津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■新江戸川公園名称変更「肥後細川公園」へ

2017-03-19 21:42:36 | 徒然

「肥後細川庭園」へ装い新た 目白台、18日記念式典 (東京新聞から)

「肥後細川庭園」に名称変更する新江戸川公園(文京区提供)

写真

 旧熊本藩主・細川家の屋敷跡地にある文京区立の「新江戸川公園」(目白台)が、「肥後細川庭園」と名前を変える。十八日に記念式典があり、エリア全体でイメージアップを図り、神田川沿いに広がる屋敷跡の歴史や熊本との縁を観光資源としてアピールしていく。

 面積は約一万九千平方メートル。明治時代に華族となった細川家が造った日本庭園を整備した。明治期の姿をほぼとどめる池の前には、大正時代の木造建築で、細川家が学問所としていた「松聲閣(しょうせいかく)」があり、集会室や休憩室として使える。

 区は名前の変更に加え、児童遊園だった場所に薪能などイベントができる庭園風の広場を整備。隣接する細川家ゆかりの文化財を所蔵する美術館「永青文庫」と庭園をつなぐ階段も補修し、より行き来しやすくした。

 十八日の記念式典には、永青文庫理事長の細川護熙(もりひろ)・元首相や蒲島郁夫熊本県知事らが出席する。間もなく発生から一年となる熊本地震の復興支援のため、熊本の特産品販売(午後一~四時)もある。永青文庫では同日、熊本城に焦点を当てた展示「熊本城-加藤清正と細川家」も始まる。 (石原真樹)

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■熊本城下町図

2017-03-19 10:49:45 | 史料

                                                                 N君のレポートにある写真

 家紋が書き込まれた熊本城下地図の存在を知ったのは、史談会の若い友人N君が持ってきた一枚のコピーからだった。
30枚に分割撮影されたという写真の中に、全体像を知ることができる1枚があった。
出所はN君が一年以上にわたり整理に苦労したDr.T先生の遺品の中にあったらしい。
この写真をN君はDr.T先生の奥様のご実家I家の所蔵品であったろうと予想していた。そしてその予想は的中していた。
史談会のT女史がI家と親しくされており、お宅を訪問してN君のレポートをお見せすると、まさに現在でもI家で所蔵されており実物を拝見して興奮して電話をしてこられた。巨大な太軸物らしい。
写真撮影をお願いしお許しいただいたという。T女史の息子さんはプロの写真家、しかし東京在住で帰熊がいつになるのかわからない。
私はコピーさせて頂くことはできないかT女史に提案、T女史はI家を訪問して快諾を得られてそのままその太軸物を借りてこられたらしい。
そして今度はこれをコピー屋さんに持ち込み、A1紙(841×594)、横(842)二枚、縦(594)四枚の八分割コピーが出来上がった。
費用約8,000円、少々値が張るが一部をお願いしてこれが手元に届いた。八枚を糊でつなぎ合わせようかとも思うが、あまりに大きくなるので
分割の侭で所蔵することにした。
縦横2×1.6メートルほどの巨大なもので、嘉永期の熊本城下の様子が生き生きと記されている。
京都で作られているがこれだけのものだから、藩が依頼したものではなかろうか。
着色された実物をいつか拝見したいものだ。
 

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