津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■中秋の名月観賞

2019-09-13 21:20:21 | 徒然

 ススキも饅頭もお供えはないが、今日は中秋の名月、先ほどから何度もベランダに出て空を見上げている。
月齢でいうと今日は13日(現時点では14日かな)まん丸お月さまは明日という事になるが、今日の空は雲一つなく見事なお月だ。
そんな今日、知人の訃報を聞いた。

                         名月にさそわれたるか 訃報聞く  津々

            

 20時40分頃に撮影したお月さまだが、実は私は乱視だから直接見ると月が二重にかさなって見える。だからこうして撮影したものを眺めて合点している。
三脚が見つからず、ぶれないように脇を固めて何とか撮影し、トリミングしてこのようになつた。

10時前にもう一度ながめて寝ることにしよう。虫の声が淋しい・・・合掌

                    

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■梅洞くどき

2019-09-13 08:28:45 | 熊本

  上妻文庫の「肥後風刺文学」をながめていたら、「梅洞くどき」という一文があった。
「梅洞」は熊本市松尾町近くの「うめどう」か?、「くどき」は「口説き」であろう。
「口説き」について、デジタル大辞泉では次の様に解説している。
       
             くどくこと。また、その言葉。「口説きじょうず」「口説きに掛かる」
            2 日本音楽で、楽曲の構成単位の一。
              ㋐平曲で、素声(しらごえ)に近い単純な旋律をもつ曲節。また、それによって演奏される部分。
              ㋑謡曲で、慕情・傷心などの心情を吐露する、拍子に合わない語りの部分。
              ㋒浄瑠璃で、恋慕・悲嘆・恨みなどを切々と訴える部分。一段中の聞きどころとなる。
              ㋓長唄で、詠嘆的な心情表現をする部分。
            3 口説き歌が江戸時代に沖縄に伝わったもの。多く踊りを伴う。くどぅち。
            4 「口説き歌」「口説き節」「口説き模様」の略。

全文を読み下すにはまだ時間を要するが、これはどうやら俗謡の歌詞らしく思える。まさに「口説き」ではないか・・・

                 梅洞くどき
              梅洞くどきさあよいさてよい奈ア 今のうき世はお慈悲のうき世
              て連バ照てゝあまごひなさる 婦連ばふる■■せいうの御■■
              そ連ニ去年はどふし■として田うへ時にハ・・・・・・

これで約1/4ほどだが、御覧の如く読解が難儀である。その出典として「吹寄巻五の五十五」「寺本見聞雑記」が挙げられている。
この二つの資料と見比べれば、何とか全文の解読が出来そうである。
「寺本見聞雑記」とは、寺本直簾の「古今肥後見聞雑記」であろうと思われるが、これは天明四年頃の作とされるから、この「梅洞くどき」もそれ以前まで時代が遡る古い俗謡だということになる。
梅洞地区にこれが残されているのかどうか、現況知るすべがない。まずは資料を取り寄せ「読み下し」に頑張ろうと思っている。

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■元和拾年 萬覚書(19)

2019-09-13 07:54:52 | 細川小倉藩

                               (元和十年三月)

         |一、十日 曇 甚左衛門〇・助二郎当番
         |              矢野
到津村ノ百姓ノ出 |一、到津村御百性善兵衛と、同村の百性中出入之書物を、平井五郎兵衛持参、五郎兵衛申候ハ、御直
入   忠利直裁 |  ニ御尋被成候而、様子被 仰出候条、其まゝ被置間敷候由ニて、各同心被仕、書物御返候事
         |
無足者ノ遠方へ使 |一、御無足衆、遠使ニ被参候時之銀米入目之儀、惣銀・惣米之内ゟ申出、 御印ニ而候故、村田彦市
スル費用ノ出方  |  上田忠左衛門蔵、江戸へ参候加扶持米三石宛、惣米之内ゟ出候切手、被渡候事
加扶持米     |     〃〃〃
         |
越米       |一、椎田與右衛門・角田彦右衛門知行ゟ越米之儀、年々利足ヲ付、取立可申通、惣談ニ而、書物ニか
         |  た書被仕候事
         |   (敦行)
幡ノ小頭ノ交替  |一、続平右衛門登城、御昇之小頭年寄、目なと見え不申候間、肩之者なミニ仕、別の者を小頭ニ可申
         |  付之由、一段尤と、被申渡候事
         |           (長谷川)
         |一、長谷部才三郎登城、文左衛門内角之助下候ニ、文左衛門かたゟ、書状進之候間、返事被下候へと、
         |  御奉行衆へ申候、則、返事可仕と、被申渡候事
         |               (甫)
絵師等甫ニ屏風ヲ |一、沢村大学登城、中津ノ絵書等浦ニ、御屏風弐双被仰付候通、 御諚ノ由被申候、下地申付候間、
命ズ    下地 |  出来次第、中津へ可遣よし、被申候事
         |
小笠原長元家中ノ |一、小笠原民ア殿切米取共不知方、三月ゟ八月迄は 殿様ゟ被 仰付候目録、同加子・船頭共、殿
切米取ノ扶持方同 |  様ニ被召置候目録共、参候事
加子船頭ノ目録  |
呼野金山口屋ノ番 |一、呼野御金山口屋之御番山本市兵衛、金山ゟ罷帰、一人ニ而ハ、万事改候事不成候間、相衆被仰付
人増員ヲ願ウ   |  候か、無左ハ、井上清兵衛か、八木田平右衛門か出相候て、改ヲも仕候様ニと申候、心得候との
         |  返事
         |



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