古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

豊橋美術館とR1を往く市電

2005-11-28 | 旅行
 26日は豊橋に行ってきました。土・日限定名古屋・豊橋往復¥1500のJR特別キップを利用しました。通常片道¥1280ですから、ほぼ4割引のサービスです通勤客の乗らない土・日に客を集めようと言うJRのねらいですね。
 小生のねらいは、豊橋美術博物館です。駅から徒歩で約20分、豊橋公園の中の
大きくはないが典雅な佇まいの建物です。この美術館が好みで年2~3回は訪れる
です。
 今回は「星野真吾賞展 明日の日本画を求めて」をやっていました。星野真吾は
豊橋に生まれた日本画家、平成9年に没しましたが、”創造的な制作活動を行う後
を育てよう”と、豊橋市に私財を寄贈して新進作家を顕彰する「トリエンナーレ豊橋」(The triennial competition in Toyohashi)を始めました。今回が第三回で、全国から応募した作品の中から、大賞一点、優秀賞二点が選ばれていまた。

 日本画といっても、描かれる対象は、通常の日本画的な山河や花鳥は、むしろ少なく、抽象画やデザイン画のような作品が多く、日本画というのは、要するに膠で溶いた岩絵具を用いた絵は総て日本画なんだ、とあらためて納得させられました。
 一階の応募作品の展示と並んで2階は、星野真吾の作品と高畑郁子(星野夫人)の作品が展示されていました。

 豊橋の生んだ画家としては、星野真吾の他に中村正義がいます。12月10日
(土)の夜10時、”美の巨人たち”なるTV番組で、中村正義が取り上げられるそうです。

 絵に興味のない方に一言。豊橋公園の前を国道一号線が走っています。この道路の真ん中を市内電車が走っています。R1の全ルートの中で、市電が走っているのはここだけだそうです。写真をご笑覧ください。

金沢紀行(2)

2005-11-28 | 旅行
 文芸館の建物は三階までで、1階に入ったら、スタッフが「申し訳ありません。只今、開館式の後片付けが終っていません。しばらくお待ちください」と言う。
 一階は書棚に文学作品が並べられ、真ん中に丸テーブルと椅子が置かれている。待つ間、北国文学全集の井上靖篇を手に取ってみた。北国とは、金沢にゆかりの作家の作品を集めたとの意味のようだ。井上は金沢の第四高等学校を卒業している。
 「金沢城の石垣」と題するエッセイがあったので、走り読みしてみた。
 【外国人の建築家に日本の美しいものを問うたら、”お城の石垣”との答えがあった。井上が思うに、日本に三つの美しい石垣がある。安土城、京都大原三千院の石垣、それに金沢城の石垣だと言う。】安土、金沢は見たが三千院の石垣は見ていない。これは、暇を見つけて大原まで足を運ばねばなるまい。

 用意が整ったらしく、「エレベータでどうぞ」と言う。
 「階段はないのですか?」と聞くと「一寸危険ですから」と言う。古い建物を使っての会館だが、階段の補修までまだ手が届いていないみたいだ。
 2階は、五木寛之文庫と銘打ち、彼の全作品が四囲の壁に並び、ショーケースには、生原稿や最初に連載された時の雑誌などが展示されている。壁の書棚から一冊見てみようと取り出そうとしたが、ケースのすきまが狭くて取り出せない。スタッフが来て「すみません。この階の本は展示だけです。五木先生が大事にされていた本ですので。他の階の本はお読みいただけますが・・」と言う。成る程、ここの本は総て先生の所蔵本の寄贈かと、納得した。
 三階は文芸フロアで、一角に泉鏡花文学賞受賞の全作品がある。主として金沢にゆかりの作家の文学作品が並んでいた。金沢在住の作家桐野夏生(今度、朝日で連載小説を始めるようだ)の本が並んでいたので、手にとり椅子に腰をおろして、暫く読んでみた。
 小さな建物だが、文学好きの人々のサロンとして作られたようです。

 一時間半ほど居て、外に出た。駅に戻りバスを待つ間、頂いた五木マガジンを拾い読みした。彼が最初に金沢に来た時、刑務所の傍で暮らしたと言うエッセイ(「小立野刑務所裏」)が面白い。彼の才筆が生き生きとしている。

金沢紀行(1)

2005-11-28 | 旅行
 日曜日(20日)の夜、教育TVの日曜美術館を見ていたら、石川県立美術館(金沢)で「鴨居玲展」をやっているとのしらせが映った。よし!金沢に行こう、と決めた。こういうのを (よく言えば、フットワークが軽いだが) 酔狂という。
 火曜日高速バスに乗った。2時前金沢駅に着き、遅いランチを駅前のホテルで
とりながら、地元紙を開いたら「金沢文芸館が完成して、23日午後2時開館」
という記事が眼についた。「明日はこれを見に行こう!」 これも酔狂である。

 食事を済ませてから、県立美術館に向かった。「没後20年鴨居玲展」である。
 鴨居の絵に関心を持つようになったのは、何年か前、司馬遼太郎さんの「鴨居玲の芸術」(「以下無用のことながら」(文芸春秋社刊)に所収されている)を読んでからである。

「ゴッホのようにつよい文学的資質を感じさせながら・・・ふくらんでいく文学性
という堤防の穴を懸命に身をあててふさいでいるといった緊張感がみなぎっていた」。更に「鴨居玲は、・・・一作ごとに自己破壊が伴う、肉体のほうはたまったものではなかった。かれは心臓をすこしづつ破壊させてゆき、ついに停止させてしまった。」と司馬さんは書いていた。
 日本人離れした画面である。そこに溢れる孤独感、絶望感は、彼のどのような人生があって、生まれたのだろうと、彼の絵を見る度、そう思う。

 鴨居は若き日、金沢美術工芸専門学校に学んでいるので、金沢はゆかりの地。5年前にも「没後15年展」を行っている。

 今回、絵を見て気がついたのは、「ひろしま美術館所蔵」という注書きの付いた絵が多い。「私の村の酔っ払い」、「月に歌う」、「教会」、「ETUDE B]など。
 この展覧会は明年4月、広島でも開催されるらしい。
参考までに 
http://www.tokyo-np.co.jp/00/ikw/20051109/lcl_____ikw_____004.shtml
 ついでながら、下着デザイナーで著名な鴨居洋子氏は、玲の姉君だそうだ。

 23日午後、駅前からバスで10分、橋場町バス停で下りたら、開館5分前だった。交差点の一角が黒山の人だかりなので、場所は直ぐわかった。元石川銀行の、
昭和初期の洋館(国登録有形文化財)を利用して「金沢文芸館」が出来ていた。

 入館料\100を払おうとしたら、受付けの女性が「失礼ですが、本日、65歳以上の方は特別に無料とさせて頂きます」と言う。
 別に、失礼ではないのだが、何も言わないのに65歳以上と判断されるのは、いささか気がかりではあった。まぁこの髪の色では仕方ないか!
 「開館記念です」と、五木寛之ブックマガジン(KKベストセラーズ)を一冊呉れた。(続く)


相続税

2005-11-28 | 放送大学
 19,20日、面接授業に出かけました。中京大学のS教授の「現代の経済学」と題する講義でした。先生は、財政学の専攻、最近は「教育経済学」を研究とのこと。講義の中で、こんな話がありました。

 「遺産による格差を少なくしないと、世の中の格差は累積的に大きくなり、いわゆる格差社会になってしまう。ところが、学生に相続税は増額すべきだという話をすると、皆、反対だと言うんですよ。よく考えると、少子化で最近は殆ど一人っ子なんです。だから、親の財産は自分の財産!だから、相続税増税は大反対というのです。相続税というものは、近年軽減される傾向が続き、今や、相続税を払う人は遺産相続をする人の10%以下です。相続税の基礎控除は8000万円なんです。」

 そこで、小生が質問しました。
 「国債残高が何百兆円とかで、国の債務残高は700兆円にも及ぶと言います。
こんな巨額の借金は、いくら増税しても返済できない。インフレにならない限り国債償還は出来ないという話をよく聞きます。」
 「インフレにせず、消費税も上げずに国の借金を解消する方法が一つだけあるのではないでしょうか。」
 「それは、相続税を100%にすることです。発行された国債を買っているのは、殆ど日本人である。日本人個人は買ってなくても、日本人の銀行預金を使って銀行が買っている。だから、死亡した時、遺産を100%召し上げると、所有する国債も無償で政府に戻ってくる。銀行預金も政府のものになるから、償還の必要はなくなる。
人間いつかは死ぬから死ぬのを待っていれば、国の借金はなくなる。」
 先生「確かにそうした考えはあります。どれだけ国債を発行しても、国内で消化されていれば、喩えで言うと、家庭でダメ親父が女房のへそくりを借金するようなもので、家庭内で波風はあっても、対外的には問題にならない!」と言う。
 「しかし、こういうことは、憲法に規定される私有財産の保護に違反することになるのでしょうか?」と小生。
 先生「法律的なことは、私の専門外ですからコメントできませんが、相続税を増額する法案は通らないでしょうね。結局、国債は借り替え借り換えで行くしかないでしょうねえ」という先生のお答えでしたが・・・・
 よく考えて見ると、この案には致命的な欠陥があります。それは、政治家のモラールハザードです。
 いくら、国債を発行しても、償還しなくて済むと知ったら、どれだけ無駄遣いするか分からない!
今でも、返すことを考えずに、国民一人当り600万~700万円もの借金をしたのですから・・・


唖然?

2005-11-15 | 経済と世相
 唖然とするニュースが伝えられました。
「郵政株式会社のトップに、某メガバンクの前頭取のN氏が任命される」というニュースです。
「どうしてそれが唖然とするの?」と言われる方のために、以下(いささか過激ですが)理由を記します。

 「失われた10年」という言葉があります。「バブルの崩壊」とその後の10年以上、日本経済が低迷し、株価や不動産の値下がりで失った富はまさに敗戦時なみで、「バブル敗戦」だというのです。失業率は5%まで上昇し、公園には青テントが並びました。

 その、「バブルの崩壊」とその後の経済運営の不手際は、誰の所為でしょうか?
 「金融政策」の誤りと、「不良債権」を積み上げた銀行が、その主因であり、前者は日銀・大蔵省の失策であり、後者は銀行、特にメガバンクの失策です。
 今更、そんなこと言ってどうするの?と言われるかも?

 しかし、何がいけなくて問題が起ったのか、原因を調べて、2度と同じ失敗をしないようにすることは大事なことで、「バブルの生成と崩壊」は、誰が何時いかなるミスをしたのが原因かを調べて、再発防止策を講じておくことが肝心です。

 「先の大戦」における日本の苦難についても同様なのです。誰がどういう誤りを犯したことが、あの悲劇の原因であるかを追求し、再発防止をしなければならない。そういう追求を一切していない!だから、「A級戦犯を合祀してある靖国を参拝するのはけしからん」と、外国に言われても、本当にA級戦犯が、あの戦争に責任があるのかないのか?原因を追求して答えを出してないから、外国が納得する説明が出来ない。
 90年代のバブル敗戦も全く同様で、誰のミスがバブルの原因か研究してない。
そのため、郵政新会社の発足にあたり、若しかしたら、バブルの戦犯かもしれない人?をトップに任命する、という唖然とした人事を行う。

 N氏はバブルの戦犯なの?
 私はN氏に限らず当時のメガバンクの経営者はすべて戦犯だと思う。戦犯でないとしても、公的資金の注入を受けたのは、経営の不手際によって不良債権を積み上げたからであり、兆という単位のお金(国民のカネです)を受け取って、国に国債という借金を積み上げ、その結果、預金金利はゼロに貼り付き、預金者・国民に多大の迷惑をかけた銀行の経営者は、経営能力が無能であったことを天下に証明しています。
 かつて、銀行マンが高給を羨まれた時代がありました(今でもそうかな?)。当時、私は「金融」は産業の血液であり、血液の循環という超大事な仕事に携わる銀行員は常に勉強を怠ることが出来ない。高給を食むのは当然だと思っていました。
ところがバブルの時代、彼らは新しい時代の金融をまったく勉強していなかったことが明白になった。不良債権の積み上げはそのことを証明しています。

 なぜ、彼らは失敗したのか?それは、過去の成功体験に捉われたからです。
今まで良かったビジネスモデルが通用しなくなったと言う事実を、あまりにも今までそれで成功したため、気付かなかったのです。
 だから、これからの金融トップは、今迄金融で成功した経験のない人を持ってくるべきで、
メガバンクの元経営者はもっとも不適格だと思うのです。
 少なくとも、公的資金を受けた銀行の元経営者が、300兆円以上の国民の資産を預かる郵政のトップになる資格はない!
 以上、唖然!の理由です。
(尚、N氏に個人的な憾みがあるわけではありません。)

中谷巌先生の講演

2005-11-15 | 経済と世相
 9日午後、M証券から招待券を貰ったので、中谷巌先生の講演会に出かけました。会場は名古屋駅JRツインタワーのホテルです。

 中谷先生は、「日本経済の今後について」短期、中期、長期と分けて問題を解説された。中期についてのお話が、一番興味深かったので、その要旨を紹介します。

 【2010年に焦点をおいて考えると、「財政破綻をどう避けるか」が最大の問題です。
なぜかといえば、いわゆる団塊の世代が退職し、現役生活から年金生活に入る
人が激増する。そうなると、年金生活の世帯は、貯金が出来ないだけでなく過去の貯金を取り崩す。日本人の貯蓄率が激減します。その結果、政府の発行する国債を、家計が買わなくなる。企業は、国債を買うために資金を留保しているわけでないので、企業も買いません。家計も企業も買わないと、では外国に買ってもらうか?1%台の低金利で、外国人が買うわけない。外国に買ってもらうためには、最低5%の金利が必要です。
 ところが、国債の金利を上げると、今でも年間20兆もかかっている予算の中の国債費が激増して予算が組めない。のみならず、金利が上がるということは、既発債が値下がりするということです。メガバンクは大量に国債を買い込んでいるので、そうなると、膨大な評価損を抱え込むことになって、経営危機に陥る。
 要するに金利を上げることが出来ないのです。

(景気は踊り場を脱して、上向きといいながら、政府・日銀とも預金金利の引き上げは一言も口にしないのは、この所為なんですね---小生)

 残りの策は日銀引受ということにならざるを得ない。

(もう一つ、国債発行に頼らず資産売却という手があります。例えば、溜め込んだ米国債を売却する・・・
米国が怖くて出来ないかな?---小生)

そうなると、超インフレを起こしてしまう。

(少し異論があります。経済が国内で回っている時代はインフレになるが、経済がグローバル化していると、商品の価格を上げようとすると、例えば中国から価格の安いものが流れ込むので、海外から入ってこない物や資産にのみに限定したインフレになるのでは?---小生)

 インフレは起こしたくない。そこで、新規国債を発行しなくても良い状態(いわゆるプライマリーバランス)に、2010年までにしなくてはならないのです。
 そこで、最近、増税論議が盛んなわけです。しかし、増税の前に政府はやれるこ
と、やらなくてはいけないことがある。財務省は「節約では追いつかない」と言うが、そんなことはない。
 例えば、年金。基礎年金は総て税金で賄う(年金は税金として徴収する)。そし
て、所得比例の二階部分は民営化する。社会保険庁は要りません。そうすれば、7000人余の公務員は不必要になります。積立金の運用を、何故、社会保険庁というお役人に任せなくてはならないのですか?
 それに大学。大学はすべて私立にする。国立大学に付与してきた費用は、すべて奨学金にして学生に直接与える。貰った学生は、自分の好みで私立大学にも
(従来の)国立大学にでも行けば良い。・・・】 等々、熱弁を振るわれました。
 総て、ご尤もです。しかし、そうした改革は必ず既得権と衝突しますから、抜本的な国費節約策が2010年までに成功する確率は高くない!と思います。
やはり、特定の資産にインフレかな?      皆さんどう思われます?

続・土山マラソン

2005-11-08 | マラソン
残念だが、棄権しようと決めた。
 路傍のスタッフに「棄権します」と伝えると、「そこのバスに乗ってください」
 タイミング良く、横の空き地に収容バスが停車していた。
 バスに乗ろうとしたら、女性のスタッフから「ゼッケン外しましょう」と、
前のゼッケンに付いているタグ(ゼッケンNOを発信する電子部品)をちぎった。

 乗り込んで見ると、意外に混んでいる。皆若い人ばかりだ。私から見れば、皆若い人で不思議はないが。
残念そうな顔をしている人は誰もいない、けろっとした顔をしている。「この天候
じゃ、仕方ない」と割り切っているようだ。
 これでは、729名の出場ランナーのうち何名が完走するかな?とふと思う。
 ぐしょぬれのウィンドブレーカーを脱ぐと、ランニングシャツ一枚だから寒くなってきた。毛布を借りて包まり休んだ。20分ほどして新たに待機するバスが来て、このバスはゴール地点に向かった。

 帰りは15:45のバスで亀山駅に戻った。16:45の名古屋行きに乗れた。
 電車の中で、岐阜から来たHさんというランナーと知り合いになりました。
以下、彼との対話。
「今日は最悪の大会ですね」と小生。
「そうですよ、こんな大会は初めてですよ。風で体力を消耗しますからね。
いつもより30分も遅かった。」と完走証を見せてくれた。
「よく完走されましたね。私は31.5Kmで棄権しました」
「そうですか、私もあまりにきついので、何度もリタイヤしようかと思ったんですよ」
「無理して身体、壊したら意味ないと思ってね」
「37Km辺で、ぶっ倒れて、心臓マッサージやってるランナーがいましたよ。
棄権するのも正解です」と慰めてくれた。
「これだけきついコンデシヨンでは、そういう人がいても不思議でないですね」
 等々、話し込んでいるうちに、あっという間に、名古屋。
「また、どこかでお会いしましょう」と分かれ、6時半帰宅しました。
 夜、衛星放送で「ちあきなおみ」を見て、その後、メールを見たら甲府のM君から「どうだった?」のメールが入っている。
返事を出しておいたら、翌日電話がきた。
「(歳を考えて)もうフルは引退したら・・」
「満70歳までは絶対続けるよ!」と、懲りない小生でした。 

土山マラソン

2005-11-08 | マラソン
 6日朝、7:09の関西本線亀山行きに乗車。8:19亀山に着く。駅前に待機していたマラソンランナー専用バスに乗り換えるが、この時パラパラと降りだした。会場の甲賀市土山町体育館まで約30分、誰も口をきかない。見ると、半分は居眠り。朝早かった人だろう。あと半分は、バスが空いていて二人がけのシートに皆一人で坐っている所為もあるが、口をきかない。前を見て緊張した面持ちで、精神を集中しているようだ。実際、42Km走ろうと思うと、相当覚悟を決めないと走れない。
 バスを降りると、本格的に降り出してきた。「ランナー歓迎」の垂れ幕が強風に音をたててはためいている。風が出てきた!
最悪のコンデシヨンになってきた。それに冷たい雨!

 雨に備え、ランニングシャツの上に、ビニールのウィンドブレーカーを羽織る。
 スタートは 10:25女子フル、 10:30男子フル
        10:35女子ハーフ、10:40男子ハーフの順でスタートした。
 スタートして13分、ゲストランナーの市橋有理選手(シドニーオリンピック日本代表)が追いついてきたが、大勢のランナーに囲まれて、小柄の彼女は良く見えなかった。20分余で、これもゲストランナーの早田俊幸選手に追い抜かれた。
 7Kmあたりで青土(おうど)ダムが見えてきた。いつもなら一番景色のよい場所だが、とにかく風が強くて、景色など見ている余裕はない。風が渦巻くように前から、横から、後から吹き付ける。向かい風だとなかなか進まない。後から押される時は楽だが、横から吹き付けると帽子が飛ばされそうで、手に持って走る始末。
 10Kmを61分で通過、14Kmで「頑張ってますね」と、更衣室で隣り合ったハーフのランナーが抜いていった。
 18Kmから19Kmまでが一番の急勾配で50mほど駆け上がる。
ここで、すっかり体力を使い果たした感じで、20Kmこそ2時間4分で通過したが、それからが難行苦行、風も雨も一向に止まない。へとへとに疲れ、
30Kmが3時間15分、この間の10Kmを71分かかっている。
 30Kmを過ぎた時、背中に異常を感じたので、手を後に回して確認したら、
背のゼッケンを4箇所安全ピンで留めていたのだが、上の二箇所が強風で引きちぎられ、反転して垂れ下がっていた。
 最近は、ほとんどの大会が、経費節減のためゼッケンを布でなく紙で作る。強度が弱い。
 31.5Km。給水場である。スタッフに駆けより「背中のゼッケン付け直して!」

 水を飲み、また駆け出そうとした時、ぐらぐらとした。真っ直ぐ走るつもりなのに身体が右左に揺れた。
この瞬間、駄目だ!と思った。疲労が極限まで来ている。(続く)