古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

動的平衡

2018-08-18 | 読書

「動的平衡」の2,3が面白かったので、最初に出た「動的平衡」を図書館で探してきた。

2009年2月の刊行である。後がきにこうあった。

「マリス博士の本を訳した福岡ハカセですよね。マリス博士も面白いですが、福岡ハカセにも興味があるので一度おあいしませんか。」10年ほど前こんな電話があって、『ソトコト』という不思議な題名の環境雑誌の編集部に出掛けた。「ソトコト」誌上に記事を連載することになった。その連載記事を再編集し成書化したのが本書である。

なるほど面白い記事が多い。

一つ。

何故大人になると時間が早く感じるようになるのか。誰もが感じるこの疑問は、なかなか納得できる説明が見当たらない

例えば、3歳の子供にとっては、1年はこれまで生きてきた人生の3分の1であるのに対し、30歳の大人に対しては30分の1だから・・・・

 良く聞く説明だが、これは答えになっていない。確かに自分の年齢を分母にして1年を考えると年をとるにつれ1年の重みは相対的に小さくなる。

 しかしここで重要なポイントは、私たちが時間の経過を「感じる」そのメカニズムである。自分たちの生きてきた時間を分母にして時間を測っているだろうか。

 私たちは自分の生きてきた時間を実感として把握していない。したがってこれを分母として時間感覚が発生しているとは考え難い。時間経過の謎は私たちの内部にある時間感覚の曖昧さと関連強いるというのが、私に仮説である。

 外部からの時間情報がなく(つまり、体内時計のみで時間を知る場合、30歳の1年と3歳の1年はどちらが長いか。

 

 ほぼ間違いなく30歳の時の21年が長いのである。

 それは「体内時計」のしくみに起因する。細胞分裂のタイミングや、細胞分化プログラムなどの時間経過は。タンパク質の分解と合成のサイクルによってコントロールされている。もう一つの厳然たる事実は、私たちの新陳代謝速度が加齢とともに確実に遅くなること。つまり加齢とともに体内時計はゆっくり回ることになるのだ。

 齢をとると1年が早く過ぎるのは、「分母がおきくなるから」ではなく、実際の時間の経過に自分の生命の回転速度がついて行けていないからある。

 もう一つ。

 たとえば1000キロカロリーの食事を一挙に食べると体脂肪が100グラム身体に付くとしよう。10回に分けて100キロカロリーずつ食べたらどうなるか。同じく100グラム脂肪がつくと思う方が多い。しかし実際はそうならない。

私たちはふだんインプットとアウトプットが比例関係にある現象に慣れている。というより脳は比例関係以外の関係を理解するのが苦手である。

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは比例関係=線形性を保っていない。非線形性をとっている。インプットとアウトポットの関係は多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたようなシグモイド・カーブをとる。

 たとえば音楽を聴くときにヴォリュームダイヤルの回し具合と音量の関係を考えてみるとよくわかる。ダイヤルをひねっていくと最初音はなかなか聞こえてこない。ところがヴォリュームがある位置を超えると急に音が大きくなる。それ以上になとダイヤルの回転に応じて音が大きくはならない。摂取カロリーと体重増加の関係も、インプットの小さい領域えは、アウトプットの立ち上がりは低く、おそらく2g程度にしかならない。だから10回繰り返しtも体重増加は20gで済むことになる。

 余剰なエネルギーを身に着けない方法の一つは余分な運動をすることです。しかし、一度体内に入ったカロリーを運動で燃やすためには創造お以上の運動量が必用である。500キロカロルー(ショウトケーキ一個分)を燃焼し尽すには、水泳なら平泳ぎで1時間、ジョギングなら10km走らないといけない。

 あなたはショートケーキ一個を食べるために1時間の運動をする気力がありますか?

 


EVと自動運転

2018-07-28 | 読書

「EVと自動運転」(岩波新書、鶴原吉郎著、2018年5月刊)を大学図書館の書棚に見つけて読みました。とても面白い、その一部を紹介します。

 

ブラウン管テレビから液晶テレビへの移行は、エンジン車からEVへの移行に非常に似ている。ブラウン管テレビの時代には、ガラスでできた大きな真空管であるブラウン管を成型する技術や設備が参入障壁となっていたほか、ブラウン管は大きく重く、運ぶのが大変なためテレビ組み立て工場の近くでブラウン管を製造した。このため、テレビメーカーの多くは自社で製造しており、ソニーの「トリニトロン」や日立の「キドカラー」といったブラウン管技術を各社が競った。

 液晶の大型化が進んで「テレビの液晶化」が議論され始めたとき、最初に言われたのは、「解像度が低く、発色が悪く応答速度も遅い。テレビには向かない」という否定的な意見だった。だが、世界の平面テレビの趨勢は液晶一本に絞られ他の多くの方式は駆逐された。

画質で液晶より優れていた様々な方式がなぜ敗れたのか、一番の理由は、多くの企業が液晶を選び、そこに多くの投資がなされたことである。それにより部材のコストが下がり、カラーフィルターや部品材料の進化が進み、色あいの問題や、応答速度の問題が次第に改善された。なぜ多くの企業が液晶を選んだか、最大の理由はチャレンジャーだった韓国企業や中国企業に「ブラウン管技術の蓄積がなかった」から。ブラウン管テレビの経験が生かせる技術で勝負すれば日本企業に負けるのはわかっていた。そこで、蓄積がなくても参入しやすい技術に多くの企業が殺到し、液晶が勝者になったのである。液晶が最も優れた技術だから勝者になったのではなく、「新規参入企業でも勝てる可能性がある技術」と認識されたから液晶が勝者になった。

 ではブラウン管とエンジンのどこが似ているのか。エンジンもブラウン管と同様に加工設備に多くの投資、ノウハウが必要で、それは参入障壁になっており、また遠くに運ぶにはかさばるので、組み立て工場の近くで製造するのが理にかなている。エンジンの強みがそれぞれの企業の強みとなっているのも共通する。

 EVは欠点の多い技術である。HEVやPHEVに比べて航続距離は短く、充電時間は長く、高速での連続走行に現在のバッテリーは耐えられない。

 しかし、新規参入企業からみると、HEVやPHEVそれにFCVは医術の参入障壁が高すぎるのであり、先行企業に追いつく見込みのない技術である。だからこそ、中国は国家戦略としてEV化を推進し、新規参入企業はEVで参入するの

欠点の多い技術でも、それが主流になってしまうと、は不可能を可能とする技術革新が起こる。EVは過去の技術の蓄積を無にするからこそ選ばれるのであって、EVが優れた技術だから選ばれるのではない。

トリニトロンという独自のブラウン管技術を持ったソニーは、自社のブラウン管技術に絶対の自信を持ち液晶への意向にはまだ時間がかかると踏んでいた。液晶パネルの自社生産に失敗したソニーは、「液晶テレビの負け組」とみなされた。

一方、いち早く液晶への切り替えに舵を切り「液晶テレビの勝ち組」の筈だったシャープは経営の悪化で台湾のホンハイ精密工業の傘下に入った。シャープは、技術では勝ったが、ブラウン管から液晶に移行したテレビ事業がビジネスモデルも変わったことを見誤ったのだ。ブラウン管時代には、優れたブラウン管技術を持つことが勝ち残る条件だった。これが液晶テレビの時代にも当てはまると誤認し、液晶医術を高めることが競争力の源泉だと考え巨大投資にめり込んだ。しかも、その最新パネルを他社に供給しなかった。この戦略が裏目に出た。中国企業が続々液晶生産に参入し、液晶の供給能力は急拡大し液晶パネルは急激に値下がりした。

 シャープだけではない。6000億円の巨費尾投じて尼崎にプラズマヂスプレイの巨大工場を建設したパナソニックもコスと競争に敗れ、尼崎工場は閉鎖に追い込まれた。

 つまり、液晶テレビの時代にh勝ち抜くには、、単にブラウン管を液晶に変えるだけでなく、ビジネスモデルも考え直す必要があったが、それに気づくのが遅れたことが、日本の家電メーkザーの敗因だと言える。この教訓はEVにもそのまま当てはまるだろう。


知的ヒントの見つけ方

2018-05-11 | 読書

『知的ヒントの見つけ方』(立花隆著、文春新書、2018年2月刊)を読みました。月刊文芸春秋の巻頭随筆の2014年8月号から2017年12月号までをまとめた本です。

 第二次安倍内閣が成立したのが、13年の12月ですから、ほぼ現安倍内閣の治世にかかれたものと言えます。現在の内閣について立花さんがどう分析しているかを知りたいと買い求めてきた本です。

 まずは、「文民統制の危機」(2016年11月)です。

 9月17日の安保法案恐慌採決。

 野党が鴻池委員長の不信任動議を出して議長が自民党筆頭理事の佐藤正久議員(かつてのイラク派遣自衛隊のヒゲの体調)に代わり、不信認が否決され鴻池委員長が復帰した瞬間、強行採決が一挙に進行した。

突如屈強な自民党若手議員団が入ってきて委員長席を取り囲んだ。野党議員も駆けつけ、怒鳴りあい掴み合いの乱闘シーン。怒号が飛び交う中、ヒゲの隊長が手を何度か上下に振ると、それに合わせて与党議員たちが建ったり座ったりを繰り返した。聴取不能の8分間で合わせて11本の安保関連法案の採決が全部終わっていた。高等手品のような法案さばき。目立ったのは議場の一郭から全体の指揮をとっていたヒゲの隊長の采配ぶりであった。

 軍がかかわる最重要の国策変更を元軍人が全面に出て強行突破で片づけた。わずか8分で。これを見て、軍が中心になって行動すればクーデターなんかすぐにできると思った。軍はそうした危険性を内包した組織であるから暴走を絶対にさせない仕掛けを内部に持っていないといけない。シビリアンコントロールである。

日本は軍隊を持ちながらその内部にシビリアンコントロールの原則が貫徹していないという世界でも珍しい国になったのだ。

 それから「この後イスラム国問題、どういう展開を採るのか。全く予想がつかない。そもそもあの地域における日本国の存在意義もわからない。日本は英米仏の尻尾にくっついて有志連合の一国に入っているらしいが、それについて国会でまともな議論がんされたこともない。湯川さん、後藤さんの死に安倍首相の中東における親イスラエル的振る舞いが関係いしているのではないかと言われたがこれまたほとんど議論されていない。彼らを殺害した黒服の死刑執行人の方はアメリカの無人機で狙われ殺されている。話の背後に何らかの大義が認められるなら、まだ読む方も救われるが、殺害の意義など誰も論じない。一連の事件は空しい話ばかり。日本国の側に大儀があるのかといえばそれもない。大義のない者同士が空しい死闘を繰り広げる時代になってきている。」(2016年2月号)

「最近政治というものは面白いものだと思っている。何が面白いって、政治の世界ではたびたび思いもかけなかったことがハプニング的に起こり、それまで「これで決まり」と思われていたことが、突然ひっくり返ることがあるからだ。」

 何の話をしているかと言えば、最近に週刊文春の記事である。

『安倍一驚時代の陥穽』と題する文を読みだすと、

「最近も週刊誌のスクープでいろんなことあったと思った。」ここで言っているのは最近の出来事でなく「甘利経済再生大臣のあっせん収賄の話。二年前の話だった。「最近日本と言う国は、妙に一般道徳水準が弛緩して勝手なら起こり得なかったことが平気の平左で起こる国になった。」

 「首相の施政方針演説も美辞麗句を並べているが、一億総活躍社会だの、アベノミクス3本の矢だの、もっともらしいが、美辞麗句の裏側は、実は怪しい運転技能しかもたない運転手が日本国民みんなを載せたツアーバスを猛スピードで運転しているのに等しい。(2016年3月号)

「日本の政治は小選挙区制に移行してから、政治家のスケールが、中選挙区制の時代とくらべて驚くほどちいさくなってしまったようである。」

 

 甘利大臣の口利き疑惑、宮崎健介議員の妻の出産目前の不倫で議員辞職など、日本の政治家はどうなってしまったと唖然とするような話ばかりだ。

これらの一連の出来事に真正面からぶつかる形で発せられたのが、日銀のマイナス金利政策。

この政策が日本の手詰りに陥りつつあった金融政策にどのようなプラスないしマイナスの効果をもたらすのか、いまのところまだ何とも言えない。NHKの「日曜討論」で、識者を集めてその功罪を語るというので、聞き入ったが、わかったことは何もなかった。というよりも、識者たちもみんな確実なことは何もわかっていないことが分かった。教科書に書いてあるようなことはわかるが、それ以上のことは、経済に関してはやってみないとわからないことが多すぎるというのが正直なところだ。日本に限らず、いま各国でマイナス金利の世界にあしを踏み出そうとしているところが多いようだが、各国とも、その世界に死を踏み入れたら何が起こるか、必ずしもわかっていないようだ。(2016年4月号)

最後に、立花さんの心配。

「日本人はみな、米国と北朝鮮の戦力の差は圧倒的な差があるものだから、金正恩がいくらバカでも(相当のバカにはちがいないようだが)本当の戦争をするところまではいくまいとタカをくくっていて、まだ本当のパニックを起こすところまではいっていない。

しかし歴史的には、現状以上に戦争なんてありえないと思われる状況から本当の戦争が起こってしまった事例は沢山ある。そろそろ日本人も本気でリアルウオーが朝鮮半島で突発してしまうことを警戒しはじめたほうがいいのかもしれない。トランプも金正恩も同じ程度にアタマが少し狂っているから、戦争の発生を本気で心配すべきところまで来ているのではないかと思う」(2017年12月)


「産業革命以前」の未来へ

2018-05-10 | 読書

先日、野口悠紀雄さんの「入門ビットコインとブロッくチェイン」(2018年1月刊)をこのブログに取り上げました。7日、大学図書館の棚を診ていたら野口さんの『「産業革命以前」の未来へ』という本を見つけた。こちらは2918年4月の刊行です。

 野口さんは、何を言いたいのか、手に取ってみた。最終章でこう述べる。

「資本主義経済が衰退する」という指摘が、リーマンショック以降しばしば聞かれた。長期停滞の原因として、フロンテイアの消失をあげる意見である。すなわち、資本主義とは富を周辺から中心に集中させる仕組みだが、現在の世界には周辺が残されていないため、資本の収益率が低下し、資本主義が終焉せざるをえないのだという。確かに、地球上での、地理的なフロンテアは、ほとんど消滅したと言えるだろう。

 しかし情報・通信技術は、空間的な限界を超えてフロンテイアを広げている。フロンテイアは、新しい情報技術であるAIや「ブロックチェイン」によって、さらに拡大しつつある。

 長期停滞という面で本当に大きな問題を抱えているのは、じつは日本である。

 日本において、高度成長期と現代との違いは、フロンテイアの有無だといわれることが多い。日本からはフロンテイアが消滅してしまったという考えが一般的だ。しかし、フロンテイアは与えられるものでなく、積極的に作り出すものだ。人口が増加しなくなったからと言って、日本経済にフロンテイアがなくなったわけではない。新しい技術によって広がったフロンテイアが重要である。

 日本とドイツは第二次大戦後目覚ましく発展し、経済活力の点で、アメリカ、イギリスを抜いた。これは、日本の経済組織がその当時の技術に適合したものであったからだ。日本の製造業は、産業革命型のものだった。

 日本の高度成長期は、巨大企業の成熟期だった。ビジネスモデルは、すでにアメリカ企業によって確立されていたから、ひたすら成長し、大きくなることを目指せばよかった。その状況は1980年代から大きく変わった。にも拘らず日本の企業や産業構造は何も変わらなかった。日本の失敗の真の原因は、ビジネスモデルの基本的な方向が間違っていることだ。状況が変化したのなら、ビジネスモデルの方向も大きく変わらないといけない。

本書の「はじめに」ではこう述べている。

『本書では、大航海時代から産業革命を経て、現在に至る長い歴史の流れを見る。

いまどく「大航海時代を振り返る」などと言うと「時代錯誤」と思われよう。確かにこれは、500年も前のことだ。世界はその時と同じような大変化を迎えようとしている。それは一言で言えば、産業革命以前の独立自営業の世界への「先祖がえり」だ。

産業革命以降のビジネスモデルの基本は、さまざまな工程を一つの企業の中に統合し、組織を大規模化することで、効率化を図ろうとするものだった。しかし、1990年代以降、新興国の工業化や情報・通信技術の進歩でこの基本が変わりつつある。

 新しい経済において重要なのは、大組織の中で決まりきったことを効率的に実行することではなく、まったく新しいビジネスのフロンテアを見出すことだ。

 本書の基本的メッセージは、「産業革命によって垂直統合化、集権化、組織化が進展したが、あたらしいい経済の最先端は、それ以前の時代の分権的モデルへと先祖がえりしつつある」

 具体的事例として、ITの登場による産業構造の変化を、そして新しい情報技術である「AI」と「ブロックチェイン」が未来に向かって新しい可能性を切り開きつつあることを述べえる。

 最後にうした諸変化が現在の中国では同時に進行しつつあることに注目すべきだと述べる。


ビットコイン、仮想通貨

2018-05-07 | 読書

最近新聞で「仮想通貨」とか「ビットコイン」なる言葉を聞く。意味が良くわからないので、勉強してみようと、PHP新書「入門ビットコインとブロックチェイン」(野口悠紀雄著、2918年1月刊)を買ってきました。

節ごとに、質問とその答えという書き方で、かなり分かり易く工夫された書き方の本でしたが、通読してやはり難しい内容でした。それで、読後私の解釈による「仮想通貨」を以下に記してみます。

 インターネットで、メールが使えるようになって便利になりました。しkし、メールは文書や写真を送れますが、お金を送ることが出来ません。そこでお金を送る技術が工夫されました。それがブロックチェーンです。そしてブロックチェーンで使われるお金が「仮想通貨」です。インターネットを使って現金の清算をする仕組みはクレジットカードがあります。しかし、クレジットカードの清算にはコストがかかります。買う側はコストがかかりませんが、売る側はコストがかかっているのです。ブロックチェインという技術を使うと、ほとんどコストゼロで送金、清算が出来るのです。「仮想通貨」をつかわなくても円にブロックチェインを適用すればいいのでは?そのとうりです。しかし海外取引を考えるとドルやユーロを使わないといけない。むしろビットコインという海外でも共通の仮想通貨を使った方が便利です。

 ビットコインはコンピュータサイエンスの進歩により可能になった大きな技術革新で、将来に向けて大きな発展が期待されると、野口さんは説きます。

 電子マネーとビットコインはどう違うか、

①    電子マネーは国際取引には使えないが、ビットコインは世界的な通貨です。

②    電子マネーは円での価格が固定されるが、ビットコインは価格変動します。

ビットコインの時価総額は、2017年11月上旬に1233億ドル(約14兆円)。日本の株式会社でこれを越えるのはトヨタ(約23・4兆円)しかない。しかし日本の通貨である日銀券の残高は約100兆円です。

ビットコンには価値の保証はありません。しかし、これはビットコインだけの話ではありません。日銀券も兌換銀行券ではないので。価値のバックアップはない。人々が日銀券を受け入れるのは、「他の人が受け入れる」と思うからです。

 しかし、大きな違いは円やドルには日銀やFRBという管理者がいます。しかしビットコインには管理者がいません。

ビットコインの利用が広まって、いまの通貨制度を代替する可能性はあります。ただ現在のところ仮想通貨の普及度は極めて低いので話にならない。

 しかし、ビットコインが銀行の預金通貨を代替するようになれば、銀行は信用創造できなくなる可能性があります。

つまり、ブロックチェイン以外のフィンテックはブロックチェインのように革新的なものではありません。それらは日常生活を便利にするのは事実ですが、社会を根底的に変えるものではない。本当に重要な変革をもたらすのはブロックチェインです。

これまで送金などの経済的取引は、銀行など、信頼を確立した機関が管理していました。ブロックチェンは、そうした管理主体の代わりにコンピュータネットワークが取引の正しさをチェックします。この意味で、ブロックチェインはこれまでのものフィンテックとは全く次元が違う技術で、経済や社会に大きな変化をもたらす、と野口さんはいいます。

 

ブロックチェインは電子的情報を記録する新しい仕組みです。取引記録はネットワークの参加者全員で台帳に記入し管理します。10分間に世界中に起きたビットコインの取引データを「ブロック」というまとまりに書き込みます。主な特徴は管理者が存在せず、自主的に集まったコンピュータが運営している。記録は改ざんできない。不正が困難な分散管理的な取引台帳だといいます。


西郷の首

2018-03-29 | 読書

加賀藩の足軽の家に生まれた千田文次郎は戊申、西南、日清、日露の戦役に従軍した。昭和4年4月16日、長町の自宅で眠りながら息を引き取った。翌朝の北陸毎日新聞は「大西郷首切りの千田翁逝く 線香の代わりに徳利をと剣道と酒の83年」という見出しで報じた。

『西郷の首』(伊東潤著、2017年9月刊、KADOKAWA)は千田文次郎とその友島田一郎(大久保利通暗殺の犯人)の伝記である。池田屋事件、長州征伐、天狗党事件、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、北越戦争、明治維新に伴う廃藩置県さらには、征韓論、西南戦争、大久保暗殺等々の幕末維新の事件と彼らがどうかかわっていくかを述べた小説です。これらの幕末の諸事件、小説で詳細を知り得ました。

 「幕末から明治を走り抜けた一人の男は、今でも野田山から金沢の街を見守っている」としめくくっている。

著者は早稲田大学卒業。卒業後、日本IBM(株)をはじめとした外資系企業に勤務]。2002年頃から執筆活動を開始。2003年(平成15年)北条氏照の生涯を描いた『戦国関東血風録』でデビューする。2006年に独立し、コンサルティング会社の経営と執筆活動を並行して行う。2007年(平成19年)、武田家の滅亡を多視点の群衆小説として描いた『武田家滅亡』(角川書店)にてメジャーデビューする

21世紀に入ってデヴューした作家だが、着眼点の面白い作家だと感じました。


脳には妙なクセがある

2018-03-20 | 読書

『脳には妙なクセがある』を読みました。もっとも印象に残った記述を要約します。

「心が痛い」、「胸が痛む」という表現があります。物理的な刺激があるわけでもないのに、「痛み」という比喩を使います。心が痛むのは人類共通の症状のようで、この隠喩は多くの言語に存在します。

 米カリフォルニヤ大のアイゼンバーガー博士らの研究が有名です。

 ボールトスのテレビゲームを用いた実験です。3人でバレーボールの練習をする。テレビゲームを通じて他のプレヤーとボールトスをする。相手の二人は実際にはヒトでなく、コンピュータです。

 ゲームの参加者は、はじめは皆でボールを回して楽しんでいるが、相手の二人にボールお回してもらえなくなる。自分以外の二人だけが目の前で遊ぶ。つまり除け者にされる。グループからの孤立、社会からの孤立、心の痛む瞬間です。この時、脳はどう反応するか。13人の実権参加者の脳の活動を検査すると、大脳皮質の一部である「前帯状皮質」が活動することが分かった。前帯状皮質は身体の「傷み」の嫌悪感に関係する脳部位です。手足など、身体が痛む時に活動する脳部位が、心が痛む時にも活動した。

 ヒトは社会的動物です。社会から孤立すると生きていくのがむずかしい。ですから、自分が除け者にされているかかどうか敏感にモニタする必要があり、そのための社会監視システムに痛みの神経回路を使っているのです。

 最近、さらに示唆に富む実験デタが報告された。眼球を右に動かすときと、左に動かすときの「頭頂葉」の

活動を記録した。次に足し算と引き算をしているときの頭頂葉の活動を調べた。

「計算を行うとき、私たちは左右の伸びる数直線をイメージし、足し算の場合には、線上を右にシフトする仮想的な視点移動をおこなっている」と推測されるのです。

 こうした一連の発見を推し進めると、「一見抽象的に見えるヒトの高度な思考は、身体の運動から派生している」という仮説が生まれます。

 進化をさかのぼれば、もともと原始的な動物は物質環境の中で身体運動を行っていた。そして、この運動を統制するための装置として、筋肉と神経系を発明しました。この神経系をさらに効率的に発達させた集積回路が、いわゆる「脳」です。

 ところが、脳がさらに進化したとき、身体を省略するというアクロバットをやってのける。つまりこういうことです。

 脳の構造を眺めると、階層的になっている。この中で、「脳幹」や「小脳、それに「基底核」といった部分は進化的に古く、いずれも身体と深い関係を持っている脳部位です。こうした旧脳のうえに「大脳新皮質」が存在します。大脳新皮質は、しばしば「旧脳の上位にある高等組織」と言われるが、むしろ下部組織と解釈されます。

 進化的に跡から生まれた大脳新櫃皮質は、すでに効率よく働いていた旧脳を、さらに円滑に動かすための「予備回路」あるいは「促進器」でした。ところが、進化とともに脳が大きくなり、脳内の圧倒的多数を大脳新皮質のニューロンが占めるようになると、旧脳よりも大脳新皮質の機能が優位になります。

大脳新皮質は、旧脳と異なり、身体性が希薄です。解剖学的にみても、身体と調節的な連携をほとんど持っていない。ですから、大脳新皮質が主導権を持つヒトの脳は、身体を省略したがるクセが主じます。その結果生まれたのが、計算力、同情心、モラルなどの機能です。

 脳は、身体から感覚を入力して身体運動を出力します。身体運動は再び身体感覚として脳に帰ってくる。

ヒトの脳では、脳の自律性が高くなり、身体を省略して内輪ループを形成できる。この「演算」こそ「考える」という行為です。つまり、ヒトの心は、脳回路を身体性から解放して得られたものです。

 生物は進化の初期の過程で、痛みや眼球運動などの原始的な生理感覚や身体運動の回路を作り出していて、これがきわめて効果的で汎用性の高いシステムであったため、後に身体性を排除してほかの目的に転用したのでしょう。

 ヒトにみられる高度な能力のための脳回路を新たに作るより、すでにあるシステムをリサイクルする方が開発コストは少なくて済みます。痛覚回路を「社会的痛み」の感受に転用したのは、理に適っています。

このように、本来は別の目的で機能していたツールを他の目的に転用することを「コオプト」と呼びます。一見すると高次で複雑に見える脳機能は、意外と単純な神経システムがコオプトされたものと考えてよいでしょう。

 ヒトの脳は、身体の省略という「芸当」を覚えたために「身体性」を軽視しがちです。

しかし脳は、元来は身体とともに機能するように生まれたものです。

手で書く、声に出して読む、砂場で遊ぶ―――生き生きとした実体験が、その後の脳機能に強い影響を与えます。

 脳には入力と出力があります。あえてどちらが重要かと問われるなら「出力」。脳は「出力」することで、記憶します。脳に記憶される情報はその情報をどれだけ使ったかを基準にしているので

身体運動を伴うと脳のニューロンは、伴わないときの10倍活動するのです。

 最後に、脳と言語について。

言語と脳はそれほど長い付き合いではありません。

脳の原型が完成したのは5億年ほど前と推定されます。一方、言語が生まれた時期は諸説あるが、およそ10万年前としましょう。

脳が誕生してから現在までの5億年を1年間に短縮したとすると、脳に言語が生まれたのは、12月31日の夜10時以降です。

 


新刊本3冊

2018-03-09 | 読書

3月6日、丸善名古屋店に出掛けました。

翌日の7日、3ヶ月に一度の前立腺がん診断で医療センターにいくものですから、

待ち時間に読む本を見つけようと、文庫・新書の棚を眺めました。

「これは面白そう」という本を3冊見つけました。

新潮文庫池谷裕二著「脳には妙なクセがある」

はじめに(前書き)に「1等賞をとる気分は最高です」とあった。

「一等になったことはない!」って。いや一回はあります。自分がまだ若かった頃。あまりに昔のことで、記憶にないかもしれませ臥、生まれる前、まだ精子だったころ、水泳で1等賞を摂りました。その因果でヒトとしてうまれたんじゃないですか」

文春文庫、葉室凛著「河のほとりで」

昨年末、急逝された時代小説の作家の最新のエッセイ集です。最近出た時代小説の解説が載っていました。

それと合せて司馬遼太郎の小説を解説していました。

講談社現代新書、井上寿一著「戦争調査会」

東京裁判について、戦勝国の一方的な裁判だという批判があります。私が思うに何百万の犠牲者をだし国富を消尽し、

あまつさえ近隣諸国に多大な迷惑をかけて、勝つ見込みのない無謀な戦争に踏み切ったのはのは誰が悪かったか、日本人自体が原因を調べるべきでは、と考えています。ところが既に日本人が調べていたのですね。幣原内閣の折、「戦争調査会」なる組織を立ち上げ、調査してその結果を公刊していたのです。そのいきさつと内容について解説した本書が昨年末刊行されたのです。、、

以上3冊を買い物籠に入れました。読み終えたら感想、概要をブログで紹介しますので、ご笑覧ください。

 


生き物は円柱形

2018-02-28 | 読書

 

本川達雄さんは、「ゾウの時間ネズミの時間」や「ウニはすごいバッタもすごい」(中公新書)。さらに生物学的文明論(新潮新書)などユニークな著作がある。

 大学図書館の新着本の棚をみていたら、「生き物は円柱形」(NHK新書)があった。今年の1月の新刊本である。本川先生の新刊かな、手に取ってみたら、20年前にNHKライブラリーで出て、久しく絶版であった本を書き直した本とのこと。ならば、「ゾウの時間、ネズミの時間の発想の原点を読むことが出来るだろうと借りて読むことにしました、

 生物宇の分野では、遺伝子、細胞、タンパク質など目に見えない分野は分子生物学のめざましい進歩があり、あっという間に古びていく。ところが目に見える分野は、そう変わっていない分野。。いわば、古典的生物学を、本書では取り扱っています。

そうはいっても本川先生の著作ですから、視点がユニークです。

「生物は円柱形」です。

例えば木の幹は円柱形です。枝も根もそうです。円柱形が組み合わさって木が出来ています。

私たちの身体はどうか。指は円柱形です。腕も円柱形。脚も胴体も首も円柱形です。

身体が円柱形そのものという生き物も沢山います。ミミズ、カイチュウ、ドジョウなど。

 体の内側を見ても、血管も気管も腸も神経も、骨の多くも円柱形です。

 

 この円柱形は球から進化しました。

生命の進化の過程においては、まず身体が細胞一個だけからできている小さな単細胞生物が出現しました。たぶん最初は球形をしていた。細胞膜は油の幕ですから、表面張力によって表面積がもっとも小さい球になった。

 この球形を出発点にしてサイズがだんだん大きくなってきた。

 生物が新しい機能を獲得するには新たなタンパク質や細胞が必要になる。当然それを入れるスペースが必要になる。

 球形のまま生物が大きくなると、都合の悪いことが生じます。球は体積当たりの表面積が一番小さい形です。

そもそも表面積は生物にとって非常に重要。外界と接するのが表面ですから、食べ物や酸素などエネルギーのもとは表面から入ってくる。

 表面積を大きくするには平たくすればいいのですが、平たい形は身体をさえられない。

力が加わってもつぶれることなく体を保つのは骨格系の仕事で、身体の形とは骨格系の形です。

 球から変形して、強さを保ちながら表面積を確保するには、丸い断面のまま細長くなるのが一つの方法です。

 こうして表面積の問題は解決できたのですが、新たな問題が生じました

 球形の膜構造物なら、膜はどの方向にも同じ大きさの力で引っ張られています。ところが円柱形になると、丸い周方向の働く力と軸方向に引っ張る力が同じにならない。(円周方向に引っ張る力は長軸方向の二倍になってしまう。)

この問題は繊維を円筒に巻き付けて補強すれば解決できます。繊維を長軸と54度44分の角度にまくと円周方向と長軸方向にかかる力が等しくなります。

ミミズでもカイチュウでも円柱型の動物の体壁中には、コラーゲンの繊維が交差するように走っています。

 しなやかに体を変形させ運動する必要がある動物では、交叉螺旋の補強法が採用されている。例外があります。ペニスです。直行系です。コラーゲン繊維は周方向と軸方向に直交しています。

 ペニスは働くときには中に水(血)の詰まった円柱です。曲がらずまっすぐでないと用をたしません。変形しないものは、補強繊維が交叉螺旋である必要はないのです。

曲げに対する抵抗は直交系の方が大きいのです。

と、説明していますが・・・・・

 


人工知能

2018-02-27 | 読書

『人工知能の「最適解」と人間の選択』(NHKスペシヤル取材班著、NHK新書、2017年11月刊)を読みました。

「NHkスペシyルで放映された「人工知能」を本にした書です。以前、この筆者グループと羽生善治との共著『人工知能の核心』(NHK新書)を読んで面白かったが、その続編と言うことで、早速読むことにしました。

第1章「最適解」と神の一手

 将棋の佐藤名人が人工知能と闘う電王戦のいきさつです。

第2種 研究室からリアルワーウドへ

人工知能が現場に応用される事例としてAIタクシーを解説しています。

第3章 管理される人間たちでは、

例えば、人工知能が再犯の可能性を判断するに用いられた場合の問題点を記述している。

第4章 人工知能は世界を救うか、では、AIが政治家を代行するとしたら、どういう問題が起こるかを記述している。

「人口知能をつかっている」という意識がないうちに、気づけば、人工知能なしには成り立たない生活を送っているという時代が来ていると本書は説いています。