津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

台風上陸か・・・

2013-06-20 13:22:33 | 熊本

 台風の進路予想図をみると、どうやら熊本への上陸・通過の可能性がでてきた。随分勢力は弱くはなっているが、久々という感じがする。
水害に限らず、台風でも何度も痛い目にあった熊本だが、どうぞお手柔らかに願いたいものだ。どんより曇った空から、ときおり雨を降らせているが、風は昨日程にはない。一昨日・昨日の強風は何だったのだろう・・・・雨は農家の皆様には恵みの雨になったようだが、こちらも程ほどで収まってほしいものだ。 

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福島正則の改易と上月文右衛門(ニ)

2013-06-20 08:02:28 | 史料

右上月八右衛門江戸御留守居相勤候内、長岡筑後在江戸之事有之候、松平出羽守殿ハ御代々御心安く候間、筑後を御振廻八右衛門も御呼被成候、八右衛門儀筑後と一座之儀を断申候得共御心安思召、筑後事ニ候得はゆるゆると御咄も為可被成、一座ニ而御料理被下候段前以被仰聞候由なり、此時鶉之焼物御重箱にて出羽守殿御自身御ひき候、八右衛門前ニ御出候時ハ右之御引物直ニ手に請頂戴いたし候、其時御咄ニ佐州 此時ハ筑後を佐渡と申候也 わかく候間、八右衛門親文右衛門事委細被存ましきと被仰候、筑後如御意年齢ハ違申候得共、文右衛門儀ハ承伝候由、御養申候得は御自身も御年若き時分ニ而、福嶋左衛門大夫御改易ニ付、城請取ニ安藤対馬守其外誰々と被仰候而今度広嶋江罷越候、扨も/\上月文右衛門と申者大夫城代にて候、色々心の付兼可申所迄一々心をつけ残る所なき様子ニ候つる、城代ハ就中大事之役ニ而武功まてニもなく思慮ふかき者ニ可申付と存候、出羽は若く候間能々承置き候へ、と対馬守其外誰々も被申聞候と委細筑後ニ御物語御座候、右之通ゆへ頂戴のうつらを良久敷手にうけ居候而、あつく難儀いたし候段堀内傳右衛門承候由なり、広嶋之城追手之門不断明有之候ニ付、三日油をひたし漸々明立いたし候、数年明立なきかなものにてくされつき候由、其外色々文右衛門心を付候事多有之候となり、八右衛門ハ文右衛門三男則今の八右衛門祖なり、四男十郎右衛門ハ今の文五郎か祖なり、嫡子長右衛門 後ニ文右衛門・二男源助両人之跡ハ断絶いたし候

    考ニ、広嶋之城渡候事ハ福嶋丹後壱人之事のミ諸書ニ見江、上月か事他本ニ而ハ見当不申候、丹波ハ家老なるゆへ城わたし候ニ付而ハ諸事之裁
    判勿論ニ而、既ニ寛永九年三齋君御書ニも丹波か仕方宜きといふ事見江申候、乍然城代ハ上月ニ被申付置たるなるへし、又一書、此節之上使安藤
    対馬守重信 居城上州高崎 ハ、黒田筑前守 居城筑前福岡城 別而之知音なれハ、馳走のため道を付かへ番を置人留被仕候事、世間に其隠なかりけれハ、藤
    堂泉州よりの狂歌に
            関のとを留れハ黒田荒果てひらかて走るいまの百姓
    忠興君御返し
            はゝからす黒田の稲を推つけて道になしても人ハ通らぬ      と云々
    安芸広嶋之城請取ニ筑前之方御通り可有様も無之候、江戸にての事なるや、此所の本文にハ除申候、いつれの年か忠興君豊前より江戸江御出之時
    の御紀行之内ニ右之御贈答有之候、御附録ニ出し置、尚委可考、又説ニ、正則之家士広嶋之城ニ楯籠よし風聞有之候間、忠興君広嶋ニ赴ると有な
    とハ大なる誤なり

                                   綿考輯録(了) 

  上月家記によると嫡子・長右衛門(三千石)・・上月半下ノ系(九百石)、源助(八百石)・八右衛門(七百石)此二系ハ断絶カ離国カセルモノ也、十郎右衛門(五百石)・・上月壽ノ系(五百石)とある。

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