古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

駅ちかウオーキング2018

2018-03-12 | 旅行

3月10日、今年最初の駅ちかウオーキング(地下鉄主催のウオーキング10周年)でした。。

9時前家を出て市バスで浄心まで行き、地下鉄鶴舞線に乗り丸の内駅に9時25分。受付で地図を貰い1番出口から、9時半歩き始めました。

 最初に名古屋東照宮です。

初代尾張藩主徳川義直公が父家康を祀って1619年創建、今年は創建400年とのこと。

続いて少彦名(すくなひこ)神社。

少彦名命と大国主の命を祀る薬と健康の神様、無病息災と病気快癒を祈る神社です。創建100年の平成27年社殿、鳥居が新設されたとのこと。

 

 大津通りに出て左折、「愛知名古屋戦争に関する資料館に出ました。しょうい爆弾が展示されていました。

その後、市役所の裏(東側)に回って、名古屋市市政資料館に行きました。

大正11年に名古屋地裁庁舎として建てられ、現在は公文書や市政の資料を展示しています。重要文化財です。 ところで、資料館の入り口で「名城公園」という標識を見つけました。

「おかしいいな。ここは名城公園ではない」、と思いました。名城公園は、名古屋城の北側(我が家の南側)です。「何故この標識があるのだろう」

昔はお城の周辺はみな名城公園だったんだ。それが、公共の施設がつくられるたび名城公園を外されていったんだが、ここも昔は名城公園だったのに、標識を外し忘れてそのままになってるのだと推定しました。

 東へ白壁まで歩いて北へ曲がると、長久寺。

家康の4子松平忠吉が武蔵忍城(小田原の役の際、石だ三成が水攻めを試みて酸っぱいした)に徳川祈祷所をつくったのが、長久寺の始まりで、後、名古屋城の東北に移され城の鬼門の鎮護とされたという。東へ片山八幡神社。徳川家の氏神だそうです。神社参拝の後、徳川園に向かいましたが、ここで、大失敗しました。転倒したのです。数年前、階段から落ちて転倒、頸筋を痛めたのですが、その所為か左脚が上がりにくいのです。それ以来、マラソンは走れない。水泳も左脚のキックが出来ない。ウオーキングも長い距離は無理です。大分良くなったので、ウオーキングは大丈夫かと、今日のウオーキングに参加したのでした。道路の凹凸の一寸高くなった箇所に脚がつまずいて転倒してしまいました。気をつけていたつもりだったのに。手を突いたときそこにとがった石があった。左手の親指に孔があき鮮血がふき出た。靴やズボンに血が付き案内の地図も血にまみれました。ウオーキングのスタッフが近くの教会に入って、バンドエイドを貰ってくれましたので、応急手当てをしました。

徳川園を観てから建中寺に行きました。1651年尾張二代藩主光友卿が父義直の菩提のため創建し、以後尾張徳川家の菩提寺になっています。

 

 建中寺を出てから文化のみち二葉館へ寄る予定でしたが、指が痛くなったので、カット、飯田町に出てオオカンザクラを見て(巻頭写真)高丘駅ゴールへ、8,7km歩いて12時半でした。家には13時帰宅しました。家の近くの白木蓮の蕾が膨らんでいました。もう、春ですね。

 

 


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