津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ミーハーな私

2019-09-29 13:05:05 | 徒然

 私の散歩コースは自衛隊西部方面隊を一周するのがAコース、今日はその西部方面隊の創立67周年の記念行事が行われている。
数日前から隊員総出で式典の会場設営や、戦車?をはじめとする精鋭装備が展示の為に運び出されていた。
音楽隊も列をなして演奏や行進のけいこをしている。

股関節の痛みがあって、昨日は散歩をさぼってしまったが、今日は11時ころからAコースの方へ歩いてみる。
我家から至近(500mほど)の自衛隊の西北角まで出てみると、ちょうど戦車をはじめ精鋭装備の行進にであった。自衛隊の四周の道路を回るのであろう。
日頃は中々御目にかかることのない装備が列をなして轟音を立てて目の前を進んでいく。
巨大な地対空ランチャーや移動式のレーダー装備などが進んでいくが、子供たちのお目当てはやはり巨大な戦車だ。
宮崎の新田原から飛来したと思われる、11機のヘリコプターがV字形の編隊で頭の上を通り過ぎる。偵察機?2機がそのあとに続き、しばらくすると戦闘機2機も飛来、子供たちの嬌声で一段と盛り上がりを見せる。                                        (P3C) 
         ( F15)

私も30分ほどミーハー気分で拝見、パラ/\と雨が落ちてきたので退散、散歩とは言えない散歩であった。

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■御侍帳・家紋から考える(14)

2019-09-29 10:46:30 | 家紋

                                                                   

太田善九郎は「太田弥平家(南東14-11)」の6代目、名は勝雅、善九郎と称す。藩に仕へ食録百石、犬追物の師範となる。
 文化十一年正月十六日没す。享年七十八。横手四方地に葬る。
 家紋は「石持丸に酢漿草紋」である。
太田吉大夫は「太田新蔵家(南東59-7 茶・鷹・馬)」の2代目である。
 家紋は「丸に三本矢」「丸に五つ柏」か????
小坂仙八は「小坂小三郎家(南東13-10)」の9代目である。
 家紋は「丸に釘抜き?」「檜扇」である。
小篠(オザサ)角大夫は丹後以来の「小篠宗平家(南東13-7)」の8代目である。
 家紋は「丸に十五枚笹紋」「?」
 明治に至り10代千次郎の四名の男子が神風連志士として散った。(墓所・本妙寺雲晴院)
小栗九十郎常盤小栗氏の一族、「小栗半十郎家(南東13-16)」の 5代目・仁蔵(九十郎)である。
 初代は越後騒動の松平越後守の家来小栗兵庫の子・九十郎(初名・六十郎)である。七人兄弟の内四人の男子が細川家にお預けとなり、
 40年の長きにわたり城内に拘束された。後細川家家臣となるが、この一家のみが明治に至った。
 家紋は「丸に立浪」紋である。
小原勘右衛門は「小原大作家(南東13-14)」の6代目か。
 初代は細川忠利に殉死した小原無楽である。
 家紋は「隅切り角に小文字紋」である。
小川安左衛門は「小川源次郎家(南東14-24)」の7代目と思われるが5代目に同名人物が居り特定できない。
 家紋は「丸に小文字紋」である。
小川源右衛門は「小川次郎家(南東14-23)」の11代目・忠八(兵大夫・源左衛門)である。孫娘が横井小楠室である。
 家紋の記載はないが源次郎家と同族と考えられる。家紋も同様か。
小野吉大夫は「小野次平太家(南東14-4)」の2代目・吉大夫(左平太・次平太)か?
 家紋は八段鞠挟みを上下二つに切って左右にずらしたようなデザインとなっているが、正式な名称を知りえない。

小川彦作は「小川次郎八家(南東14-25)」の7代か?
 家紋はとんと見当がつかない。中にあるのは抱き茗荷か?
小川玄益の「小川玄益家(南東63-82 *)」は、代々当主が玄益を名乗って居り、何代目であるのか特定できない。
 家紋は二重丸に二重線で「工」の文字が描かれている。正式な名称を知りえない。
小野平八は「小野平八家(南東14-7)」の5代目か?
 家紋は「八つ丁子紋」である。
小野茂八は「小野 傳家(南東14-2)」の7代目か?
 家紋は「隅切り平角に変り切竹笹紋」????
小野弥八郎は「小野又蔵家(南東14-1)」の6代目。
 家紋は「隅立て角に平角」
小野祐喜は「小野敬蔵家(南東14-6)」の5代目であり、綿考輯録の編者小野武次郎の三男である。
 家紋は「丸に地紙」紋である。
小野孫八郎は「小野長四郎家(南東14-3)」の5代目である。遠祖は阿蘇家分流・男成伊勢守である。
 その由緒を以て家紋は「丸に違い鷹の羽紋」今一つは「?」
小山門喜は「小山門喜家(南東15-11)」の5代目であろう。
 家紋は「隅切り角に鷹の羽紋」である。 


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■元和拾年 萬覚書(33)

2019-09-29 06:18:10 | 細川小倉藩

                                (元和十年三月)廿三日

         |   
新銭       |一、廿三日 甚左衛門 道倫 当番 道倫新銭之義ニ付而、米田與右衛門殿へ参
         |  朝ゟ風少はげし               朝登城不仕候、其理を申、人を奉行所進候事
         |
竹屋喜兵衛中国買 |一、竹屋喜兵衛、御かい物ニ中国へ参候、相司横目ノために、有馬角右衛門被申付候事
物ノ相司横目任命 |
中津領へ人戻シノ |一、中津へ人戻シ之帳目録、野田小左衛門ニ言伝申筈ニ而御座候へとも、帳横目仕立候義、山田次右
帳目録ノ仕立   |           (次)
         |  衛門能存候条、重而治右衛門可遣由、被申付事
速見郡蔵納ノ諸百 |
気随ニテ収納ハ |一、宇野七右衛門登城、速見郡御蔵納故、諸百性きずいニ見え申候、ぬるく申付候而、万事はかまい
カドラザシム   |  るましきと存候由、申候事
         |       (布脱)
湯布院ノ穂蓼ヲ植 |一、御奉行衆、湯院ほたで見事ニ候間、根ヲ植候而可然候哉、実ヲまき候而可然候由、是へよせ、う
エシム      |  へ可申旨、被仰付候間、急度可被取出由、被申渡候事
         |
惣奉行等諸矢倉見 |
分帰途同行者ヲ振 |一、御奉行衆同道ニ而、諸矢倉見廻り、七つ時分清右衛門宅ニ而振舞
舞        |
         |    (元信)
南条元信ノ肥後ヨ |一、南條左衛門殿内、京町二郎兵衛登城、肥後ゟ南條召遣候女ばう達、根本、百性之むすめニ而御座
リ召連レシ女房ノ |                                    (小笠原長元)(村上景広)
交替       |  候、其親、肥後ゟ人替りヲ召連、参候条、被後へ返し申候、御川出切手之儀、彼民ア殿・八郎左
川出切手ノ許可  |  衛門殿へ申候へ共、今度は如前々と、御奉行衆を以而被仰出候ニ付而、他国■へ人出候義、不得
         |                            (横山重嘉)
         |  御意候条、奉行衆之口を被相尋候而、此方か申入由御申候、助進・形ア人ノ出切手、両人へ被仰
         |                               (西郡清忠)
         |  置候儀は、他国との義ニ候条、如此ニ候、其通、今一度被相尋、御合点不参候は、我等罷出可申
         |  候と、被申渡事、二郎兵衛被申候ハ、はやく人替り召連、罷越候ニ、此埒不明候へバ、迷惑ノ由
         |  被申候事
         |           (河田)
上り馬ノ代価   |一、井上六右衛門馬乗、八右衛門、銀子参拾目ニうり申候事
         |         〃
         |           


  

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