古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

京都の旅

2018-06-15 | 旅行

40年来の友人との恒例の旅行記です。13日、14日京都に旅しましt。13日、9時過ぎ名古屋駅でJさんと出会い、集合地の西岐阜駅に9時40分過ぎつきました。集合時間は10時の約束でしたので、Sさんは、多分次の9:55着で来るだろうと待っていまいた。お天気は文字通り「梅雨の晴れ間」で快晴になりました。ところがここでトラブル、電車が来ないのです。「10分ほど遅れ」の表示がありましたが、10分過ぎても来ない。

車を運転するHさんが来て一緒に待つが来ない!間もなくjさんのケイタイにSさんのメールが入りました。「一宮・岐阜間でJR事故、不通で代行バスに乗り岐阜に向かいます」。「岐阜駅に向かおう」と車を発車すると、直ぐ再メール。「代行バスでなく、名鉄に乗り変えて新岐阜駅にむかいます」。新岐阜駅に着き、Jさんが車を降り迎えに行きました。間もなく二人がやってきて4名が勢ぞろいできました。直ちに岐阜羽島に向、予定より1時間ほど遅れましたが11時20分にインターを通過できました。

11時45分、伊吹山のSAでトイレ休憩。時間を節約するためここで昼食も済ませました。京都東インターで高速を降り、今日の目的地京都国立近代美術館に2時前に就いたのですが、駐車場探し。結局岡崎公園内の地下大駐車場に車を入れました。

 近代美術館では、「横山大観展」をやっていました。先日まで東京でやっていたのですが、NHKの日曜美術館で報道し、次は京都でやると知らされて今回の訪問になりました。入場料1500円でしたが、Jさんのジェフの割引で1300円で入場できました。生誕150年を詠っての展示会。大観は明治元年の生まれですね。20年代、30年代、40年代と時代を追って彼の作品が展示されていました。いろいろ外国を訪ねての作品もありました。ナイヤガラや万里の長城の絵もありましたが、やはり大観の絵は、富士山。「霊峰飛鶴」が印象的でした。休憩室で休んだ時、目の前に平安神宮の赤い大鳥居が見えました。鳥居のこちら側が国立美術館、向こうが市立美術館でした。

 4時前に見学を終え、宿泊のモントレ京都ホテルに。ホテルは直ぐ近くでしたので、4時過ぎには到着できました。1Fの駐車場に車を入れ、フロントでチェックイン。部屋の鍵(カード)4枚を貰いました。エレベータを上がると、廊下との間にドアが閉まっており、カードをセンサーに読ませないと廊下に入れないのです。一人1枚カードを持っていないと出入りに不便なのです。意外に本格的なホテルでした。

 すぐ入場券を持って、13Fの展望浴場に入りました。京都のど真ん中ですが温泉を楽しむことが出来るのがこのホテルの売り見たいです。残念ながら朝はやっていない、、部屋の浴室をご利用くださいとのことだった。

 入浴後6時から1時間、恒例の勉強会。今回は小生の読書紹介で、「アベノミクスによろしく」(明石順平著、集英社新書)を取り上げました。以下のような話を披露しました。

 経済学の理論は、自然科学の理論と違って、実験でその正しさを証明できない。だから、理論が本当に正しいかどうかわからないのである。

 ところが、アベノミクスは、大胆不敵にも、この経済学の壮大な実験をやってしまいました。

物価は貨幣量をふやせば上げることが出来る。そして、物価が上がる、換言すると、貨幣価値が下がると知らされると、人々が価値が下がらないうちに貨幣を使おうとすると、消費が増える、したがって景気が良くなるというのが、異次元の金融緩和お背景にある理論です。

 実際に、アベノミクスを実行したらどうなったか、物価は黒田総裁の目的とする年率2%には達しませんでした。「貨幣量ののコントロールで物価をコントロールすることは出来なかった」。

 しかい物価ガ上がらなかったわけではありません。日銀のいう年率2%には届きませんでしたが3年間で5%の消費者物価の上昇がありましたが、そのうち2%は消費税の引き上げのため、残りは為替相場の下落で外国から買うものの価格が上がったのです。つまり、物価が上がるのは、通貨価値の下落を信じて消費が増えるのではなく、為替相場の変動を通じて物価が上がったのです。

 為替の低下は、国民の購買力の低下を意味するわけですから、国民にとって損失なのですが、企業には円安で利益を上げることできた企業が多かった。

 多少、国民に不利であっても企業に利益をもたらす政策は評価されます。それが企業社会というものなのでしょう

7時から懇親会の食事です。2Fのレストラン「隨縁亭」で会席料理を楽しみました。

烏丸通りの賑やかな車の往来を見て、京都のど真ん中であることを実感できたレストランでした。

以下、会食中の雑談。

昔、自動車総連の役員であったため自動車の著名な経営者と会話する機会がありました。

本田宗一郎さんとトイレで一緒になり、「君はどこの出身か・」、「広島の東洋工業です」。すると一言「トヨタに負けんなよ」(Hさん)

Sさんの話「本田さんがこう述べたのを記憶しています」

「会社の名前に本田をつけたのは、自分の人生最大の失敗だった」。

Jさん。「スズキがインドに進出する前にインドを旅行したことがあります。

「この国にによく進出する決断ができて、しかもそれを成功させたものだ。鈴木さんと言うのは並みの経営者でないですね」。

9時近くまで論議が盛んでした。

 


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