古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

色気と食い気の関連

2007-02-26 | Weblog・人生・その他
 20日の中日朝刊に掲載されていた名大・生命農学研究科の前多敬一郎教授の「繁殖力より食い気が強い」と題する講演。ユニークな内容でしたので、紹介します。

 【地球の今の食料状況を見てみる。穀物で世界の人口を全部養うと仮定すると、成人一人当たり一日0.89kgの穀物が必要になる。現在の世界の穀物生産量は21億トン。この量で、扶養できる人口は約65億人。現在の人口も65億人。じゃぁ、足りているかと思われるかもしれないが、実は、全然そうではない。人間は肉を食べる。1kgの肉を生産するのに、3~6kgの穀物が必要になる。肉を食べているのは、ほとんどが先進国。先進国が世界の食料を食い尽くしている。故にグローバルにみれば、世界の食料は圧倒的に足りない。・・・

 地球規模的にみて、耕地面積はこれ以上増えない。環境も悪化している。特に土壌が荒れている。水の問題もある。食料輸出国は、食料増産よりも、環境問題に配慮した農業政策を取り始めた。・・・】

問題は科学技術で解決すべきと、前多先生は言います。

【最先端の農業である酪農とホルスタインのことを例にとる。日本には雌200万頭いる。雄は200頭しかいない。人口受精で繁殖させている。畜産は、乳をたくさん出す牛にするための改良を長年にわたって続けてきた。人工授精が始まった当初の1950年ごろ、1頭の牛が年間に出す乳の量は4500から5000kg、搾乳日には一日で40~50Lだった。50年たった今では、ほぼ2倍。年間1万kgになった。・・・】

次に、食い気と色気はリンクするという話。
【この成果は畜産の勝利といっていいが、これに反して、繁殖率は低下。70%近かったものが40%になった。
 なぜ繁殖率が下がったのかというと、乳を出しすぎるために、牛の体が飢餓状態になっているのが原因と言われている。ネズミを使ったわれわれの実験で、栄養と繁殖は、密接にリンクしていることが分った。栄養不足は、生殖機能を抑制させる。そこにホルモンが作用していることも分った。動物は飢餓状態になると、食欲が増して、性欲が落ちる
 つまり、色気より食い気。体に栄養が入ってこない危機的な情況になると、色気を抑えて食い気を優先させるメカニズムがある。これが牛の繁殖率が下がる理由と考えた。】

何故リンクするか?それは脳で働くホルモンがある。
【動物の膵臓にあるβ細胞は、食後に増加する血糖値を感じて、インスリンを分泌し、糖を体に取り込む。それと同じように血糖値を感じる細胞が脳内にあることが分った。この細胞を動かしているたんぱく質が、グルコキナーゼ。摂食や生殖行動を制御する鍵となるたんぱく質で、このたんぱく質をターゲットにした薬や食品を開発できれば、人間の摂食行動の問題も解決できると思って研究を進めている。】
というのですが・・・少子化対策にこのホルモンを使おうなんて考えないでくださいね。

私の東京マラソン(3) 

2007-02-21 | マラソン
 ここからの景色は素晴らしかった。大通りの両側に立ち並ぶビルを眺めつつ走る。やはり、ここは世界の銀座だ。やがて日本橋・水天宮・浅草橋・駒形橋。雷門の折り返しに来た、28km。どうやら雨が上がった。 蔵前付近でビニールのカバーを脱いで路傍のボランチアに返却。少し身体が軽くなった気分だ。

 銀座まで戻った。天下の銀座で、へばって歩いてる姿なぞ見せたら恥ずかしいと、かなり疲労はきていたものの粘って走り続けた。銀座4丁目、東銀座方向に曲がる。築地に来た。35km地点だ。

 ここで尿意を催してトイレの表示を見つけ走りこむと、なんとトイレは2基しかなくて先客が並んでいる。

「これはないよなぁ。スタート前に済ませておけば15~20kmはトイレなしで走れるんだから、トイレの設置数は前半少なくして後半多くしないといけない。18kmで10基もならべて35kmで2基はないよ」

 余談だが、本日用意した仮設トイレは600台、金額にして約2億円という。折角お金をかけたトイレ、有効に設置しなくっちゃ。

 用を済ませて、横を見たら介護所のテントである。太腿の後にサロンパスでも噴霧してもらおうと、スタッフに声をかけた。

「サロンパスない?」
「どこが痛むの?」
「ここ」と腿の後を指すと、「ベッドに寝てください」と言う。

「冗談じゃない。こんなところで寝ていたら5時間で走れない。サロンパスの噴霧だけでいいんだ」と言おうとしたら、若い女性が寄ってきて「ベッドにうつむいて寝てください」と言う。なかなかのかわい子ちゃんだったので、考えが変わった。

 「急いでゴールへ行っても誰も待っているわけじゃない。ゴールしたら、後は家に帰るだけ。帰宅が30分・1時間遅れたってなんの支障もない」と思ってベッドに寝た。
 女性に言われると、すぐ考えが変わってしまうのは、寅さん映画の見すぎか?
 あったかいお絞りらしい。太腿の後を湿布して念入りにマッサージしてくれた。
「右足の筋肉が本当にかたーくなってますね!」
「そう?年寄りの冷や水みたいなことやってる所為かな」と雑談を交わす。

 結局、20分ぐらい休憩してしまった。マッサージで20分も遅れるとは、まったく想定外。実際、マラソンは何が起きるか、走ってみないと分らない。 

 再びコースに戻り走り始めたが、マッサージの効果は絶大だった。35km過ぎというのは、早い人でも遅い人でも、すごくつらいのだ。今日まで29回の35m以後の走りで一番つらくない(決して楽ではないが)。

 ここからの給水場。ボトルごと水をくれる(勿論蓋を外しているが)。多分、紙コップがなくなったのだろう。これはもったいない。ランナーは回数を多くして少しずつ飲みたいのだ。ボトル1本も飲めないから、一口二口飲んで残りは捨ててしまう。

だから、紙コップに3分の1か4分の1入れておいてくれると嬉しい。そういうテーブルもある。ここのボランテイアは走った経験がある人だ。

 ともあれ走り続けた。41km地点で「完走だ!」と確信した。そこからはゆるやかな下り坂が続いていたからだ。東京ビッグサイトにフィニッシュした時、公式時計は5時間34分を示していた。スタッフが、小ぶりだが格好いい完走メダルを首に掛けてくれた。
 タイムはワーストだったが、完走は出来た。やりやれ。
自分で自分を「お疲れ様」とねぎらった。 

 着替えして、帰途についたが、帰りもラッシュで、ゆりかもめの駅で切符を買うのは、万博並みの混雑だった。

 皮肉なことに、ゆりかもめに乗る頃には青空が出てきた。
 東京駅で駅弁・缶ビールを買い、17:06のひかりに乗車して早速昼飯とも夕食ともつかない食事を始めた。
 そのとき気がついたのは、今日のマラソンは最後まで、水はふんだんだったが、食べるものがなかった!最後にゴール後バナナを1本ずつ貰っただけ。
 通常のフルマラソンの大会は30km以降の給水場でバナナやオレンジがいっぱい出てくるのだが、今日は食べ物のカケラもなかった。
道端の女性がチョコレートを分けていたのを数回見て、2回ほど頂いたので、結局42kmをチョコ二切れ(寒さで指の感覚がなくなり包装紙をはがすのに苦労したが)で走りとおした。
 後日新聞で確認したら、食べ物は用意したが、先行ランナーがかたづけてしまったという。
もう一つ、本日のマラソンの完走率96%。これは、この悪条件の中で、立派です。勿論制限時間が7時間と余裕があったためだが、日本人の根性はすてたものではない、と思いました。以上、長くなりましたが、私の東京マラソンでした。

私の東京マラソン(2)

2007-02-20 | マラソン

 荷物預けが終わった後、スタート前にトイレを済ませておこうとトイレを探した。仮設トイレはすぐ見つかったが、長蛇の行列。仕方がないので行列に並んだが、冷たい無情の雨が、はい然と降ってきて、びしょぬれ。
なにしろランニング姿だから寒くて震え上がった。



 スタートの行列に並ぶが、依然雨は降り続く。ふるえていたら隣り合わせの若い女性が、見かねたらしい。
東京マラソンのロゴマークの入ったビニールカバーをかぶっていたが、それを脱いで「どうぞこれをかぶっていってください」と言う。
「あなたは良いのですか?」
「私は水を弾くコートを着てますから大丈夫です」
周りを見回すと。このビニールをかぶっている人が大勢いる。
「どこにこのカバーありました?」
「荷物預けたところ」。どうやら私は見落とした。この日第二の失敗をしたらしい。折角のご好意、受けとることにして、そのビニールを貰って、被る。

 9時10分。スタートらしく歓声が上がった。しかし、離れているので出発の号砲が聞こえない。腕のストップウオッチを押した。
なかなか動き出さない。やっとスタートラインに来た時、腕の時計は15分。スタートロス10分と見ていたが、15分だった。
櫓の上で、石原都知事が満面に笑みを浮かべて両手を振っていた。
 走り出してはみたものの、前がつかえて、ゆっくりとしか走れない。

 JR飯田橋駅前は、ほぼ6kmである。ここで時計をみたら55分だ。スタートロスの15分を引くと40分で6km。事前の計算ではここまで35分のつもりだった。大混雑の所為と、身体が冷えて筋肉が硬くなっているのだ。これでは、今日は記録を出すのは不可能、完走だけをねらうしかない!と思った。 

 西神田を通過して竹橋に出た。ここで皇居のお堀が見えてきた。20年近く前、この皇居周回コースは何十回も走ったことがある。
単身赴任時代、日曜日にここまで来てランニングをしたこともあった、と昔を思い出した。

 気象庁前・大手門、二重橋前などを走りぬけ日比谷だ。ここで10km。
内幸町、御成門を経て、芝増上寺の赤い門が見えてきた。ヴォリュームを上げた太鼓の音が聞こえる。
 三田、田町を過ぎて品川の折り返し点、16km。
雨は止むように見えて、時々激しく降り出すことがある。
 18kmぐらい、芝公園近くでトイレに飛び込んだ。

 日比谷に戻り右折してすぐ中間点。時計は2時間40分、まだ足は元気に動いている。銀座に入った。(続く)

私の東京マラソン(1)

2007-02-20 | マラソン
 17日、10時前の新幹線で東京に向かいました。
 東京マラソンの旅ですが、折角久しぶりの東京だから、今まで行ったことのない所をのぞいて見ようと両国の江戸東京博物館に立ち寄ることにしました。

 12時前東京駅に。江戸博物館はJR総武線両国駅傍と聞いていたので、地下の総武線乗り場に行き、駅員に聞くと「両国は秋葉原乗換えですが、ここまでみえたので、錦糸町で降りて一駅戻ってください」
東京駅発の総武線は両国に行かないのだ!私も田舎者になった!

 博物館では、企画展「江戸城」をやっていた。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0102/200701.html

コンピュータグラフィックの江戸城が良く出来ていた。

1時間半ほど見てから7階の和風レストランで遅い昼食を済ませ、地下鉄大江戸線に乗り、春日駅下車。東京ドームまで歩きました。

 マラソンの受付が東京ドームなんです。受付は前日と前々日で、マラソン当日はやらない。地元の人以外、どうしても前泊が必要になります(京都シテイマラソンがこうした前日受付だった)。

 ドームの入り口を入り、観覧席の間の通路をグラウンドまで降りる。
東京ドームのグランドを踏むなどという経験はおそらく後ないのでは?
 会場はランニンググッヅを売るお店でいっぱい、人波をかき分け受付にいき、引換証と本人証明のために保険証を見せ、ゼッケン・荷物袋・記念のTシャツなど貰う。 

 水道橋の駅まで歩き、JR中央線で新宿駅に出る。
宿の略図は持っていたが場所が分りにくくて探したが、南口から5~6分のところの3階建てのちっちゃな旅館だった。
インターネットで駅近くの安い旅館を探して見つけたのだが、続々やってきた宿泊客は、皆マラソンランナー。
インターネットのおかげでこんな小さな旅館が全国から客を集められるようになったのだ。
因みに素泊まり¥4200で、部屋は2畳の畳に板の間半畳。でも寝るだけなら機能的には問題なかった。


 さて18日である。目覚めたら本格的な雨降りだった。7時前ホテルのすぐ傍の24時間営業の吉野家に行き、朝食セットで腹ごしらえをした。
 8時前ホテルを出た。駅から都庁への地下道は人でいっぱい。地下道で荷物を広げて着替えをした。その後、荷物を預けるトラックを探そうと地上への出口に向かう。
 ゴール地点まで荷物を運んでもらわないといけないので、ゼッケンNOの記したラベルを貼った大きな荷物袋に入れ、トラックに載せるのだが、ゼッケン番号毎に載せるトラック番号が指定されている。
 出口に出る直前、この日最初の失敗に気付いた。着替えのとき手袋を落としてしまった。
 少し戻りかけたが「仕方ない!」と諦めた。この日の寒さでは厳しいなぁ。
外に出る。ここでも人波をかき分け32番のトラックを探す。
見た限りでは38番が最大のトラックナンバーだったので、38台は停車していた。(つづく)


東京マラソン(1)

2007-02-18 | マラソン
17日、10時前の新幹線で東京に向かいました。

東京マラソンの旅ですが、折角久しぶりの東京だから、今まで行ったことのない所をのぞいて見ようと両国の江戸東京博物館に立ち寄ることにしました。

 12時前東京駅に。江戸博物館はJR総武線両国駅傍と聞いていたので、地下の総武線乗り場に行き、駅員に聞くと

「両国は秋葉原乗換えですが、ここまでみえたので、錦糸町で降りて一駅戻ってください」

東京駅発の総武線は両国に行かないのだ!私も田舎者になった!

 博物館では、企画展「江戸城」をやっていた。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2007/0102/200701.html

コンピュータグラフィックの江戸城が良く出来ていた。

1時間半ほど見てから7階の和風レストランで遅い昼食を済ませ、地下鉄大江戸線に乗り、春日駅下車。東京ドームまで歩きました。

 マラソンの受付が東京ドームなんです。受付は前日と前々日で、マラソン当日はやらない。

地元の人以外、どうしても前泊が必要になります(京都シテイマラソンがこうした前日受付だった)。

 ドームの入り口を入り、観覧席の間の通路をグラウンドまで降りる。

東京ドームのグランドを踏むなどという経験はおそらく後ないのでは?

 会場はランニンググッヅを売るお店でいっぱい、人波をかき分け受付にいき、引換証と本人証明のために保険証を見せ、ゼッケン・荷物袋・記念のTシャツなど貰う。

 

 水道橋の駅まで歩き、JR中央線で新宿駅に出る。

宿の略図は持っていたが場所が分りにくくて探したが、南口から5~6分のところの3階建てのちっちゃな旅館だった。

インターネットで駅近くの安い旅館を探して見つけたのだが、続々やってきた宿泊客は、皆マラソンランナー。

インターネットのおかげでこんな小さな旅館が全国から客を集められるようになったのだ。

因みに素泊まり¥4200で、部屋は2畳の畳に板の間半畳。でも寝るだけなら機能的には問題なかった。



 さて18日である。目覚めたら本格的な雨降りだった。7時前ホテルのすぐ傍の24時間営業の吉野家に行き、朝食セットで腹ごしらえをした。

 8時前ホテルを出た。駅から都庁への地下道は人でいっぱい。地下道で荷物を広げて着替えをした。その後、荷物を預けるトラックを探そうと地上への出口に向かう。

ゴール地点まで荷物を運んでもらわないといけないので、ゼッケンNOの記したラベルを貼った大きな荷物袋に入れ、トラックに載せるのだが、ゼッケン番号毎に載せるトラック番号が指定されている。

 出口に出る直前、この日最初の失敗に気付いた。着替えのとき手袋を落としてしまった。

 少し戻りかけたが「仕方ない!」と諦めた。この日の寒さでは厳しいなぁ。

外に出る。ここでも人波をかき分け32番のトラックを探す。

見た限りでは38番が最大のトラックナンバーだったので、38台は停車していた。(つづく)

07確定申告

2007-02-13 | 経済と世相
13日、早々に名古屋北税務署に出かけました。確定申告です。
申告所に行くと、一面にノートPCが並んで、納税者が前に座り、青い上着を着た税務署員に指導を受けながら、申告書を作っていました。

 3年前までは、税務署員の座る机の前に行って、書類を見せて申告書を作成してもらう景色が見られましたが、去年からは、申告書はすべて申告者が作ることになって、PCを使える人はPC,手作業で作成する人は、そのための机が用意してあります。

 どうも、こうなったのは、課税最低限が引き上げられたため、及び、企業年金の代行返上が多くなり、企業年金の受給者は確定申告せざるを得なくなったため、申告者の数が増え、税務署員が作っていたら、とても間に合わない。ということになった所為と思う。

 私は、自宅で自分のPCから国税庁のホームページにアクセスして、書類は既に作成済みで、証明書の類を裏面に貼り付け、印鑑を押すだけでした。

 私が着いた時には、まだ書類を受け取る係りが来ていなかったが、糊を借りて書類の貼り付けをしていたら、係りが来たので、一番に提出してきました。

 数年前、待ち時間が最低でも1時間あったことと比べると、IT技術のおかげで手間が省けるようになったものです。
 お役所のホームページは、見難いのが多いのですが、国税庁の申告書作成のホームページはうまく出来ています。

 申告書を作成しながら思ったことが一つ。
 書類が定型化されているのですが、その年の納税額を記入する欄がないんです!

納税者にとって、一番大事なことは、一年にどれだけ税金を払うかということではないでしょうか?ところがそれを表示する欄がない。

 あるのは、源泉徴収額と納税額を比較して、「後いくら払ってください」または「払いすぎですから、いくら還付します」の欄です。

 それで、実務上は差し支えないですし、計算すれば、この年の納税額はわかります。でも、計算しなくても分る様に、「貴方に納税していただく金額はこれだけです」と表示するのは、税金を払ってもらう側の当然のエチケットだと、思います。

(現行書式では、定率減税前の額が表示されていますので、定率減税廃止の来年からは自ずから年度の所得税額が表示されることになりますが)

 税務署、というより財務省には、国民に税金を払って頂くという意識がないのだと思います。
以上、今年の確定申告でした。

生産管理の渋滞

2007-02-08 | 読書
 体内の渋滞学で紹介しましたASEPの図をもう一度思い起こしてください。再掲すると、
『ASEPの簡単な例を紹介しましょう。
時刻t  ○○●●○●○○●○○
時刻t+1 ○○●○●○●○○●○
ここで○は粒子のない場所、●は粒子が詰っている場所を示し、時刻tから粒子全体が右へ動く場合は、t+1で、右の場所が詰っているときは動けない。空いているときは、一個分右へ動くというルールで運動するモデルです。』
この図を見ていて、私はトヨタ生産方式の「フルワーク」を思い起こしました。
「フルワーク」というのは、自動機連結ラインにおいて、『後工程引取り』原則でラインが動くように設計したシステムのことです。
図において左から右へ動いていくと思えば、車の渋滞を説明する図のようにみえますが、観点を変えて、左が前工程右が後工程とみなせば、「後工程が手が空いたら前工程から品物を持ってくる」というシステムの説明図とみなすことが出来ます。
考えてみれば当然で、トヨタ方式では、工程仕掛の工場内滞留を嫌います。工場内滞留とは、言葉を変えれば「渋滞」ということです。トヨタ方式は、「工場内仕掛の渋滞をいかに最少にするか」から始まった!と言えるでしょう。

この『渋滞学』では、工場生産の渋滞について、以下の記述があります。
【多くの生産工場で無人化が進み、様々な部品がベルトコンベアで運ばれて自動的に組み立てられている。
この部品の流れも自己駆動粒子系と考えることができる。そして渋滞とは、たとえば途中のどこかの機械が故障して止まっても、部品はどんどんそこに運ばれ続けてベルトからあふれてしまうことを意味する。
部品の間隔に余裕を持たせればそれだけこの渋滞を避けることができるが、それでは生産能力が落ちる。ベルトのスピードも問題で、それが速ければ生産能力が上がるが、もちろん限界がある。
たとえば人手による作業が必要な場合には、最も処理の遅い人に合わせてベルトの運行速度を設定しなくてはならない。また個人差もあり、ある人は必死になってやっとついてゆける速度でも、別の人は余裕でこなしているかもしれない。これでは従業員全体のパワーを効率的に生かしているとはいえないだろう。
そこで近年ベルトコンベヤをすべて取り払い、新しい生産方式を採用している企業がでてきた。それが「セル生産方式」といわれている・・・ このライン生産方式からセル生産方式への転換は、製造現場の革命ともいわれ・・・】
と、工場生産を『渋滞学】の立場で説明しています。
というわけで、「世界は渋滞だらけ」だそうです。ご興味のある方は、西成活裕著「渋滞学」(新潮選書)をご覧ください。



初の銀メダル

2007-02-06 | 水泳
 4日は、『第一回中日スポーツマスターズスイミング2007』に行ってきました。

冬はマラソン大会に専念し、水泳大会は夏季のみとしていましたが、ガールフレンドのJさんが「是非出て!車で迎えにいくから」と言われて、出場を決めたのは二月前でした。

 前日、電話がきて「7時20分に大通りまで出ていて」。

 指定の時間に通りまで出ると、既に車が待っている。バンタイプの7人乗り。顔の広いJさんは、あちこちの水泳仲間に声をかけて車1台分のスイマーを集めたようで、途中、仲間を拾い定員満杯の7名が、東名阪から瀬戸道路、長久手インターで降りて、日進市の口論義(こうろぎ)運動公園、温水プールに7時50分に着きました。

 しかし、開場は8時40分。入り口に並ぶことになりました。車は便利ですが、駐車場を確保するため早く出ないといけないという不便があります。

 とにかく寒いので、何とかならないかと見ていたら、大会のスタッフらしい人たちが非常口から入っていくので、「年寄りは中に入ろう」と、一人で非常口から入って、暖房の効いたロビーに座っていました。

私は初めてですが、素晴らしい施設ですね。以下はそのHPです。

http://homepage2.nifty.com/kourogi/index.html

 開場するとすぐ2階観覧席の端に仲間が場所を確保してくれました。早速アップで泳ごうと着替えをして、競泳プールに下りました。プールは、水深2mですが、両端に足が立つように踏み台を沈めてあります。

 入水すると、「わぁ冷たい!」。普段、温水プール(30℃ぐらい)に慣れていますので、競泳プール(27~28度)は、最初冷たく感じます。

 混雑しているので、50mを一往復だけ。「本番のコースはこういう風」とわかったので、上がって今度は練習用のサブプール(25m)に行きました。こちらも混んできました。

 ゆっくり泳ぐと私のところで渋滞が起きそうなので、800mだけ泳いで打ち切り。

今大会は794名の選手が参加という。プログラムを見ると、参加チームは、勿論、東海3県が大部分ですが、遠いところは東は東京練馬区、西は福岡県小郡市から参加している。

 10時からレースが始まりました。

 種目は、最初の200m自由形から始まり、最後は200mフリーリレーだが、小生出場の100mバタフライは最後のリレーの前で、3時過ぎの予定。

 今日は、皆さんの泳ぎを見学させてもらうか!

 観覧席に座ってみていると、何か雰囲気が違う。そうか!観覧席の前が全面ガラスです。だから、スタートのピストル音が聞こえない! 

 50m自由形が始まる前、多分小笠原さんがいるだろうと、サブプールにおりて行くと見えた、最初の200mで3分4秒の力泳を見せてくれたが、次の50mで今日は終了するよう。
 以下、雑談。
「バッタですか?」
「バッタの100だから、3時過ぎなの。70代は2人だけだから、ゆっくりでも泳ぎさえすれば銀メダル」

「SATOUさんが出るの?」
「そう、SATOUさんと私だけ」
「SATOUさん、バッタ一筋だなぁ」
SATOUさんとは、中村区のSATOU KENさん。歳は私より一歳上だが、名古屋の水泳愛好者の中では有名である。バタフライのめっちゃ早い人で、なんどか同じレースに出たが、全然歯がたたない。だから、今日は頑張っても頑張らなくても2位だろう。

さて3時過ぎ、いよいよ出番。

男子バタフライの一組。「1コース NOZUE君」のコールに手を上げる。「2コース SATOU君」。3コースからは65歳代と60歳代です。

 スタート台に立つと、普段25mプールばかりだから、向こうの壁まで50どころか70~80mあるような気がする。

号砲一発飛び込む。飛びこんでしまえば向こうまで何mあろうが、とにかく前へ、前へ。
バッタでは、腕で水を引っ張ると、すごく腕が疲れて50mも泳ぐと腕が上がらなくなる。そこで、バッタの長距離を泳ぐ時は、私流の泳ぎ方で行く。

腕の力でなく、体幹のうねりを使って進む。判りやすい表現だと尺取虫の動き方です。その動きに合わせて腕を回す。腕を回すのは前進のためというより呼吸のためです。呼吸の時に注意するのは、絶対に頤を上げないこと。そして、最後の25mだけ腕力で進む。

飛びこんですぐ2コースがすっと前に出るのが見えたが、こちらはマイペースで行く。75mまでマイペース、最後の25mで、呼吸を2掻き1呼吸に変え、腕に力を入れた。
 フィニッシュ。2分18秒3でした。
 まぁ実力どおりのタイムです。

 マスターズでは、初の銀メダルを貰いました。
 それにしてもSATOUさんのタイムは1分40秒。38秒の差をつけられた。
1年に4秒ずつ差をつめれば10年後に追いつけるな、と思いました。

サブプールへ行きダウンで100m泳いでから、観覧席に上がり最後まで見て、帰りはJさん(100平で銅メダル)に自宅傍まで送ってもらい、5時帰宅しました。

以上、長くなりました。新春水泳大会の顚末です。

オマケの人生

2007-02-03 | Weblog・人生・その他
 喫茶店で週刊誌を見ていたら、五木寛之さんのエッセイが載っていた。
【友人が嘆いていた。(歯医者で)「どうしてこんなに次々に不具合が出るんでしょう、と質問したところが・・」・・・
 「若い歯医者が、笑って答えたんですよ。そりゃあ人間の体の各部分は、だいたい50年ぐらいはもつように作られてるわけですから、それを過ぎると・・不具合が生じてきます。耐用期限切れですからしかたがないでしょう、って」
 「期限切れはひどいじゃないですか」・・・・
 
 「人生50年」
というのは、いまも昔も、ある真実を言い当てているような気がしないでもない。それは「人は50年生きる」ということではなく、現在では「50年は何とかまともに生きられる」という意味にとってもよさそうだ。】
 現役時代、私は後輩によくこう言っていました。
「人生50年」は、身体の部品がメンテナンスフリーでいられるのは50年までで、それ以後は、トレーニングなど、それなりの努力が必要になる、という意味だ。
 同じ意味ですね。五木さんは更に書いていました。
 【たしかに昔は50年が人間の寿命だったのかもしれない。だが今は100年生きることも夢ではない。しかし、50年間はとりあえずまともに動くように作られている存在、と おのれを考えれば、あとは口惜しくとも、耐用期間は過ぎたと認めるしかないだろう。
 それは、よく耳にする「オマケの人生」である。50過ぎの時間はオマケ・・・
 オマケと考えれば、どう生きようか勝手ではないか。
 人体の各部が50年をメドに作られているのなら、その辺で働くのはやめにしたい。あとは好きで仕事をするか、自由に生きる。
 できれば生活のために働くのは、50歳で終わりにしたい。】

 この文を読んで、先日、金儲けの神様 邱英漢氏が雑誌に述べていたことを思い出しました。 定年後の生き方について質問され
「みんなお金の心配ばかりしていますが、いちばん心配なことは本当は退職後、何をやっていいかわからなくなってしまうことです。そのために急に歳をとってしまう人も多いんです。ですから、会社を辞めたあと、何をやるかをまず考えることです。5年かけ次に自分がやりたいことは何か、会社の延長線上の仕事でもいいし、会社にいてはやれなかった仕事でもいいし、自分が歳を取ることを忘れるような面白い仕事を探すことです。
 人生の残りの20年は、それまでの60年よりももっとずっと知恵と体力を必要とする期間だというのが私の認識です。」

 50歳はともかく、70歳以後はオマケであることは間違いないと思いました。
もうオマケが4ヶ月です。

お金の渋滞

2007-02-01 | 経済と世相
 お金の流れも渋滞することがあります。私の家でも、渋滞してほしいのですが、何故か我が家では、お金の流れはすばらしくスムーズで、右から入ったと思ったら即左へ出て行きます。
 経済学者は、まだ「渋滞学」に興味を示していないようですが、近い将来、経済学でブームを呼ぶテーマになるでしょう。心配なのは、渋滞を起こす方法を発見しても誰もその結果を公表しなくなることです。
 「渋滞学」の著者は次のように言っています。
【ひとつだけここで言っておきたいことがある。それは、放っておくと富めるものはますます富み、そうでない者はますます貧しくなるということだ。・・・お金があるところにどんどん集まってゆく。たとえば、大金になればなるほど、それを増やす運用法の選択肢は多くなり、運用利率も高くなる。大金が大金を産む循環を作るのだ。
 実はこれは、電車は何の制御もしなければダンゴ運転になる、というのときわめて似ている。
 ダンゴ運転になると、ダンゴの先頭の列車は遅れ始め、その前を走る列車との距離がますます大きくなることに対応している。
 お金の集中を是正できるのが相続税である。・・・しかし、2003年の相続税法改正で、最高税率が70%から50%まで引き下げられた。・・・
 経済学と渋滞学の融合により、マネーフローの新しいコントロールの方法が今後見えてくるのではないか】
 日本経済のエライ人たちは、「自由(放任)経済でお金はスムーズに流れる」と無邪気に信じているのではないでしょうか。私は思うのですが、お金の流れは、流し方を工夫しないと、自然にダンゴになってしまうという性質があるのではないでしょうか!
 安部首相は、企業が儲かるようになれば、いずれ、国民も潤うと考え、企業が収益を上げやすい政策を採ろうとしている。
 しかし、いわゆる「失われた10年」は、企業から国民に流れるお金の流れ道を壊してしまったのではないでしょうか?
国民のところへ行く前で渋滞していると思います。(続く)