古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

自由人

2006-03-27 | Weblog・人生・その他
 「自由人」について考えました。
「自由人」を論ずる前に「自由」とは?を定義する必要があります。
 私は「他人から己の行動を強制されない」ことが「自由」と愚考します。
 この「他人から己の行動を強制されない」ということは、言い換えると、
「自分の時間の使い方は自分で決められる。」と言うことです。
 そのためには、「お金のために、気に染まない仕事を強制されることがない。」
という条件と、「自由に行動できる身体がある。即ち、健康」が必要になります。

 ざっくばらんに言えば、時間がたっぷりあり、お金持ちとまでは言わないけれど多少のお小遣いには恵まれて、身体もそこそこ健康といって良い。
そういう人が「自由人」でしょう。

 次に、「自由人」は、幸福でしょうか?
 「自分の時間を自分の欲するままに使いなさい」と言われた時に、「これをやろう」
と直ぐ決められる人は幸せだと思います。
 しかし、「何をしたら良いかわからない!」という人は困ります。
 厄介なことに、人間っていう存在は、何もしないと、換言すると、身体を使っていないと、健康が失われる。頭脳も同じで、頭脳も身体の一部ですから、使っていないと劣化していく。
 身体も頭脳も、生きている限り、使いつづけなければならない。
 「何かをすることを強制されることは不自由ですが、何もしないでいると、健康を失い、不自由になる」のです。
 結論として、真の「自由人」は「自分が何をしたいかが分かっている人」ではないで しょうか!

 というわけで、名古屋も桜開花宣言がでたそうです。ジョギングに出かけましょう。

 マラソンも、走ることを強制されたなら、こんなに辛いことはありません。
でも、自分が走りたいと思って走る時は楽しみになります。
 「自由人」の機微は、そのへんにあると思います。

弘山力走

2006-03-13 | マラソン
 「女子マラソンがくると、名古屋に春ですね」昨日、エレベータの中で隣人が言っていた。
住宅の周辺を三回まわる、このマラソン、住人の毎年の楽しみです。
ところが、昨日と打って変わって今朝は朝から雲が重く空を覆っている。
9時ごろポツポツ降りだした。小生の記憶では、名古屋国際女子マラソンが雨だったことは一度もない。さて、この雨は選手にどう影響するか?
 ’98年の高橋Qちゃん、02年の野口みずきと、オリンピックの2年前の名古屋を制した選手がオリンピックで金メダルの栄冠に輝いた。二度あることは三度あるというが、さてどうかな?
 「84年の第一回から雨に降られたことは初めてです」
 12時、放送が始まると、アナウンサーが言っている。やはり!
 12時10分スタートすると、下馬評大本命の渋井選手(三井住友海上、那須塩原市出身)がいきなり飛び出した。50m、100m、200mと引き離していく。これはぶっちぎりかな?スタートから1時間TVを見てから、下に下りる。雨は止んでいる。この程度なら、雨はマラソン選手にはまったく支障ないだろう。風もない。
 道路はコースの中間点手前です。すぐ先導車が来た。
「先頭選手は市役所交差点です」のアナウンス。
 間もなく、渋井選手。あっという間に走り去る。二番手の弘山選手とペースメー
カーは大分離れてやってきた。「こんなに離れたことってなかったなー」と群集の間から声が出る。
 見送った後、今度は名城周回の終わる交差点に回る。この辺りは25Km過ぎ。
続々、名城周回に入る選手が走ってくる。時計を見ると、1時半。スタートから
1時間20分で、およそ20Km走っているから一般ランナーでもたいしたものです。
惜しみ無く拍手を送りました。
 間もなく周回を終えた渋井選手。相変わらず2位以下を大きく引き離している。
この後、道路の反対側に移動して折り返してくる選手を待ちます。
30Kmを過ぎた地点です。
 やはり、ぶっちぎり。これは決まりかな?
 1時間街頭で見てから、家に戻りました。TVを見て「ええっ」と吃驚。
「弘山が迫っています。これは勝負は分かりませんね」というアナウンスだ。
場面は35Km地点だ。あれだけ離れていたのに、TV画面では、間近に見える。
逃げる渋井、懸命に追う弘山。これは名勝負になると思った。
 後1Kmで弘山が渋井を捉えた。こうなうとトラックランナー出身の弘山が強い。
トップでゴール。応援していた渋井の同僚土佐選手のゆがんだ表情をカメラが捉えた。
 走っても、走っても、後一歩で優勝できなかった弘山選手、「15年目で念願達成」とTVの字幕が出る。37歳のベテランランナーに拍手!
 レース前は、渋井選手が優勝して、次のオリンピックは2時間20分をきる3人の日本娘が揃い踏みかな?と思ったのですが・・・・一度も後を振り返らなかった渋井さん。この経験を踏み台にさらに飛躍して欲しい。
 06年の名古屋国際女子マラソンでした。


恵那峡マラソン

2006-03-05 | マラソン
 4日は絶好のマラソン日和になった。雲一つなく、風もない。6時20分、家を出て地下鉄で大曽根駅。ホームで電車を待っていたら、見覚えのある顔が来た。
「コンニチワ」と声をかける。「大会で顔を合わせるの久しぶりですね。この前はいつだったですかね?」、「広島県の聖湖以来ですよ」。そうだった。同じ北区に住み、全国47都道府県のマラソンを走ったK先輩です。
 今日は、恵那峡マラソンです。年初、明日の桑名市の長島10Kmを予定していましたが、恵那峡ハーフを走ることに変更したのです。理由は、壱岐マラソンが不本意な結果だったので、もう一度ハーフを走って自信をつけたいと、近郊の大会でもっとも厳しいコースの恵那峡に挑戦することにしました。高低差140mですが、140m駆け上がると言うのでなく、登ったり下ったりを繰り返すので、実際は300mぐらいのアップダウンになる。コースは厳しいが制限時間は2時間半だから何とか完走できるだろう。
 「今日はハーフですか?」と、K先輩に聞くと「いや10Kmです」。「明日は各務ヶ原で10Km走ります」と言う。乗車して恵那駅につくまで、最近出場した
大会の話に熱中した。
 恵那駅に着くと、駅前でボランテイアのご婦人たちが熱いいお茶のサービスをしている。広場の気温表示は2℃を示している。ランナー専用バスが未だ来ていないので、待合室に行く。Kさんの顔を見て、「Kさん、コンニチワ」と声をかける人が大勢、さすが47都道府県を走ると顔が売れている。
 紹介してくれた。「この人は大阪から、明日も走るんでしょう?」、「ええ岩倉10Kmを走ります」。
「何処に泊まった?」、「金山のカプセルホテルです」。
 明日はこの辺はマラソン大会のラッシュで、だから、この大会は土曜開催にしたらしい。
 「こちらの人は、大阪の長居からです」。見ると下駄履きである。「この人マラソンを走るとき以外は下駄履きで全国を回ります」。
 なんともはや、侍揃いです。
 「あそこの女性は、脚の静脈瘤で手術しましたがまだ走れるんですね。三田(兵
庫)マラソンで優勝してます」
「あそこの男性は100Kmマラソンが得意で2回優勝してます」。Kさんの人脈の広さに脱帽だ!
 シャトルバスが来た。恵那市役所のマイクロバスである。乗り込むと15分ほどで会場のまきがね公園。
 受付で記念品のTシャツと名簿を貰う。ゼッケンは郵送で事前に貰っている。
 ハーフの出場者名簿を見ると、60歳以上は35名(男子の総数は292名、女子32名)で、小生が2番目の高齢者。やはり、コースがきついので、高齢者の参加は少ない。
 
 10時、スタート。いきなり上り坂、すぐ下り、また上り。これは、聞きしに勝る難コースだ。
 このコースでは1Km6分が私の実力だ。2Km走ったところで、5分後にスタートした10Kmの先頭に追い抜かれた。今日の招待選手は地元出身のエスビー食品の選手だ。時計を見ると、12分だから、10Kmの先頭は7分で2Km走っている。
 5Km通過で30分、10Kmは1時間だった。きついことはきついが順調に走っている。
 しかし、平坦なところは殆どない。常に上りか下りです。こういうコースだと、後半でばてて来る危険がある。10Kmから12Km辺りまで50m駆け上がったら12Kmから16Kmまで100m駆け下りる。膝を痛めないよう気をつけなくちゃ!その後19.5Kmまで90m駆け上がる。将に心臓破り!そこからやや下りになったので、これで上りは終り!とほっとしたら、ゴール前で急坂が待ち構えていた。
 ゴールして、完走証を見ると、タイムは2時間8分8秒だった。このコースで2時間10分を切れれば上等と思うことにする。壱岐で失いかけた自信を取り戻すことができました。
 でも、順位は60歳以上で26位。総合で225位と、パッとしません。出場者は皆健脚揃いでした。

 1時のマイクロバスで駅に送ってもらう。駅前に中仙道広重美術館があったが、脚が疲れていたので、見学は後日の楽しみにして、1:51の快速に乗車。K先輩と話が弾んで、あっという間に大曽根着。3時過ぎには帰宅しました。