古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

私選第3四半期10大ニュース

2016-09-30 | 経済と世相
9月ももう30日です。小生、70代の最後の日です。
私選第3四半期(7月~9月)10大ニュースを書き出してみました。
メモなしで思い出すだけで、10件すらすらと3ヶ月間のニュースが出てきます。順不同ですが・・
1. 東京都知事選挙
自民党が推薦しなかったから小池さんは勝てた?
2. 民進党党首に蓮舫氏
幹事長に野田氏にはがっかり。民進党に期待はできない。民進党が国民の信を失った戦犯を起用するのだから、わかってないなぁ。
3. カープ25年ぶりの快挙
ヒロシマのみなさんおめでとう。それにしてもカープは新人の育成がうまいですね。
4. 東北・北海道に台風、各地に豪雨禍
これも温暖化の所為なの
5. 日銀、長期金利を0%誘導とか
どうやってもデフレはとまらない。日銀の社会的実験は成功しなかった・・・
6. もんじゅの知恵が出なかった
本音はプルトニューム(原爆の材料)を溜めこむことが狙いだった?
7. 富山県議会、政治活動資金がが生活資金に
政治資金規正法は、資金の入りを規制しているが、使い方「出」は規制していないからといって、生活資金に使って平然!はいただけない。
8. イチロー、大リーグ3000本安打
凄い!
9. 築地市場移転問題の怪
次から次へと問題がでてくる。石原さんの言うように伏魔殿?
10. 北朝鮮、核実験とミサイル実験繰り返す。
日本に北朝鮮のミサイル、核攻撃を防ぐ手立てはない。このリスクを避けるのは。軍事的手段でなく、外交手段しかない。外交を考え直さないと…

脳の視点から見る恋愛

2016-09-29 | サイエンス
『単純な脳、複雑な私』(池谷裕二著、講談社ブルーバック2013年9月刊)から面白い話題を紹介します。
最初は「脳科学からみた恋愛」です。
「生物の使命」、やらなければいけないことの一つは、子孫を残すことです。ヒトだけでなく、すべての動物は子孫を残します。サルも子孫を残すために交尾します。サルはヒトに最も近い哺乳類。ではサルに恋愛感情はあるのでしょうか。
 サルも子育てをしますが、もっぱら母親の役割。実は父親はだれかわからない。たとえば動物園のサル山ならば、オスの数が限られています。そんな環境でも父親はわからないのが普通です。つまり「恋愛」の結果として子孫を残しているというわけではない。サルは発情したら、わりと手当たり次第、近くにいる異性と交尾し、子孫を繁栄させていくらしい。
では、ヒトはどうか。人間にはより高度な知性があります。おそらくできる限り優秀な子孫を残したいと、あれこれ思いを巡らせる。
 つまり、より秀でたパートナーをみつけなくちゃいけないという願望、つまり精神的プレッシャーが生まれる。しかし地球上にはどれだけのヒトがいるでしょうか。世界の人口は60億とか70億とか言われます。異性の数はその半分の30億人以上いる。
 30億人の候補者からベストな人、この人こそ最良なパートナーを決めるのは不可能でしょう。一人ひとり検証していたら、あっという間に繁殖適齢期が過ぎてしまう。
全ての候補を検証できないから次善の策として、身近の「まあまあよい人」を選んで妥協しないといけない。この意味でヒトとサルは同じです。ただそれだけだと、知的生物ヒトとしては、どこか納得できない。ではどうするか。
 ここで登場するのが「恋愛」、恋愛感情は「このヒトでいいのだ」と無理やり納得するために脳に備わっている。恋愛はテグメンタ(脳の“報酬系”と呼ばれる部位、快感を感ずるとき活性化する)を活性化して心を盲目にしてくれる。すると、目の前の恋人しか見えなくなりほかのヒトはどうでもいい。「私はこのヒトが好きなんだ」という奇妙な妄想が生まれる。
 それがベストな選択肢かどうかなんて実際はわからない。というより実際にはもっといい人はたくさん他にいるでしょう。それでも、脳が盲目になり、心の底からバカになることで、私たちは当面は納得して、子孫を残すことができる。
 以上とても「いい話」ですね。
 古来、芸術や演劇文学、それに哲学などでは、恋愛は崇高な対象として大切にされてきた。でも、脳の視点から見ると恋愛なんて、脳の誤作動だという解釈もできるというのです。

ナマコ博士の「時間論」

2016-09-21 | 読書
ナマコ博士の人生論を以前に紹介したことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/201604165
そのナマコ博士の新刊がでました。『人間にとって寿命とは何か』(角川新書)です。
その中で「動的平衡論」を語っていました。
福岡ハカセの得意の論をナマコ博士が論じた次第です。
最初に、ナマコハカセ得意の動物の時間論。
 動物の時間は消費エネルギーに比例すると述べています。
近年人間の寿命が延びているのは、エネルギーを使っているからです。
こうして得られた寿命をどう活用するか、それを考える時、そもそも「私」とは何かを考える必要があるという・
福岡ハカセの「生物と無生物の間」では、「動的平衡論」を紹介しました。身体の中の細胞の原子が時々刻々入れ替わっているという話です。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160418
「私」の身体は、時々刻々といれかわっています。すると、「私」とは何か?ということになりますね。この問題をナマコ博士も論じているのです。
身体の分子がいれかわっているなら、つまり、外界の原子が体の中に流れ込んで、私となるのなら、私と私の存在する外部環境との境界は曖昧です。
曖昧さを避けるために西洋では二つの方法を考えました。
一つは「われ思うゆえにわれあり」。脳だけが我である。だから、脳以外は入れ替えてもかまわない。臓器移植をしても長生きしようという話になる。
もう一つは、利己的遺伝子説。変わることなく、同じものが続いていくのは、遺伝子です。遺伝子が「私」だとみるのです。
一方。ナマコ博士は、「私」を厳密に存在するものと考えずに、「私」とは関係性の中に存在すると考える立場です。以下、「動物にとって時間とはそもそもどのようなものか」という視点から環境問題を論じます。

ナマコ博士の得意は「時間論」。この本でも時間とエネルギー消費について論じています。
http://blog.goo.ne.jp/snozue/d/20160416
結論は、ナマコ博士の人生論と同じく、得意の時間論から。『人間の時間と動物の時間は違う。動物は生殖年齢が終わると寿命が終わるが、人間は生殖年齢が終わった後長い寿命が残されている。この残された寿命において、時間の奴隷状態から解放される。50歳以降、身体は保証期間切れだが、遺伝子そのものも保守時間切れになっているのだから、遺伝子のいうことを聞いている必要はない。遺伝子の奴隷から解放される。おまけの人生です。
 現役時代の役割は自分の子孫を増やすこと。それを可能にする収入を得るために、自分の仕事や会社のことしか考えません。そういう制約から自由になり、社会全体や将来のことをより広く考えられるのがおまけ世代です。
具体的にいうと、おまけの部分は「広い意味での生殖活動」に従事すればよい。生物にとって生殖活動がもっとも重要で、生殖かつっ同ができなくなったからのおまけだが、そこを逆手にとり、お9まけの時間は、自分の子だけでなく、すべての次世代のために働くのです。』
この結論は、納得ですが、結論に至る過程で、「私は喚起性の中にそんざいする」という主張は福岡ハカセの「私の身体が時々刻々入れ替わっている」という論と共通していて興味深い。次の筆圧と学習度と時間の指摘も感服しました。
『レポートや答案を読んでいて、筆圧の高い字を書く学生のものは出来が良いという印象を私は持っています。字の上手下手でなく、筆圧が大切。「私はきちんと理解している。わつぃは断固こう思う」という意思と自信が筆圧に現れていると感じさせられます。
 筆圧が高い字を書くということは、一字一字書くために時間がかかっていることを意味する。』


がんと付き合う

2016-09-19 | Weblog・人生・その他
 14日「前立腺がんはどうなったかな」
自転車を転がして西部医療Cへ。9時に着いた。いつもより早かったが、採血室は超満員。受付機に並んで92版の番号札を貰う。今日は再診の前にレントゲ写真を撮るように指示されていたので、画像診断室で胸部X線写真を撮ってもらい、泌尿器科の再診受付に10時。いつもここからの待ち時間が長い。持参の「単純な脳、複雑な心」という池谷裕二さんの本を1時間ほど読んだ。11時に受付に断って食堂にランチを摂りに行く。結局診断は12時。
医師「PSAは0.009で、前回よりさらに低下しています。胸部写真の影は前回より大きくなっている様子はありません。治療の効果は上がっていると思われますから現在の治療をつづけましょう。」予想通りの話だったが、X線写真について聞いてみた。
「写真のどの部分が、転移が疑われるんですか」
パソコン画面に写る画像、右肺の上部を指して「ここです」と言うが、色が薄くなっているようにも見えるが、それ以外にも少し色の薄い部分があるようで、そちらが問題なくて、何故右肺上部が問題なのか、私にはわからない。
いつもの薬の処方箋を貰い、「今度は10月5日、血液検査と注射をやります」。
 これだけ、PSAが低くなっても治療を続ける必要があるのかな?
手術が出来れば患部を切り取ることが出来るのだが、75歳以上では手術ができない。放射線治療は80歳以上は出来ないし、転移を防止するために放射線をあてるのだから、既に転移していればやっても仕方がないので、転移を調べているうちに80歳になってしまう。薬療法を続けるだけでは根本的に治っているかはわからないので延々と薬を飲み続け、血液検査でチェックしつづけるということらしい。
「まぁ仕方ないな」再診を終え12時過ぎ帰途につきました。
翌日、かかりつけの若先生のところに行きました。ここには毎年健康診断の都度胸部写真を撮っているので、聞いてみた。
「以前の胸部写真で異常な箇所がみられますか?」
若先生は直ぐ昨年と6年前の胸部写真をパソコン画面に写し出した。「どちらもほとんど同じですね。どこが転移が疑われるというのですか?」。右肺上部を示すと、「若い時、肺炎など患うとその影が残っていることは良くありますが、がんの転移かどうか、私にはわからない」。
「そのうちにPSAは、0.001未満になると思いますが、それでも薬は飲み続けることになると思います」という。
結局、すべての動物はいずれは死ななくてはならない。何時までも生きていたら子や孫の食糧を奪う結果になるので、「死はプログラムされている。しかし、人間は医療の進歩、文明の進化で、病気を克服し、なかなか死ななくなった。そこで、どうしても死なないヒトに死んでもらうために神が用意した病が“がん”である。だから簡単には治らない。
 死ぬまで薬療法を続けることになるだろう。
 前立腺がんの報告は、病状の変化のない限り中断することにします。

武器輸出

2016-09-08 | 経済と世相
 『武器輸出と日本企業」(望月衣塑子著、角川新書、2016年7月刊)を読みました。
著者は、東京新聞社会部記者です。
武器輸出については、佐藤内閣の「武器輸出3原則」がありました。
1967年佐藤首相の国会答弁で
① 共産圏諸国への武器輸出は認めない。
② 国連決議により武器等の輸出が禁止されている国への武器輸出は認められない。
③ 国際紛争の当事国またはその怖れのある国への武器輸出は認められない。
さらに76年2月、三木首相が「政府の統一見解」を発表した。
① 3原則対象地域については武器の輸出は認められない。
② 3原則対象地域について武器の輸出を慎む。
③ 武器製造の関連設備の輸出については、武器に準ずる。
基本的に政府は武器輸出に慎重な姿勢をとってきたが、多くの防衛企業は武器輸出の解禁を強く要望してきた。
2014年4月、安倍内閣の下で事実上解禁になった。解禁は安倍首相により急速に進められたという見方もあるが、それは一面的である。製財官一体となった地ならしは09年~12年の民主党政権下でも着々と進められ、11年12月、野田政権の藤村官房長官談話で、武器輸出を大幅緩和する方針が決定された。
安倍内閣が閣議決定した「防衛装備移転3原則は
① 国連安全保障理事会決議などに違反する国や紛争当事国には輸出しない。
② 輸出を認める場合を限定し、厳格審査する。
③ 輸出は目的外使用や第三国移転について適正管理が確保される場合に限る。
この原則では、「紛争の怖れのある国」は禁輸対象から外されイスラエルや中東諸国への輸出にも制限がかからない。新原則で禁輸対象になる国は、北朝鮮、イラン、イラクなど12か国だけだ。
 2015年10月には、「防衛装備庁」が設立され、防衛庁の外局として武器輸出の旗振り役となりました。
防衛装備庁の動きは素早く、国際協力銀行による武器輸出支援を検討中。武器輸出の支払いが滞り、日本企業が赤字になれば国が不足分を補てんする「貿易保険」の適用も議論されています。
「貿易保険」適用の第1号案件として中止されていたのが、オーストラリヤでの潜水艦建造事業だ。
2014年4月、オーストラリヤと日本は船舶の流体力学分野に関する共同研究を進めることに合意、水面下で日本の「そうりゅう」型潜水艦のオーストラリヤゆしゅつを画策した。
幸か不幸か、この案件はフランスが受注することになって、日本の輸出は沙汰やみだ。
要するに、これまで原則として武器輸出はしないという方針だったのですが、安倍内閣の方針は、このところ武器輸出に積極的に取り組むという姿勢に転向しています。

このことが意味するところを考えてみたいと思ったのが、この本をぃ手にした動機です。「戦後70年、日本は武力の放棄・交戦権の否認を掲げてきた。それらを捨て、これからを担う子供にとって戦争や武器を身近でありふれたものにしようとしている。この状況を黙って見過ごすわけにはいかない。」と筆者ものべています。
ドローンについても一章を設けています。
世界で進無人戦闘機開発に対して、どんな美辞麗句をならべて、安全保障上の意義を強調しても無人戦闘機の被害者を前にして、人を殺めることの正当性は主張できない。武器輸出を促進する欧米各国では、軍産複合体の巨大化が進み世界中に被害者が生み出されている。
私たち日本人は、武器輸出に踏み切ったことで、欧米と同じ世界に一歩踏み出した。本当にこのままでいいか。
なしくずしに進んで逝っていいか。
説得力ある論述が述べられていました。
しかし、私が知りたいと思っていた次の二点の解説は、残念ながら不十分でした。
 一つ。かつて湾岸戦争の頃、「日本はお金を出しても戦争には参加しない(血の貢献はしない)」と、国際的に批判されたことがあります。
でも、テロ組織やフセインが手にしている武器は欧米諸国の生産・輸出したものです。だから、兵器を輸出している国が兵士の血の貢献を果たすべきであり、武器輸出していない日本が血の貢献を迫られる理由はない、「日本の政治家は何故このことを主張しないのか」、

 もう一つ、アベノミクスの一環としての武器輸出です。金融の超緩和は、景気にとって一時的な対策であって、本格的な景気拡充には需要の喚起が必要です。この需要拡大策として武器輸出を考えている、と思うのです。民主党政権が武器輸出路線を採ったのも大企業の景気拡大に武器輸出による需要拡大のねらいがあったのでは?と思います。