津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご同慶の至り

2017-03-26 21:40:16 | 徒然

 大相撲春場所の千秋楽は、稀勢の里の痛々しい姿が見ておれずTV観戦は止そうと思っていたが、時間が近づくにつれて負けてもいいから健闘をたたえようと思いスウィッチを入れた。本割で勝って、ご苦労さんここまでやればもう十分と一度は思ったが、決定戦も奇跡が起こるかもしれないと祈る気持ちで観戦。
照ノ富士も固くなったのだろう、足が痛んでいたのかもしれないが鋭さが伺えない。
よし勝てると確信、すばらしい勝利の瞬間は奥方と二人手をたたいて大喜び、偉大な勝利を祝福した。名実ともに日本の名横綱が誕生した。
全国津々浦々大歓声が響き渡ったことだろう。まことにご同慶の至りである。
我慢という言葉が死語になりつつある昨今、たゆまぬ努力がこのような大輪の花を咲かせることを改めて知らされた気がする。
モンゴル勢三横綱にも力の衰えが見えてきた相撲界、稀勢の里の時代がしばらく続くことだろう。
今日は焼酎の量が少々多いが、酔いそうにもない。 

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■お花見を兼ねてお出でまっせ

2017-03-26 11:20:13 | 展覧会

                         パンフ両面 - コピー.jpg

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■松井分家(古城家)・三渕家・郡家の複雑な養子話

2017-03-26 09:39:38 | 歴史

 先日のブログ「■定彦さん、順養子なるか」を書く中で、上妻文庫の「肥後風刺文学」中にある記事のことが頭をよぎった。
それがこの記事だが「定彦さん」とは少々時代が異なるが、全く関係ないとも言えない。
細川家血縁のお宅の縁組に関わる複雑さが透けて見える。
この記事の内容は、郡織衛の二男・衛三郎が松井家の分家の松井典禮の養子になっていたが、典禮の死後は典禮家は、衛三郎が居るにもかかわらず松井土岐に相続せられ、「衛三郎は侮られた」というのである。土岐は松井本家七代豊之の末弟である。
土岐の実兄直武も養子で郡家の三代当主、郡衛三郎の父親である。土岐と衛三郎は「叔父・甥」の間柄となる。
そこで落書が出回った。
     四千石(松井家の家禄)ゑ さむらうとはきょくもなや じつにまつゐ(松井)の とき(土岐)もあらふに 
そして松井家で「侮られた」衛三郎は又々三渕志津摩の養子にせられた。
松井家は四千石だが三渕家は五千石である。「被仰付」とあるから、衛三郎の養子先の変更には藩主(重賢)の意向が働いている。

松井家は忠興公の末子・寄之が興長の養子となって、細川家の別家のような存在である。典禮は分家(古城家)の二代目である。
三渕家は幽齋公室・麝香夫人の実家、郡家は三渕家の分家筋である。

五千石三渕家の養嗣子となった衛三郎は家督未相続のまま21歳で亡くなっている。 

 

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