津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■部分御舊記・軍事部八(14)向五郎八書物壱包三通

2021-11-19 10:58:03 | 先祖附

      ■向(井)五郎八書物壱包三通

一、二月廿七日之城責之時拙者罷出候時ハ戸田与市其外牢人衆と罷出三ノ丸土井乗越申候而二の丸の木戸口より五六間前にて鉄炮にて
  すねを打レ申候 此証拠ハ矢城源太左衛門・柳田平兵衛と申牢人衆にて御座候事
一、手負申候ゆへはやくかけ申候儀成兼候而二ノ丸へ右之衆ゟ少遅候ゆへ手ニ逢不申候 孤独地にて鉄を半分過こちおり申候而二ノ丸
  中ほとにて越中様御内鎌田源大夫私ニ手所見せ申理り先へ参候事
一、二ノ丸未浜手の土井ノ上にて肥後様ニも縣御目候内ニ手所縣御目其ゟ先へ急申候而本丸之下ニ而馬場三郎左ヱ門殿へ逢申候而
  手所見せ申候 坂ののほり口にひかへ罷有御家中中根市左ヱ門殿ニ断り申候 手負申候ゆへ諸勢を乗越上へあかり申候事成不申候
  罷在候処ニ日入自分ニ本丸先乗衆被申候 我等・戸田与市・生田喜三郎三人一度本丸へあかり申候 我等共一所ニ立花殿御内池部勘解由
  親子罷在候間互言葉をかわし本丸我等共居申候 右之方ニ越中守のほりも弐本立申候事
一、廿八日の朝ハこやへ何も罷帰故我等も手負故帰候而夜明時分本丸出角ノ石垣の下ニ罷在候 足叶不申候間たゝのほり申儀成不申候所ニ
  のほり橋かけ申候衆御座候間石垣の上へあかりやりにてつき合候処ニ我等小者とびおり又敵と仕合耳の根を鑓にて少つかれ申候事
  先荒増申上候已上
   二月廿八日         向井五郎八判
     本ノママ(
      岡式部少様まいる

     
  二月廿七日之城責之刻三ノ丸へいをのり申候時ハ戸田与一郎・屋代源太左衛門・柳田平兵衛と申牢人一所ニのり申候 二ノ丸
  木戸口より五六ま前にて拙者向すねを鉄炮にてうたれ申候 此証拠ニハ屋代源太左衛門・柳田平兵衛と申牢人にて御座候事
一、手負申候得とも二ノ丸之木戸迄敵の居申候内ニ参著木戸越ニ鑓を入候得ともはや内へ方々より乗こミ候衆敵を打取被申候
  にて残ル敵ハ本丸之方江にけ申候と見へ申候間我等も一人無念ニ存木戸ゟ右之方之土居をのり候而敵をおい申候得とも足叶ヒ
  かね候ゆへおい付不申所ニ越中様内鎌田源大夫殿ニ二ノ丸中ほとにて相申候而手柄見せ申候而鑓をつゑニ仕先へかせき申所ニ
  二ノ丸之末浜之方土居にて肥後様江懸御目御馬廻衆ニ手所を縣御目候而夫ゟ本丸へ急申候而坂下にて馬場三郎左ヱ門ニ相申手
  所見せ見せ申候得ハのけ候へと種々被仰候へとも本丸きわにて殊之外何れも働御座候間足叶かね候へとも坂中迄上り候ヘハ
                           
  上より人百斗おちかゝり手所を殊外うたれ申候間無是非かへ罷在候処ニ越中様御内中根市左衛門殿頓て上ニ御座候間手負申
  様子具ニ理り候手坂中ニひかへ罷在候 自然市左ヱ門殿御失念候半も不存候 御尋可被候 右之所にて少いきをつき罷在候所ニ
  先衆本丸へ乗被申候間生田喜三郎・戸田与一郎・屋代源太左衛門・柳田平兵衛なとゝ申牢人衆と一度ニ拙者も本丸へのり申候
  本丸二て右之浪人衆又立花殿御内池辺勘解由・同角兵衛一所ニ罷在候 其場ニ越中様御のほりたち申候 少相隔申候而御のほり
  大将衆へ言葉をかわし不申其夜之七時分迄右之場ニ罷在候得とも先ニハさくを御つけ何もとりさたに敵ハつめの丸へ引取申候
  間鉄炮責ニ被成候様ニ牢人共申候間小屋へ罷帰食たべ候間夜明時分ニつめ可申之由にて大勢引取被申候間我等も本丸ヲ罷出
  越中様御陳所へ帰り申候 廿八日之夜明時分ニ何も牢人衆同道仕参候得とも我等足まかひ不申ゆへおそく本丸石かき之下迄参候
  ヘハ足川権太郎・山本十郎右衛門・林弥兵衛なとニ相申候得ハ本丸へ心縣候得とも諸勢石垣之上ニ居被申候ニ付石垣ニのほり
  申儀成不申候其上敵くびをのへきられ申様成躰と承候間是ニひかへ居申由ニ候間其より拙者ハ越中様御陳所へ参縣御目 又本丸
  へ心縣石かきのきわ迄参候へとも足かなひ不申候ゆへひかへ居申候処ニのほり橋かけにて乗申人御座候間其時我等も石垣江上
  り申候て城中ヲ見申候得ハ敵四五人死人之中よりおきあかり石垣下ニ而何もとしやい申候所ニ我等小者とびおり首を一ッ取申
  候而より何も石垣より此方へおり申候 我等も越中様御本陳まて罷帰候 其刻ハ敵一人も城中見へ不申候間右之通ニ御座候 以来ハ
  何もニ右之段御尋少もいつわり御座候ハゝ我等ニ被仰聞可被下候爲其如此御座候 越中様江も右之様子御次而之刻具ニ被仰上可
  被下候以上

    三月朔日            向井五郎八
       長岡式部少様  
  

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■上林三入宛 細川立允書状

2021-11-19 06:23:15 | オークション

            細川忠興の四男 細川立孝書状一通 上林三入宛肥後国宇土藩祖行孝の実父 

    

      上林三入とは御物茶師八人の内の一人、旧姓藤村だがゆるされて上林を名乗った。
      参考:江戸時代の宇治茶師 
      細川立允に対する音信にたいしての礼状である。こういう交流があったことを示す貴重な書状である。 

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