津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■長崎新聞から

2017-03-06 11:45:04 | 新聞

 

県内トピックス (2017年2月17日更新)
長崎新聞
原城落城のとき特別展盛況
貴重な古文書を熱心に見学する来場者=南島原市、原城図書館
貴重な古文書を熱心に見学する来場者=南島原市、原城図書館

 島原・天草の乱(1637~38年)や禁教期の様子を古文書など25点で紹介する南島原市と西南学院大学博物館(福岡市)の特別展「原城落城のとき-禁教・潜伏への道のり」が、南島原市南有馬町の原城図書館で開かれている。無料。3月20日まで(休館日の火曜と毎月最終金曜は休み)。

 乱発生直後の緊迫した様子を記した書状の写しや、天草四郎の首を取った幕府軍兵士の戦功報告、乱の約90年後にまとめられた物語調の軍記、禁教政策を広める立て札、並べて十字架に見立てるための銭貨8枚などを展示している。

 初日の15日は市教委文化財調査員の南浦利早学芸員の解説があり、県内各地の約50人が参加。会員2人と来た島原観光ボランティアガイド(島原市)の相良信一会長(69)は「客に島原半島の歴史を伝える私らにとっても原城跡は重要な場所。貴重な史料と解説で、現場兵士の苦労など当時の場面がリアルに目に浮かぶ。大変勉強になる」と話した。

 18日午後2時~4時には熊本大の稲葉継陽(つぐはる)教授の講演「島原・天草一揆と『天下泰平』」が南島原市西有家町のカムスである。参加申し込みは市教委世界遺産登録推進室(電0957・73・6705)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■元号改正のこと

2017-03-06 10:12:37 | 徒然

先に■万延元年三月三日雪模様を書き、松寿庵先生・226講でも桜田門外の変が取り上げられ次回もその続きらしい。
細川家においても水戸藩士を数名預かることになり、大変な警固体制を整えて大事に備えた。
「熊本藩年表稿」には、三月三日「大老井伊直弼、桜田門外にて刺客の難に会う。刺客八人本藩に預けらる。八日諸藩に預替、他藩のもの潜入の模様につき取締」とある。

杵築藩に残る貴重な目撃史料は「江戸状之写 萬延之申年之事」と題されているが、これは後につけられたものであろう。
文面は即日国元に発せられているから、三月三日はまだ安政七年のうちである。万延は事件の後、三月十八日(G暦4月8日)に改元された。
この事件が改元の理由であることは想像に難くない。そして一年足らずの翌年二月十九日(G暦3月29日)文久と改元された。

万延の元号は後漢書馬融伝の「豊千億之子孫、歴載而永」が出典だとされる。
文久の元号は『
後漢書』謝該伝の「武並用、成長之計」が出典、ともに時代を背景とした為政者の想いを伺うことができる。

図らずも天皇陛下のご退位が現実的になってきた。現在も海外へ一週間もお出かけになる激務をこなしておられるが、早く天皇の想いが実現されることを願うところだが、どこかで密かに新しい元号の検討が行われているのであろう。
「昭和」の元号は「明和」と出典が同じだという。『書経』尭典の「百姓明、協萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。
平成の改元はTVで拝見してよく承知をしている。
出典は『史記』五帝本紀の「内(内平かに外成る)」だが、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味だとされる。
平成も29年が過ぎ、45年間過ごした昭和も「昭和は遠くなりにけり」の感が深い。

浩宮様の新しい時代の元号がどのようなものになるのか大変興味深いし、更なる平和の時代を希求するにふさわしい元号を望みたい。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする