津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■図書館ではなく・・・本屋へ行く

2017-03-30 17:15:46 | 書籍・読書

         

 今日は暖かくて良い天気になった。自衛隊前の600mに及ぶ桜並木のつぼみの按配は如何と、ちょいと確認に出る。
一本の木に五輪でしょ・・・もう開花ですね。ここは歩行者天国になるのでさぞ賑わうことになるだろう。

ふと本屋さんが近いことに気づいて方向返還、ここで藤沢周平の「一茶」を見つけて購入。
私は田辺聖子の「ひねくれ一茶」を所蔵しているが、これが558頁の大部だがなかなか面白く読んだ。読み比べてみようという魂胆である。

つまり図書館へは行かず、そのまま帰宅と相成った。明日は雨らしい、図書館行きはいつのことになりますやら。 

 

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■松寿庵先生・第230講

2017-03-30 14:38:06 | 史料

                          外国人が見た幕末・明治の日本

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■綱利生母清高院没す

2017-03-30 10:20:44 | 歴史

細川綱利の生母・清高院の親について綿考輯録は、「たいこう(太閤)のそうせふ(曾祖父)様御内ニ而内海但馬と申候、此そうせふの儀ハ只今之広橋大納言殿御舎弟ニ而御座候」とし、於豊前小倉御侍帳においては父親・清水道是について「五十石 京都浪人御客分 清水大納言」とする。細川家家臣・清水氏
慶安三年肥後下向とあり、清高院の出産後のことである。道是の子・勝昌は合力米五千俵の御大身で御家門に連なった。(後御家門から外れた)

細川綱利の生母・清高院は、宝永七年三月二十九日死去江戸池上本門寺に埋葬された。
とかくの噂がある人物だがあまり芳しいものではない。92歳の大往生であり、清高院の晩年にあたって綱利はその病状を気遣い帰国を止めたり引き延ばしたり、再三掟破りをしている。正室ではないため細川家墓所には埋葬が許されなかったが、池上本門寺の墓所は代々の藩主夫人のお墓が見劣りするような、見事なお墓である。綱利公はマザーコンプレックスだったように思えてならない。
 

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