなっているのではないか?それが早く泳げない原因になっているのでは?と思った。

 記録証と2位の賞品を貰う。賞品は「なごやマスターズ」のネーム入り水泳帽。今使っている帽子がくたびれてきたから帰りに水泳帽を買って帰ろうと思っていたので、丁度良い、今日の収穫だ。

 午後は50mの部がはじまっていましたが、ロビーで弁当をすませ速報版でプール仲間の健闘を確認してから(平泳ぎ100のJさん、クロールのNさんが一位入賞)帰途に。2時半帰宅しました。

以上、私の水上運動会の顛末です。

ガード下の靴みがき

2008-06-03 | 経済と世相
『ガード下の靴みがき』という歌がある。宮城まり子が、たしか昭和30年にリリースした歌です。
 中日夕刊に掲載の宮城まり子の自伝が面白い(西日本新聞にも掲載されているかも。中日、西日本、北海道新聞は良く同じ原稿を載せています)。

この歌について、こう語っていました。

 『磯部さん(プロデューサー)のくずかごに、原稿用紙が捨ててあるのに気がつきました。
「あ、一生懸命、書いたのに」と思いました。原稿用紙が、かわいそうと拾い上げ、机の上に広げてみました。


 ガード下の靴みがき


一、紅い夕日がガードを染めて

  ビルの向こうに沈んだら

  街にゃネオンの花が咲く

  俺ら貧しい靴みがき

  ああ 夜になっても帰れない

・・・

 涙がぽろんとこぼれました。
 ああ、この歌を歌うために、私がいる。そう、思いました。』

http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/kutumigaki.html

 ボツになったこの歌を、彼女が懸命に採用を訴えて、レコード化したというのです(ご承知と思いますが、彼女の大ヒット曲になりました)。

 小生の大好きな歌の一つです。

 こうしたセンスは生まれつきのものかもしれません。1968年、肢体不自由児のための社会福祉施設「ねむの木学園」を開設した彼女には、かねがね敬意を払っていますが、改めて、素晴らしい人だと思いました。

ガソリン価格は何故上がるか?

2008-06-02 | 経済と世相
 あっという間にもう6月です。ガソリン代がリッター170円台になりました。

 何故、こんなに価格上昇するのか?もちろん原油価格が上昇したのですが、どうして原油価格が上がるのか?

 私は、グローバル化経済下のインフレだと思います。どういう意味かというと、一般に通貨量を増えて、モノの量が増えなければモノの値段が上がる。

 しかし、グローバル化経済の下では、モノの値段を上げようとする時、他の国からそのモノが流入してくれば、価格が上げ難い。だから、他国から入って来難いモノの値段が上がる。原油に限らず、グローバルに見て、希少性があると思われるモノの値段が上がる。

 つまり、グローバル化経済のインフレでは、モノの値段一般が上るのでなく、特定のモノの値が上がる。

 その兆候は、日本のバブルの時に、もう出ていました。80年代後半、円高不況を恐れた日本政府は、大幅な金融緩和に踏み切ったが、物価一般は上らなくて、地価と株価が上昇した。いわゆる地価と株価のバブルでした。

 バブルとは、グローバル化経済下で、通貨を増発した時に発生するインフレ現象だ、と私は思います。

 今回の原油上昇も同じ現象と考えます。

 国際的にみて通貨量がどれくらい増えたかを見る絶好の指標があります。通貨の取引量です。昔は、通貨の国際取引は、モノやサービスの取引を決済するために行われてきました。ところが、近年、年間の通貨の取引量は、モノ・サービスの取引量の100倍もあるのです。

 通貨量が多いということは、必ずしも悪いことだけではなく、たとえば、発展途上国の経済成長には良いことで、昔は、経済成長に必要な資金を得るには、営々として長年にわたって経常黒字を稼ぎ出さねばならなかったが、今は外国資金を借りてくれば良い。

 しかし、膨大な通貨が株式や証券市場に流れているうちは良いが、今回のように、サブプライム問題から米国の株式・証券市場の信用が落ちると、証券市場から逃げ出した資金が、鉱物資源や食料の先物市場に殺到する。生活必需物資のインフレを起こしてしまう。

 あまりにも、通貨量を増やしすぎた。過剰流動性です。増やしたのは基軸通貨のドルを発行する米国ですが、日本も共犯でした。

 【日本の金融緩和政策で日本のマネタリーベースが増えるテンポと世界の中央銀行が保有するドルが増加するのがほぼ軌跡を一にしている(71~03年)】、【03年5月に月間で3.9兆円と過去最高のドル買い介入が行われた。その後次々と過去最高を更新して、結局03年1年間で32.9兆円もの巨額介入が実施された。】、【04年3月初め、グリーンスパン議長が「あきれるくらいの規模」との発言(谷口智彦は「歴史に残る演説」と評価している)で日本の巨額介入を名指しで非難した意図は、明らかに行き過ぎだと判断したうえでの過剰流動性の抑制であった。その直後の3月17日を最後に現在まで・・・ドル介入は行っていない。】(以上、水野和夫著『虚構の景気回復』から)

 私には、今回の原油価格上昇の背景には日本の金融政策の失敗もあった、と思えてなりません。