津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

台風の進路は・・・?

2013-06-19 10:41:20 | 徒然

一昨日「雨なし・・梅雨明け?」などと書いたら、昨晩は雨となり台風の前触れの風がものすごく吹いて、何度も目を覚まされました。
まだ台湾の東海上あたりを進んでいるようですが、この風の様子は「鹿児島あたりが暴風域か・・」と思わせる感じです。
おかげで気温も30℃を下回り涼しいのですが、湿度が高く体がべたつく感じで、気持ち良いものではありません。
上陸の可能性は薄いようですが、今年初めての台風がよい雨をもたらしてくれるとよいのですが・・・、稲作農家では水不足を案じておられる所もあるようです。
60年前の6・26大水害、そして昨年の大水害、又とこの様な被害が出ないことを祈るばかりです。 

風が唸りを立てて吹いています。

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福島正則の改易と上月文右衛門

2013-06-19 07:17:47 | 史料

(元和五年)五月八日、将軍為御上洛御発輿、廿七日伏見江御着ニ付御出迎被成候、さて於京都御暇之儀可被仰上と思召候得共、福嶋氏江戸ニ而御暇も不被下、御前江出られ候事もならす止り兼たる体也、江戸も御用心之折節なるゆへ御暇之事も難被仰上、御見合被成候内、正則領国安芸・備後被召放旨被仰出、信州河中嶋ニ而四万石被下候   

                                             
                                                 福嶋正則

   一ニ羽州庄内或奥州津軽共有、正則之罪ハ城普請之儀曲事之由被仰出、又々御詫言候へ共申上様首尾致相違、其外御咎之筋七ヶ条と云々、又権
   現様御在世之内ニ五ヶ条之不義を被仰置、改易之砌ハ科状十八ヶ条と云々

右之通ニ付福嶋氏の居城為請取九州之人数被遣事も可有之候、其覚悟仕候得と、六月十二日豊前江御下知有、此船参着次第為御陳用意、八木五千石御家中江わり付借し可申候、弥御人数被遣ニ極り候ハゝ重而銀百貫目御貸可被成候、一左右を可相待旨被仰遣候、広嶋之城ハ主人よりの下知なくハ渡すましき由申候得共、追而正則自筆を以可渡由留守居之侍共江被申越候間、御人数被遣にも不及候なり

    広嶋之城代ハ上月文右衛門と云者なり、親ハ播磨の者にて、福嶋家ニ参り三原之城預り上月豊後と申候由、文右衛門ハ幼少より正則之側ニ召仕れ、
   高麗・関原陳をも勤、其後広嶋之城を預被置候、配所ニも供いたし候処、信州にて正則死去已後京極家江暫くつかへ、又浪人仕京都に罷在候処、光
    尚君より平野権平殿を御使にて可被召使旨ニ而、阮西堂ニも御内証被仰聞候、寛永廿年被召出五千石被下候、文右衛門病死以後嫡子上月長右衛
  門無相違拝領、其以後長右衛門願によりて弟源助ニ八百石、其弟八右衛門ニ七百石、其弟十郎右衛門ニ五百石分知被仰付候、

                                              只今書き込み中 

 

コメント (2)
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