津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■綱利生母清高院没す

2017-03-30 10:20:44 | 歴史

細川綱利の生母・清高院の親について綿考輯録は、「たいこう(太閤)のそうせふ(曾祖父)様御内ニ而内海但馬と申候、此そうせふの儀ハ只今之広橋大納言殿御舎弟ニ而御座候」とし、於豊前小倉御侍帳においては父親・清水道是について「五十石 京都浪人御客分 清水大納言」とする。細川家家臣・清水氏
慶安三年肥後下向とあり、清高院の出産後のことである。道是の子・勝昌は合力米五千俵の御大身で御家門に連なった。(後御家門から外れた)

細川綱利の生母・清高院は、宝永七年三月二十九日死去江戸池上本門寺に埋葬された。
とかくの噂がある人物だがあまり芳しいものではない。92歳の大往生であり、清高院の晩年にあたって綱利はその病状を気遣い帰国を止めたり引き延ばしたり、再三掟破りをしている。正室ではないため細川家墓所には埋葬が許されなかったが、池上本門寺の墓所は代々の藩主夫人のお墓が見劣りするような、見事なお墓である。綱利公はマザーコンプレックスだったように思えてならない。
 

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