浜矩子さんの新刊「地球経済のまわり方」(ちくま新書、2014年4月刊)を、本屋の立ち読みで見つけGETしました。
帯の「風が吹けば桶屋が儲かる」に経済分析の醍醐味がある。超入門・グローバル経済というひき句に魅かれたのです。
『経済の世界はともかく面白い。・・・筆者は中学2年生の時にエコノミストになることを決意した。(中学2年生の)ある日、先生が「イギリスが自国通貨のポンドを切り下げた。その理由と結果はこうこうだ。」と説明してくれた。中学1年の夏までイギリスに住んでいた筆者にとっては、大いに関心のあるテーマだったから一生懸命聞き入った。するとこれが何とも面白い。ポンドを切り下げるとなぜイギリスが得をするのか、逆にポンドを切り上げると何が起こるのか。まるでよく出来た推理小説の謎解きのくだりを読んでいるようだった。
ポンドとイギリス経済の浮沈の関係にこんな謎解きがあるならば、経済の世界にはほかにも面白い謎解きがもっと色々あるはずだ。それを全部知り尽くしたい。ゆくゆくは、人がまだ解いてない謎を自分で解き明かして見せたいものだ。その思いに駆り立てられて筆者は経済の道を進む。
念願かなって、大学で経済を勉強することになった。すると、子どもの頃から聞き知っていたある言い方が頭に浮かんで仕方がない。それは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という日本のことわざである。
つまり、本書は「グローバル経済を風が吹けば桶屋が儲かる理論で説明した本です。
風と桶屋の因果関係を理路整然と間違えることがある。それを避けるためにエコノミストは、基本に忠実であるべきだ。基本なくして推理はできない。基本を知ることは、良きエコノミストの十分条件です。だが、基本があっても推理が間違うことがある。それは他人がやること、言うこと、信じていることに追随してしまうことによる。大勢(他人)の赴くところに引きずられるのだ。この傾向に対する特効薬は三つある。これが良きエコノミストに備わっているべき必要条件だ。第一に独善的であること(いつも自分は正しいと信じている)。。第二に懐疑的であること。第三に執念深いこと。
「あなたたちのうち、子供が魚を求めているのに、魚の代わりにヘビを与える父親がいるだろうか。また卵を求めているのにサソリを与えるものがいるだろうか。あなたたちは悪い者であても、自分の子供に良いものを与えることを知っている。まして、天の父が自分に求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか」(ルカ伝11章11節~13節)
新約聖書のキリストの言葉だが、経済と経済政策との関係についても同じことが言える。
卵とさそりの見誤りを、日本の政策立案者たちは何とたくさん犯し続けたことか。「アベノミクス」なる安倍政権の政策運営こそ、その最たるものである。
安倍政権は、発足とともに盛んに株高と円安を煽った。これは実におかしい。株は、経済自体に勢いがあるから上がる。株が高いから経済が元気になるわけではない。円は経済実態がそれを必然化するから上がったり、下がったりする。その逆ではない。根拠なき熱狂は必ず破綻に至る。それは特に貧者を惑わす。
円安についても然りだ。円安と言う卵を割れば、そこから輸出立国に向かう神風が吹く、彼らはそう考えたらしい。だが、日本にとって円安は三つの意味でやっぱりサソリだ。第一に、今や日本はすっかり輸入依存度の高い経済になっている。原油等々の原材料はもとより部品・資材や食品をはじめとする消費財、それらの多くを輸入する。円安が進行すれば、企業の生産コストが上がる。家計にとっても物価上昇で生活が圧迫される。
第二に、自国通貨安競争の泥沼を招く。第三に、円安を実現できたつもりでいるうちに、円安に歯止めがかからなくなる。
政策の誤謬はまだある。「バブルでデフレを退治しよう」、このところ、そのような感覚が政策を支配している感が濃厚だ。どうかすると、このバブルをもってデフレを退治しようというやり方を「リフレ政策」だとはやす傾向さえ出てきた。大いなる誤謬の極みである。
リフレと、経済のバブル化を煽ることとはまるで違う。デフレの最中でもバブルは起こる。失業率が高くて、人々の賃金は上がらず、生産も盛り上がらない。そのような時でも。カネが余っていれば投機は起こる。不動産や金の値段が急騰する場面はある。むしろ生産的な投資のタネが見当たらないときこそ、バブリーな方面にカネが流れるということがある。
「風が吹けば・・・」理論で、現下の経済政策を。徹底的に批判する浜ちゃんの新刊でした。
帯の「風が吹けば桶屋が儲かる」に経済分析の醍醐味がある。超入門・グローバル経済というひき句に魅かれたのです。
『経済の世界はともかく面白い。・・・筆者は中学2年生の時にエコノミストになることを決意した。(中学2年生の)ある日、先生が「イギリスが自国通貨のポンドを切り下げた。その理由と結果はこうこうだ。」と説明してくれた。中学1年の夏までイギリスに住んでいた筆者にとっては、大いに関心のあるテーマだったから一生懸命聞き入った。するとこれが何とも面白い。ポンドを切り下げるとなぜイギリスが得をするのか、逆にポンドを切り上げると何が起こるのか。まるでよく出来た推理小説の謎解きのくだりを読んでいるようだった。
ポンドとイギリス経済の浮沈の関係にこんな謎解きがあるならば、経済の世界にはほかにも面白い謎解きがもっと色々あるはずだ。それを全部知り尽くしたい。ゆくゆくは、人がまだ解いてない謎を自分で解き明かして見せたいものだ。その思いに駆り立てられて筆者は経済の道を進む。
念願かなって、大学で経済を勉強することになった。すると、子どもの頃から聞き知っていたある言い方が頭に浮かんで仕方がない。それは、「風が吹けば桶屋が儲かる」という日本のことわざである。
つまり、本書は「グローバル経済を風が吹けば桶屋が儲かる理論で説明した本です。
風と桶屋の因果関係を理路整然と間違えることがある。それを避けるためにエコノミストは、基本に忠実であるべきだ。基本なくして推理はできない。基本を知ることは、良きエコノミストの十分条件です。だが、基本があっても推理が間違うことがある。それは他人がやること、言うこと、信じていることに追随してしまうことによる。大勢(他人)の赴くところに引きずられるのだ。この傾向に対する特効薬は三つある。これが良きエコノミストに備わっているべき必要条件だ。第一に独善的であること(いつも自分は正しいと信じている)。。第二に懐疑的であること。第三に執念深いこと。
「あなたたちのうち、子供が魚を求めているのに、魚の代わりにヘビを与える父親がいるだろうか。また卵を求めているのにサソリを与えるものがいるだろうか。あなたたちは悪い者であても、自分の子供に良いものを与えることを知っている。まして、天の父が自分に求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか」(ルカ伝11章11節~13節)
新約聖書のキリストの言葉だが、経済と経済政策との関係についても同じことが言える。
卵とさそりの見誤りを、日本の政策立案者たちは何とたくさん犯し続けたことか。「アベノミクス」なる安倍政権の政策運営こそ、その最たるものである。
安倍政権は、発足とともに盛んに株高と円安を煽った。これは実におかしい。株は、経済自体に勢いがあるから上がる。株が高いから経済が元気になるわけではない。円は経済実態がそれを必然化するから上がったり、下がったりする。その逆ではない。根拠なき熱狂は必ず破綻に至る。それは特に貧者を惑わす。
円安についても然りだ。円安と言う卵を割れば、そこから輸出立国に向かう神風が吹く、彼らはそう考えたらしい。だが、日本にとって円安は三つの意味でやっぱりサソリだ。第一に、今や日本はすっかり輸入依存度の高い経済になっている。原油等々の原材料はもとより部品・資材や食品をはじめとする消費財、それらの多くを輸入する。円安が進行すれば、企業の生産コストが上がる。家計にとっても物価上昇で生活が圧迫される。
第二に、自国通貨安競争の泥沼を招く。第三に、円安を実現できたつもりでいるうちに、円安に歯止めがかからなくなる。
政策の誤謬はまだある。「バブルでデフレを退治しよう」、このところ、そのような感覚が政策を支配している感が濃厚だ。どうかすると、このバブルをもってデフレを退治しようというやり方を「リフレ政策」だとはやす傾向さえ出てきた。大いなる誤謬の極みである。
リフレと、経済のバブル化を煽ることとはまるで違う。デフレの最中でもバブルは起こる。失業率が高くて、人々の賃金は上がらず、生産も盛り上がらない。そのような時でも。カネが余っていれば投機は起こる。不動産や金の値段が急騰する場面はある。むしろ生産的な投資のタネが見当たらないときこそ、バブリーな方面にカネが流れるということがある。
「風が吹けば・・・」理論で、現下の経済政策を。徹底的に批判する浜ちゃんの新刊でした。