古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

心房細動の続きです

2018-05-31 | 水泳

 27日の水泳大会、帰り際に医師が言った。「かかりつけの医師に心電図をとってもらいなさい」。そこで、29日、若先生を訪れ、大会の状況を離してから心電図を30秒撮影してもらった。

「「30秒だけですから、その間に異常は見られません。しかし、

 脈で心房細動を見分けるのは、実は難しい。大会で脈を診た医師が「心房細動」と断定したとすると、かなり経験のある医師だと思います。大きな病院で、精密謙信してもらう方がいいと思います」。翌日、前立せんがんの検査日だったので、西武医療センターに行くのでついでに診てもらえばいいと、西武医療センター循環器内科への紹介状をゕいてもらいました。

翌30日、小雨模様でしたので、市バスで9時医療センターへ行きました。

受付すると、「いつもの尿、血液の検査の後、泌尿器科の診断の前に循環器内科に行ってくださいと言う。血液、尿の検体を採取した後、泌尿器科の診察に、2時間ぐらいは待ち時間があるので、先に内科に回りました。担当の医師がこう述べました。

「脈で心房細動を見分けるのは難しい。そこで心電図の確認が出来ればよいが、脈だけだと、実は真相細胞ではなかったかもしれない。でも、80歳代で今後もスポーツを続けるのなら、この機会に心臓の機能をチェックしておくのは良いことだと思います」。

「どんな検査をするのですか?」

「お勧めするのは(1)24時間心電図の測定、(2)心臓の超音波診断、(3)運動しながら(自転車をこぎながら)心電図をとる運動心電図です。というので、3つの検査をお願いすることにした。その後、泌尿器科に行き診察を受ける。今回は直ぐ順番が来た。

「PSAは幾つぐらいになりましたか」

「幾つぐらいだと思いますか?」

「すごく良いですね。0・001です。いままでの最低値です。」

「これ以上少なくなると、はかれなくなりそうですね」と言うと「その通りです。

今の療法を続けましょう」。お腹に注射していつもの薬を処方してくれた。「次は8月29日です」。

どれだけ数値が下がっても。治ったわけでないので、薬を飲み続けねばならないのが辛い所です。

注射が終わった後、再度循環器内科に戻り、24時間心電図を計測する機械を取り付けてもらい、24時間後取り外しに来るよう言われた、超音波検査と運動心電図は月曜にやるので、月曜午後にくるようにという。

31日午後、また雨の中を医療センターまで行き、機械を取り外してもらった。


心房細動!

2018-05-28 | 水泳

27日水泳大会に出開けました。なごやマスターズ2018です。

5年前に出場して以来、水泳大会にはでていません。昔のようには泳げないにしても、クロルの50mぐらいは泳げるだろうとエントリーしたのでした。

午前は100m、午後50mの種目です。13時半に女子50m、その後男子50mですから2時頃が出場。そこで11時半に家を出て11時過ぎに会場の日本ガイシプールに就きました。受付の跡、サブプールで50m4本泳いでから観覧席で皆の泳ぐのを見ていました。13時半プールフロアーに降りて順番を待ちました。

時間が来て飛び込み台7コースに上がりスタートの笛で飛び込み泳ぎ始めましたが、なんとなく体が重い。隣の6コースにみるみる話されてしまった。でも、泳ぎ終わった時、6コースの選手が待ちかねていたみたいに横から出ようと入ってコーッに入ってきてぶつかってしまいました。でバランスを崩し、沈みそうになりました。水深が2mあったのです。つい、バタバタした。その所為か以下の予想外のことになりました。なんとか壁を横に伝わって上に上がりました。ここで予想外のことが起きたのです。

 医者が飛んできました。「そのまま座って休みなさい。「心臓が心房細動を起こしているから」というのです。

「どうしてわかる?」、「脈をみればすぐわかる」。

「家に電話して迎えに来てもらいなさい」という。

「長嶋茂雄さんと同じ病気で、帰途脳梗塞を起こす危険があるからお宅にでんわします。電話番号を教えてください」。これはヤバイ。そんな電話をしたら、「もう水泳は絶対にやめなさい」と女房が言うにきまっている。困ったが、「日曜の昼だから電話をかけても留守だろう」と期待して電話番号を教えました。

ケイタイで電話していましたが、「お留守のようです」「大丈夫です。一人で帰れますから」。

 それでも更衣室まで車椅子で運ばれた。

「私は本部にいますから、お帰りの際は声をかけてください」と医者の名詞をくれた。この後、実は平泳ぎの50mをエントリーしていたのだが、棄権するしかない。着替えして受付で、記録賞を貰った。「1分25秒」だ。

何たること。普段北スポーツセンターで泳いでいるが、26mを35秒ぐらいだ。その調子で泳げば50mは1分10秒だ。基本的に大会を泳げる体調になっていないのです。

5年前の怪我以来、左足が動かないので片足だけで蹴っている。だからスピードが全くでない。

去年はバタフライで泳ごうと思ったが、片足だけで水を得るので泳法違反と言われた。それで今年はクロールと平泳ぎをエントリーしたのだが、泳法違反にはならないがスピードが出ない。自分の齢も考えると、ぼつぼつ水泳は止めた方がいいのかな?と思った。 本部により医師に「お世話になりました」と挨拶してから電車でかえりました。3時半無事に帰宅できましたが、さんざんの大会でした。


東別院

2018-05-26 | 旅行

5月25日、第4金曜日・住宅のシニアクラブのウオーキングは、地下鉄で東別院に行き、そこから家まで帰ってくるという企画にしました。7kmちょっとの距離ですが、年をとると、段々脚が弱くなるので、歩く訓練を継続しようとこの企画にしたのです。

 ところが、9時半、エレベータホールに集まってみると、私の他はC棟のKさんだけ。

最近、メンバーが高齢化して参加者が少なくなってきたのですね。少し方針を変えないといけないかな?

 せっかくの好天なのに。少し暑くなるかもしれません。まぁ折角の企画だからと二人で出かけることにしました。地下鉄に乗り東別院駅の4番出口から出ました。

東本願寺名古屋別院は眼の前でした。同じ敷地内に古渡城址があります。織田信長の父信秀が築城した城で、桶狭間の戦いでは信長はここで気勢を挙げてから押し出したらしい。「信長攻路」という札が建っていた。廃城になった後、東本願寺がこの地を貰って名古屋別院としたのだ。

この地はまた明治時代に明治天皇が大本営を置いたらしく記念碑(昭和8年建立)がある。

 

 

 東別院を西に出て橘町から門前町に歩く。西本願寺名古屋別院がある。ここは江戸時代に葛飾北斎が大達磨絵を描いたことで有名、絵は現存しないが模写は名古屋博物館にある。

「本堂はどこ?」とKさんが効く。

「あれが本堂じゃないの」

「「社務所」とかいてあるから違うのでは?」という。「では、はいってみよう」と、1Fのエレベータで2Fにあがると本堂があった。

立派なお寺だが、規模は東別院よりずっと小さい。

本願寺の勢力を弱くするため、江戸初期、東本願寺と西本願寺に分離させられた。西本願寺は秀吉の時代に造られ、徳川になってから東本願寺が設立された、徳川政権は東西を支援したので、名古屋も東別院の方が大きくなった?と思った。

その後大須観音に行った・

大須観音を西へ出ると地下鉄の大須観音駅がある。その前にセブンイレブンがあった。

「昼飯を調達しようと、入ってお握りを求めた。

とコンビニを出てから「次は白川公園だ」と言ったのは良いが勘違いして西へ向かった。大間違い。白川公園は北である。西を北と間違えたのである。 年をとると、脚だけでなく脳も弱くなってくる。歩いているとどうも様子がおかしい。堀川に出てしまった。古い神社があった。「ごめんなさい。方角を間違えて、大回りしてしまいました」

「初めての道を歩くのは好きだからかまわないわ」とKさん。東へ戻り伏見通りに出ると、向こうが白川公園だった。ここで休憩し昼食をとる。

休憩後、公園を出て伏見通り沿いに北へ歩き、通りの終点で横断歩道橋を渡ると、名古屋城の能楽堂でした。

 腰を下ろして休憩。「いい風がくるね」

風格のある建物だが、Kさんは歌の公演で入ったことがあると言うので、中に入るのは止めてこの春できた金シャチ横丁に行ってみる。

「レストランは高くてここで食べる気はしないね」何度か来たことがあるKさんが言うので、土産物屋に入る。Kさんお勧めのどら焼きだけ買い求め、東口のゾーンに行き、アイスクリームを食べた。¥540だったが、食べでのあるアイスクリームだった。

そこからは勝手知ったる道で住宅に戻ってきました。エレベータで、「わぁ東別院から住宅まで歩いた!」

9kmぐらい(道を間違え2kmほど余分に歩いたので)あるきました。13時50分でした。

汗になっていたのでシャワーを浴びて、ベッドに横になったら2時間ほどお昼寝タイムでした。

 

 

 

 


知的ヒントの見つけ方

2018-05-11 | 読書

『知的ヒントの見つけ方』(立花隆著、文春新書、2018年2月刊)を読みました。月刊文芸春秋の巻頭随筆の2014年8月号から2017年12月号までをまとめた本です。

 第二次安倍内閣が成立したのが、13年の12月ですから、ほぼ現安倍内閣の治世にかかれたものと言えます。現在の内閣について立花さんがどう分析しているかを知りたいと買い求めてきた本です。

 まずは、「文民統制の危機」(2016年11月)です。

 9月17日の安保法案恐慌採決。

 野党が鴻池委員長の不信任動議を出して議長が自民党筆頭理事の佐藤正久議員(かつてのイラク派遣自衛隊のヒゲの体調)に代わり、不信認が否決され鴻池委員長が復帰した瞬間、強行採決が一挙に進行した。

突如屈強な自民党若手議員団が入ってきて委員長席を取り囲んだ。野党議員も駆けつけ、怒鳴りあい掴み合いの乱闘シーン。怒号が飛び交う中、ヒゲの隊長が手を何度か上下に振ると、それに合わせて与党議員たちが建ったり座ったりを繰り返した。聴取不能の8分間で合わせて11本の安保関連法案の採決が全部終わっていた。高等手品のような法案さばき。目立ったのは議場の一郭から全体の指揮をとっていたヒゲの隊長の采配ぶりであった。

 軍がかかわる最重要の国策変更を元軍人が全面に出て強行突破で片づけた。わずか8分で。これを見て、軍が中心になって行動すればクーデターなんかすぐにできると思った。軍はそうした危険性を内包した組織であるから暴走を絶対にさせない仕掛けを内部に持っていないといけない。シビリアンコントロールである。

日本は軍隊を持ちながらその内部にシビリアンコントロールの原則が貫徹していないという世界でも珍しい国になったのだ。

 それから「この後イスラム国問題、どういう展開を採るのか。全く予想がつかない。そもそもあの地域における日本国の存在意義もわからない。日本は英米仏の尻尾にくっついて有志連合の一国に入っているらしいが、それについて国会でまともな議論がんされたこともない。湯川さん、後藤さんの死に安倍首相の中東における親イスラエル的振る舞いが関係いしているのではないかと言われたがこれまたほとんど議論されていない。彼らを殺害した黒服の死刑執行人の方はアメリカの無人機で狙われ殺されている。話の背後に何らかの大義が認められるなら、まだ読む方も救われるが、殺害の意義など誰も論じない。一連の事件は空しい話ばかり。日本国の側に大儀があるのかといえばそれもない。大義のない者同士が空しい死闘を繰り広げる時代になってきている。」(2016年2月号)

「最近政治というものは面白いものだと思っている。何が面白いって、政治の世界ではたびたび思いもかけなかったことがハプニング的に起こり、それまで「これで決まり」と思われていたことが、突然ひっくり返ることがあるからだ。」

 何の話をしているかと言えば、最近に週刊文春の記事である。

『安倍一驚時代の陥穽』と題する文を読みだすと、

「最近も週刊誌のスクープでいろんなことあったと思った。」ここで言っているのは最近の出来事でなく「甘利経済再生大臣のあっせん収賄の話。二年前の話だった。「最近日本と言う国は、妙に一般道徳水準が弛緩して勝手なら起こり得なかったことが平気の平左で起こる国になった。」

 「首相の施政方針演説も美辞麗句を並べているが、一億総活躍社会だの、アベノミクス3本の矢だの、もっともらしいが、美辞麗句の裏側は、実は怪しい運転技能しかもたない運転手が日本国民みんなを載せたツアーバスを猛スピードで運転しているのに等しい。(2016年3月号)

「日本の政治は小選挙区制に移行してから、政治家のスケールが、中選挙区制の時代とくらべて驚くほどちいさくなってしまったようである。」

 

 甘利大臣の口利き疑惑、宮崎健介議員の妻の出産目前の不倫で議員辞職など、日本の政治家はどうなってしまったと唖然とするような話ばかりだ。

これらの一連の出来事に真正面からぶつかる形で発せられたのが、日銀のマイナス金利政策。

この政策が日本の手詰りに陥りつつあった金融政策にどのようなプラスないしマイナスの効果をもたらすのか、いまのところまだ何とも言えない。NHKの「日曜討論」で、識者を集めてその功罪を語るというので、聞き入ったが、わかったことは何もなかった。というよりも、識者たちもみんな確実なことは何もわかっていないことが分かった。教科書に書いてあるようなことはわかるが、それ以上のことは、経済に関してはやってみないとわからないことが多すぎるというのが正直なところだ。日本に限らず、いま各国でマイナス金利の世界にあしを踏み出そうとしているところが多いようだが、各国とも、その世界に死を踏み入れたら何が起こるか、必ずしもわかっていないようだ。(2016年4月号)

最後に、立花さんの心配。

「日本人はみな、米国と北朝鮮の戦力の差は圧倒的な差があるものだから、金正恩がいくらバカでも(相当のバカにはちがいないようだが)本当の戦争をするところまではいくまいとタカをくくっていて、まだ本当のパニックを起こすところまではいっていない。

しかし歴史的には、現状以上に戦争なんてありえないと思われる状況から本当の戦争が起こってしまった事例は沢山ある。そろそろ日本人も本気でリアルウオーが朝鮮半島で突発してしまうことを警戒しはじめたほうがいいのかもしれない。トランプも金正恩も同じ程度にアタマが少し狂っているから、戦争の発生を本気で心配すべきところまで来ているのではないかと思う」(2017年12月)


「産業革命以前」の未来へ

2018-05-10 | 読書

先日、野口悠紀雄さんの「入門ビットコインとブロッくチェイン」(2018年1月刊)をこのブログに取り上げました。7日、大学図書館の棚を診ていたら野口さんの『「産業革命以前」の未来へ』という本を見つけた。こちらは2918年4月の刊行です。

 野口さんは、何を言いたいのか、手に取ってみた。最終章でこう述べる。

「資本主義経済が衰退する」という指摘が、リーマンショック以降しばしば聞かれた。長期停滞の原因として、フロンテイアの消失をあげる意見である。すなわち、資本主義とは富を周辺から中心に集中させる仕組みだが、現在の世界には周辺が残されていないため、資本の収益率が低下し、資本主義が終焉せざるをえないのだという。確かに、地球上での、地理的なフロンテアは、ほとんど消滅したと言えるだろう。

 しかし情報・通信技術は、空間的な限界を超えてフロンテイアを広げている。フロンテイアは、新しい情報技術であるAIや「ブロックチェイン」によって、さらに拡大しつつある。

 長期停滞という面で本当に大きな問題を抱えているのは、じつは日本である。

 日本において、高度成長期と現代との違いは、フロンテイアの有無だといわれることが多い。日本からはフロンテイアが消滅してしまったという考えが一般的だ。しかし、フロンテイアは与えられるものでなく、積極的に作り出すものだ。人口が増加しなくなったからと言って、日本経済にフロンテイアがなくなったわけではない。新しい技術によって広がったフロンテイアが重要である。

 日本とドイツは第二次大戦後目覚ましく発展し、経済活力の点で、アメリカ、イギリスを抜いた。これは、日本の経済組織がその当時の技術に適合したものであったからだ。日本の製造業は、産業革命型のものだった。

 日本の高度成長期は、巨大企業の成熟期だった。ビジネスモデルは、すでにアメリカ企業によって確立されていたから、ひたすら成長し、大きくなることを目指せばよかった。その状況は1980年代から大きく変わった。にも拘らず日本の企業や産業構造は何も変わらなかった。日本の失敗の真の原因は、ビジネスモデルの基本的な方向が間違っていることだ。状況が変化したのなら、ビジネスモデルの方向も大きく変わらないといけない。

本書の「はじめに」ではこう述べている。

『本書では、大航海時代から産業革命を経て、現在に至る長い歴史の流れを見る。

いまどく「大航海時代を振り返る」などと言うと「時代錯誤」と思われよう。確かにこれは、500年も前のことだ。世界はその時と同じような大変化を迎えようとしている。それは一言で言えば、産業革命以前の独立自営業の世界への「先祖がえり」だ。

産業革命以降のビジネスモデルの基本は、さまざまな工程を一つの企業の中に統合し、組織を大規模化することで、効率化を図ろうとするものだった。しかし、1990年代以降、新興国の工業化や情報・通信技術の進歩でこの基本が変わりつつある。

 新しい経済において重要なのは、大組織の中で決まりきったことを効率的に実行することではなく、まったく新しいビジネスのフロンテアを見出すことだ。

 本書の基本的メッセージは、「産業革命によって垂直統合化、集権化、組織化が進展したが、あたらしいい経済の最先端は、それ以前の時代の分権的モデルへと先祖がえりしつつある」

 具体的事例として、ITの登場による産業構造の変化を、そして新しい情報技術である「AI」と「ブロックチェイン」が未来に向かって新しい可能性を切り開きつつあることを述べえる。

 最後にうした諸変化が現在の中国では同時に進行しつつあることに注目すべきだと述べる。


ビットコイン、仮想通貨

2018-05-07 | 読書

最近新聞で「仮想通貨」とか「ビットコイン」なる言葉を聞く。意味が良くわからないので、勉強してみようと、PHP新書「入門ビットコインとブロックチェイン」(野口悠紀雄著、2918年1月刊)を買ってきました。

節ごとに、質問とその答えという書き方で、かなり分かり易く工夫された書き方の本でしたが、通読してやはり難しい内容でした。それで、読後私の解釈による「仮想通貨」を以下に記してみます。

 インターネットで、メールが使えるようになって便利になりました。しkし、メールは文書や写真を送れますが、お金を送ることが出来ません。そこでお金を送る技術が工夫されました。それがブロックチェーンです。そしてブロックチェーンで使われるお金が「仮想通貨」です。インターネットを使って現金の清算をする仕組みはクレジットカードがあります。しかし、クレジットカードの清算にはコストがかかります。買う側はコストがかかりませんが、売る側はコストがかかっているのです。ブロックチェインという技術を使うと、ほとんどコストゼロで送金、清算が出来るのです。「仮想通貨」をつかわなくても円にブロックチェインを適用すればいいのでは?そのとうりです。しかし海外取引を考えるとドルやユーロを使わないといけない。むしろビットコインという海外でも共通の仮想通貨を使った方が便利です。

 ビットコインはコンピュータサイエンスの進歩により可能になった大きな技術革新で、将来に向けて大きな発展が期待されると、野口さんは説きます。

 電子マネーとビットコインはどう違うか、

①    電子マネーは国際取引には使えないが、ビットコインは世界的な通貨です。

②    電子マネーは円での価格が固定されるが、ビットコインは価格変動します。

ビットコインの時価総額は、2017年11月上旬に1233億ドル(約14兆円)。日本の株式会社でこれを越えるのはトヨタ(約23・4兆円)しかない。しかし日本の通貨である日銀券の残高は約100兆円です。

ビットコンには価値の保証はありません。しかし、これはビットコインだけの話ではありません。日銀券も兌換銀行券ではないので。価値のバックアップはない。人々が日銀券を受け入れるのは、「他の人が受け入れる」と思うからです。

 しかし、大きな違いは円やドルには日銀やFRBという管理者がいます。しかしビットコインには管理者がいません。

ビットコインの利用が広まって、いまの通貨制度を代替する可能性はあります。ただ現在のところ仮想通貨の普及度は極めて低いので話にならない。

 しかし、ビットコインが銀行の預金通貨を代替するようになれば、銀行は信用創造できなくなる可能性があります。

つまり、ブロックチェイン以外のフィンテックはブロックチェインのように革新的なものではありません。それらは日常生活を便利にするのは事実ですが、社会を根底的に変えるものではない。本当に重要な変革をもたらすのはブロックチェインです。

これまで送金などの経済的取引は、銀行など、信頼を確立した機関が管理していました。ブロックチェンは、そうした管理主体の代わりにコンピュータネットワークが取引の正しさをチェックします。この意味で、ブロックチェインはこれまでのものフィンテックとは全く次元が違う技術で、経済や社会に大きな変化をもたらす、と野口さんはいいます。

 

ブロックチェインは電子的情報を記録する新しい仕組みです。取引記録はネットワークの参加者全員で台帳に記入し管理します。10分間に世界中に起きたビットコインの取引データを「ブロック」というまとまりに書き込みます。主な特徴は管理者が存在せず、自主的に集まったコンピュータが運営している。記録は改ざんできない。不正が困難な分散管理的な取引台帳だといいます。


28日の駅ちか

2018-05-01 | 旅行

4月28日、また「駅ちかウオーキング」に出掛けました。前回7日は途中で脚が痛くなり、中抜けしてお茶を濁しましたが、8km前後の距離が歩けないようでは情けない、脚を鍛えるのは健康の異本であると、出掛けることにしました。上前津駅からスタート、し、名古屋東別院、大須観音、白川公園、名古屋城を経て名城公園駅にゴールする8・6kmのコースです。

9時半、上前津駅1番出口を出て最初北に「フラリエ公園」に寄りました。

若宮大通りにこんな公園ができていたのですね。その後、南に戻り東別院です。

 

 

朝市がにぎやかでした。

それから大須の仏壇店街を通り大須観音に行きました。ここまで4km。

 

 ここに来るときは、家からは地下鉄で上前津に来るから、いつも東側から入るので、西大須から入るのはあまりない。

。しかし、こちらの方が正門で賑やかである。(巻頭写真)

 白川公園に来たら、もう11時だ。4km」ほどあるいたことになる。

 

 科学館のアストロドームの下をくぐって伏見通りに出ました。

 北へしばらく歩くと県図書館の前です。

この辺からは自転車を転がしている区域ですから道はすべてわかります。伏見通り終点の歩道橋を渡って東に向かうと、すぐ名古屋城の能楽堂の閑静なたたずまいをみせます。

 

お城の正門に出ましたが、お城は何べんも入っているので、入場は省略。正門の前に最近できた金シャチ横丁に入りました。

お土産物屋や地元の食事を出すレストランが並んでいます。昼食を採って行こうかと店員に聞くと、「混雑しているので、30分ぐらいは待ってください」というので、今日はあきらめることにして、野菜の森口づけをお土産に買って帰ることにしました。

ゴールの名城公園駅2番出入り口から降りて完歩証を貰う。1時でした。

出口でウオーキングを歩いた女性に話かけた。

「疲れましたね。9kmぐらいあるきましたね」。「「86kmですが、今晩は良くねられますね」という。

ゴールから自宅までは歩いて行かれます。その距離を含めて9km強、すっかり疲れてしまい、1時半帰宅後は、今晩を待つことなくお昼寝でした。

この程度の距離歩いただけで、これだけ疲れていては、いかんなーと思ったことでした。