津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■部分御舊記・軍事部八(2)

2021-11-02 09:10:23 | 史料

     二丸而頸取候者

谷主膳与
一、魚住藤七
  一、二月廿七日二丸小屋ゟ敵出働申候を一人仕留申候 證人宇野喜太郎 證人口相違無御座候

同与
一、宇野喜太郎
  一、二月廿七日小屋ニ引篭申敵鑓付申所を脇ニ居候敵候 私鑓ニ取付申候をもきはなしつき留申候 證人魚住藤三郎
    證人口相違無御座候

西郡要人佐与
一、伊藤左内
  一、二月廿七日二丸にて鑓を合つきふせ申内のものに首をとらせ申候与頭西郡要人佐ニ見せ申候
  一、證人口相違無御座候已上

嶋又左ヱ門与
一、友田八大夫
  一、二月廿七日二丸にて鑓一人うち取申候 證人朽木五右ヱ門・澤田市左衛門 證人口相違無御座候

一、佐分利彦右ヱ門
  一、二月廿七日二丸にて敵一人討捕則うちすてニ仕候 證人山路太左衛門 證人口相違無御座候以上

谷主膳与
一、魚住藤三郎
  一、二月廿七日二丸ニ居候敵を突伏申候 證人宇野喜太郎
  一、證人口相違無御座候以上

一、元田傳次
  一、二月廿七日二丸にて敵小屋之内ニ鑓を持居候をつき倒頸を取藪図書ニ見せ捨申候已上
  一、證人藪図書口相違無御座候已上

一、道家清十郎
  一、二月廿七日二丸にて敵一人つき留首ハ討捨ニ仕候 證人河喜多久四郎以上 證人口相違無御座候以上

松野右京与
一、野田清大夫
  一、二月廿七日二丸にて敵一人突留申候 證人松山次郎大夫
  一、證人口相違無御座候已上

一、佐々次郎右衛門  御中小姓
  一、二月廿七日二丸ニ而首取則鼻を取有吉頼母佐に見せ申候
  一、證人口相違無御座候已上

一、荒木太郎助
  一、二月廿七日二丸にて敵一人仕留鼻をかき申候 其後本丸大手升形ノ下にて平野弥次右衛門・和田清大夫ニ鼻を見せ申候
  一、證人口相違無御座候已上

一、中川長吉     御中小姓
  一、二月廿七日二丸にて敵一人つきふせ首を落シ申候所に鉄炮手負申ニ付はなをかき申候 其跡へ森半大夫參見届申候已上
    證人口相違無御座候已上

有吉舎人与
一、乃美新八
  一、二月廿七日本丸大手之口十間程口ノ土手をたてニ取居申敵一人つき倒申候 証人有吉頼母佐内渡邊傳左ヱ門以上
  一、證人口相違無御座候已上

志賀左門与
一、乃生右半太
  一、二月廿七日二丸にて敵一人討捕申候 證人乃美新八郎已上
  一、證人口相違無御座候已上
  一、同廿八日ニハ本丸ニ而柏木少九郎私一所にて一度に鑓合せ敵一人うち留申候以上 證人口相違無御座候已上

有吉舎人与
一、芦田孫作
  一、二月廿七日二之丸ゟ本丸へ引取申敵一人突候而鼻を取り申候 證人森部権大夫・入江少三郎 證人口相違無御座候已上

藪図書与
一、上野悪助
  一、二月廿七日二之丸ニ而敵一人突たをし頸取申候 證人藪図書助 證人口相違無御座候以上

有吉舎人与
一、芦田二郎左衛門 芦田与兵衛
  一、二月廿七日二之丸ニ乗小屋ニ居申敵壱人突候て鼻を取り有吉舎人ニ見せ申候 證人口相違無御座候已上

一、本庄角兵衛
  一、二月廿七日二之丸ニ而敵壱人突伏申候 證人赤星加左ヱ門 證人口相違無御座候已上

一、長岡八郎左衛門(細川三斎家老・村上景則か)
  一、二月廿七日二之丸池之際にて頸取申候 澤村右ヱ門一所にて見申候 證人口相違無御座候已上  

筑紫大膳与
一、春木与吉
  一、二月廿七日二の丸にて頸壱ッ取申候  證人磯谷七郎右ヱ門 證人口相違無御座候已上

有吉舎人与
一、野瀬儀左ヱ門  
  一、二月廿七日二ノ丸江乗頸二ッ取申候 證人ニハ歩之御小姓渡辺与左衛門 證人口相違無御座候已上

藪図書与
一、鳴海門大夫
  一、二月廿七日二の丸にて敵壱人討取申候 證人的場猪之助 證人口相違無御座候已上

一、中路加兵衛
  一、二月廿七日二ノ丸透戸口にて頸取申候 證人元田茂大夫 證人口相違無御座候已上

筑紫大膳与
一、天草文右衛門    御中小姓十大夫子
  一、二月廿七日二ノ丸にて頸取申候 證人戸並儀太夫 證人口相違無御座候以上

一、伊丹角介
  一、二月廿七日二ノ丸にて敵一人突伏申候 證人藪図書与之浪人能存候其段長谷川仁左衛門ニ申聞候 仁左衛門證人に
    にて御座候 證人口紛無御座候以上

谷主膳与
一、永良弥角      御中小姓孫大夫子
  一、二月廿七日二ノ丸はす池より前にて頸を取申候 證人芦田孫作・佐藤七左衛門 證人口相違無御座候以上

沢村宇右ヱ門与
一、服部武右衛門
  一、二月廿七日二ノ丸にて敵一人仕留申候 長岡右馬助内一之太郎右ヱ門見届申候 證人口相違無御座候已上

筑紫大膳与
一、田辺平大夫     御中小姓平右衛門子
  一、二月廿七日二之丸小屋之所にて敵壱人仕留申候 證人戸並儀大夫 證人口相違無御座候已上

藪図書与
一、森忠大夫
  一、二月廿七日本丸出丸口にて首壱つ取申候 證人吉田加大夫 證人口相違無御座候以上

一、財津三郎      御中小姓惣兵衛子
  一、二月廿七日二ノ丸にて固屋ニ居申敵弐人之内壱人突申候 首をハ長岡八郎左衛門ニ見せ申候 證人口相違無御座候以上

かねほり
一、篠原清兵衛
木村長門守重成の弟・重之)
  一、二月廿七日二之丸にて敵壱人懸り申候を仕留有吉頼母佐ニ見せ申候 証人竹内八兵衛 證人口相違無御座候已上 

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■川田順著「幽齋大居士」三二、天 橋

2021-11-02 06:48:15 | 先祖附

      三二、天 橋

 慶長五年も殘りすくなき十二月の某日、幽齋父子は切戸文殊閣の方丈に打寛いて、
閑談した。忠興は關ヶ原の戰功によつて去月豊前小倉四十萬石の領主に榮轉し、不日
田邉城を去つて、新春を九州で迎へようとしてゐる。文殊閣の一日は、幽齋が愛兒の
ために設けた壯行の會である。雪後の寒晴、天の橋立は一條のしろがねを碧海の上に
引いてゐた。去んぬる天正八年この方、二十年の長日月、此處北國の小城を生活の本
據とした幽齋は、今さらに名殘惜しく思ふのであつた。反之、三十七歳の大名忠興は
前途洋々、愉快でたまらない。一首の和歌を料紙にしたためて、父の膝の前に差出し
た。
 立わかれ松に名殘は惜しけれど思ひ切戸の天の橋立
「さまで名殘の惜しそうにもない歌ぢや。乍併、よう詠めてはをる。」
「聚樂の御會の時から見ますと、少々は進歩いたしましたらうか。」
「よう覺えてゐたな。良藥は口に苦味しと申す。苦味いと感じたら藥は効くのぢや、
かう申す乃公も、昔、一如院から苦味い藥を飲まされたのぢや。」
 幽齋は、懐舊に耽りながら、弓術師拘和離の一件を忠興に告白した。もしも一如院
が「檀那藝」と笑殺してくれなかつたならば、本當に「檀那藝」で終始したにちがひ
ない。あの時の天橋立百首をお世辭にも賞めてくれたならば、以後は何々百首の連射
で悉く的を外づれた大矢數、一生草臥儲けで終つたにちがひない。
「一如院は元氣なもので。いまだに落葉を掃いてをります。」
「乃公よりも二十年の先輩だから、今年八十七歳の筈ぢや。乃公も京都に移る、妙心
寺の頭塔に無住なのがあるゆゑ、貴僧も移つては如何と誘つて見た。」
「何と御返事いたしましたか。」
「いやぢやと申した。日本海の北風にあたらぬと風を引くと笑ひ居つたよ。」

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