ある特定ジャンルの音楽において、優れた楽曲や演奏が集中して生み出される “密度の濃い” 時期があるように思う。ジャズでいえばサキコロやタンパのペッパー、マイルスのマラソン・セションetc 数々の名盤が吹き込まれた1956年がそれにあたると思うし、アメリカン・ポップスならロネッツ、クリスタルズ、エンジェルズ、シフォンズといったガール・グループがキャッチーなヒット曲を連発していた1963年が、ビートルズ全米上陸前夜にして古き良きアメリカン・ポップスが最後の輝きを見せた1年だったのではないだろうか?昭和歌謡にしたってキャンディーズが解散に向けて走り出す一方でピンク・レディーが空前のブームを巻き起こし、百恵が「イミテーション・ゴールド」で “大人の女宣言” をし、ジュリーが「勝手にしやがれ」でシメた1977年なんか百花繚乱の凄い1年だった。
私がリアルタイムで追いかけた80'sポップスにもそういった時期が何度か巡ってきたが、特に印象に残っているのが1984年の上半期で、80'sの10年間の中でも一二を争う密度の濃さだった。生まれ変わったイエスが「ロンリー・ハート」で全米№1に輝くという衝撃の幕開けに始まり、マドンナが「ホリデイ」でシーンに浮上するわ、カルチャー・クラブはカマカマするわ、ヴァン・ヘイレンはキーボード弾きまくりでジャンプするわ、マイコーは狼男と化してゾンビ・ダンスを踊るわ、ネーナは風船飛ばしてドイツ語でロックするわで、アメリカン・トップ40は毎週もの凄いことになっていた。そんな中、何の前触れもなく突然チャートに飛び込んできて並み居る強者達を抑えてあれよあれよという間に2位にまで上がったのがシンディー・ローパーの②「ガールズ・ジャスト・ウォナ・ハブ・ファン」だった。初めて聴いたのは例によって小林克也さんの「ベスト・ヒットUSA」だったが、とにかく彼女の自由奔放で天真爛漫なキャラ設定といい、エキセントリックに響き渡るレインボー・ヴォイスといい、心がウキウキするような底抜けに明るい曲想といい、見る者を圧倒する強烈なインパクトがあった。何と言っても当時の邦題が「ハイスクールはダンステリア」... エピックの洋楽担当者の頭の中もきっとお花畑状態だったのだろう(笑)
この時点でその後の彼女の活躍を予想できた人はそんなにいなかったように思う。私も含めて多くの人間が、彼女の周りに立ち込めるキワモノ的な空気から “ド派手な一発屋” という目で彼女を見ていた。しかし②に続くセカンド・シングル④「タイム・アフター・タイム」はそういったステレオタイプ的な見方を木っ端微塵に打ち砕き、彼女が只者ではないことを満天下に示すのに十分な名曲だった。それは超元気印の前シングルとは好対照をなすバラッドで、彼女は80's名曲の殿堂入り確実なこの曲で胸を締め付けるような切ないヴォーカルを聴かせてくれた。この曲は全米№1になっただけでなく、様々なアーティスト達がこぞってカヴァーする、いわゆる “スタンダード・ソング” の仲間入りも果たした。あのマイルス・デイビスが取り上げたことでもこの曲の影響力の大きさがわかろうというものだ。
その後も彼女の快進撃は続き、⑤「シー・バップ」が3位、⑥「オール・スルー・ザ・ナイト」が5位と、デビュー・アルバムから4曲連続トップ5に入れるという偉業を成し遂げた。もちろんMTVの影響でロックのヴィジュアル化が進んだことも追い風にはなっていたとは思うが、それ以上に収録曲の出来の良さと彼女のアーティスト・パワーがこのアルバムを全米だけで600万枚、全世界で900万枚以上売り上げる原動力になったのだと思う。
翌85年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」の録音時の映像で、全身を震わせながら “ウォウ ウォウ ウォウ レェ~タス リ~アラァ~イズ オゥ ザラ チャ~インジ キャンオンリィ カ~ム♪”と絶唱し、自分の順番が終わった後でもアドリブでシャウトするシンディーがたまらなく好きだ。
Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun (Official Video)
私がリアルタイムで追いかけた80'sポップスにもそういった時期が何度か巡ってきたが、特に印象に残っているのが1984年の上半期で、80'sの10年間の中でも一二を争う密度の濃さだった。生まれ変わったイエスが「ロンリー・ハート」で全米№1に輝くという衝撃の幕開けに始まり、マドンナが「ホリデイ」でシーンに浮上するわ、カルチャー・クラブはカマカマするわ、ヴァン・ヘイレンはキーボード弾きまくりでジャンプするわ、マイコーは狼男と化してゾンビ・ダンスを踊るわ、ネーナは風船飛ばしてドイツ語でロックするわで、アメリカン・トップ40は毎週もの凄いことになっていた。そんな中、何の前触れもなく突然チャートに飛び込んできて並み居る強者達を抑えてあれよあれよという間に2位にまで上がったのがシンディー・ローパーの②「ガールズ・ジャスト・ウォナ・ハブ・ファン」だった。初めて聴いたのは例によって小林克也さんの「ベスト・ヒットUSA」だったが、とにかく彼女の自由奔放で天真爛漫なキャラ設定といい、エキセントリックに響き渡るレインボー・ヴォイスといい、心がウキウキするような底抜けに明るい曲想といい、見る者を圧倒する強烈なインパクトがあった。何と言っても当時の邦題が「ハイスクールはダンステリア」... エピックの洋楽担当者の頭の中もきっとお花畑状態だったのだろう(笑)
この時点でその後の彼女の活躍を予想できた人はそんなにいなかったように思う。私も含めて多くの人間が、彼女の周りに立ち込めるキワモノ的な空気から “ド派手な一発屋” という目で彼女を見ていた。しかし②に続くセカンド・シングル④「タイム・アフター・タイム」はそういったステレオタイプ的な見方を木っ端微塵に打ち砕き、彼女が只者ではないことを満天下に示すのに十分な名曲だった。それは超元気印の前シングルとは好対照をなすバラッドで、彼女は80's名曲の殿堂入り確実なこの曲で胸を締め付けるような切ないヴォーカルを聴かせてくれた。この曲は全米№1になっただけでなく、様々なアーティスト達がこぞってカヴァーする、いわゆる “スタンダード・ソング” の仲間入りも果たした。あのマイルス・デイビスが取り上げたことでもこの曲の影響力の大きさがわかろうというものだ。
その後も彼女の快進撃は続き、⑤「シー・バップ」が3位、⑥「オール・スルー・ザ・ナイト」が5位と、デビュー・アルバムから4曲連続トップ5に入れるという偉業を成し遂げた。もちろんMTVの影響でロックのヴィジュアル化が進んだことも追い風にはなっていたとは思うが、それ以上に収録曲の出来の良さと彼女のアーティスト・パワーがこのアルバムを全米だけで600万枚、全世界で900万枚以上売り上げる原動力になったのだと思う。
翌85年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」の録音時の映像で、全身を震わせながら “ウォウ ウォウ ウォウ レェ~タス リ~アラァ~イズ オゥ ザラ チャ~インジ キャンオンリィ カ~ム♪”と絶唱し、自分の順番が終わった後でもアドリブでシャウトするシンディーがたまらなく好きだ。
Cyndi Lauper - Girls Just Want To Have Fun (Official Video)