先に城内藤崎台球場前の「柊坂」について書いた。熊本史談会のF様からメールを頂戴し、このことは「肥後國史」に由来するものらしく、「宮内より古京町に下る筆崎の下、志水氏岩間氏門前の坂を云う。大河原氏屋敷内大柊の木あるか故に名付く。近年枯木になる。」とあるという。
F様からご教示いただいたことをご紹介したい。
「熊本県の地名」には、---宮内通を二ノ丸の西空堀を過ぎ、約三五間ほど西に下る途中から、北に入る柊木坂があり、藤崎台から古京町に至る唯一の道である。---とあります。
一方近年この坂をタブの木坂とする資料がある。
「舊藩時代熊本城全圖」には「タブノ木坂」、「明治初期熊本の地名」図にも「新タブノキ坂」。「大正八年熊本市全図」も「タブノキ坂」になっています。
大木があったという大河原氏屋敷につきましては、市史・絵図地図偏の48頁、神護寺のすぐ東側の三叉路角に大河原貞右衛門屋敷が見えます。
なんとも悩ましい話ではある。柊は枯木となったというから、タブの木を植えこれがまた大木になって名を遺したというのであろうか。他力本願の私としては、F様のお力をお借りして真実をお教えいただこうと思っている。
余談であるがつい最近、滋賀県彦根市八坂町の犬上川改修工事で県が貴重なタブノキを伐採し、問題化している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121110-00000189-mailo-l25
また一方、東北の津波被害地では、タブの木の防波堤を作る構想が進められている。
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO38414600Q2A130C1000000/
細川護煕さまはわざわざ野田首相に合われた際進言されたとも聞く。ことの進展が気になっている。
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