津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■3月29日熊本県立図書館・再オープン

2017-03-11 14:57:32 | 新聞

県立図書館、29日に全面開館                                                          熊本日日新聞から

県立図書館、29日に全面開館の写真、図解
本が並べられ、復旧工事をほぼ終えた県立図書館2階フロア。29日に全面開館する=熊本市中央区
 熊本地震の影響で一部を除いて閉館中だった県立図書館(熊本市中央区)が、29日に全面開館する。一般書や外国語の書籍貸し出し、新聞、行政資料などの閲覧を中心に、地震前と同様の利用が可能になる。

 地震で室内の照明が落ち、天井のガラス製仕切りが割れた。書籍も散乱し、職員が1冊ずつ元に戻してきた。今月中旬に復旧工事が完了する。

 現在は1階の子ども図書館と、併設のくまもと文学・歴史館のみ利用でき、2~4階は立ち入り禁止。1階の視聴覚カウンター周辺で実施している臨時の貸し出し・閲覧サービスは24~27日、検索機器や図書の配置換えのため休止する。

 29、30日は終了時間を早め、午前9時半~午後5時15分まで。通常の平日は午後7時、土日祝日は午後5時15分まで。火曜と毎月最終金曜は休館。(飛松佐和子)
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■内藤様

2017-03-11 13:15:14 | 熊本地震

 私の奥方の里は宮崎県延岡市、今は大企業・旭化成の城下町だがかっては内藤七万石の城下町であった。
市役所の西方にお城があり、勇壮な石垣が残されている。
岳父が亡くなってから足が遠のいてしまったが、お墓参りもかねてお城を訪ねてみたいと思っている。
熊本から約120キロあるので3時間を要する。この歳になると少々応える距離ではある。

幕末の藩主・内藤政義はあの井伊直弼の実弟だが、先代藩主・政順の夫人が井伊直弼・政義の長姉である。実姉であるとともに養母という関係である。
その故を以て養継嗣となり延岡藩内藤家七代藩主となった。
万延元年三月三日の「桜田門外の変」に於いては、当日が上巳の日であり内藤家の江戸留守居が挨拶のために彦根藩邸を訪れるが、まさに事件勃発の直後であったらしい。固く閉じられた門前で案内を乞うが、直弼公実弟の内藤家の訪問にもかかわらず、正確な情報は伝えられなかった。その江戸留守居は情報収集に走り回って藩邸に駆け戻る。
すぐさま国元へ急使が立てられた。10数日をかけて届けられた内容はとんでもない間違いであった。
「直弼公は存命されている、首を取られたのは藩士のものである。」直弼公の死はあくまで伏せられ、内藤藩江戸屋敷の実姉である内藤政順夫人また国元にある実弟政義公といえども真実は伏せられたのである。真実は後日再度の急使によって伝えられた。

延岡城は桜がきれいな所である。政義公が真の情報を得られたころは正に桜が咲き、風に花びらが舞っていたころであろう。
無念の思いを噛みしめて、桜を眺められたことであろう。
 

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■鎮魂の日

2017-03-11 07:12:40 | 徒然

 自然災害がもたらす名状しがたいその有様を我々はTVでリアルタイムに眺めてきた。
まさに目の前で起こる悲惨な状況に声もなく見入ったことであったが、これは当事者が実体験する恐怖は伴っていない。
熊本大地震を経験してみて、阪神淡路や東北各地の大被害がようやく理解できたような気がする。
それぞれの震災を比較するのは如何かと思うが、原子力発電所の被害を伴う東北各地の津波被害はやはり頭抜けている。
熊本地震に際して各地から多くの援助を得たことは、これらの大きな災害を教訓とした事が大きかったと思うし、「日本は一つ」と実感した。
苦しみを乗り越え将来にたち向かう心を共有して、前進するしかない。

鎮魂の日の東北の地に思いを致し、合掌の真を奉げたい。


 

 

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