津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■万延元年三月三日雪模様

2017-03-02 16:49:30 | 歴史

 季節柄、吉村昭の「桜田門外の変」を拾い読みしている。
吉村昭という作家は徹底した下調べが有名な人である。いろいろ当時の記録が残る中、まさに現場を一部始終目撃した杵築藩士が書き残した書状など一等資料とされたことであろう。氏の小説をベースにした映画も、臨場感あふれる襲撃のシーンなどは細川家に預けられた水戸藩士・蓮田市五郎がかきのこした画に負うところが大きいように思える。
安政七年(万延元年)三月三日は積雪があったとされるが、新暦では三月二十四日とされるから随分遅い降雪である。
井伊家の侍たちは合羽を着用し、刀の柄が濡れないようカバーをかけるなどしており、これが応戦を遅れる一因となり悲惨な結果へと繋がっている。
杵築藩に残る文書の冒頭には次のようにある。
     三月二日夜半ゟ雪模様 三日未明ゟ殊之外大雪 春ゆへしかと積りは不致

もう随分以前仕事の関係で二か月間ほど、週一で東京通いをしたことがある。
その折警視庁前から桜田門周辺を散策したことがあるが、杵築藩の江戸屋敷がその警視庁が建つ場所であったと知るのは、ずっと後年のことである。井伊家の屋敷跡など思いもよらなかった。

そのほか以前にご恵贈たまわったこの事件に関係する資料などを眺めているが、まことに悲惨な有様が記されており、なんだか夢を見そうな気がしている。
    http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/s/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%AE%B6%E6%96%87%E6%9B%B8 

 

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