津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

松寿庵先生・226講

2017-03-03 16:06:11 | 史料
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■熊本城東面図から

2017-03-03 11:54:15 | 歴史

               熊本城東面図

明治期の画人・赤星閑意の筆になる熊本城の東面図である。
蛇行するように書かれている川は坪井川、実際はこのように急角度の曲がりではなく150度ほどの緩やかな曲がりである。
左手奥に見えるのが藩主の居館・花畑邸である。坪井川にかかる左の橋が厩橋、その手前に伸びるのが通町筋である。
通町筋の左手に見える建物は有吉家(分家)の屋敷、厩であった時期もあり橋の名前が厩橋と名付けられた所以である。
後には監獄となったが、現在ここに熊本市役所が建っている。

右側の二区画には日本郵政グループの熊本ビルやホテルキャッスルその他の民間ビルなどが建っている。
安政年間の古地図では上が松山権兵衛、下が尾藤金左衛門の屋敷となっている。
坪井川の右手方向岩山のように書かれているあたりに、かっては宮本武蔵の屋敷があった。

遠景の一番高い山が金峰山(きんぼうざん・665m)である。

明治期を生きた赤星閑意の、西南戦争前の残像とも思える城下の有様を知ることのできる画である。 

 

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