古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

平成16年の10冊

2004-12-30 | 読書
 今年もいよいよ最後の一日になりました。(平成16年)
今年読んだ本の中で、面白いと感じた10冊を選んでみました。
(いずれもメールで私の感想を送信したものでした)

あなたの脳にはクセがある 養老孟司著       中公文庫
逆システム学       金子 勝、児玉竜彦著  岩波新書
拒否できない日本     関岡 英之著      文春新書
昭和史          半藤 一利著      文藝春秋
小泉・イラク・日本の運命 立花 隆著       講談社
金融資産は狙われている  高橋 乗宣著      ビジネス社
 【イラク戦争の動機は、ドルの石油本位制の維持か?】
<自己責任>とは何か   桜井 哲夫著      講談社現代文庫
 【<自己責任>とは、国民を保護すべき政府が、自分達の無能によってそれが出来
ない時に、”国民は<自己責任>で自分を守れ”と言う。】
 今年は、NHK人間講座が面白かった。異色の講師陣のテキストから3冊数学の愛
し方       ピーター・フランクル著 NHK出版
大局の観方        米長邦雄著       NHK出版
人間性の進化史      正高信男著       NHK出版

 こうして並べてみると、すべて「こういう観方があるのか!」と教えられた本でし
た。

4500km

2004-12-10 | 水泳
尾張名古屋のNOZUEです。
 気がついてみれば、今年も後少しで新年ですね。街にはクリスマスソングが流れて
います。
 今日午後、愛知県体育館プールで泳ぎました。レッスン時間は一時間20分です
が、ひたすら泳いで2000m。ついに12年前からの累計の泳いだ距離が4500
Kmに達しました。
 泳いだからといって、自慢するほどのことではありませんが、北海道の宗谷岬から
九州の薩摩半島の先迄で約3000Kmですから、ケタはずれの距離になります。
 一日1Kmを一年続けて365Km,それを12年間続けた結果です。
 4000Kmの達成は、昨年8月15日です。この後5000Kmの達成は平成1
8年の4~5月になりそうです。

 生涯楽しめるスポーツがあるということは、幸せなことです。
 昨年のメール(6月22日)に、小生こう書きました。
【そのため(継続)には、プールに出かけたら美人のガールフレンドを見つけること
です。
 ガールフレンドに恵まれた所為か、平成5年以来の私の水泳累計距離は、7月エン
ドで4000Kmに達しそうです。】(03/06/22)
 と、記しています。
 プールで美人を見つけましょう。



宮島 2

2004-12-06 | 旅行
 次は鹿の話。「紅葉に鹿」は絵になると、カメラに収めたいのですが、中々思う位
置に行って呉れない。風間先生が声をかけても、いつかな動きません。そこでポケッ
トから饅頭を取り出し食べさせると、今度は喜んで何処までも先生に付いて行く。
 「現金なもの」と、笑っちゃいましたが、先日、静岡県佐久間町の山村に住む伯父
に逢った時の話を思い出しました。
 「今年は、猿が畑に出てのー、作物をかじってしまうんだ」。遠州は暖国ですか
ら、クマは出ませんが猿がでるようです。
 「山ん中の喰いもんより人間の作ったもんの方が旨いんで、味を覚えるとなア」と
嘆いていた。
 鹿も同様で、「もみじ饅頭」は旨かったのでしょう。
 でも、旨い食い物を呉れる人に付いて行くのは、人間も本質的には同じかもしれま
せんね。

 もみじ谷公園方面に歩いて、それから、木の間隠れに見える宮島湾、神社などの景
色を見ながら坂道を下りてきました。
 「宮島に雪が積もることありません?」と聞いて見た。厳島神社の赤い社殿を、雪
の中に置いたらどんな具合だろうと、ふと、思ったからです。「雪は積もらない」と
のご返事でした。

 日本の建築は、背景に溶け込んでその美しさを表現すべく設計されている。厳島神
社は足元を洗う宮島湾の波とともに見て、その美を堪能できるのだ。若しかしたら、
平清盛の頃は、白雪を背景にした社殿が見られたかも?と、妄想しました。

 西洋の建築は、建物自体に、環境とは別に美を設計するから、例えば、ルーブル美
術館を仮にベルリンに持っていっても、その美は変わらない、と思う。日本建築はそ
うでない。
 岡倉天心は、と突拍子もないことを想起しました。「茶の本」の中で、「茶」の背
景には道教の思想がある、例えば、壷の有用性は、壷自体でなく、壷の中に入り込ん
でいる「空」にあり、茶室の美も同様だと説いていた。
 日本建築も、建築の中の空間の設計に工夫が見られる。建築の中だけでなく、建築
が置かれる空間をも設計している、と愚考しました。

 港近くで、かきの焼いた味を賞味させて頂き、宮島の旅を終えました。広島駅に3
時、皆様と別れホテルで預けた荷物を受け取り3:46ひかり乗車、帰宅したのは7
時でした。

 以上で3日間の旅、思いつくままの紀行文終ります。編集長他皆様方、有難うござ
いました。




宮島 1

2004-12-05 | 旅行
29日は、宮島を観光しました。
 日本三景のうち他の二つは既に見ていますが、何故か、宮島だけは、機会を逃して
今まで見ていませんでした。編集長のご好意で、今回、観光出来たことを深謝しま
す。
 宮島というと、例の波が足元を洗う赤い鳥居と神社。それしか印象がなかったので
すが、こんなに沢山の神社やお寺の建物が林立しているとは知りませんでした。鹿の
放し飼いも、”あなご飯”も知らなかった(もみじ饅頭は知ってましたが)。

 さて、”あなご飯”から話を始めましょう。
 昼飯の時ですが、偶々おKEIさんの手が小生の手に触れました。「まア、冷たい
手をしてますね」と、言われたものですから「どれどれ」と、皆さんに握手をされる
光栄に浴しました。
 確かに、断然私の手が冷たいことが判明しました。冷たいと言っても、体温は略同
じですから、皮膚の表面温度が低いのです。
 つまり、体脂肪の多い方は、脂肪の断熱作用で、熱が逃げないので温かい。私は脂
肪が少ないので、体熱がどんどん体外に逃げていく。表面温度が低くなるようです。
 言い換えると、どれだけ食べても、取り入れたエネルギーは熱として放出されるの
で、太らないというか、太れないんです。
 見方によっては随分不経済な体質です。
 以前、編集長から「NOZUEさんの元気の素は?」とメールで聞かれ、「元気で
走ったり泳いだりするわけでなく、筋肉で運動するのだから、元気は関係ない」と失
礼な送信をしてしまいました。
 「元気」の意味を「精神的な状態」にとったので、そうしたメールになったのです
が、「元気」が「身体的な状態」つまり、「長時間運動を継続できる身体の状態」の
意味なら、まさにこの体質です。
 即ち、運動をすると熱を発生する。この熱を外部に逃がして体温を下げられれば運
動を継続できる。
逆に、熱を外に出せないと、たちまちヒートアップしてしまって、運動は継続できな
い。
 今年の9月、競泳プールでレッスンを受けたことがあります。普通、温水プールは
30℃です。それに比し、競泳プールは27℃です。27℃ですと、私の場合、泳い
でいるときは大丈夫ですが、止まると寒くて震えがきます。順に泳いで見せてコーチ
のコメントを貰うのですが、その順番を水中で待っていたら、ガタガタ震えてきまし
た。コーチに笑われてしまいましたが、「体脂肪が少ないから」と苦笑い。体脂肪が
少ないのも良し悪しです。

 話がそれましたが、あなご飯。旨かった!(続)




カラオケ考

2004-12-04 | 旅行
 28日夜は友人と一緒にカラオケボックスに行きました。
 ところで、以下はカラオケに関する小生の考察です。ご笑覧ください。
 
 15~6年前、単身赴任していた頃の話です。
 本社から上司が来て、仕事の終った後の雑談。
 小生「日本人の戦後の発明で、世界の人々の生活に最も影響を与えた発明は、カラ
オケとカップ・ラーメンです。」
 上司「お前!カップ・ラーメンばかり食べているのか?」

 でも、最近、カラオケの発明者がイグ・ノーベル賞を受賞したと言いますから、世
界に先立つ15~6年前から、カラオケの価値を認めていた私の先見性は、立派なも
の!と、誰も誉めないので、自分で誉めています。
 尚、今ならカップ・ラーメン、カラオケに加えて、デジカメ他(ケイタイなど)I
T製品を加えるでしょう。
(ハイブリッドカーも入れるべきだと言う方も見えるかも知れません。いずれにして
も、これだけ世界の人の生活に影響するものを発明できる日本人は、なかなか沈没し
ませんよ。)

 もう一つ、脳研究者の話によると、文字・言葉などは左脳で処理し、音楽は右脳が
処理している。すると、カラオケを唄う場合、歌詞は左脳から引き出し、音のリズム
や旋律は右脳から引き出す。両者をバランスよく組み合わせているのは、脳のどの部
分でしょう。小脳辺りでしょうか?

 それにしても、カラオケの唄って随分沢山ありますね!
 ただあるだけでなく、皆たくさん覚えていますね。私も、アイウエオの50音順
に、その音で始まる題の唄を唄えるか?と聞かれれば、多分唄えるのでは?
 一体、脳のどの部分が、歌詞とメロデイを記憶しているのでしょうか?
 もう少し、脳科学が進歩すると、そうしたことも分かってくると思います。




しまなみ海道 2

2004-12-03 | 旅行
 大三島橋を渡るまで丁度2時間走った。橋を越えたところで5分ほど休憩。更に大
三島を快走、と言いたい所だが、お尻が痛くなってきた。これは、予想外の出来事
だった。
 考えてみれば、生まれて以来この方、自転車を一時間以上続けて走るのは、初めて
の経験だ。お尻が自転車のサドルと摩擦を繰り返すのだから、痛くなっても不思議で
ない。「これはお尻の皮膚が炎症を起こしちゃう!」と思ったが、走るしかない。ど
うにも走れなくなれば、途中に設けてあるサイクリングターミナルで自転車を乗り捨
て、後はバスで行く手もあるが、折角ここまで来たんだ。完走したい。
 次の多々羅大橋を渡った所で3時間。生口島に入る。景色の良い所でお握りを頬張
り簡単な昼食。ここからは瀬戸田町、広島県だ。
 サンセットビーチと名付けられた海岸に沿って走る。所々で、バイクを止めて釣り
糸を垂らす太公望を見る。やがて、平山郁夫美術館の前を通る。お天気も良いので、
観光客が一杯、観光バスも止まっていた。15Kmほど走って、生口橋が見える。こ
こでも、橋を渡るには坂道をやっこらさと上がらねばならない。橋を渡っていよいよ
因島である。
 島内を走りながら「意外と大きな島だな」と思う。この辺りから不思議なことに、
尻の痛みを感じなくなった。「尻が不感症になったかな?」。「最後まで走れるぞ」
と、張り切ったのは良かったが、またチョンボ!曲がるべき信号を直進してしまっ
た。また「しまなみ海道」の標識が見えないぞ!間違えたかな?停車して後を振り
返ったら、道路標識「→尾道」が後方を指している。通り過ぎたのだ!地図を確認し
ようと、ウィンドブレーカのポケットを探ると、ない!自転車を借りる時貰った地図
を落としたらしい。地図はリュックに入れておくべきだった!
 路傍のオバサンに「因島大橋はどちらへ行ったらいい?」と聞くと、一つ前の信号
を右に回れと言う。一つ前の信号まで距離はかなりあったが、戻って右へ回る。エラ
イ急坂だな、と必死にペダルをこいたら「因島北IC」だ。だが「×自転車通行」と
ある。
 また信号に戻り、角のガソリンスタンドに入って「尾道方面へ行く自転車の通れる
橋は?」と聞くと「もう一つ前の信号を左。道なりに行けば因島大橋が見えます」と
丁寧に教えてくれた。
 もたもたしてると、尾道発3:39、もしくは4:06の電車に乗れないぞ!と
ピッチを上げた。大橋が見えてほっとしたが、いや、ここの入口までの上り坂はきつ
かった。
 ともあれ橋を渡ると向島。所々で道を聞いて確認しながら海岸沿いに島を半周。尾
道駅への渡し舟の乗り場に着いた。3時10分、約6時間、休憩時間をひくと実走5
時間40分。距離は80Kmだが、間違って余分に走った距離を含めると約90Km
を走破した。
 この後 尾道大橋があるのだが、この橋は「自転車道がないので危険です。走行し
ないで、その前の渡し場で自転車を返却して渡し舟に乗ってください。時間的にもそ
の方が早いでしょう。」と、朝、自転車を借りる時スタッフに言い聞かされていたの
で、ここまでにする。実際、渡し舟は乗り込むとすぐ出発し、たった3分ぐらいで対
岸に着いた。そこから徒歩5分で尾道駅。15:39の下関行きに悠々間にあった。
 5時前、広島に着いて駅前のホテルにチェックイン。部屋に入って、直ぐ鏡の前で
裸になって、お尻を点検。異常なし!でした。




しまなみ海道 1

2004-12-02 | 旅行
 28日、ホテルをチェックアウト、コンビニでお握りと茶を調達しリュックに詰め
る。8時半のバス大浜行き乗車、展望台入口で下りると、「サンライズ糸山」なるレ
ンタル自転車屋はすぐ傍。日曜だし、天気は絶好とあって、客が大勢押しかけてい
る。早速手続きして、マウンテンバイクのタイヤを細くしたタイプの軽快車を借り
る。料金は借り料¥500、乗り捨て料¥1000、通行料のチケットが尾道まで行
くと¥500.合計¥2000だ。
 9:07出発。「糸山」は来島海峡大橋の袂。だから、早速上り坂をエンコラサと
乗り上げる。橋は6橋渡ることになるが、いずれも高い場所に架橋されているので、
橋の入口は相当な急坂である。スタート直後はまだ元気一杯だからなんなく橋の入口
まで上って、是ぞ名にし負う来島海峡か、と橋上から見下ろす。まさに絶景である。
一番心配していたのは、海の上では相当横風が強いのではないか?しかし、今日はほ
とんど無風に等しい。
 11年前、瀬戸大橋の開業5周年のイベントで、瀬戸大橋を渡るマラソン大会とウ
オーキング大会が開かれ、参加者を抽選で募った。両方申し込んだが、マラソンは抽
選外れ、ウオーキングは籤が当って参加したが、鷲羽山側から坂出まで歩いたのだ
が、陸上ではたいした風でなかったのに、橋の上ではすごい強風で、身体を風の側に
倒さないと真っ直ぐに立って歩けなかった体験がある。今日はそれがない。
 6年前にも、明石海峡大橋の開橋記念ハーフマラソン大会に参加し、明石・淡路島
間を往復走った。
だから、今日、この”しまなみ海道”を走破すれば、瀬戸内海の3大橋を人力で通過
出来たことになる。
本当は走って走破できると良いのだが、80Kmを完走する自信はない(実際、福山
城から今治城までの100Kmウルトラマラソンがあるのだが)。そこで、自転車で
走破する計画を組んだのです。
 来島海峡大橋を渡ると、大島。吉海町、宮窪町と通過。次は伯方・大島大橋を渡っ
て、伯方島に入る。
ここで、最初のチョンボをやってしまった。伯方大橋を駆け下りて伯方島の一般道に
入った時、道なり真っ直ぐに走ってしまった。一般道に下りた時、ハンドルを逆に切
らねばならなかったのだろう。つまり、逆方向に走った。多分どこかで「ムキを変え
よ」という標識があったのだろが見落とした。なんとなくおかしいなアと思って停車
したが、もう10分走っている。軽快車で10分走ると3Kmは走ってしまう。コー

には「しまなみ海道」のグリーンの表示が一定間隔にあるのに、それが全く見られな
い。横の畑で働いていたお百姓さんに「大三島橋はどちら?」と聞くと、「反対方向
だよ!」。
 橋から一般道に下りた時は必ず停車して、方向を確認しないといけない。と気付い
たが、後の祭り。これは予定外のミスだった。「予定外のことが起きるのが人生だ」
と諦めて、また10分かけて橋の出口に戻る。出口を過ぎたら、なるほど沢山「しま
なみ海道」の表示がある。(続)

今治城

2004-12-01 | 旅行
 11月27日、新幹線を岡山で予讃線の特急「しおかぜ」に乗換え、今治に着いたのは2
時半過ぎだった。
 駅前のビジネスHチェックインして、夕方までの時間を今治城の見学に行く事にし
た。駅から1.3Km、お城は港の近くである。関ヶ原の戦功で伊予半国の領主に
なっ
た藤堂高虎の設計で1604年(慶長9年)の完成というから今年が築城400年。
お堀の水に海水を引き入れたので「海城」と言われたそうで、海につながり潮の干満
がある。城内には高虎馬上の勇姿が銅像になっている。
 5層6階の天守閣に登る。最上階が展望台になっているのだが、上がって驚いた。
6階の四周に、廊下と言うか縁側というか、作られているのだが、そこに出入り自
由。確かに見晴らしは良い。しかし、転落防止のフェンスは付いているものの、簡単
に乗り越えられそうだから、飛降り自殺希望者は容易に身投げが出来る。伊予人は、
精神的に豊かなので、飛降り自殺を試みるような、不心得者は出ないのだろうか?
 各地の天守閣に登ってみたが、どこでも最上階の展望は窓からが普通で、こういう
のは初めて見た。
 この天守閣は、市制60周年記念事業で1980年に建築された鉄筋コンクリート
造りである。元々の天守閣は、築城当時はあったらしいが、間もなく解体されて丹波
亀山城に移築されたと伝えられる。
 藤堂高虎は、築城の名手として知られる戦国の武将です。最初は浅井長政の家臣
だったが、後、羽柴秀長、秀吉、家康に仕え重宝がられた。慶長11年江戸城を縄張
りして2万石を加増されると、妻子を江戸に住ませ、参勤交代の基になった。言わ
ば、世渡りの名人で、慶長13年伊賀国主に栄転すると、家康が豊臣対策に築く丹波
亀山城に、なんと今治城の天守閣を、そっくり移築して献上したという。今治藩主は
その後家康の甥が着任し松平藩として明治を迎えたが、維新の際、徳川親藩の今治藩
の城は打ち壊され、城郭も落札させられたと言う。
 要するに今治城の天守閣は4年間しかなかった。その天守閣を、今治市は、丹波亀
山城の天守を模して、昭和55年再建した。更には御金櫓、市制70年の平成2年に
山里櫓を再建した。昭和・平成の築城である。
 天守閣を下りて驚いた。隣に人家が数軒建っている。お堀の内部は公園になってい
るのが普通で、天守閣にお隣さんが住んでいるなど、聞いたことが無い。明治維新の
際、入札で落札した人の子孫であろうか?
 なかった天守閣を作った例は、大分県の中津城がある。この城は、秀吉の名参謀と
言われた黒田官兵衛の築城だが、官兵衛は、中津城には天守閣は戦略的価値がない
と、作らなかった。ところが、戦後、中津市は天守閣に観光資源的価値を認めたらし
く、天守閣を作ってしまった。
 3日間の旅行記を書こうと思いましたが、初日は天守閣の話で終ってしまいまし
た。