津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■足元に火が付きました

2019-09-11 21:12:34 | 熊本史談会

 21日開催の史談会の例会の準備に入りました。少しのんびりしすぎて、案内状の発送は明日にでもできるのですが、資料の準備がままなりません。
いわゆる「落書(らくしょ)」というものが多く残されていて、正史では伺えない生活者の息遣いをのぞき見することが出来ます。
今回はこれを取り上げようと考えているのですが、相当の枚数があり「読み下し」をどうしたものか、あと一週間ほどでどれだけのことが出来るのかと頭を悩ませています。足元に火が付いたという感じです。
そうなると読み下しが簡単なものだけになりそうで、そういう訳にもいかず頑張るしかないな~と覚悟を決めている処です。
ブログのタイピングにも影響を及ぼしそうですが、もしそうなりましたらご勘弁ください。
熊本はまだまだ残暑が厳しく、爺様には応えます。頑張ります・・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■元和拾年 萬覚書(17)

2019-09-11 12:40:22 | 細川小倉藩

                               元和十年三月卯月両月分

         |元和十年                                  
忠利鹿狩ノタメ大 |三月六日 午之刻、御出船 朝曇従昼晴 於内裏御鹿狩、於同所、服部九郎左衛門尉、山本八左衛門
里へ出船     |                                       〃
家臣口論     | ト口論ト云々、御松丸へ移ル、私等仍草臥、不登城
         |
         |              (国遠)
道倫当番順ヲ錯誤 |七日 晴 朝登城、三人共ニ、道倫順番ヲカンガへソコナヒ、不登城、然は、矢野 助二郎当番ニ而
登城セズ     | 候事、国東郡古市村之與三左衛門儀ニ付而、遠坂関内・村上久太夫ニ被申付、穿鑿ト云々、幷同
古市村ノ百姓與三 |  〃
ノ詮議      | 郡惣庄屋小原太郎右衛門所ゟ、道倫迄有内状、則、御奉行所へ上之、
惣庄屋内状アリ  |
         |
         |八日 晴 早朝
         |   (氏久)
知行方奉行椎田與 | 田中猪兵衛、椎田村惣庄屋與右衛門知行所之越米、利分有間敷儀と存候条、元ニ而被召上候様ニ
右ノ越米ノ処理方 | と、申候へ共、■■道倫、弐十ヶ年以来、不召上越米ヲ、知行所能成候間、可召上と申叓ハ如何
横目ノ意見    | 候条、能々吟味仕、重而可申由、御奉行衆二窺候已ヘバ、尤之由候而、此時判談延引、
判断ヲ保留ス   |
         |                                                  (松井興長)                                                 
村上景広松井興長 |一、昼ゟ風、村上八郎左衛門登城候而、式ア少殿被仕候役儀、他国との出入、式ア殿御帰国迄被仕候
留守中ニ代リテ他 |  様ニと被申候へバ、不仕付義迷惑ニ存候、併、御意と被申候ヘハ、畏入存候、可成程は可仕由被
国トノ出入ヲ勤ム |  申候、然ラハ、御奉行所ゟ、如此仕候へとの差紙被下候へと、被申候へバ、御奉行共横目の者共
ルヲ迷惑ガル   |  も承候、 御前ニ而ひ仰付候段、偽ム御座候条、却而左候へバ、不可然由申候事
忠利ノ面命故トス |
         |   (規矩郡)
筑前ヘノ走者誅伐 |一、徳力村之庄屋内ノ者、筑前へ走候ヲとらへ来り候ヲ、誅伐可仕由、被仰置候ニ付而、伊藤文五郎

試斬       |           ニつ   (袈裟)     (胴)
         |  あつかりノ御腰之物〇ニ而、けさ壱つ、本たう、八つ時分ニ被申付候事

         |
古市村ノ百姓白状 |一、古市村之孫右衛門穿鑿ニ付而、孫三・猪左衛門被召出、道倫相尋、白状仕、御籠へ被入候事
ス        |  
         |  甚左衛門・ 道倫・印 当番
         |       当番ノ奉行等黒印ヲ捺ス(以下略)
         | 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする