津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「蔦木ノ森迹」

2017-03-20 15:11:25 | 熊本

 先の■「つづら林」という地 で触れた「蔦木ノ森迹」に宗厳寺に関する情報があってびっくりしている。
宗厳寺はわが家の初代の姪にあたる人が創建したお寺であることを知ったのは、まったく偶然が重なっての事だった。
         ■消えた宗厳寺
         ■驚愕の事実・・長五郎の娘・くま
         ■平川家略系
         ■驚くべき偶然

「肥後名家墳墓録」にもあるように、一時期「岩立」の地にお寺はあったらしい。
その場所を探しあぐねていたが、今回の「つづら林」の地を詮索していて偶然にもその場所を探し当てた。
すなわち「肥後国誌」にある「蔦木ノ森迹」である。

   
宇土小路ノ乾ノ隈(隅ヵ)往昔雚木ノ森トテ森樹アリ 初ヲ知ラス 赤尾口ノ西ニ當ル 因茲テ岩立ノ田地異名ヲ蔦木ト称ス
   寛永年中安國寺梵徹蔦木ノ森ヲ剪拂ヒ地ヲ夷ヲケテ宗厳禅寺ヲ建テ末寺トス 而後寛文十三年住持天和尚願ニ依テ當郡津浦
   船場村ニ寺ヲ移ス 當時船場村永嶺氏在宅上ノ段ナリ 今ハ坪井町ニ移レリ 本尊ノ観音今ハ岩立ニ有テ里俗運清観音ト云 岸下ニ清泉 今ハ柳井
    氏屋敷ニカゝレリ此處ヨリ坂道アリシト云
アルヲ闕伽トスト云 其後又宗厳寺ヲ坪井ニ移ス
 

宇土小路ノ乾(北西)ノ隈(隅=角)とはどこなんだろう。赤尾口の西であればまさに「つづら林」ではないのか?
これは一度訪ねなければならない。


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■「つづら林」という地

2017-03-20 09:53:45 | 熊本

 長崎県島原市に高岳山晴雲寺という曹洞宗のお寺がある。このお寺のサイトを見ると、このお寺はもともと熊本にあったことがわかる。

 慶長9年(1604)、肥後之州熊本府葛籠林(つづらばやし)という場所に、肥後城主加藤清正公の家臣荘林隼人なる人物が伯父の晴雲真高居
 士の菩提の為に建立し一峰玄鐵和尚を迎えて開山とした。清正公亡き後、開基家である荘林家も衰退し次第に晴雲寺も貧窮し、寛永4・5年
 頃島原に移り領主松倉重政公より境内地を賜り、玄鐵和尚自ら境内を整地し再興した。

実は最近、荘林隼人のご子孫からご連絡をいただき、55頁にもわたる「御奉公之覚帳」他数点の資料をお送りいただいた。
「先祖附」についてはお持ちではないということで当方からお送りし、又明治三十二年に東京帝国大学附属図書館に納められた「庄林氏由来」についてもお送りする準備をしている。
「御奉公之覚帳」は藩政期の最後の当主曾太郎氏の筆になるもので、初代・二代に関わる記述は詳細ではないが、これは「庄林氏由来」によって補完ができることになる。
上記の「晴雲寺」の件等も大いなる参考となるものである。

さて「肥後國誌」をひも解くが「蔦木ノ森迹」は見えるが「葛籠林」の記述は見当たらない。(ひょっとすると同じか?)
昨日のブログでご紹介した「熊本城下町地図」には「靏ノ林」の書き込みがあり「俗ニツゞラハヤシト云」と記されていた。
ちなみに、つづらばやし(赤尾口の西)から北に500mばかりの地(現・花園5丁目)には「靏ノ茶屋」の書き込みも見える。
共に鶴が飛来する場所であったのだろう。熊本市西区花園支所の近くに「鶴の茶屋」と名付けたアパートがある。
「つづらばやし」にしろ「つるのちゃや」にしろ、古い地名は一般市民には馴染みのないものになっている。 

 

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