津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(14)

2019-09-29 10:46:30 | 家紋

                                                                   

太田善九郎は「太田弥平家(南東14-11)」の6代目、名は勝雅、善九郎と称す。藩に仕へ食録百石、犬追物の師範となる。
 文化十一年正月十六日没す。享年七十八。横手四方地に葬る。
 家紋は「石持丸に酢漿草紋」である。
太田吉大夫は「太田新蔵家(南東59-7 茶・鷹・馬)」の2代目である。
 家紋は「丸に三本矢」「丸に五つ柏」か????
小坂仙八は「小坂小三郎家(南東13-10)」の9代目である。
 家紋は「丸に釘抜き?」「檜扇」である。
小篠(オザサ)角大夫は丹後以来の「小篠宗平家(南東13-7)」の8代目である。
 家紋は「丸に十五枚笹紋」「?」
 明治に至り10代千次郎の四名の男子が神風連志士として散った。(墓所・本妙寺雲晴院)
小栗九十郎常盤小栗氏の一族、「小栗半十郎家(南東13-16)」の 5代目・仁蔵(九十郎)である。
 初代は越後騒動の松平越後守の家来小栗兵庫の子・九十郎(初名・六十郎)である。七人兄弟の内四人の男子が細川家にお預けとなり、
 40年の長きにわたり城内に拘束された。後細川家家臣となるが、この一家のみが明治に至った。
 家紋は「丸に立浪」紋である。
小原勘右衛門は「小原大作家(南東13-14)」の6代目か。
 初代は細川忠利に殉死した小原無楽である。
 家紋は「隅切り角に小文字紋」である。
小川安左衛門は「小川源次郎家(南東14-24)」の7代目と思われるが5代目に同名人物が居り特定できない。
 家紋は「丸に小文字紋」である。
小川源右衛門は「小川次郎家(南東14-23)」の11代目・忠八(兵大夫・源左衛門)である。孫娘が横井小楠室である。
 家紋の記載はないが源次郎家と同族と考えられる。家紋も同様か。
小野吉大夫は「小野次平太家(南東14-4)」の2代目・吉大夫(左平太・次平太)か?
 家紋は八段鞠挟みを上下二つに切って左右にずらしたようなデザインとなっているが、正式な名称を知りえない。

小川彦作は「小川次郎八家(南東14-25)」の7代か?
 家紋はとんと見当がつかない。中にあるのは抱き茗荷か?
小川玄益の「小川玄益家(南東63-82 *)」は、代々当主が玄益を名乗って居り、何代目であるのか特定できない。
 家紋は二重丸に二重線で「工」の文字が描かれている。正式な名称を知りえない。
小野平八は「小野平八家(南東14-7)」の5代目か?
 家紋は「八つ丁子紋」である。
小野茂八は「小野 傳家(南東14-2)」の7代目か?
 家紋は「隅切り平角に変り切竹笹紋」????
小野弥八郎は「小野又蔵家(南東14-1)」の6代目。
 家紋は「隅立て角に平角」
小野祐喜は「小野敬蔵家(南東14-6)」の5代目であり、綿考輯録の編者小野武次郎の三男である。
 家紋は「丸に地紙」紋である。
小野孫八郎は「小野長四郎家(南東14-3)」の5代目である。遠祖は阿蘇家分流・男成伊勢守である。
 その由緒を以て家紋は「丸に違い鷹の羽紋」今一つは「?」
小山門喜は「小山門喜家(南東15-11)」の5代目であろう。
 家紋は「隅切り角に鷹の羽紋」である。 


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