古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

動的平衡

2018-08-18 | 読書

「動的平衡」の2,3が面白かったので、最初に出た「動的平衡」を図書館で探してきた。

2009年2月の刊行である。後がきにこうあった。

「マリス博士の本を訳した福岡ハカセですよね。マリス博士も面白いですが、福岡ハカセにも興味があるので一度おあいしませんか。」10年ほど前こんな電話があって、『ソトコト』という不思議な題名の環境雑誌の編集部に出掛けた。「ソトコト」誌上に記事を連載することになった。その連載記事を再編集し成書化したのが本書である。

なるほど面白い記事が多い。

一つ。

何故大人になると時間が早く感じるようになるのか。誰もが感じるこの疑問は、なかなか納得できる説明が見当たらない

例えば、3歳の子供にとっては、1年はこれまで生きてきた人生の3分の1であるのに対し、30歳の大人に対しては30分の1だから・・・・

 良く聞く説明だが、これは答えになっていない。確かに自分の年齢を分母にして1年を考えると年をとるにつれ1年の重みは相対的に小さくなる。

 しかしここで重要なポイントは、私たちが時間の経過を「感じる」そのメカニズムである。自分たちの生きてきた時間を分母にして時間を測っているだろうか。

 私たちは自分の生きてきた時間を実感として把握していない。したがってこれを分母として時間感覚が発生しているとは考え難い。時間経過の謎は私たちの内部にある時間感覚の曖昧さと関連強いるというのが、私に仮説である。

 外部からの時間情報がなく(つまり、体内時計のみで時間を知る場合、30歳の1年と3歳の1年はどちらが長いか。

 

 ほぼ間違いなく30歳の時の21年が長いのである。

 それは「体内時計」のしくみに起因する。細胞分裂のタイミングや、細胞分化プログラムなどの時間経過は。タンパク質の分解と合成のサイクルによってコントロールされている。もう一つの厳然たる事実は、私たちの新陳代謝速度が加齢とともに確実に遅くなること。つまり加齢とともに体内時計はゆっくり回ることになるのだ。

 齢をとると1年が早く過ぎるのは、「分母がおきくなるから」ではなく、実際の時間の経過に自分の生命の回転速度がついて行けていないからある。

 もう一つ。

 たとえば1000キロカロリーの食事を一挙に食べると体脂肪が100グラム身体に付くとしよう。10回に分けて100キロカロリーずつ食べたらどうなるか。同じく100グラム脂肪がつくと思う方が多い。しかし実際はそうならない。

私たちはふだんインプットとアウトプットが比例関係にある現象に慣れている。というより脳は比例関係以外の関係を理解するのが苦手である。

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは比例関係=線形性を保っていない。非線形性をとっている。インプットとアウトポットの関係は多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたようなシグモイド・カーブをとる。

 たとえば音楽を聴くときにヴォリュームダイヤルの回し具合と音量の関係を考えてみるとよくわかる。ダイヤルをひねっていくと最初音はなかなか聞こえてこない。ところがヴォリュームがある位置を超えると急に音が大きくなる。それ以上になとダイヤルの回転に応じて音が大きくはならない。摂取カロリーと体重増加の関係も、インプットの小さい領域えは、アウトプットの立ち上がりは低く、おそらく2g程度にしかならない。だから10回繰り返しtも体重増加は20gで済むことになる。

 余剰なエネルギーを身に着けない方法の一つは余分な運動をすることです。しかし、一度体内に入ったカロリーを運動で燃やすためには創造お以上の運動量が必用である。500キロカロルー(ショウトケーキ一個分)を燃焼し尽すには、水泳なら平泳ぎで1時間、ジョギングなら10km走らないといけない。

 あなたはショートケーキ一個を食べるために1時間の運動をする気力がありますか?

 


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