教育について、さらにこう述べている。
【日本は、儒教的イデオロギーを封建的と称して、戦後徹底的につぶしました。ご存じのように戦後、教育勅語が消えました。教育勅語は、大変日本的な儒教思想でした。教育勅語の中身を消したのですが、その精神は綿々と今も生きている。あれを作った時の文部大臣は芳川顕正という人ですが、教育勅語にいれなかったことが二つあると言いました。それは宗教と哲学です。宗教と哲学をのぞいて造られた勅語とは何かというと「マニュアル」です。まさに人生のマニュアルです。それは自分で自分の生き方を考えるなということです。そのかわりこのとおりにやれということです。】
面白い指摘です。哲学と宗教は「自分で自分の生き方を考える」ものであり、日本の教育は、「生き方のマニュアル」を教えるものだった。マニュアルに宗教と哲学は要らないというのです。
さらに、都市の中の人間について、
【荻生徂徠は江戸の人間をさして「旅宿人である」と言っています。旅宿人はどこにも根付くところがない。
農民は違う。土地に張り付いている人たちです。自分のアイデンティテイが半分土地にある。だから名字がなくてもよかった。名字がないのは封建的なのではなくて、土地が実際にその人のアイデンティテイとして成り立っていた。】
【都市というのは、実は土地の代わりにイデオロギーを持たないと(人が)アイデンテテイが持てない】。
イスラム教もユダヤ教もキリスト教も都会で生まれた宗教と、養老さんは言う。根付くところのない都会人はイデオロギーに根付きます。「会社人間」というのは、根付く地面がなくて会社に根付いた人たちだそうです。
都市の中に住んで、自然環境の制約を離れて予定どおり(意識したとおり)に生きたいというのが、都会人です。しかし、人生は思う(意識する)ようにならないもの。
【私たちが生まれて、としをとって、病を得て死ぬということには意識はいっさいかかわっていません。気がついたら生まれていて、気がついたら年をとっていて・・・・私も手帳に詳しく予定を書いていますが、私の告別式の予定はまだ入っていません。】
【ひるがえって戦後の日本を考えますと、非常に面白い。戦後の日本というのは、イデオロギーなしに急速に都市化が進んだ最初の社会ではないかと私は思います。】
戦後50年、イデオロギーなしの都市化をやってきたとなると、世界の常識をひっくり返した稀有のケースになると思います。】
哲学と宗教がないとは、イデオロギーがないというのです。
イデオロギーがないと「こうやってはいけない、ああやってはいけない」ということが何もない。
イデオロギーとは、生きていくための思想です。
最後に、ゴキブリをなぜ人は嫌うか。
都市には人間の作ったものしかない。地面も嫌って舗装で埋め尽くす。
何故、人はゴキブリを嫌うか。
【ゴキブリも人間が作ったものではありません。あれが出てくるとほとんどの人が錯乱します。どうして錯乱するのかよくわかりませんが、嫌いだということがある・・・実はチンパンジーもああいうものは嫌います。人間やチンパンジーなどのような高等霊長類の遺伝子の中に、ゴキブリなどを嫌うという性向があるのは確かですが、それにしてもちょっと嫌い方がはげしい。その理由を考えてみますと、あれも裸の地面と同じで、ヒトの意識が作らなかったものだから・・】
つまり、人工の環境の中に、「自然」(人間の意のままにならない)の生き物が遠慮会釈ないイキモノが入り込んでくるのが不愉快、だからゴキブルを嫌うというのですが、チンパンジーもゴキブリを嫌うのですかねー。
【日本は、儒教的イデオロギーを封建的と称して、戦後徹底的につぶしました。ご存じのように戦後、教育勅語が消えました。教育勅語は、大変日本的な儒教思想でした。教育勅語の中身を消したのですが、その精神は綿々と今も生きている。あれを作った時の文部大臣は芳川顕正という人ですが、教育勅語にいれなかったことが二つあると言いました。それは宗教と哲学です。宗教と哲学をのぞいて造られた勅語とは何かというと「マニュアル」です。まさに人生のマニュアルです。それは自分で自分の生き方を考えるなということです。そのかわりこのとおりにやれということです。】
面白い指摘です。哲学と宗教は「自分で自分の生き方を考える」ものであり、日本の教育は、「生き方のマニュアル」を教えるものだった。マニュアルに宗教と哲学は要らないというのです。
さらに、都市の中の人間について、
【荻生徂徠は江戸の人間をさして「旅宿人である」と言っています。旅宿人はどこにも根付くところがない。
農民は違う。土地に張り付いている人たちです。自分のアイデンティテイが半分土地にある。だから名字がなくてもよかった。名字がないのは封建的なのではなくて、土地が実際にその人のアイデンティテイとして成り立っていた。】
【都市というのは、実は土地の代わりにイデオロギーを持たないと(人が)アイデンテテイが持てない】。
イスラム教もユダヤ教もキリスト教も都会で生まれた宗教と、養老さんは言う。根付くところのない都会人はイデオロギーに根付きます。「会社人間」というのは、根付く地面がなくて会社に根付いた人たちだそうです。
都市の中に住んで、自然環境の制約を離れて予定どおり(意識したとおり)に生きたいというのが、都会人です。しかし、人生は思う(意識する)ようにならないもの。
【私たちが生まれて、としをとって、病を得て死ぬということには意識はいっさいかかわっていません。気がついたら生まれていて、気がついたら年をとっていて・・・・私も手帳に詳しく予定を書いていますが、私の告別式の予定はまだ入っていません。】
【ひるがえって戦後の日本を考えますと、非常に面白い。戦後の日本というのは、イデオロギーなしに急速に都市化が進んだ最初の社会ではないかと私は思います。】
戦後50年、イデオロギーなしの都市化をやってきたとなると、世界の常識をひっくり返した稀有のケースになると思います。】
哲学と宗教がないとは、イデオロギーがないというのです。
イデオロギーがないと「こうやってはいけない、ああやってはいけない」ということが何もない。
イデオロギーとは、生きていくための思想です。
最後に、ゴキブリをなぜ人は嫌うか。
都市には人間の作ったものしかない。地面も嫌って舗装で埋め尽くす。
何故、人はゴキブリを嫌うか。
【ゴキブリも人間が作ったものではありません。あれが出てくるとほとんどの人が錯乱します。どうして錯乱するのかよくわかりませんが、嫌いだということがある・・・実はチンパンジーもああいうものは嫌います。人間やチンパンジーなどのような高等霊長類の遺伝子の中に、ゴキブリなどを嫌うという性向があるのは確かですが、それにしてもちょっと嫌い方がはげしい。その理由を考えてみますと、あれも裸の地面と同じで、ヒトの意識が作らなかったものだから・・】
つまり、人工の環境の中に、「自然」(人間の意のままにならない)の生き物が遠慮会釈ないイキモノが入り込んでくるのが不愉快、だからゴキブルを嫌うというのですが、チンパンジーもゴキブリを嫌うのですかねー。