古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

同級会の旅(2)

2015-03-04 | 旅行
2日目です。、
ロビーからは青空の下、伊良湖岬の景観が望まれ今日は良いお天気に恵まれたようです。
9時、ホテルのバスで港まで送ってもらう。
船着き場に行く前に「恋路が浜」に立ち寄り、運転手が観光解説をしてくれた。

近年になって、「恋路ヶ浜」などと命名されたものではなく、その名の歴史は古く江戸時代の1808年(文化5年)には和歌に 春さめにぬれてひろはんいらご崎 恋路ヶ浦の恋わすれ貝 などと歌われており、伝説では、その昔、高貴な身分の男女が許されぬ恋がゆえに都を追放されこの地に暮らした事にちなむという。ここは「ヤシの実」の舞台でもある。
柳田國男が1898年(明治31年)ここに遊び、拾った椰子の実の話を一緒に来られなかった島崎藤村にしたところ、それから藤村が想像を逞しくして創作したのが「椰子の実」(『落梅集』所収)とされる。
浜の中央に「日本の100選」に選定された記念モニュメントがあった。
10分ほどで、伊勢湾ファリーの船着き場に着く。マイカー持ち込み2名、その他10名で、10名以上で団体割引で1名1400円(150円の値引き)だった。
9時半出港。2階のロビーに上がり、缶ビールを傾ける。

出港すると、直ぐ神島が見える、三島由紀夫の小説の舞台になった島で「島は神島、昔は外観が亀に似ることから亀島と呼ばれました三重県鳥羽市の神島です」」ノアナウンス。もうここは鳥羽市なんだ!神島は地図でみても亀のような形だ。名古屋に住むようになってから60年だが、伊勢湾を船で渡るのは初めてである。
そういえば「Mの顔が見えないな」と聞くと「葬式ができたから早く帰ると、Nの車に同乗して朝豊橋に向かった」という。「そうか、それで、折角の機会に伊勢湾を渡りたいと、昨日船で来たわけか。それなら昨日のうちに言ってくれればよいのに」。
鳥羽港には10時25分着。
マイカーに全員は乗れないので、6人が電車で行くことにする。電車組は私が案内する音にして、港の前の近鉄「中之郷駅」に行く。
ホームには道路のスロープから登れたが、無人駅です。乗車票を各自、引き抜いて、下車時に改札係員に呈示し運賃を支払う仕組み。「五十鈴川環駅は5つ目の駅でした。ワンマンカーが10時53分に来た。
五十鈴川駅につき、駅前のタウシーに3名ずつ分乗内宮に向かいました。タクシーを降りると、丁度、愛カー組gぶらりぶりりとやってきました。宇治橋の前の鳥居をバックに記念撮影。

一同、宇治橋を渡り、内宮に参拝しました。



12時ごろ宇治橋に戻り、おかげ横丁で土産物を調達し、12時半再度集合し、「次回まで元気に生きていよう」とエールを交換し解散することにしました。
 電車組はまたタクシーで五十鈴川駅に戻り、遠くまで帰る人もいるから時間を節約しようと昼飯は電車内で駅弁を買おうと近鉄特急の名古屋行にのりましたが、これが誤算。この特急、社内販売がありませんでした。2時16分に名古屋駅に着いてから名古屋飯(「味噌カツ定食」)を味わうことになりました。
その後3時過ぎ解散し、無事に旅を終えました。


最新の画像もっと見る