古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

鎌倉の旅

2004-05-31 | 旅行
 5月28日、29日はD社の退職者の会で箱根・鎌倉にバス旅行でした。
 東名沼津、JR三島駅を経て、午後は箱根。遊覧船で芦ノ湖の風光を楽しむ。
 昔(18年も前だったか?)、芦ノ湖一周のマラソンを走ったことがある。一周2
0Km、湖の西側は立派な道路だが、東は石ころだらけの、一間も道幅のない山道を
走った記憶がある。
 箱根園で船を下り、またバスで湯本の旅館に行ったが、急に坂を下りた気圧の急変
で、耳が1時間ほどおかしかった。
 翌日は、8時半出発。またバスに乗る。湘南の海を右に見て鎌倉。
 鶴ヶ丘八幡宮の手前で左折れ、八幡宮の横を通り抜けれ建長寺に行く。大型バスが
通るにはまったく狭い道だが、芸術的な運転で駐車場に入れた。建長寺は、蘭渓道隆
の開山。彼は33歳の時に来日し、北条時頼に請われ鎌倉に来たそうである。境内に
手植えの柏槙なる樹木がある。樹齢750年余。
 仏堂は、江戸期、お江の方(徳川秀忠夫人、淀君の妹)の御霊屋を移築したとのこ
と、方丈背後の庭園は夢窓国師作と伝えられる。
 次に、道を戻り、八幡宮。舞殿は、その昔、静御前が頼朝の前で舞を舞ったと伝え
られる。「静やしず、静のおだまき繰り返し・・・」という例の舞だ。今日は結婚式
をやっていた。
 再びバスに乗り今度は露座の大仏へ。途中、東慶寺の前を通過。女性の駆け込み寺
とのガイド解説。「現代は男性の駆け込み寺が要る!」アヤノコージキミマロならそ

いうだろう。
 大仏横のレストランで食事後、見学。小生は初めて訪れたが、勘違いしていたこと
に気がついた。露座のというから、まったく露天に大仏が鎮座していると思ったが、
大仏を取り巻く建物は健在で、要するに、当初存在した大仏殿が災害でなくなったま
ま再建されていないのだ。
 大仏殿は2回大風で倒壊、2度とも再建されたが、それも海潮で流されたそうだ。
大仏自体も当初は木造だったが災害で倒壊、ブロンズで再建されたもの。
 面白いことに¥20払うと、大仏の胎内に梯子伝いに入り込むことが出来る。
(「危険ですから、子供、老人はご遠慮ください」と掲示があったが)こういうケー
スでは、老人ではないことにして入り込み、大仏内部の鋳肌を点検した。
 大仏の胎内と外からをデジカメに納めたが、「美男におわす」と歌われた美男仏に
見えるかどうか、背景の緑が目に沁みる。
 帰途は、藤沢駅に立ち寄った後、東名を目指すが、渋滞2時間余、秦野ICには4
時前。名古屋ICは7時過ぎ。ほぼ8時の帰宅だった。


司馬遼太郎は何故昭和史を書かなかった

2004-05-27 | 読書
 26日は、岐阜県現代陶芸美術館を3人の友人と見学に行きました。見学後、パー
ラ-の中で珈琲を頂きながら雑談、「どうして司馬遼太郎は昭和史を小説にしなかっ
たの?」
 そこで、私は二人のジャーネリストの意見を紹介しました。帰宅後、書棚から本を
取り出し、その意見を確認して、やはりそうなんだろな、と思った次第です。

【司馬さんの過去に書いてきた小説のさまざまな主人公を、頭に浮かべれば容易に理
解できるのではないでしょうか。・・・誰もが爽やかな快男児で、抑制のきいた美し
いサムライの倫理ときちんとした合理主義を身にそなえている人間ばかりなんです。
・・・司馬さんはそうした人たちと付き合い、限りない親愛感となつかしさとをこめ
て書いてきた。
 その司馬さんが、ですね、関東軍の服部卓四郎と辻正信という覇道と出世欲しか頭
にない魔性の参謀と、付き合う気になれなかったのは、これはもう当然と言っていい
のではないでしょうか。】
  (半藤一利「清張さんと司馬さん」NHK人間講座から)

【彼(司馬)が次々に書いた幕末明治の志士の群像譚は、国際化とハイテクと高度情
報化をスローガンに地域と時差を越えて仕事をしはじめたビジネスマンたちの愛読書
となり、ビジネスカルチャーの精神的教典と言われるほどだった。
 だが、司馬はブームの頂点で足踏みをした、せざるをえなかった、と私は思う。変
革期の志士群像が作り出した近代日本は昭和前期の天皇制国家主義になだれ込み、た
んなる野蛮と小心と無責任に堕していく。結果がそうであるならば、出発点において
すでになにかがおかしかったのではないか。論理的につきつめていけば、そうならざ
るをえない。彼はそのことに気がついていたと思う。
 司馬は一群の志士たちの物語のあとに、江戸中期までさかのぼって、北前船の船乗
りを主人公にした小説を書いた。高田屋嘉兵衛である。・・・
「本当の日本は江戸時代の文明、江戸文明にあったのではないか。江戸中期以後のリ
アリズムを中心とする、技術とものを見続けて思想を作りあげた代表者たちと我々は
結びつく」「技術好き、職人好きの民族」こそ、われわれ日本人の本質なのだ、と。
 「とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、そして明治以後の知識人は、軍
人を含めて、江戸的な合理主義を持たなかった。それはやはり、何か昭和の大陥没と
つながるのではないでしょうか」(『昭和という国家』から)
 さり気なく語られた一節を見て、この時期、司馬は自らの歴史観を変えようとして
いたのではなかったか、と私は思う。すくなくとも、迷っていたにちがいない、と思
う。】
 (吉岡忍著『M/世界の、憂鬱な先端』(文春文庫)より)
 NHKは『坂の上の雲』を大河ドラマ化すると聞きましたが、司馬さんの思いをい
かにドラマ化するのでしょうか?

史上最低の首相?

2004-05-27 | 読書
尾張名古屋のNOZUEです。
最も偉大な首相は、よく分かりませんが、最低の首相なら即座に答えられます。
小泉さんです。その理由は、「自衛隊イラク派遣」です。と言っても、自衛隊派遣そ
のものがダメというのではありません。勿論(私は反対ですが)人それぞれに意見が
あり、小泉さんが自衛隊派遣が必要だと判断されたのなら、それはやむを得ません。
私が、絶対に容認できないと考えるのは、「現行憲法の下では自衛隊派遣は出来な
い」、もしどうしても派遣するのであれば、憲法を改定してから派遣せよ!と考える
からです。
 ご承知のように「国際紛争を解決する手段」としての戦力の行使を、憲法は否定し
ています。今回のイラク戦争は、まさに国際紛争を解決する手段としての米国の武力
行使です。これに加盟することは、明白な憲法違反!かくも明白な憲法違反を犯した
首相は、明治以来の首相の中で、小泉さんだけです。
 「非戦闘地域に派遣するのだから、憲法違反に当たらない!」と小泉さんはメチャ
クチャな論理を言う。どうメチャクチャかというと、自衛隊は、外国から見れば軍隊
です。米国の同盟国の軍隊が、米国と戦争をしている国に進駐すれば、相手国がこれ
を攻撃しようとするのは当り前。つまり、非戦闘地域であっても、自衛隊が行けば、
戦闘地域になってしまう。実際、サマワの情勢は日に日にキナクサクなっているよう
です。
 イラク戦争は、今や、テロ勢力と米軍との戦いではなく、イラク国民と米軍の戦い
です。政府を持たないイラク国民が、米軍と戦うとしたらテロ以外に方法がない。米
軍は、テロを絶滅するのでなく、テロを大発生させてしまった。

 そもそも、憲法とは何ぞや。色々な学説がありますが、私はこう考えます。
 権力者は野放しにすると大変なことになる。しかし、社会の秩序を保つには権力者
が必要です。そこで国民は、権力者が憲法を守るなら、その権力の行使を認めよう。即
ち、国民と権力者の契約に当たるものが憲法。権力者、つまり政府が、憲法を守る限
り行政権も徴税権も認めようという契約です。選挙で為政者を選ぶのも、為政者が憲
法を守るという前提で投票するのです。前回の選挙で、与党は過半数を得たから、政
府は自衛隊派遣を決断できると考えたとしたら、大きな誤りでしょう。

 以上は、小生の独断と偏見の論であり、TK-ML会員の皆様には別のご意見もあ
ろう、また、こうした政治的見解は、TK-MLにはふさわしくないと知りつつ、最
近の政治情勢に、つい我慢できずキイを叩きました。

史上最も偉大な大統領

2004-05-22 | 読書
 アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書』は、誰でも簡単に読むことが
できるのである。全文が日本語に翻訳され、在日アメリカ大使館の公式ホームページ
で公開されている
『年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメ
リカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ・・・最
終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。
【これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会
に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。】
【『年次改革要望書』というものが毎年定期的に出されるようになったのはクリント
ン政権時代の1994年のことだ。しかし実はそのルーツはもっと古くまでさかのぼ
る・・】
 そう、日米構造協議。【日米構造協議とは、1989年のアルシュ・サミットの席
上でブッシュ・シニア大統領が提案し、宇野首相が受け入れたものだ。わずか20分
の会談できまった・・そもそも「日米構造協議」という名称自体が日本側による苦心
の意訳である。原文はStructual Impediments Initiativeとなっており、正確には
「構造障壁イニシアテイブ」と訳すべきものである。アメリカが日本の市場に参入し
ようとする上で邪魔になる構造的な障壁をアメリカ主導で取り除こうという意味であ
る。イニシアテイブは普通「主導権」と訳される単語で「協議」という語義はな
い。】
【21世紀に入った現在もなお活動しているこの大掛かりなメカニズムを発明したの
誰なのか。】・・・長くなるので結論だけをいうと、「日米円ドル委員会」。198
3~84年、当時の大統領はレーガンだった。

 【2000年に実施されたアメリカのある世論調査で、「アメリカ史上最も偉大な
大統領」に選ばれたのは、独立宣言を起草したジェファーソンでも、奴隷解放宣言を
出したリンカーンでもなく、なんとロナルド・リーガンだったという。・・・・なぜ
リーガンなのか。表向きは、ソビエトを「悪の帝国」と名指しして軍拡競争で崩壊に
追いやり冷戦を終結させた、ということが理由に挙げられている。だが私は、隠され
たもう一つの理由があるのではないかと推測する。レーガンが史上最も偉大な大統領
に選ばれたのは、アメリカにとって最大の軍事的ライバル・ソビエトと最大の経済的
ライバル・日本という、二つの強大な敵を打倒したと、多くのアメリカ人が考えてい
るからではないか。】

 ここで、このほど成立した『裁判員法』。日本の裁判もアメリカ流にして、その次
はアメリカで余っている弁護士に日本で稼がせようとしてるんじゃない?それに、何
故、刑事裁判だけに適用し、民事には裁判員は要らないの?日米企業間で裁判が持ち
上がった時、日本人の裁判員は日本企業の肩を持つのが、米国は嫌?と勘ぐるのは、
小生の僻みでしょうか?

年次改革要望書

2004-05-21 | 読書
尾張名古屋のNOZUEです。
 以下、文春新書の『拒否できない日本』(これが面白いんですよ)からの抜書きで
す。
 阪神大震災から【3年後の1998年6月、日本政府は建築基準法を全面的に改正
した。それは「約半世紀ぶり」という鳴り物入りの大改正で、建物の安全性などを審
査する基準が抜本的に見直された。ひとことで言うとそれは、建築の建て方(仕様)
を細かく規制したこれまでのルールを、建築材料の「性能」を規定する新しいルール
へ変更するというものだった。(「仕様規定」から「性能規定」への転換)
 ところが、建築基準法の改正内容を検討してきた建築審議会の答申書を読んでみる
と、・・・新しい性能基準は「国民の生命、健康、財産の保護のため必要最小限のも
のとする」と書かれているのだ。これは「最大限」の間違いではないか、と目を疑っ
た。あのような恐るべき被害を繰り返さないためには、建築基準に関する規制の強化
こそが必要だと考えるのが普通ではないのか。・・・
 ・・大震災がきっかけになったと思い込んでいた建築基準法の改正には、もっと大
きな別の背景があった。】
 実は、この文章にはオリジナルがあった。WTOのある協定、第2条にWTOの加
盟国の国内のおける強制規格(建築基準や食品安全基準などのこと)は「安全保障、
詐欺的行為の防止、安全、気候、基本的な技術上の問題等、正当な目的のため必要最
低限のものであること」、そして「国際規格を基礎として用いること」と規定されて
いるのである。
・・・答申書は阪神・淡路大震災をきっかけとする建物の安全性の強化よりも、むし
ろ「国際調和への配慮」の方を重視している・・・なぜこんな法改正が行われたか?
 1989年5月、アメリカは悪名高いスーパー301条を日本に対して発動した。
このときスーパーコンピュータ、人口衛星とならんで標的にされた3品目のひとつが
木材、つまり建築材料だった・・
 木材についてアメリカは、日本の建築基準法や製品規格などがアメリカ製木材の」
輸入を妨害していると非難した。】要するに米国政府の外圧で、アメリカ木材業者の
利益のために、法が改正された。
 しかし不思議なことに、アメリカの公文書にはこのことが至極当然のことのように
堂々と記録されているのだ。例えばアメリカ通商代表部が作成した『外国貿易障壁報
告書』2000年版には、日本の建築基準法の改正がアメリカ政府の要求に応じてな
されたものであると、はっきり書かれている。そして通商代表部は、この法改正が
「アメリカの木材供給業者のビジネスチャンス拡大につながった」と、自らの手柄と
して自画自賛しているのである。】(このことは日本国民には知らされていない)
 これから数年後の日本に何が起きているか。それを知りたいと思った時、必読の文
献がある。アメリカ政府が毎年10月に日本政府に突きつけてくる『年次改革要望
書』である。日本の産業の分野ごとに、アメリカ政府の日本政府に対する規制緩和や
構造改革などの要求事項がびっしりと書き並べられた文書である。
 この『年次改革要望書』は、1993年7月の宮沢首相とクリントン大統領の首脳
会談で決まったことらしい。(続く)

木っ端を見て森を見ない

2004-05-21 | 経済と世相
 政治家の年金未納問題、最近のマスコミの報道に、あきれ返っています。
全く『樹を見て森を見ず』どころか、『木っ葉を見て森を見ない議論』です。政治家が年金を未納だったなどということは(それが良いとは言わないが)枝葉末節の話で、現在のシステムを全然変更せず、保険料の値上げと支給額の切り下げだけを図る年金改定案を何故国会で成立させるのか?について全く報道しない
!とあきれているのです。
 先般5月7日、TK-ML9309で私はこう書きました。
【私が心配するのは、こんな巨額のお金を、社会保険庁や厚生労働省に預けて大丈夫
か?ということです。今でも、年金資金が株式投資であけた穴は6~7兆円あるらし
い。投資の素人がこんな巨額の金を
運用して、どれだけ損失が出るのか想像するだけでも、ぞっとする。更に社会保険庁
は、投資で穴をあけるだけでなく、(ワイドショウが報道しているように)職員の宿
舎を建設したり高級車を買ったり、他人の金だから、遠慮なくムダ使いをしてくれ
る。・・・・
 こんな所に、大事な国民の老後資金を預けられますか?】

 同じことを考えている人がいました。立花隆さんが週刊文春5月27日号に書いて
いるのです。
【新聞は年金一元化の議論がはじまっているにもかかわらず、厚生年金と国民年金の
積立金についえ145兆円(厚生年金135兆円、国民年金10兆円)と報じてい
る。なぜ共済年金の積立金が別に50兆円あるという事実について気づかないのだろ
うか。合計で約200兆円!郵貯233兆円に迫る金額である。】
【いったい年金の積立金が200兆円も必要か。年金の給付総額は年額にして40兆
円である。ということは5年分も積立てているという勘定だが、諸外国ではどうか。
各国の制度はそれぞれ違いはあるが、アメリカでは約2年分、ドイツは1カ月分、イ
ギリスは約2か月分でしかない。年金一元化のモデルとしてしばしば登場するス
ウェーデンは約4年分だが、人口わずか900万人なので金額は比較にならぬぐらい
小さい。世界中探しても200兆円も役所任せにしている国は見当たらないのであ
る。】
【はっきり言おう。積立金は、いざというときの将来の備え、はウソである。年金官
僚たちが自らの利権を守るための言い訳にすぎない。】
【公的年金の一元化とは、厚生年金と国民年金と共済年金を一つにまとめどんな職業
の人も同じ制度に加入すること・・(しかし)・・厚生年金と国民年金を管理するの
は社会保険庁(厚生労働省)だが、共済年金は国家公務員共済組合が財務省、地方公
務員共済組合が総務省、私立学校教職員共済組合が文部科学省、と所管がそれぞれ別
になっているところがややこしいのだ。なぜならそれぞれの積立金に省庁ごとの利
権、つまり寄生虫がついている・・・】とシステムそのものの改革が必要と述べてい
ます。


景気は回復したの?

2004-05-20 | 経済と世相
尾張名古屋のNOZUEです。
 内閣府18日の発表によると、1~3月期のGDPは、実質で前期比1.4%増、
年率換算では5.6%の成長になるそうである。
 「そんなに高い成長率になるの?」と疑問を感じられた方も多いでしょう。
 我々の感ずる景気は名目で感じますから、名目値でみると、この四半期は年率0.
8%増だそうです。(実質は名目からGNPデフレータ(物価上昇分)を引いて出し
ますから、物価上昇は-0.6%ということになる)ということは年率3.2%成長で
す。
 UFJの赤字決算の噂から、月曜日暴落した株価は、この発表から「景気本格的回
復?」と早くも持ち直しつつあります。でも、やはり実感と違うなあ?と思いません
か?
 景気は成長率の数字のように回復したのだけど、90年代までの景気回復と違うん
じゃないかな?そう思うのです。
 昔の景気回復は、ある産業が好景気になると、それが次々に別の産業に波及し、雇
用労働者の賃金が上昇、消費景気に波及するというコースをたどりました。今は、そ
うならないんです。ある産業が好景気になっても、他の産業に波及しにくい。賃金水
準も波及していかない。
 だから、GDPの成長率は、平均としては、好況産業の数字に引きずられ、確かに
上昇するのだけれど、それは全産業の好況を意味しない。
 こういう状況を「景気回復」と言って良いのか?

 これは、経済のグローバル化の進展の結果?と考えるのは、私の独断と偏見でしょ
うか。
 例えば、政府が景気回復のために積極財政策を取る。簡単に言うと、民間に金が流
れるようにする。その金は殆ど国内に流れた。ところが、今は流した金が必ずしも全
部国内に流れず、海外に流れて、海外の景気を刺激する。だから、景気の上昇した産
業の影響が、国内の他産業に波及する前に、海外の他産業に波及してしまう。つま
り、国際競争力のない産業・企業には何時まで待っても好景気は来ない。そういった
現象が起きているのではないでしょうか。(小泉内閣の構造改革とはこういう社会を
ねらった?)
 データ面でこれを裏付けるデータを集めていませんが、そんなふうに思えるので
す。21世紀の景気はそういう状態だということになり、産業間・企業間の差が大き
くなる。いきおい、貧富の差の大きい社会になることを意味する。経済のグローバル
化は、国民を幸せにするのか?貧富の差の少ない社会を作るのは、政府の責任と思う
が、その政府が無条件で経済のグローバル化を進めてよいのだろうか?
 そんなことを考えています。

犀川・マラソンに挑戦する会(2)

2004-05-17 | マラソン
 1往復が終り時計を見たら丁度57分、予定の速度だ。
 2週目の16Kmを折り返し、約17.3Km辺りで、小島さんにすれ違う。大分
ゆっくりになった。8年前は16Kmから20Kmまで、20Kmの私とフルの彼と
が並行して走ったこともあった。
 順調に走れた。ゴールして完走証(今回からパソコンプリンターから出力)を受け
取る。1時間53分34秒、ほぼ計算したタイムだった。今回でこの大会9回目の完
走、完走記念のトロフィーを貰った。
 帰りも徒歩で20分、ホテルに戻って14Fの展望露天風呂(天然温泉とのこと)
に入った。前夜は、展望といっても、片町・香林坊のネオンが見えるだけだったが、
昼間はよく市内が展望できる。11時、チェックアウト、バスで駅前に出て、都ホテ
ルで昼食後、市内東郊の「るねす金沢」に行く。プール・ゴルフ倶楽部などのスポー
ツ施設の付いた温泉で、ここのプールが小生のお気に入り、金沢に来た時はいつも泳
いでから帰るのです。入口に「岡本依子、アテネオリンピック出場決定。皆様のご支
援、ご署名に感謝」の立て看板が立っていた。シドニー五輪の銅メダリスト、テコン
ドーの岡本選手は、ここ「るねす金沢」の所属。上部団体の揉め事で、五輪出場が危
ぶまれ、ファンの署名などが集まったそうだ。
 疲れた筋肉のマッサージを兼ねて1500m泳いでから温泉に浸かる。今回のゴー
ルデンウィークのメインイベントでした。

 帰宅してから、過去の記録と比較してみると、
 98年(61歳) 1時間45分19秒 (このときは雨)
 00年(63歳) 1時間47分44秒
 02年(65歳) 1時間51分29秒
 04年(67歳) 1時間53分34秒
 明らかに2年毎に2分は遅くなっている。6年後(73歳)には2時間を切れなく
なる、だろう。
追伸:1. http://www.kanazawa-runners.com/ 速報クリックで当日の写真が見られ
ます。残念ながら小生の写真はないようですが、コースの様子など、ご興味がありま
したらご覧下さい。

Re:訓練と教育

2004-05-16 | マラソン
尾張名古屋のNOZUEです。
編集長、コメント深謝します。
 いつも、自分勝手な推論ばかり述べていますので、それで良かったかどうか?コメ
ント頂けると、初めてチェックできますから、うれしく思います。
 ところで、「訓練と教育」に関する拙メールで述べた「暗記」とは自分の体験出来
ない、従って、実人生での意味が分からない事柄の暗記の意味でした。
 また、「身体を動かして分かる」の「身体を動かす」は、スポーツ的な意味で身体
を動かす(もちろんそういう場合も含みますが)ということだけでなく、もう少し広
い意味、社会の中で体験を積み重ねるという、意味も含みます。ですから、
1.役に立つ丸暗記もある。【例えば、掛け算の九九なんか  どうでしょうか
ね。】
 たとえば「サンシジュウニ」は、個数三個の組が4組あれば総数は12になるとい
う、実体験があるから覚えられ、また役に立てることが出来る。もし、勘定するとい
う経験のない(未開)民族だったら、九九を暗記することはかなりの困難だと思いま
す。
2.「わかる」について、の下記のご意見も、繰り返し読むことで「わかる」という
のは、単に読むことを繰り返したことの効果というより、次に読むまでの間の社会的
体験の効果ではないでしょうか?
 【 カラダを動かさない時にも「わかる」ということがある
  のではないかなという気がします。例えば少し難解な
  解説などを読んでいて、1回目はちんぷんかんぷん。
  2回目には、一部理解が出来るところが見つかった。
  3回目には、理解できる範囲が広がった。
  ・・・・そして、5回目か6回目に「そうだったのか」と
  「わかる」ことがあった経験もある。】
 いずれにしても、
 【脳というものは、本来、手や足など身体をどう動かすかを統制する器官、つま
り、身体を動かす時機能する器官ですから、身体を動かさず、脳だけ動かそうとして
もうまく行かない。】
 ということが、私の一番言いたいことなんです。もちろん『身体を動かさず』は、
『体験なしに』の意味でもあります。
 .


記憶と身体の関係

2004-05-13 | 読書
『「わからない」という方法』を紹介した前便で「暗記と身体の関係」を述べました。今回はその補論です。

【「経験した」だけでは、まだなんの意味もない。その「経験したこと=知りえた知
識」を基にして再構築をする―――「わかる」とは、その再構築の作業なのである。」
(そもそも【「ゴミの山の中から意味のありそうなパーツを拾い出し、ある道筋に基
づいて再構築をする」・・・「情報の整理」とは、こういうことなのである。】) 
【人間の身体は良くできていて、「そんなものを取り込む必要はない」と思ったら、
どんなものでも入らない。丸暗記は、その身体生理に逆らった行為で、だからこそ、
さっさと排除されてしまうのである。】【私は、「入ったけど、当面いらないや」系
の記憶は、「身体に残る記憶」なのだと思っているのである。・・・・・人が「忘れ
る」という作用をあまりにも過小評価しているのは、「身体の中に入らなかった情
報」を「忘れた記憶」と錯覚しているからだろう。】
【「入れる」ということは、「その情報を入れてもいい」と身体が納得することだか
ら、入ったものには入っただけの必然があるのである。「”わかる”は納得であり、
納得するためには時間がかかる」・・・入ったものは、「忘れた」という形で身体に
キープされるのである。】
【「忘れた」というのは、身体という膨大なる広さを持つ倉庫の管理人である脳のセ
リフであって、管理人は忘れても、「入ったもの」は、倉庫の中でちゃんと眠ってい
る。私はそのように思って、身体という倉庫をフルに活用しているのである。「今が
チャンスだから、この記憶を活用せよ」と、私の身体は脳に働きかけるのである。】
【記憶というのは身体に宿って、有能な身体は、その記憶を必要に応じて取り出
す。】
 どういう時に、その記憶は取り出されるか?
「わからない」時に「わかろう」と努力する時である。
 「わかる」とは?
【「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。スタート
地点とゴール地点を結ぶと、「道筋」が見える。「わかる」とは、実のところ、「わ
からない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。
 この意味で・・・
【私に重要なものは、身体と経験と友人で、それがなければ、脳みその出番なんかな
いのである。身体とは、「思考の基盤」で、経験とは「たくわえられた思考のデー
タ」で、友人とは「思考の結果を検証するもの」である。身体と経験と友人の使いよ
うが、「わからない」を「方法」にする。】