古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

体内の渋滞学

2007-01-30 | 読書
今度は「体内の渋滞学」という面白い話題を紹介しましょう。

車の「渋滞」は皆さんご承知ですが、人間の体内にも「渋滞」があります。たとえば、動脈硬化は、血管の内部にコレステロールがたまってその径が細くなる病気ですが、そうなると酸素を運ぶ赤血球が通りづらく渋滞を起こすのです。

「渋滞学」はASEP(Asymmetric simple exclusion process)という単純な数学モデルを用いて、諸現象を研究しています。

ASEPの簡単な例を紹介しましょう。
時刻 t  ○○●●○●○○●○○
時刻t+1 ○○●○●○●○○●○

ここで○は粒子のない場所、●は粒子が詰っている場所を示し、時刻tから粒子全体が右へ動く場合は、t+1で、右の場所が詰っているときは動けない。空いているときは、一個分右へ動くというルールで運動するモデルです。

このASEPは、生物学で細胞内のたんぱく質生成過程を研究していたマクドナルドとギブスによって1968年 考案されたモデルだそうです。

メッセンジャーRNAの上を、複数のリポゾームというたんぱく質が滑っていって、たんぱく質合成に必要なアミノ酸を判断し、トランスファーRNAがそのアミノ酸を運んできて、たんぱく質を合成するのだそうです。

 そこで問題になるのが、リポゾームがmRNAの上で渋滞しないか?

 これを研究するためにASEPというモデルを使って研究をしたのだそうです。

 体内の渋滞のもう一つの例、脳の神経細胞です。
核が存在する「細胞体」から「軸索」と呼ばれる部分が長く延びています。

軸索の先端でのシナプスの活動に必要なたんぱく質は、まず細胞体で合成してからはるばる軸索内を輸送する必要がある。この時運び屋をやるのが、キネシンとかダイニンとかいう分子モーターです。

ここで、この運び屋が渋滞することが問題になります。

というわけで、最初、分子生物学で「渋滞学」が発達して、その理論が車の渋滞にも応用できるということです。
学問の進歩って面白いと思いませんか?(以下、続く)



インターネットの渋滞

2007-01-28 | Weblog・人生・その他
『先に送信したメールがで後になり、後から送信したメールが先に配信された』と言うのですね。
 これは、インターネットの回線が混雑して渋滞した時に起こる現象ではないでしょうか。

 車に例えると分かり易いと思います。XさんとYさんが同じ出発地から同じ目的地Tを目指してそれぞれ車で出発します。Xさんは先に出てA号線を走ります。ところが道路が渋滞するのにいらいらして、途中からB号線に乗り変えてT地を目指した。後から出発したYさんは、A号線のままで走行した。ところがB号線がA号線よりもっと混雑して、YさんのほうがXさんより先に着くということは、時たま起こるでしょう。

  インターネットでも同じことが起き得ます。インターネットは、www(World wide web)という言葉のように、回線が世界中をネットワークになって構成されます。ですから、そのとき空いていると思われる回線の方に走っていくのですが、途中でそちらの方が混雑して遅くなるということは、稀ですが、起こる確率はある。

 ただし、車とインターネットは違いがあって、インターネットの場合、メールはパケットという部分に分割(たとえばケイタイだと64文字ずつに分割される)して、数パケットずつが一塊で送信され(それぞれ別の回路を通るかもしれない)、先方では全部のパケットが着いたとき、もう一度元のメールに組み立てられるそうです。そして、着信したという連絡を送信元に送るのです。送信側は、一定時間内にこの連絡が来ないと、再送信するそうです。何故再送信するのかというと、パケットが途中のルーター(車では道路の信号と考えてください)で渋滞のため待たされることがあります。この待ちに容量制限があって、容量以上になると、はみだしたパケットを消してしまうそうです。車はいくら渋滞してもなくなってしまうことはありません。ここもインターネットと違いますね。

 以上は、「渋滞学」(新潮選書)を読んで得た雑学です。

 

「ひかり」と「のぞみ」

2007-01-24 | 経済と世相
 今日は喫茶店のランチで昼をすまそうか、と近くの喫茶店にでかけました。椅子に座って備え付けの週刊誌をのぞいていて、曽野綾子さんの寄稿を見つけました。

 「ひかり」と「のぞみ」のジパング割引について、私が日頃思っていることと、全く同じことを書いていましたので、思わず笑ってしまいました。

以下、その部分を紹介しますと、

【数年も前から私はJR6社に有効な「ジパング倶楽部」に入って高齢者用の運賃割引のシステムを利用するようになった。乗車券、特急料金、グリーン料金などが30%割引になるのだから、確かに定年後の引退した年金生活者が旅行を楽しむにはうってつけの制度である。

 秘書は私に「ひかり」と「こだま」に201km以上乗る場合には割引の対象になるけれど、一番早い「のぞみ」に乗る時は、乗車券分しか割引になりませんと警告してくれた。

 その頃から、「ひかり」の本数はぐんぐん減っていった。・・・

 ある日、私は新幹線の中で、時刻表を仔細に眺めて時間つぶしをしていた。割引の効く「ひかり」だけを使って博多まで行くにはどうしたらいいのだろうか。と興味を持ったのである。列車の時刻表だけでアリバイを作るという手口の新鮮さは、松本清張さんなどが推理小説で使われて、何度でも楽しい思いで騙されたものだ。

 私は朝一番の「ひかり」で東京を発つ自分を想像した。今は博多まで乗り換えなしで行く「ひかり」はないから、新大阪か岡山でそこを始発とする「ひかり」に乗り継げばいいのだが、朝一番に出る「ひかり」361号は東京発6時36分。新大阪に着くのは9時36分。皮肉にもそれに連絡してほしい「ひかり」453号は9時35分発。つまり厳密には1分前に出てしまっているのだから、9時59分まで待つことになる。

 次の「ひかり」401号で東京7時6分にを出るも面白い。この列車は新大阪着9時59分。一見連絡していそうな博多行き「ひかり」455号の出発時刻はまったく同じ9時59分。・・・若者なら飛び乗って間に合うかもしれないが、「ジパング倶楽部」は高齢者対象なのだ。しかも到着は新大阪駅の24番ホーム、出発は20番ホーム・・・

 こうした意地悪は、「ひかり」割引をできるだけ使わせないための作為としか思えない。「儲からない客はできるだけ乗せないようにしましょうや」「それなら乗換えができないような不便な時間割を作ることだな」と言うような会話も聞こえてきそうだ。・・・

 私は思い込みと意地悪の精神がひどいから、こういう空気を作るのは天下りのお役人が大勢いる組織の特徴だと思っている。だから会社は利潤を上げたかったら、やはり天下りを一掃することだと考えることにした。】

去来と長崎

2007-01-20 | マラソン
 16日、朝8:15の船に大師匠と乗船。埠頭から長崎駅まで、腹ごなしに歩き、大師匠と別れ、9時ごろ駅に着いた。特急かもめは9:30発。土産でも買うか、と駅ビルの売店をのぞく。やはり、長崎土産は「かすてら」が定番かと買い求めると、店のPR誌をくれた。出発した特急の車内で読んでみたが、気の利いた冊子だった。
 芭蕉の弟子、去来と長崎の話が載っていました。筆者は高橋陸郎氏(詩人、1937年生れ)。一部を紹介しましょう。

  去来は慶安4年(1651)、長崎の儒医向井元升の次男として長崎後興前町に生れる。長じて京都に上るが、次弟が長崎の役人であったので、元禄元年、
長崎に下向するなど長崎と縁が深い。
 去来の長崎関連の句。

 いなづまや どの傾城と かり枕(丸山にて)

 この句は、料亭花月の前の碑に刻まれている。いなづまは稲妻と表記するが、
正しくは稲夫だろう。あたかも天の射精のように閃くと、稲に実が入る、と信じ
られたことによる命名。同時にそこには丸山の遊女が客にとるという紅毛碧眼のオランダ人の俤もほの見えなくもない。
 そんな遊び心も持った去来のこと、俳諧の席で長崎の話をしたこともあったろう。俳諧の席とはけっして真面目一方の席ではない。・・・それにしても、芭蕉が大阪で命を落とすことなく、長崎まで足を伸ばしていたら、どんな知新流行の句が生れたことか。いや、以後の俳諧の歴史もどんなに華やかなものになっていたことか・・・

他に
 見し人も 今は孫子や 墓参り(長崎盆会にて)
 世を海に 高飛びしたる 水鶏かな(長崎へ赴く道中)
など。

 博多で11:59のレールスターに乗り、新大阪で乗換え名古屋駅へは16:12着でした。

 伊王島で乗船してから8時間の旅ですから、やはり長崎は遠いと実感した4日間の旅行でした。


ビジネスホテルとリゾートホテル

2007-01-19 | マラソン
 最近、小生のホテル手配はすべてインターネットです。14日の泊りも、インターネットでAPAホテルが12月から博多口に開業したことを知って、予約しました。全日空ホテルの向いの裏通りにあった。フロントには、二人のスタッフが坐っていたので、予約してある旨伝えると、
「チェックインは、この番号で、その機械を使ってください」と言う。
自動チェックイン機は、現金でもクレジットカードでも良い。支払うとルームキーが出てくる。これは全自動ホテルだな、と思った。それならフロントのスタッフは一人でも良いはずだが、防犯上二人いるのだろう。


 面白いのは、TVの有料チャンネルと電話の支払いが同じカード。千円で買ってきて(これまた廊下の自販機で買う)TVの挿入口に入れると、外線が繋がる。チェックアウトで1階の清算機に挿入するとお釣を清算してくれる。有料チャンネルは、ほとんど成人向け映画だから、そちらがお好きな方も、清算時、電話の清算だと思ってくれるから、便利かも?
 朝飯は、どうも全員にサービスする仕組みらしい。朝食券などなくて、1階の食堂でセルフサービス。ただし、パン(数種類ある)と珈琲のみです。

これで一泊¥4900(ネット予約で)でした。
この料金で新築ホテルを採算に乗せるには、こうした方法にならざるを得ないかも
しれません。¥100ショップのビジネスホテル版ですね。

 15日、10時の特急かもめで長崎に。大師匠と遊ぶためです。
 12時過ぎ、D社営業所を訪れ、彼の元気な顔に再会しました。
 お隣の割烹料理店でお昼。 午後、永井記念館と平和公園の高さ9.7mの平和祈念像を参観。永井博士が晩年に生活した「如己堂」という二畳一間の部屋には驚きました。

 夕方、大師匠夫妻と港から船で20分。伊王島に渡りました。その昔、俊寛僧都が流された地と言う。墓があるとか(平家物語では鬼界ヶ島とあるが、この鬼界ヶ島が何処かに諸説があって、この伊王島も候補の一つ)。炭鉱の島でしたが、閉山後、平成に入ってリゾートアイランドになりました。
 ホテルの部屋に入って「これは本格的リゾートホテル!」と思った。
部屋の広さが、欧米タイプで、日本の普通のホテルと全然違います。

 露天風呂にのんびり浸かりマラソンの疲れを取り、ご夫妻と夕食を共にして島の夜を楽しみました。(続く)

07壱岐マラソン

2007-01-18 | マラソン
 「時速10Kmで走れればよい」と思った。21.095Kmは2時間6分34秒になる。「5Kmで急坂がある、そこを走り上る力が要るからそこまではゆっくりでいこう。
 その坂の手前、「ボツボツ行きましょうね」と後から声がかかる。Uさんご夫妻がならんで走ってきた。
 坂を一気に上がれば少し離せるかな?スパートしてみた。
 約10Km弱で北側(箱崎側)を1回りしてスタート地点前まで戻り、後半は左京鼻の半島を目ざし玄海灘の風を受けて南側を東へ走る。半島折り返しでスタート地点に戻ってゴールのコースです。
 9Kmで、横を見たらUさんだ。ずっと付いて来たんだ。奥さんもいる。二人で併走している。夫婦で走れるなんて羨ましいかぎりだ。お互いに声をかけて走っているのだが、奥さんの方が声をかける頻度が多いから、婦唱夫随か?
 10Kmの給水地点で停まって水を飲んだら、すっとご夫妻が前に出た。当方は、水を飲む時ぐらい休もうと思うのだが、ご夫妻は走りながら飲んでいる。その分差がついた。また追いかける。ほぼ同じ速度で走っているが、給水地点で水を取る度に差をつけられる。私は総ての給水地点で水を飲むが、ご夫妻はパスする時もあるので段々広げられた。持久力のある走りで、ランナーを追い抜いていく。私も、去年は18Km辺で脚を痛めて速度が落ちたから、今年は無理をしない速度で行こう、と思いつつ、ご夫妻が抜いたランナーを必ず抜くことにして追っていった。
 玄海灘の海の青さが目に沁みる。半島の入口で「尊敬してます」と路傍から声がかかる。去年も同じ声をかけられた!14.7Km折り返して、今度は右に海を見る。
 「後2Km」の表示を見て前を見ると、ご夫妻との距離が100mぐらい。脚の調子も良いから追いつこうとスピードをあげた。道端から「NOZUEさん頑張って!」とご婦人の声がかかる。見ると、地元に新聞社が配布したちらし(全選手名とゼッケン記載)を手に応援の方だ。 後1kmあたりまで来たら、小学生の先頭グループに抜かれ始めた。12時スタートの小学生2Kmレースだ。小学生といってもトップグループは早い!
 尚もUさん夫妻を追って、7~8mまで迫ったところでゴール。スポーツ飲料1缶を貰い、抽選。残念、はずれです。完走証は2時間8分31秒。目標より2分、昨年より4分遅れたが、まァ 70代なのだから走れただけで良しとせねば!
 ご夫妻とお互い完走を称えて、サービスのおにぎりと豚汁を頂く。

 民宿の車が迎えに来てくれた。宿に引き上げ風呂で汗を流す。
5Kmの組はもう酒盛り中。合流して寒ブリのお刺身の昼食を頂く。
 港まで送っていただき、4時のフェリー。同宿の仲間は乗船と同時に車座になって、乗船前買い込んだビールを飲み始めたので、私も自販機で缶ビールを買って参加。80歳のランナーから、博多湾に浮ぶ島々の夕景を見ながら、少年兵で満州・朝鮮の地に辛苦した60数年前の懐旧談を伺うことができました。
 埠頭には6時25分。バスで博多駅前に。(続く)

07壱岐の旅

2007-01-17 | マラソン
 今年も壱岐の新春マラソンに出かけることにしました。13日朝、7:30発の
”ひかり”に乗車。博多まで約4.5時間ある、一寸した本1冊が読めると「渋滞学」(新潮選書)なる本を広げました。
 定刻の12時前、博多について地下街で昼食、バスで博多埠頭には1時頃着きました。乗船が1:45、船中で「渋滞学」は読み終えました。面白い本でしたが、この本の紹介は別の機会にします。
 青空が広がり、玄界灘は波静か。明日のマラソンは良いお天気に恵まれそうです。 4時前、芦辺港に到着。下船すると、港は、白亜の建物に改築されていました。聞くと昨年3月完工したと言う。前の駐車場に、民宿のマイクロバスが停まっていた。行くと直ぐに10名ほどの団体がやってきました。昨年、同宿した穂波町(今は飯塚市)走友会のメンバーです。私を覚えていてくれて「名古屋の方お先にどうぞ」と声をかけてくれる。
 「皆さんの元気な顔を見るのが毎年の楽しみです」と、民宿のご主人が相好をくづす。走友会10名と私とご主人の12名で会食の夕食。(客は他に新聞社のカメラマンが一人宿泊予定だとのことだった。)
 最初に相互に自己紹介。私が「ここのハーフは多分10回以上出場しています」というと「13回目ですよ」と、ご主人が口をはさむ。
寒ブリと烏賊のお刺身や地鶏の鍋をつついて歓談した。
 話題はマラソン大会の招待選手が今年はないこと。昨年は森下(バルセロナの銀メダリスト)、一昨年は野口(アテネ金メダリスト)など、毎年有名人を招待したのだが、ついに今年は市の財政事情で招待できなくなった。夕張ショックはこの地にまで及んだらしい。その代わり、ハーフ参加者から8名(4名は部門優勝者、4名は抽選)を、6月北海道千歳のJALマラソンに招待すると言う。
 夕食の後半はカラオケになり、小生も乗ってしまい3曲も歌ってしまった。

 翌14日は、予想通り、快晴で風もなく絶好のマラソン日和になった。Aさんが私のシューズを見て、「ナイキですね。新しい型ですか」、「1週間前バーゲンで見つけたんです」、「底がが生ゴムで、減りにくいですね」など雑談。
 8時半会場まで車で送ってもらう。同宿のランナーでは、Uさんご夫妻と私がハーフ、他は5Kmに出場だった。
 受付でゼッケンと記念品を貰う。ゼッケンは354。2年前までは年齢順だったから、3~5番だったが、昨年から運営が変わって、自動記録が導入、記録証も即時発行など合理化されたが、番号も受付順(らしい)に変わったので、残念ながら1番になるチャンスが失われた。どうも、合理化のため運営を一部アウトソーシングしたのでは?と思う。
 それに、選手名簿も昨年まで本の体裁だったが、パンフになり、ゼッケンと名前、出身のみの表記になり、残念ながら年齢表示もなくなった。
50歳以上男子は44名だが、多分70代は3~4名だろう。
 10時、ハーフ310名が号砲一発走り出した。(続く)

国策逮捕?

2007-01-12 | 経済と世相
 東京新聞特別取材班の「国策逮捕」読書感想文の最後は、「国策逮捕」についてです。

 検事総長の交代に合わせての花道作りとして、検察庁はライブドアを標的にしたという疑いが濃いというのがこの本の主張です。

 前検事総長は、小泉内閣の規制緩和に伴い、検察も、事前規制型社会ではなく事後制裁・救済型社会への転換が必要だと考えていたらしい。

 その考えに基づいて、特捜はライブドアを捜索したのだが、立件できそうなのは、粉飾決算だけで、あれだけの大騒ぎをした割には、その粉飾額も大きな事件ではなかった。

 どうせ取り上げるのなら「記憶にありません」という1億円献金を取り上げてほしかったが、迂回献金問題を取り上げると、政権崩壊になるおそれがあって、大物は立件しなかったらしい。

 このことを見ても、検察庁の考える「国策」の実態が、推定できる。
 即ち、国策捜査では、現在の支配構造を変化させる怖れがある捜索はやらないのだ。

 それにしても、ホリエモンも村上も、弁護士は皆検察OBなのは、変なものです。

 以上のようなことを考えさせられた本でした。一審の判決はどうなるでしょう。

いずれにしても東京新聞の取材班の努力に敬意を表します。

 余談ですが、ホリエモンの名称は、彼の持ち馬の名からきたと思っていましたが、漫画のドラエモンに似ているのでホリエモンと綽名され、その呼ばれ方が気に入って、彼の持ち馬にホリエモンと名づけたのだそうです。

ホリエモンは何をしたか?

2007-01-11 | 経済と世相
 ホリエモンの容疑について、この本の記述を簡単にいうと以下のようです。

粉飾決算・・・自社株を売って得た収益を当期経常利益に計上した。
(自社株は資本ですから、経常利益ではなく、資本の増加です)。
 どうして、それが出来たのかというと、
新株を発行する。
その株を使って株式交換でM&Aを行う。
子会社になったその会社の得たライブドア株を、ファンドに持ち込み、現金化した。
実は、そのファンドはライブドアが出資して設立したファンドで、持ち込まれた株を香港市場などで売却して、得た利益を配当金としてライブドアに還流したというのです。配当金なら経常利益になる。

時間外取引の違法性・・・日本放送の株を、取引時間外で大量に取得したのは、
証券取引法違反か?検察庁は、この点の立件を諦めました。

金融庁が、メガバンクの経営危機に際して、保有株の売却を、時間外取引で行うことを推奨したのだそうです。
メガバンクが良くてホリエモンはダメと言えません。

海外資金取引
 上記粉飾決算の際に、スイスの銀行に秘密口座を作ったり、香港にペーパーカンパニーを作ったり、タックスヘイブンの英領バージン諸島の会社を利用している。
 でも、これらは違法性を検証できなかったようです。

 ライブドアは、自社株還流の資金の流れを判りにくくするため、そうした資金の海外取引をしたようですが、海外取引自体は、なんら違法性はないのです。

 ホリエモン自体はITの技術者で、こうした金融上の複雑な処理は得意ではなかったようで、「違法なことをやっていたつもりはない」という彼の主張は、多分本音だろうと私は思います。
勿論違法なら,つもりがなくても、社長ですから、責任は逃れえません。
 でも、当時の法律では、違法だと断言するのは難しいと思います。

 真に問われるべき問題は、当局が「経済グローバル化に乗り遅れるな」と、
金融の自由化や直接投資の振興を急いで、穴だらけの法律を作ったことでは?

ホリエモン一派はこの穴を見つけて利用しただけ!(続く)

ホリエモン事件とは何だったか?

2007-01-10 | 経済と世相
「国策逮捕」(東京新聞、光文社、06年9月刊)という本を読みました。
例のホリエモン事件の顚末を東京新聞の取材班がまとめたものです。

 一次審の判決は今春出ると思いますが、この事件は一体何であったか、
もう一度見直してみたいと思ったからです。

私が、疑問に思うのは次の諸点です。

1.一体、ライブ・ドアはどういう行為をしたのか?
2.検察庁は、その行為の中の何をもって、ホリエモン有罪と考えたのか?
3.検察庁のいうように、本当にホリエモンは法律を犯したのか?
 ホリエモンは、多分悪いことをしたのだと思うが、ただ悪いことをしただけでは、法治国家において、処罰はできない。それが法律に違反していなかったのなら、法的には無罪なのです。
責任を問われるべきは、そういう抜け穴のある法律を作った側では?
 実際、与党と金融庁は、この事件の後いくつかの法律を改正しました。
でも、ホリエモンの行為の後出来た法律で、彼を処罰することは出来ないでしょう。
4.仮にホリエモンが有罪として、それは、逮捕しなくてはならないほどのものだったか?
先般、話題になった日興コーデアルの不正決算は、会長・社長が辞任しただけで、逮捕はされていない。日興の粉飾は、巷間伝えるところでは184億円、これに対し、ライブ・ドアの粉飾は50億円と言われる。

逮捕はいわゆる国策逮捕だったのか?そもそも、何を国策逮捕と言うのか・
5. ライブ・ドアは上場廃止に追い込まれ、同社に投資した人は損失をこうむったが、もし有罪でなかったとしても、その損失を検察庁が補償するわけではない。
 過去において、粉飾決算で訴えられたケースはあるが、それらは倒産した会社である。
倒産していない会社の経営者を、粉飾決算の容疑で、逮捕して(つまり検察によって)会社の経営が危機に追い込まれたケースはないのでは?この問題をどう考えるか?
こんな疑問があって、事件の詳細を知りたいと思いました。(続く)