津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■水前寺成趣園350年記念講演・シンポジウム

2021-11-27 17:23:58 | 講演会

                                                                    

    午後1時から、熊本城ホール(サクラマチ クマモト)で「水前寺成趣園350年記念講演・シンポジウム」が行われるの出かけた。
バスで出かけると終点がサクラマチ クマモトのバスターミナルでで、呆気ないほど運動量の少ないお出かけである。
コロナ禍から解放された?皆さんが満席とはいかないまでも盛会である。
基調講演はおなじみ奈良大学の千田嘉博教授、演題は「水前寺成趣園・熊本城と細川綱利」これはYouTubeでライブ放映されたようだ。
さすが千田教授、ライブ放映を大いに意識されながら、立て板に水の如くユーモアたっぷりでの講演は、多くの聴衆を魅了した。
そして城郭研究家ならではの視点での、作庭に応用された石垣築造技術に関する説明などは大いにうけてご満悦のご様子である。
シンポジウムも基調講演同様、引き続きライブ放映されたようだが、終了後はストップしたらしい。
出来れば引き続き放映をお願いしたいものだ。(要チェック)

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■熊本藩豊後鶴崎のはなし

2021-11-27 09:37:49 | 書籍・読書

私は過ぐる年大分に所要で出かけた折、わずかな時間を割いて図書館に出かけ鶴崎に関する資料を探し、そして鶴崎の地に数時間過ごしたことがある。
見たいところは沢山あるのだが、たかだか数時間ではお話にならない。
今般、鶴崎に係わる書籍を調べているうちに2020年5月に発刊されたこの書籍がある事を知った。
「輪中」・・・そうか鶴崎は二つの川に挟まれた島だと改めて認識させられた。
素晴らしい「鶴崎」の案内書であろうと確信して購入の手配をしている。到着が待ち遠しい。
そして精読をして、また彼地を訪ねたいと熟望している。


 Amazonでの購入

 弦書房の出版案内から
熊本藩の飛び地・豊後鶴崎は、参勤交代の港町として栄えたことで知られている。大野川の河口に位置し、堤防で囲まれた川の中の小島=輪中で生きる人々の特異な生活形態を克明に踏査した労作。5~10年に一度の割合で洪水被害にあうにもかかわらず、なぜこの輪中の中で暮らし続けるのか。また、京都大坂と長崎を結ぶキリスト教布教の拠点でもあり、多くの刀鍛冶が住み数々の名刀を生み出した独特な地域が当時の面影を宿しながら今も生きている。ほとんど知られていない輪中の世界に光をあてた画期的な一冊。

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 遺著(三)

2021-11-27 07:05:22 | 書籍・読書

      「歌仙幽齋」 遺著(三)

 左に彼が古今集以來の歌風について論ぜし一節を擧げむ。

 「古今は花實相對の集なり。後撰は實過分すとかや。拾遺は花實相兼ねたり。是ま
では歌の餘風ありと雖も、次第に陵夷するなり。後拾遺は、八雲御抄に、經信公、俳
諧の歌を入るゝにて、他事のわろさも知らると侍り。是より此の道たじろぐやうにて、
金葉詞花にて、はたと其の風損じけるを、西行が詠み直せるよし世穪之。然るにな
ほ俊成卿千載集を撰し給ひしより、金葉詞花の風をすて、歌道中興せり。新古今は正
しく定家卿撰者の一人たりと雖も、五人の撰者まちまちにて、定家撰の本意あらはれ
ず。然る間、勅をうけて新勅撰を撰まる。新古今は花が過ぎたりとて、新勅撰には實
を以て根本とせり。其の後、爲家卿、また續後撰を撰び進ぜらる。此の風、正風體、
花實相應、初心の學尤も肝要たるよし、先達穪之。此の後また歌の道陵夷するを、
後普光園攝政、頓阿が力なり。よく一集々々の建立を心にもちて見習ふべし。・・・・・
行往坐臥口にあるべきは詠歌大概、百人一首なり」

といへり。其の他、題詠、本歌取様、風體、歌病等、凡て中世歌學の祖述なり。ただ
彼の説中注意すべきは、「歌の程拍子の事」として説けるものなり。其の説に曰く、
「歌の程拍子といふ事は、歌は音律にかけて披講するものなり。然らばなどか程拍子
なからむ。世の常人の言語も、理りはありと雖も、程拍子わろければ理り聞えず。假
初の文章なども斯くのごとし。まづ歌に三十一字を用ゐる事も、程拍子によりての事
なるが、旋頭歌、混本歌などいふことも、本は三十一字に一句餘し、或は一句不足の
ある歌なり。これを今の世に、はやりもてあそばぬ事も、三十一字の歌には程拍子劣
る故なり。字餘りの歌も、程拍子をよく受けむが爲なり。古今、大江千里歌に、月見
れば千々に物こそ云々、此の歌の下句、秋ならねどもとあるべきを、秋にはあらねど
と、一字餘せるところに歌の程拍子あるべき歟、一字千金とはかやうの事なるべし」

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