津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■部分御舊記・軍事部八(16)寛永拾九年有馬働承処之覚(1)

2021-11-23 12:00:57 | 先祖附

      寛永拾九年有馬働承処之覚(1)

一、津田六郎左衛門
   二月廿七日有馬城乗之刻本丸水の手口の坂中にて本丸と出丸と両方より鉄砲にてうちすくめられ候ニ付一先引取可申
   哉と申すものも御座候つれとも引申儀ハ見苦敷御座候と申候て其所を一番ニ走り出水の手口ほうあて石垣わきへ早く
   著申候 其石垣上ニハ敵のあしよわとも未居申候由少間御座候間此石垣一番ニ乗越申内ノ透戸越ニ付居申候間ニ左右之
   升形より石なとひたとうちかけ申少々手負申候 然処ニ城中より敵一人鑓をふり透戸口へ参六郎左衛門脇に居申候もの
   をつき込少かゝり合申候ヘハ敵其儘鑓を引すり城中へ引取申候 其後御人数先引取候へと御諚之由承すとのきわを引の
   きほうあての石垣きわへ参候内ニ石にてうちたおされ申節死仕候を内之者引掛蓮池まて罷下候 右之証拠始中終ともニ
   木造兵助にて御座候由六郎左衛門儀始中後透戸際ニ相詰稼申候と聞申候以上
一、藤掛蔵人
   二月廿七日城乗之刻馬場三郎左衛門様蓮池の脇に御座候を御本陳より被成御覧いごし参候様ニ思召候間たてをもたせ
   参候へと被 仰付候付則たてをもたせ三郎左衛門様御側へ参右被仰付通申上候ヘハ御手前ハ不苦候本丸石垣下七八間
   ほとニたてをつかせたて裏ゟ上矢をうたせたく思召候由被仰候間則名名字を申上たてともを持せ岸を上り申候時沢村
   宇右衛門ニ参逢言葉を替シ石垣際より一間半下ニたてをつきならへ立石助兵衛ニ蔵人申候ハ御鉄砲たて裏ゟうたせ候
   へ蔵人事ハたて奉行ニ而候間たて裏ニ居候而ハいかゝニ存候間たての表ゟ下知可仕之由申候てたてより外へ出下知仕
   たてをしかとつかせ申候而ゟ石垣ハ乗掛り上ニ居申弓削五郎兵衛と度々言葉を替シ申候 其後何も先引取候へと 御諚
   ニ候へとも御人数引取候てより後たてを引取可申と津川四郎右衛門ニも断其儘罷居候 然処ニ石垣之角ゟ乗込申躰ニ御
   坐候付則蔵人も乗込申城中にて敵一人つきふせ申候 くびハ西川権四郎ニ見せ申之由其所へ蔵人預りのたてより外ニハ
   一ッも不参候と聞へ申候已上
一、入江八郎兵衛
   二月廿七日城乗之刻三ノ丸一番ニ乗込申候 此外ニ三人同前ニ乗申候 八郎兵衛儀ハ本丸塀ニ著申候処ニ塀之破より二鑓
   つかれ申手痛ニ付引取申之由是は両■■■■■■■■御座候以上
一、加藤安大夫
   二月廿七日城乗之刻御人数先引取候へとの御使ニ本丸下まで参候 御人数大分引取申候 然処ニ城中見申候ヘハ敵もさの
   ミ見へ不申候間乗込申候而見不申と早水忠兵衛ニ言葉を替シ則乗込申候 其辺にてハ其身一番ニ乗込候と存候へとも数
   ヶ所之儀にて御座候付差出ニ一番とハ書不申候 御帰陳以後御吟味之上を以益田哉一右衛門一番乗ニ罷成候 弥一右衛門
   乗込候節敵壱人つきふせ申候を安大夫見届申則証拠人ニ罷成候 弥一右衛門は角より西海手之方ゟ乗込申安大夫儀は角
   より北東之方ゟ乗込申城中にて参逢候 然時ハ安大夫儀も乗込申候段ハ一二をあらそひ候様二存と申之由其上城中にて
   御預之小筒にて手きわニ敵一人打ふせ申候 此証拠人早水忠兵衛にて御座候由安大夫儀越中守様江御老中ゟ別紙ニ書物 
   上り申能かせきニ相究申様ニ承候已上
一、乃美新八
   二月廿七日城乗之刻二ノ丸・本丸にても働能御座候様二御帰陣以後拾二と風聞仕候 更ともしかと仕たる儀ハ不承届候
   其身ニ鉄炮も五ッ当り申候へとも身ニハ一ッ通申候 新八儀今程江戸ニ罷居候間手を廻し可承様も無御座候以上

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■【希少本】永源師檀紀年録並付録 正伝永源院蔵本【日本史 細川氏】

2021-11-23 07:32:57 | オークション

             【希少本】永源師檀紀年録並付録 正伝永源院蔵本【日本史 細川氏】

                

 ヤフオクにこの本が出品されるなど思ってみませんでしたので、大変驚いています。
細川家の根本史料として知られますが、熊本県立図書館でも所蔵していません。発行部数も少なくなかなか入手がむつかしい希少本です。
即決価12,000円とはこれも驚きですね。フリーにしておけば結構上がるのではないかと思いますけど。
欲しいなと思いますが、一冊持ってますから当方はご遠慮することに致します。

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