甘利大臣の事件を聞いたとき、不思議に思いました。
週刊文春の報道に対して「なぜ甘利さんは週刊文春を告訴しないか」と思ったのです。報道されたことが事実なら、当然、甘利さんは告訴され処罰されるでしょう。そんな事案を報道されたのですから、「名誉棄損」で訴えるとか、週刊誌の販売差し止めを裁判所に要求しなければ、報道されたことが事実であると認めることになります。ところが、「記憶があいまいで事実関係を辿っているので、その後説明責任を果たす」と言うのみです。これが第一の不思議。
事案は、千葉県白井市の建設会社S社とUR(旧住宅公団)との間にトラブルがあって、S社は、甘利事務所にあっせんを依頼した。記事はS社の総務担当者の告発で、その報酬として、13年11月14日は大臣室で、14年2月1日は大和市の甘利事務所でそれぞれ50万円をお渡しした。大臣室では、社長が、木の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に紙袋の中に封筒に入れた現金50万円を添えて『お礼です』と言って手渡した。甘利氏は『あぁ』と言って50万円の入った封筒を取り出しスーツの内ポケットにしまった。」というものです。
その後、28日の記者会見で、「現金の入った封筒をスーツの内ポケットに入れたというようなことはない。「政治献金として処理するよう」秘書に渡したというのです(記憶があいまいで事実関係を確認と言っているのはこの部分?)。が、現金を受け取った事実は認めているんです。
これは完全に斡旋利得罪に相当します。なぜ、検察は捜査に動かないのでしょうか。これが第二の不思議です。
大臣であろうと、一庶民であろうと、法に違反したら、法に基づき処分されるのが、法治国家です。なぜ検察は動かない?これから動くのかもしれませんが・・・
法治国家というものは、トラブルが起きたら、法に基づき解決されなければなりません。法治国家でなければ、その解決には、やくざが登場します。発展途上国では、やくざでなく政治家が登場することがあります。日本は発展途上国並みということでしょうか。
週刊文春の報道に対して「なぜ甘利さんは週刊文春を告訴しないか」と思ったのです。報道されたことが事実なら、当然、甘利さんは告訴され処罰されるでしょう。そんな事案を報道されたのですから、「名誉棄損」で訴えるとか、週刊誌の販売差し止めを裁判所に要求しなければ、報道されたことが事実であると認めることになります。ところが、「記憶があいまいで事実関係を辿っているので、その後説明責任を果たす」と言うのみです。これが第一の不思議。
事案は、千葉県白井市の建設会社S社とUR(旧住宅公団)との間にトラブルがあって、S社は、甘利事務所にあっせんを依頼した。記事はS社の総務担当者の告発で、その報酬として、13年11月14日は大臣室で、14年2月1日は大和市の甘利事務所でそれぞれ50万円をお渡しした。大臣室では、社長が、木の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に紙袋の中に封筒に入れた現金50万円を添えて『お礼です』と言って手渡した。甘利氏は『あぁ』と言って50万円の入った封筒を取り出しスーツの内ポケットにしまった。」というものです。
その後、28日の記者会見で、「現金の入った封筒をスーツの内ポケットに入れたというようなことはない。「政治献金として処理するよう」秘書に渡したというのです(記憶があいまいで事実関係を確認と言っているのはこの部分?)。が、現金を受け取った事実は認めているんです。
これは完全に斡旋利得罪に相当します。なぜ、検察は捜査に動かないのでしょうか。これが第二の不思議です。
大臣であろうと、一庶民であろうと、法に違反したら、法に基づき処分されるのが、法治国家です。なぜ検察は動かない?これから動くのかもしれませんが・・・
法治国家というものは、トラブルが起きたら、法に基づき解決されなければなりません。法治国家でなければ、その解決には、やくざが登場します。発展途上国では、やくざでなく政治家が登場することがあります。日本は発展途上国並みということでしょうか。