津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(468)寛永七年・日帳(一月十二日~十四日)

2021-01-24 11:10:02 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)十二日~十四日

         |                        
         |    十二日  加来二郎兵衛
         |
忠利放鷹     |一、今日、御鷹野ニ被成御座候也、
外様鉄炮弓頭等配 |一、桑原主殿・神西與三右衛門・山田加左衛門尉登城にて被申候ハ、外様之御鉄炮・御弓衆御給知を
下ノ給知ニツキ歎 |  被下、身躰不罷成通、去年已來数度申上候、急度得 御諚、とかくの埒あき候様ニと被申候、此
願ス       |  
         |  方ゟ申候ハ、ずいぶん心懸申候へ共、御隙無御座ニ付而不申上候、如何様御次而を以、可得 御
         |  諚由、申候処ニ、神西申候ハ、今度江戸御作事ニ被遣御鉄炮衆も、前々の御切米被下筈ニ而、
妻子ノかた付モナ |  御かし米も被下候へ共、妻子ものかた付も加仕様無之由被申候、此方ゟ申候ハ、前々のことくニ
ラズ  奉行返答 |               〃
扶持ヲ放サム   |  御切米被遣筈ニ究、御かし米等被遣上ニ、左様ニ申候ハヽ、御ふちをはなし、新参ニ能者を置替
         |  可被申由、申渡候事、
         |                                         (本庄)
榎木ノ黒木百五十 |一、辻九右衛門、榎木にて黒木百五十束被仰付候、やき調、先爰元へ八十束出し申由申候、喜介・
束ヲ薪炭奉行へ渡 |  (板根)
サシム      |  九右衛門ニ渡置候へと申付候事、残分も早々出させ候へと申渡候、又ふすべ不申榎木三十束有之
         |  由、申候事、

         |                        
         |    十三日  奥村少兵衛
         |
         |一、今日は、何方へも 殿様不被成御出候事、
         |  (種次)              (田川郡)(同郡)
立花種次饗応ノ奉 |一、立花主膳様被成御通ニ付而、香春・採銅所ノ間ニ而、御振舞被成候御奉行ニ、志賀左門被遣候
行へ鉄炮ヲ与フ  |  処、御鉄炮壱丁拝領仕由、被申候事、

         |                        
         |    十四日  安東九兵衛
         |
忠利放鷹     |一、今日未明ゟ、御鷹野ニ被成御座候事、
         |       (安芸安芸郡)
浪奈之丸ノ帆柱等 |一、手嶋茂太夫倉橋ゟ罷帰候、なミなしの柱相調申候、其外之柱弐本相調申候由、何も柱見事二御座
見事ニ出来ス   |     (兵介)(鏡善右衛門)
         |  候由、白井・加々見申由申候事、
宮部権三郎式日欠 |一、宮部権三郎相煩居申候、若明日十五日之御礼なと御座候は、罷出儀成不申候間、御せんさくの時
席届       |  ハ其段日仰加日下候由、山田田七を以日申聞候事、
門跡使者     |一、門跡ゟ御使者日参候事、
         |                 (御牧郡)
筑前ヨリ夫婦幷ニ |一、人留尾藤新介登城にて申候ハ、筑前黒崎より夫婦弐人走来候、又さうり取一人、右之ものを同道に
         |                          (松井興長)
草履取走来ル   |  て参候を、御年寄衆へ召連参候ヘハ、右ノさうり取ハ、式ア殿内小性九丞ノと申ものめし抱申候
ソノ身上     |                                   〃
         |               (等覚寺)
         |  由、右ノ夫婦ノ物ハ、京都郡とかく寺村ニ女房ノ親有之由申候、男ハ筑前之者之由申候、彼在所
郡奉行へ引渡シ有 |  へ参、有付申度由申候間、人を付、御郡奉行
衆へ引渡候へと、被仰聞候、得其意申候由、返事申
付シム      |  候事而、御郡奉行添状仕、御鉄炮衆一人遣候事、
         |   〃
江戸ヨリ飛脚   |一、江戸ゟ、御鉄炮衆弐人参候、壱人ハ田中兵庫抱申衆古川六左衛門と申者、一人ハ上林甚介抱申伊
ソノ旅程     |  藤善右衛門也、江戸を十二月廿五日に罷立、大坂ニ正月六日ニ着、同八日ニ大坂出船仕由、御小
書状物数ノ覚   |  早之御船頭石松作内舟にて下ル、江戸ゟ持下申物数ノ覚
         |   殿様ゟ貴田権内へ当被遣 御書ノ御請一箱、
         |          (親英)
         |   町三右衛門・松野織アゟ言上状一箱、
三斎十二月十六日 |一、三斎様ハ極月十六日ニ、江戸被成 御着由申候事、
江戸ニ着ス    |
         |                (規矩郡)
逸隼ヲ見付シ者  |一、今日それ申候隼見付申御百性は、貫村長谷部文左衛門百性才蔵と申也、御小人ノ五介と申もの、
居上ゲシ者    |  亀をつき候て居申候処、近クニハ御鷹師衆も有合不被申候間、すへあけ候てくれ候へ、無左候へ
         |                (葛原、規矩郡)
         |  ハ日暮申由申ニ付、すへ上候て、くす原迄参、林弥五左衛門方へ相渡申由、申候事、

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■江津湖畔のあの場所

2021-01-24 07:42:28 | 徒然

 私の幼い時分の記憶では、現在の熊本県立図書館前の細い道路の突き当りに、母方の祖母の叔父の家があった。
小堀流5代目水翁の孫娘に祖母の叔父の平七(7代目)が婿養子となっていた。
江津湖が一面に見渡せる眺望がすばらしい処だった。時折祖母についてここを訪れたが、この広い屋敷の脇には江津湖に下る階段が有って、舟がもやってあった。
遊びに行くと、私は一人この階段を下りて子供のひざ丈にも至らない、清冽な湧き水の中で小魚を網ですくって楽しんだものだ。舟をそっと動かすと、どんかっちょが石にへばりついていた。
私は、この屋敷は道の突き当りに在ったと記憶していたが、幼い記憶の勘違いかもしれないが、現況は突き抜けている。
先日も図書館の帰りに江津湖の遊歩道を散策したのだが、場所を特定することが出来なかった。

私は随分古いゼンリンの地図を持っているが、昨日何気に眺めていて小さく名字の表記を見付、この場所を特定することができた。

もしやと思ったが、健軍神社参道入り口近くの電車道路から、熊本市立体育館の南側まで伸びている計画道路がこの屋敷を抜け、江津湖をまたいで対岸にぬけていた。
これが、抜けると随分便利になる事は間違いないが、住宅地としては一等地の場所の用地確保は至難の事であろう。
そうなれば、私の幼いころの思い出の地は、なくなってしまうことになるが、私が生きている間に完成す津用には思えない。

            熊本の古式泳法・小堀流踏水術の代々の師範
                   6                10        

         猿木権七---+--宗那---+----眞壽夫----恭経
           ‖   |    |
         +--●   |    +----●(T・祖母)---●(S・母親)---津々堂
         |     |    |
         |     |    +----●(F)
         |     |
         |     +--(西村)宗系------○==眞壽夫・二男
       5    |    |
    小堀水翁-- +----○-- | -------- ●
               |        ‖ 7
               +--(小堀)平七
               |     8
               +--(城)義核        数字は代々の小堀流の師範をしめす。9代は広吉寅雄氏、11代は古閑忠夫氏である。

コメント (3)
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■細川小倉藩(467)寛永七年・日帳(一月八日~十一日)

2021-01-23 09:41:01 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)八日~十一日

         |                        
         |    八日  安東九兵衛
         |
出家ノ年賀    |一、今日、出家衆御礼在之事、
忠興放鷹     |一、御鷹野ニ被成御座候事、                     (横田権佐ヵ)
四十二丁立ノ船ノ |一、水橋五郎助舟四十弐丁立の日覆・今度出来の六端帆の日おゝいの御奉行■■■■湯浅角兵衛与林
日覆  新造ノ六 |        (角之丞ヵ)
端帆ノ日覆ノ作製 |  田喜左衛門・不破与吉川十兵衛也、
本阿弥光益書状  |一、本阿弥公益ゟ飛脚にて文箱参候を、南川治部を以、上ル也、  

         |                        
         |    九日  加来二郎兵衛
         |
舟梶用ノ鯨鬚二十 |一、御舟ノ梶ニ成候くじらのひげ廿六本之由にて、弐包ニして、吉田縫殿ゟ被持せ上候事、
六本       |
         |                  (氏銕)                       本多甲斐守様ゟ御文箱一つ、
戸田氏銕本多政朝 |一、御船頭熊平介、大坂ゟ罷下候ニ、戸田左門様ゟ 殿様へ被進之候御文箱壱つ〇志水伯耆所へ被成
書状来ル     |                                      (元五)
忠利志水元五邸ニ |   (出ヵ)                            (異筆)(茣蓙包)
アリ       |  御■座候間、奥村少兵衛ニ持せ、上ヶ申候事、「但、こざつゝミノ手桶壱つ参候也」
         |一、式ア少輔殿へ、寺嶋主水ゟ遣被申状壱包、是茂同前ニ少兵衛ニ持せ遣、伯耆殿にて、式ア殿へ相
         |  渡申候也、
志水元五加増千石 |一、志水伯耆守ニ御加増、千石被遣候事、
鉄炮足軽獺ヲ上グ |一、修理召抱候御鉄炮衆大村五郎左衛門尉、田川ニ而、獺壱つ取申由ニ而、差上申候、
         |                 続亀介与前川茂次右衛門
驢馬買入ニ肥前へ |一、ろ馬かいニ、肥前へ被遣御鉄炮衆友田二郎兵衛与梶原喜左衛門・御中間壱人被遣候、御中間ハか
仲間ヲ遣ス    |                 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
鉄炮足軽ハ横目  |                                 
仮切手ニテ銀ヲ請 |  い手、御鉄炮衆ハよこめニ遣候、かり切手にて御銀請取参、罷帰次第切手調候へと申渡候事、
取ル       |
         |   (政長)
中村政長ニ被物  |一、中村少兵衛ニ、御小袖五つ被遣、今日下関へ被成御戻候事、
唐人少峯ニ給与  |一、少峯ニ、銀子十枚・御小袖壱つ被遣候也、
         |一、中村少兵衛、下関へ被罷帰ニ付、案内者として、歩之御小性黒木三太夫・森左平次被参候処、今
         |  晩ハ日和悪敷ニ付而、関へ被渡候事成不申候由、船頭とも申候、就夫、内裏庄や所ニ逗留仕候
         |  由、被申候事、
         |   (与ヵ)
忠利折節獺皮ヲ頭 |一、修理■抱大村五郎左衛門、獺壱つ上ヶ申候処ニ、能上ヶ申候由申渡、ほめ候て可遣候、折節御ほ
巾ノ裏ニ求ムル所 |  しく被 思召候処ニ、被成御満足候、御頭巾ノうらニ可被成候間、早々皮をはかせ可申旨、 御
満足ス      |  意候事、

         |                        
         |    十日  奥村少兵衛
         |
忠利終日放鷹   |一、今日ハ終日、御鷹野被成候事、
少峯長崎へ帰ル  |一、少峯事、長崎罷帰候事、
江戸邸門番交替帰 |一、黒瀬善右衛門・二瀬助右衛門・加藤作左衛門・深水惣右衛門、此四人ハ江戸ゟ、御門番にて罷
国ス       |  下候也、内右、介右衛門ハくじ取にて、口ノ御納戸之御番ニ申付候也、
本阿弥光益飛脚ニ |一、本阿弥光益ゟ之飛脚ニ、京銭弐貫文被遣候也、
京銭ヲ給ス    |

         |                        
         |    十一日  安東九兵衛
         |
忠利放鷹     |一、今日、御鷹野に被成御座候也、
使者谷忠兵衛豊後 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ御使者に被遣、今日被罷帰候、御横目衆ゟ、御小袖弐つ宛四つ拝領仕
横目ヨリ厚遇サル |  由被申候、左候而、御振舞被下候由、被申候事、
         |                      (幸長)
京菊屋宗有ヨリノ |一、京都菊屋宗有手前ゟ、御借銀ノ儀に付而、野田小左衛門尉へ差越申状、小左衛門ニ相渡候事、
借銀二ツキ書状  |
         |   (種次)       (筑後山門郡)         (田川郡)(同郡)
立花種次通過にツ |一、立花主膳様、内裏ゟ柳川へ被成御通ニ付而、猪膝か香春可為御泊候条、御振舞可申付由ニ而、志
キ饗応      |             (元明)
         |  賀左門只今被遣候、則住江甚兵衛ニ申付、御振舞道具次夫ニ而持せ遣候事、
鷹野用ノ馬ヲ細工 |一、御鷹野ニ御持ニ被成候馬壱疋作せ可申旨、御鷹師上田太郎兵衛を以、被仰出候、則御細工早田才
師ニ造ラシム   |  助ニ申付候而、作せ申候也、
         |                                 (嘉)
立花種次饗応ニ料 |一、立花主膳様御通り被成候、香春まて御振舞被成候ニ付、御料理人吉田加右衛門・大野孫市、両人
理人       |  差遣候也、
         |一、立花主膳殿香春にて被成御振舞ニ付、志賀左門被参候ニ、歩之御小性森左平次を相添候而遣候
         |  事、
中津ノ出家等年賀 |一、年頭之御礼ニ、中津之出家衆被参候、今日御礼被成御請候也、
ニ来ル      |
山内勘助初見   |一、山内勘兵衛孫勘助、只今御礼申させ候由にて、三太夫同心にて被参候事、

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■テーマ曲「あはがり」

2021-01-23 07:32:45 | 徒然

 NHK・BSの「新日本風土記」で「長崎街道」をやっていたが、いつもの如く途中からである。
    再放送 BS4K 129金曜  ~ 新日本風土記「長崎街道」

吉宗の時代、長崎から江戸に向けて象が歩いた古い道である。
長い歴史が新しい時代へ時を刻んでいく中、消し難い伝統が生きづいている。歴史のすばらしさ、有難さをしみじみ感じる。
小さな子供たちを主役として、小さな町はお祭りで絆を確かめ合って時代を継承していく。子供たちの誇らしげな顔が古里への想いを焼き付けたことを物語っている。
そして町は生き続ける。
シュガー街道とも呼ばれる砂糖の文化は、長崎のカステラから、小城の羊羹へと長崎街道を通じて受け継がれ、甘みが少なくなる事を「長崎が遠くなる」というのだそうな。
「象も歩いた」長崎街道223キロ、終点は小倉の大橋である。小倉には古の姿を残そうと木造の橋が現存する。
歴史をどのように伝え遺すのか、私はテーマ曲の「あはがり」に想いをする。
奄美の歌だが、あの素朴なメロディーと歌が醸し出す詩情は、太古の古里へ導かれるような心地である。
豊前街道はどうか、豊後街道は・・日向街道・薩摩街道はどうか。そして往還と呼ばれた古い道を大切にしたい。
「あはがり」の魔力に陥ったような気持ちで、見入ってしまった。

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■細川小倉藩(466)寛永七年・日帳(一月五日~七日)

2021-01-22 17:56:25 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)五日~七日

         |                        
         |    五日  安東九兵衛
         |
忠利松井興長邸ニ |一、今日、式ア少輔殿江御申在之事、
臨ム       |
拝領ノ鷹逸ル   |一、御鷹それ申ニ付、尋させニ人数出し可申旨被 仰出候、筑前ノ内へ鷹参候ハヽ、参候て所の者ニ
筑前ヘノ探索ニハ |  も可申ハ、 越中拝領仕候たかそれ参候ニ付、是迄参候由申候而、すへ上ヶ可申旨ニ候間、何も
拝領ノ鷹ナルヲ理 |  尋ニ被参候衆へ申渡候へと申付、遣候、御鉄炮衆名ハ上林甚介与内ノ尾忠右衛門・宗像長介、二
ハラシム     |  人ニ書付を持せ遣候事、
         | (矢山、規矩郡)
矢山ノ牧馬煩ニ牧 |一、屋山の御牧馬煩申由、牧番之者ともゟ、酒井忠三郎所へ申越候ニ付而、牧竹遊遣申由、上田忠左
竹遊ヲ遣ス    |  衛門被申候事、
         |                                  (規矩郡)
忠利自ラ逸鷹ヲ探 |一、御拝領ノ御鷹それ申ニ付而、 殿様も可被成御尋と候て、式ア殿すくニ蒲生へ被成 御座候事、
求ス       |
         |               (工脱)
忠利曽根村ニ泊ス |一、殿様そねへ被成御泊候、八喜木・八喜吉右衛門預り之御鷹、今晩夜通ニ、そねへすへ候て可参旨、
八喜木工等預鷹ヲ |  千手新左衛門を以、被仰下ニ付而、両人やとへ新左衛門参候而申候へ共、御鷹尋ニ被参、留守に
徴セラル     |  て候ニ付而、書状相調、右両人蒲生ニ居可被申候間、書状持せ遣候事、
         |                (鍬)
         |  右ノ両人よひニ遣候ものハ、御くわの喜三郎・六左衛門、

         |                        
         |    六日  加来二郎兵衛
         |
         |                     (苅田、京都郡)(中津郡)
京都郡奉行惣庄屋 |一、蓑田甚丞被申候ハ、 殿様曽根迄被成御座候、かん田・大橋辺迄今日御越被成儀御座候ハヽ、私
ノ参勤ヲ伺ウ   |  共御惣庄やも居り不申候て如何可有御座候哉、かん田ノ惣庄やハ、夕ア差辺申候由被申候、御惣庄
         |           
         |  やめしつれ、早々可罷帰由申渡、遣候事、
         |一、竹原少太夫所ゟ被申越候ハ、御鷹すへ上ヶ次第ニ可被成御帰城旨、被 仰出由、曽根ゟ書状にて
         |  被申越候也、
         |   (友好)     (成政)
鳩二十鳥黐ノ用  |一、松井宇右衛門・坂崎清左衛門ゟはと廿斗、とりもちを持せ、差越候様ニと被申越候、則竹内吉兵
         |     (正照)
         |  衛・松野右京殿へ申入候ヘハ、吉兵衛所ゟ、生鳩五つ持せ被上候也、
風呂ノ火ノ用心ヲ |一、御風呂之火をよくけし候共、若不念ニけし候ハん儀も可在之候間、虎間之坊主守へ念を入、見候
虎ノ間坊主ニ命ズ |  へと申遣候、口ノ御坊主宗茂を以、奥へ申遣由、祐念申候也、
         |
忠利自ラ逸鷹ヲ探 |一、殿様今日も御鷹尋ニ被成御出候処、城野にて修理抱申候御鉄炮衆ノ内、村田弥次兵衛と申もの、
ス  逸鷹ヲ見付 |  御鷹を見付、 殿様へ御直ニ申上、そのまゝ 殿様御すへ上被成候、左候テ、右鉄炮衆ニハ、な
ケシ鉄炮足軽へ褒 |  にをかな御ほうびニ可被下旨 御諚にて、御切米一ばいニ成可被下候間、御供仕、参候へと被
美トシテ切米ヲ倍 |  仰出候事、
増ス       |

         |                        
         |    七日  奥村少兵衛
         |     側小姓・御扈従役歟 百五十石 (於豊前小倉御侍帳)八左衛門嫡男         (規矩郡)
寺本久太郎へ小袖 |一、今朝、寺本久太郎男小袖壱つ拝領仕候、子細は、昨晩そねゟ 殿様御帰之刻、香春口にて 御目
贈与ノ理由    |                                    (志位村、規矩郡)
         |  見え仕居申候処、被成 御諚候ハ、寺本八左衛門と荒木助左衛門ニ可申候ハ、しい・もわら辺ニ
         |                                       (母原村、同郡)
         |  鷹居申由、申来候間、右両人ニ鉄炮ノものとも手ニ付、明朝七つ時ニしい・もわらへ参、鷹た
         |  つねヵ申旨、被成 御諚候ニ付、久太郎御請申上候ハ、八左衛門尉ハ昨日ゟ御鷹尋ニ参、未罷帰
         |  候由、申上候ヘハ、もはやもとり可申候間、かへり候て可申渡旨被成 御諚候、八左衛門不罷成
         |  ニ付而、夜通ニ八左衛門居申所へ参、 御諚之旨申渡、此段今朝申上候処、きとくニ参候と被
         |  思召候由被 仰出、則 御前ニ被召出、呉服壱つ拝領仕候事、
真下七兵衛へ謡初 |一、御謡初之地謡ニ被上候へと、真下七兵衛所へ申触候ヘハ、事之外ふるい付申候間、御尋も御座候
ノ地謡ノ命    |  ハヽ、此段可申上由、使者ニ而被申越候事、

         |    七日  奥村少兵衛
         |    〃〃  〃〃〃〃〃
         |  (規矩郡)
片野村大膳ニ賞与 |一、片野村之大膳ニ、銀子三枚・御小袖二つ・かたきぬ・はかま被遣候事、

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■あったかくなったら~♪♪♪

2021-01-22 07:33:54 | 徒然

 あったかくなったら、大津町周辺の歴史の勉強に出かけたいと思っている。
運転免許がないから足がなく、動けないナ~と思っていたが、ふとJRで出かけようと思った。
バスで水前寺駅へ行き、それからJR豊肥線で肥後大津迄約17キロ、22分ほど、往復料金で760円と年金爺にとっては誠に財布にやさしい。
朝の散歩で鍛えた足???で、いろいろ散策してみたい。都合10キロくらいの範囲だったら何とか歩けるだろう。
大津町の「文化財マップ」から、以下の所を踏破したいと思っている。
「跡」とある処は、看板だけだろうと思われるが、場所を確認し雰囲気に触れてみたいと思う。
有吉文書・年中行司抜粋から「一、大津御迎之式」「十四、就御發駕大津御送之式」の検証である。

 大津
  (18)御蔵跡 |(19)手永会所跡 |(20)御茶屋跡 |(21)高札場跡 |(22)人馬所跡 |(23)大松山公園 |(24)水月庵 |(25)光尊寺 | 日吉神社 | 覚音谷(かくおんだに)横穴群 | 浄正寺 | 上井手・塘町筋 |松古閑天神
   
  
  (26)大願寺 |(27)年禰神社 |(28)室簀戸口門跡 

追記:こんなことを書きましたら、今日はなんと41年ぶりの21℃となったそうでが、明日はどうやら雨模様の様です。

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■処分された光秀の初報

2021-01-21 10:28:20 | 歴史

 らいそくー信長戦国の古文書解読サイトー」という興味深いサイトがある。
このなかには、私が承知していなかった有吉立行(平吉)に関する書状が」取り上げられ、詳細な解説もあった。
       「麒麟がくる」の明智光秀が細川藤孝に宛てたあまり有名でない方の書状

光秀のこのような書状が何処に残されていたのかは、ここでは取り上げられてはいないが大いに気になる所だ。

 ところで昨晩のBSプレミアム「英雄たちの選択」では細川藤孝が取り上げられていた。
気が付いたときはすでに終盤で、見落としたに等しいが、27日の再放送にかじりつきたいと思っている。
       [NHKBSプレミアム] 2021年01月27日 午前8:00 ~ 午前9:00 (60分)
唯一「細川家に遺る光秀の書状は二番目のもので、最初の書状は細川家によって処分されたとする」磯田道史氏の解説は大いに説得力があり私も同じ思いをするものである。
           「明智光秀書状」の画像検索結果 磯田道史氏の御説・二番目の書状

最初の書状は光秀の泣き言がぐだぐたと書かれていたのであろう。これに対する細川家の返書が有り、さらには現存する光秀書状に至ったと考えるのは正鵠を得ていると思う。
細川家は立場を維持するために、他にもあったであろう光秀の文書は処分されたとする見方は当然のことである。

これらの書状が現存するならば、口さがない論客の百家争鳴も少しは静かであろうと思われるが、そういう意味では光秀は永遠である。

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■細川小倉藩(465)寛永七年・日帳(一月朔日~四日)

2021-01-21 06:59:47 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)朔日~四日

         |                        
         |    朔日  奥村少兵衛
         |
         |   (浅山)(田中氏次)
惣奉行年賀ノ定  |一、修理・兵庫ニハ太刀・折紙にて御礼可申上旨、被 仰付候事、
切米取ハ与毎ニ熨 |一、御切米取ノ分ハ、与切ニ御次ニ而に一所ニ被成御揃、のしを被下候、左候て、一人宛 御前へ罷
斗頂戴独礼    |  出候へと、被 仰出候事、
忠利溜池二放鷹ス |一、ため池へ御鷹野二被成御座候也、

         |                        
         |    二日  安東九兵衛
         |
中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ年頭之御礼ニ被参候衆、
細川立孝使者   |   是は立允様ゟノ御使者       (昭光)
         |   乃美主水・長岡河内・槙嶋云庵・魚住伝左衛門・佐藤伝兵衛・吉住半四郎・福知平右衛門・魚
         |        (村上景則)
         |   住孫作・香山角兵衛・金守権平・石田作右衛門・山本宗賀、
         |   右之衆御礼ニ被参、則今晩御礼相済候也、
謡初       |一、今晩御謡初有之事、
忠利溜池ニ放鷹ス |一、ため池へ御鷹野ニ被成御座候也、

         |                        
         |    三日  加来二郎兵衛
         |
船頭惣奉行網猟ノ |一、白井兵介・鏡善右衛門尉ゟ、被 仰付小鴨弐つ、あミにて打申由にて、被差上候事、
         |                   (松井興長)
豊後横目ヘノ馬代 |一、豊後御横目御両人へ為馬代、大判弐枚、式ア殿ゟ使として、真下七兵衛被持出候、うけ取置申候、
松井興長ヨリ出ル |  御使者谷忠兵衛ニ可相渡由也、
おびらめノ見本  |一、浦上瀬兵衛所ゟおびらめと申もの出し被申候、是を本ニして見せ、於有之ハ上ヶさせ可申由候、
         |  則百留忠左衛門ニ申渡候事、
         |一、中川佐左衛門・左内
         |〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |            (泰里)           (河成)
土御門泰里ト竹田 |一、左内借銀之儀ニ付而、土御門殿と出入之状、加々山主馬持参被申候を、京ノ段ニ入置候也、
左内借銀ノ出入  |            忠興末妹が土御門久侑簾中・泰里とあるのは息泰重ヵ?
         |
谷忠兵衛豊後横目 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ之御使者ニ明日被遣候、御一人ニ御小袖三つ宛、箱ニ入、御馬代ニ金
へ年賀之使者タリ |       (大脱)
祝儀ノ進物    |  一枚宛、則、判弐枚・御太刀折帋、忠兵衛ニ渡申候事、

         |                        
         |    四日  奥村少兵衛
         |
忠利溜池ニ放鷹  |一、今朝も、未明よりため池ニ、御鷹野ニ成被 御座候事、
         |
客人屋ノ茶ノ補充 |一、住江甚兵衛方ゟ被申越候は、御客人屋之御茶、此中請取申候ハミ」なニなり申候、今日中中村少兵衛
         |  下関ゟ被参候間、御茶うけ取可申由、被申聞ニ付而、相渡申候事、
         | 正月廿九日ニ、重田大坂衆ノ請取切手を取下、加藤・金子ニ渡申候也、就夫、判形けし也、                (黒印、抹消)
         |一、加藤・金子ゟ、銀一包、京衆へ持上候を、寺嶋主水ニ可相渡由にて、うけ取申候、重田吉左衛門〇
中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ、年頭の御礼ニ被参御侍衆、
         |           (友信)
         |  一色木工・佐方與左衛門・熊谷権太夫・長屋安左衛門・毛利又兵衛・坂崎加兵衛・猿木勘左衛門
         |  ・樹下右衛門・舟長舟四郎五郎・村上善九郎・加藤金左衛門・朽木弥七郎・川口平四郎・鳥井太
         |         〃
         |  兵衛・荒木長助・糸川長右衛門・庄林十兵衛・丸尾與三左衛門・岡田粘右衛門・白樫孫兵衛、
         |  右之衆、今晩御礼相済也、
年賀欠礼ニツキ鳥 |一、井門少次郎・宮本次郎太夫ハ眼気相煩申由にて、使者にて、鳥目次郎太夫三十疋、少二郎ハ弐拾
目ヲ上グ     |  疋被上候也、
         |        (元高)
奉行繁忙点が欠礼 |一、蒲田賢斎・志水二兵衛は、御用多候とて、使者にて、鳥目三十疋被差上候也、
ニツキ鳥目ヲ上グ |
財津惣兵衛父療養 |一、財津惣兵衛被申候は、親惣左衛門煩申ニ付、御暇を申候而、惣左衛門居申所へ参候而、養生仕せ
ノタメ賜暇願   |          (郷)  
         |  度候、若養生在合ニ而難成候ハヽ、此方へよひ、養生可仕由、被申候間、式ア殿へ、其段談合被
         |  仕候ヘ之由申候処、惣兵衛式ア少殿へ被申候ヘハ、早々被参候へ之由、被仰候由被申候、早々被
         |  三候へ之由、申渡候也、  

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■大寒でしたっけ・・

2021-01-20 17:49:13 | 徒然

 本の返却と、わがサイトでご紹介した資料のど忘れした資料をさがしに図書館へ出かける。
司書のかたに、わがサイトを見ていただき、それと思しき資料をさがしていただくが見つからない。
つまり、細川家譜の引用元の資料が何処なのか、全く分からなくなった。

 今日は大寒だというのに良い天気で風もなくサイクリングにはもってこいである。
図書館を出て裏の遊歩道から江津湖へでる。自販機でアイスクリームを購入してしばし休憩する。

写真右手奥に図書館がある。左手の枝をのぞかせているところは中之島、その奥に貸しボート屋さんのスワンボートが列を成している。
穏やかな湖面に鴨が数羽、とても大寒とは思えない暖かさの中、多くの方が散歩を楽しんでいる。
コロナとは無縁の穏やかな風景である。30分ほど休憩して「帰りは恐い」坂道を汗をかいて帰宅しました。

               

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■顎が諤々しています・・

2021-01-20 15:49:53 | 展覧会

 去年の11月中旬から歯医者のお世話になっているが、過日ようやく右下奥歯に冠がかぶさった。
これで終わりかと思ったら、右上奥歯が虫歯になっているという。レントゲン写真を見せられ否応なしである。
年を取って大口を開けさせられるのは難儀なことで、顎ががくがくしている。
こんな状態はもう願い下げにしたいから、この際一気に終わらせたいと思っている。
行きつけのデンタルクリニックは、評判が良いらしく、治療ブースが8っ程あり、大いににぎわっている。
予約が大変らしくて実際次の治療の予約などは、予約表の間隙を縫う形で15分きざみで「〇日の〇時は如何ですか?」とくる。
私のような年中日曜日状態の老人は一向構わないから、朝一番だとか、診療最終時間とか都合のよい患者だが、お勤めの方などはそうは行かず予約が大変であろう。
次回は28日、13回目の治療となるがそろそろ終わりに近づいて来ているようだ。
熊本は歯医者さんが多い街だといわれる。腕前も色々なのだろうが、良いクリニックに出会えたと満足している。

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■細川小倉藩(464)寛永六年・日帳(十二月十六日~廿九日)

2021-01-20 06:47:50 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年十二月)十六日~廿九日

         |                        
         |    十六日  加来二郎兵衛
         |                      遠藤
江戸へ飛脚    |一、今日江戸へ被差遣候御飛脚、友田次郎兵衛与高野徳右衛門・谷忠兵衛与大塚権左衛門尉也、
         |                      〃〃
         |                   (桁) 
         |一、右之御飛脚乗せ上候御船頭川村喜左左衛門也、
江戸ヘノ書状ノ覚 |  右御飛脚ニ渡申候物覚
         |  一、御六様へ被進之候御書箱壱つ、
         |     (親英)                                  (立成)
         |  一、松野織ア・町三右衛門方へ、式ア少輔殿ゟ被遣候文箱一包、道家左近右衛門方へ飯田才兵衛ゟ
         |                 (自徳院、松井康之室、沼田光長女)    
         |    遣被申状壱つ、式ア少輔殿ゟしとくゐんへ被遣候状壱つ、渡候也、
大坂奉行へ    |一、右之御飛脚乗せ上候御船頭ニ、大坂衆へ敷ア少輔殿ゟ被遣候文箱三からけ、慥届候へ之由申渡、
         |  相渡候、
宇野某在所へ賜暇 |一、宇野五郎左衛門在郷へ参、せんたくなと仕度由被申、御留守之間ニ被参候て、早々被罷帰候様ニ
願        |  申渡候事、
         |     五                                          参
稲生甚五兵衛使者 |一、稲生甚〇兵衛殿ゟ之御使者高田加右衛門尉へ、銀子三枚・御樽二つ・鴨三つ・鮑弐拾盃被遣候也、
へ給与      |                                      〃
沢村吉重金銀米銭 |一、大学殿ゟ、書状にて被申聞候は、万事金銀米銭諸払切手不落様付候へ、若おち候ハヽ、我等とも
諸払切手ノ付落ヲ |  無年ニ成可申候由付、いかやうニ仕能可有之哉、御さしつをうけ可被申通、栗野伝介・豊岡甚丞
戒ム       |  ニ申渡、大学方へ差遣候へは、大学被申候ハ、御奉行衆奉之儀候間、御奉行差図次第可仕由被
         |  申通、伝介・甚丞被申候事、

         |                        
         |    十七日  奥村少兵衛
         |
西沢文右衛門大橋 |一、西沢文右衛門尉被申候ハ、大橋へいつも御鷹野ニ被成 御座候時は、御くハしを上申候、今度も
鷹狩ノ時ハ菓子ヲ |  上申度存候間、罷帰、上可申通、式ア殿へも申候ヘハ、いつも上申儀ニ候は、参候而、上候へと
         |                           (コノ一丁ハ誤リテ、十三日ニ綴込マレルヲ旧ニ復ス、)
上グルガ例    |  被仰候、此段御奉行衆へも申理候へと被仰候、其心得仕「候へと被申候間、式ア殿御さしつの上
         |  ハ此方申分無之候、御越候へと申候事、
         |                (長沢顕長室、沼田清延女)
         |一、御長柄小頭惣左衛門与加兵衛ニ、いよとのゟはさミ箱壱つ、そねへ遣被申候を、持せ遣候也、
         |           (長門豊浦郡)    (政長)             そねゟ
中村政長ヲ下関ヨ |一、式ア殿ゟ被仰聞候ハ、下ノ関ニ居申、中村少兵衛よひニ遣可申旨〇被 仰下候間、廿丁立ノ御小早
         |                           (大裏、規矩郡)
リ召寄ス     |  壱艘申付、御船頭を式ア所へ被下候へ、様子可申候、又だいりゟあかり候て、陸を被参儀も可有
         |  之候間、乗物壱丁、乗物かき申もの可申付候、又小荷駄なとも入可申儀可有之候間、是も可申付
         |  通被下候間、得其意申候、則申付候通、御返事申候事、
         |一、宇佐永勝院弟子坊主参、被申候ハ、出世ニ罷上、近日下向仕候ゆへ、 御目見へニおそく罷出候、
         |  只今ハ 殿様曽根ニ被成御座」

             〇コノ間落丁アリ、記事ヲ欠ク (十七日~廿ハ日か)

         |  (破損)
         |  □□□□取次可申旨被 仰出、取次仕候事、
         |      (長元)
忠利小笠原長元邸 |一、今晩、小笠原備前守殿へ御申御座候也、
二臨ム      |      

         |         (ママ)                        
         |    廿九日  
         |
忠利放鷹     |一、今日も御鷹野ニ被成御座候事、
鴨罠差大晦日ノ有 |一、かもわなさしとも申候ハ、今晩は年ノ夜ニ而御座候間、わなを上可申候哉、年明候ハヽ、いつ比
様ヲ伺ウ     |  ゟさし可申哉と申候間、年ノ夜ハわなを上候へ、左候而、二日ノ夜ゟさし可申由、申渡候事、
罠ヲ引上ゲ二日夜 |
ヨリ猟セシム   |
知行宛行状ノ受渡 |一、林喜助ニ御知行被遣御書、喜助ニ相渡申候、右之御書、喜助請取候との御書写ニ、喜助判形仕せ
方写ニ審判セシメ |  候、但、吉田縫殿を証人ニ仕、喜助ニ 御書相渡申也、
証人ヲ立ツ    |
         |                  (長元)     (ママ)(元信)    (元高)    (可政)
歳暮ノ本丸ノ数寄 |一、今日、御本丸にて御数寄之衆、小笠原備前守殿・南条左右衛門尉殿・氏家志摩殿・加々山主馬・
ニ出席ノ老臣名  |  谷助兵衛也、

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■崩れ行く海馬とすごす小春かな

2021-01-19 14:23:10 | 徒然

 79歳の誕生日を迎えた。特別な感慨はないが、記憶力が鈍ったことと、体力が落ちたことは大いに実感している。
先の史談会で会友と雑談「散歩」の話になり、「体力が落ちてもやめてしまうとガックリきますよ」と言われて、心中を読まれたような気がした。
止めるつもりはないが、間引き運転になりつつあるから、大いに気を付けなければならない。
79年前の東京は随分寒かったと母から聞いたことだが、今日は10度程だが風もなく太陽が降り注いでまさに散歩日和である。
母を超えるにはまだまだ長生きしなければならないし、早死にしたおやじの分を取り戻さなければならない。

 散歩の途中に目を移した水無川には水が溜まっている。夜中にでも雨が降ったのだろうか、鴨が数羽餌をついばんでいるのが見えた。

               

 ご厚誼をいただいているS様から、10年ほど前にブログで上げた「細川家譜」についての出典のお尋ねが有った。
いろいろ考えたが思い出せない。引用するさいには「出典」を明記するのは当たり前のことだが、これを怠っていた。
カナ文字交じりでタイピングに大いに難儀したことだけが蘇ってくる。
多分図書館から借りて来たものだとは思うが、思い出せないし、図書館の蔵書リストからも見いだせない。
問い合わせなり、出向くなりしようと考えたが今日は休館日、何とも間が悪いがその旨ご返事し猶予をお願いした。

 79歳の脳みそは、毎日音を立てて脳の海馬が壊れている。上の事は、どれだけ頭を振り回してみても、ひょいとは思い出せそうにない。
           (上の駄句は数年前の秋の句だが、海馬の崩壊は今に始まったことではない。)
母を超えたいなどとぬかしているが、その時には老耄が極まっているかもしれないナと考えると・・・恐怖である。

 水無川の溜水に遊ぶ鴨たちの屈託なさ気な姿を見ていると、広い江津湖当りが餌も豊富でよかろうにとも思うが、これも又良しで羨ましくも思える。

         

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■細川小倉藩(463)寛永六年・日帳(十二月十四日~十五日)

2021-01-19 08:38:13 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年十二月)十四日~十五日

         |
         |        (ママ)                        
         |    十四日  
         |                                          (ママ)
江戸供ノ中小姓下 |一、今度江戸御供之御中小姓衆夜前被罷下衆、弓削勘十郎・磯谷半四郎・野瀬甚助、其外不残下洛之
着登城ス     |  由にて登城被仕候也、
         |                         (新居、遠江浜名郡)
入江三丞道中発病 |一、瀬崎猪右衛門・入江三丞被罷下候也、三丞は江戸道中荒井にて相煩、御跡ニ残候て、養生仕候而
新居ニ療養ス   |  罷下候、則其通書付を以申上候由、被申候也、
         |           (主水)
多賀不動院祈祷札 |一、町市丞被罷下候ニ、寺嶋ゟ、多賀不動院ゟ上ヶ被申候御札幷扇箱一つ被差下候、当年ハ両度上ヶ
ヲ上グ   寺島 |  被申候、請取申間敷由、達而寺嶋申候へ共、使僧かわりめにて候■ニ付、両度上ヶ申由、被申通
主水二度目故断ル |  ニ候、但、御初尾銀ハ一度分ならてハ不相渡由、寺嶋被申由、町市丞工場也、
妙寿院子息    |一、市丞ハ妙寿院之御息御下候ハヽ、供仕下候ヘと 御意にて、大坂ニ被残置候へ共、御煩にて無御
         |  下ニ付、罷下由、被申候事、
         |                   (沼田延之)
沼田延之借銀ノ袖 |一、寛永七年分ノ借銀のため御袖判壱枚、長岡勘解由殿被仰請、慥請取致頂戴との切手、飯田才兵衛
判請取切手ヲ飯田 |  ニ相渡ス、
才兵衛へ渡ス   |
久我梨ノ包装   |一、こかなし廿三、生嶋平三郎持出候而、つゝませ被申候、
         |一、こかなし廿八四、理右同、
         |       〃
         |                 (室、播磨郡西郡)(本田政朝)        
本田政朝ヘノ書状 |一、明日上方へ之御小早之船頭ニ渡、むろの左太夫ゟ本田甲斐様へ届候へと申渡、可遣由にて、杉ノ
         |       (可政)
         |  箱壱つ、加々山主馬被持出候、則雨かミニ包、札を付申候、

         |
         |        (ママ)                        
         |    十五日  
         |                             府(速見郡)
速見郡奉行参賀ノ |一、久野次郎左衛門尉登城にて被申候は、宇野七右衛門替番ニ別苻へ明日早々可参之由、宇野七右衛
断リヲ申出ズ   |  門かたゟ申来候、則参候、正月之御礼之儀は罷出にて御座有ましく候間、左様ニ御心得候而被下
         |  候様ニと、被申候也、
袖判等ノ物数ノ覚 |一、今日大坂まて、御袖判持せ遣候御船頭石松作内相渡候者数覚
袖判等二十枚   |  一、御袖判弐拾枚、杉之箱ニ入、苻之まゝ渡候事、
大坂京ノ奉行へ  |  一、大坂衆・京衆へ遣候状一からげ、
         |    (粟)    (深野)       (豊岡)
惣積奉行ヨリ大坂 |  一、栗の伝助・二郎右衛門・甚丞方ゟ、大坂衆へ被上候目録入候箱之由にて、壱つ、
奉行へ      |
本田政朝へ    |  一、本田甲斐守様へ被進之候小箱一つ、是は室まて持参仕、名村左太夫かたゟ届候筈之由、申渡
         |    候、則加々山主馬殿そへ状在之也、
         |                      右之物数、慥請取申候、御小早御船頭
         |                                  石松作内 〇(黒印)
江戸邸裏ノ番交替 |一、江戸御裏御番此中相詰申衆、黒瀬善右衛門・加藤作左衛門・市瀬助右衛門・深水惣右衛門かわ
下着       |  り候て、今日下着申候事、

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■御恵贈御礼「舒文堂・古文書及名家真蹟特集 52号」

2021-01-19 07:16:24 | 書籍・読書

                     

 熊本の古書肆・舒文堂河島書店様から「古文書及名家真蹟特集」をお贈りいただいた。いつもながらの御心配りに感謝申し上げる。
序文には「昨秋まとまった買入があり」そのためこのようなカタログを作られたとある。カラー写真づくめ36頁に及ぶものであり、都合134点が紹介されている。
旧前田侯所蔵品であったとされる「高師直禁制書状」385万円を筆頭に、数多くの名品が競い合っている。
また郷土資料其の他の書状・書簡・書幅・短冊など目の毒になるものばかりである。
なかには高祖父・上田半田(久兵衛)の短冊が掲載されており、少々心を動かされている。

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■細川小倉藩(462)寛永六年・日帳(十二月十ニ日~十三日)

2021-01-18 14:52:59 | 展覧会

                      日帳(寛永六年十二月)十ニ日~十三日

         |
         |        (ママ)                        
         |    十二日  
         |
忠利放鷹     |一、今朝夜明ニ、御鷹野ニ被成御座候事、
本丸前奉行所ノ掃 |一、御掃除坊主玄知ニ申渡候は、御本丸前かとの御奉行所掃除已下無油断可仕候、可仕候被成御覧、
除整備等ヲ命ズ  |                                     〃〃〃
         |  掃除あしく候ハヽ、其方共越度ニ成可申候、御鷹野なとに被成御座候而、日暮なとに御掃除之刻
広間番へ監督ノ申 |  ハ、火をとほし、御広間能見へ候様ニ可仕由、申渡候、御広間御番衆ニ茂、今橋三右衛門尉ニ
送リ
         |                                  〃
         |  茂申渡候、惣時已下無由断被申付候へ之由、次々の番衆ニ被申渡候へ之由、申渡候也、
兵法ノ時ノ唐人笠 |一、御兵法之時、入候唐人かさなりのかさ、可仕之由候而、小頭三郎四郎ニ申渡、則御本の唐人か
形ノ笠ノ調整   |  さも渡候也、
         |
床几持笠持ノ補充 |一、御しゃうぎ持壱人・御かさ持壱人不足仕候間、被仰付被下候へと、御さうり取一人参申候、心得
         |  候由申候事、
死鳥       |一、規矩郡之内高月村ニ、真鴨ノ男鳥壱つ、死候而有之を、百性見付候由ニて、平井五郎兵衛持参被
台所人へ渡ス   |                 な  (足立與兵衛)
         |  仕候、則 御前へ上申候事、でハのふてあだちニ渡ス、
         |                 〃
         |  (規矩郡)
高罠差      |一、篠崎村ノ高わなさし 清右衛門・新四郎
大手門番死ス   |一、大手之御門番三輪藤右衛門尉、夜前病死仕候由、北村平右衛門尉被申来候事、
誅伐       |一、下毛郡井原村之新介、今日被成御誅伐候而、首をハ筑前へ被遣候、彼新介女房ハ筑前之ものにて
首幷ニ女房ハ筑前 |  候ニ付、彼方へ被遣候、御使者ニは横田権佐被参候、男ノ首ハ御長柄衆四人申付、持せ遣候、女
へ遣ス 胴ハ様切 |                         (友好)
         |  ハ御昇衆三人申付、つれさせ遣候事、男ノ胴ハ、松井宇右衛門ニ被仰付、御こし物にて御ためさ
         |                 〃
         |  せ被成候事、
         |                              (重門)
筑紫重門ヘノ荷物 |一、長岡式ア少輔殿ゟ、安東九兵衛を被召寄候而、被仰聞候は、筑紫左近殿御母へ筑前ゟ参候荷物之、
請渡シ一件    |  只今得 御意候ヘハ、不苦儀にて候間、早々請取せ可申旨、被仰出候、左近殿御母明春へ参候荷物之
重門母明春ヘノ遺 |  儀にて候と申上候ヘハ、則明春之御内就、又左近殿御内衆一人両人遣候而請取せ可申候宗、被


品        |  出候ニ付、則右之 御諚之通、明春へ茂申進之候間、此方ゟ茂一人宛人留之所へ被遣候而、請取候様
         |  ニ申遣可然之由、被仰下候ニ付、則両人ゟ人を遣候、御家老衆御三人ゟも人を被遣候由、被仰越也、
         |     (米田是季)
忠利米田是季邸ニ |一、今日、監物殿へ御申御座候也、
臨ム
         |     (清)
上台所奉行数寄ノ |一、浦上勢兵衛所ゟ被申越は、明日之御数寄之用にて候間、三田辛螺五合程入申候間、可申付之由、
用ニ三田辛螺ヲ求 |  被申越候ニ付而、則平井五郎兵衛所へ申遣候也、
ム        |
         |                       (有吉英貴)
親ヲ打擲セシ百姓 |一、規矩郡志井村之百生、親をたゝき申候者の書物、頼母殿ゟ持せ被下、請取置申候也、
ノ書物      |
雑賀源左病死届  |一、雑加源左衛門尉、今日病死被仕候通、内ノ者申来候事、

         |
         |        (ママ)                        
         |    十三日  
         |                               (コゝニ錯簡一丁アレドモ、十七日ノ旧ニ苻復ス)
間部松浦家来ヘノ |一、岡部庄之介・松浦左源太、両人下々ニ被下候御切米・御ふちかたの 御印ちと違 申所有之ニ
切米扶持方御印ノ |  付、我等右ノ御書付、慥ニ請取申候、               皆川治ア丞〇(黒印)
書付請取     |    〃〃
鉄炮小頭中風ニ付 |一、山川惣右衛門尉登城にて被申候ハ、主預り之小頭和田三太夫中風煩、御用ニ立不申候間、与之
交替挨拶     |  内大島久太夫と申もの替ノ小頭ニ申付候、懸御目申候由ニ而召連、登城被仕候事、
奥ノ柿ノ包装   |一、おくゟ、柿四拾三被成御出、包せ可申之由にて候故、栗田與兵衛ニ包せ候也、
         |                                    (浄勝院、吉田兼治室、細川藤孝女)
京ヨリノ書状   |一、熊谷平左忠右衛門今日下着被仕候、京都ゟ、渡辺山城殿ゟの御返書ノ御文箱壱つ・しようせうゐん
         |    〃〃
         |  殿ゟの御ふミ壱つ・佐藤少三郎ゟの言上之状壱通ことつり候て、被持下候を、隠岐を以、 御前
         |  ニ上ル也、
江戸供ヨリ下着ノ |一、江戸御供之衆今日被罷下候衆、不破角之丞・瀬崎猪右衛門・窪田與助・大塚四郎兵衛・杉新右衛門
家中名付     |  ・津田左内・村上吉丞・湯浅角兵衛・山崎吉左衛門・熊谷忠右衛門・矢野少右衛門・田屋治ア右衛門
         |  ・田中八兵衛・安井太右衛門

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