津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

花寒む

2008-03-27 11:57:04 | 徒然
 朝方ブーンという音で目がさめた。どうやらエアコンの音らしいと気がついたのは、起き出した時の空気の冷たさだった。暖房の効いた部屋のカーテンを開いて外を見ると、メジロのために準備したみかんが、全然ついばまれる事なく五六個置かれたままだ。「最近メジロこないねー」と聞くと「山に帰えったんじゃないの」と妻の声。「この調子じゃ、わざわざみかん買う事ないねー」というと「みかんももう終わりだしね」と妻も少し寂しいらしい。何処から風に乗ってきたのか、桜の花びらが落ちている。今度の土日あたりは、お花見でどちらも賑うのだろうに、お天気はどうだろうか。神風連が祀られている桜山神社に出かけたいと思っているだが、急な花寒むに躊躇してしまう。

追記:雷を伴ってのしばしの雨模様も、4時前には嘘のような青空で太陽サンサン、どうやら明日は図書
    館へ出かけられそうです。16:05記
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伊也は十六歳・・・

2008-03-27 10:19:44 | 歴史
 忠興が妹婿・一色義有を謀殺したのは天正十年(1582)九月八日、忠興は20歳である。忠興は永禄六年(1563)の生まれ、妹・移也は永禄十一年(1568)の生まれ(家記)で、五ツ違いである。綿孝輯録の第一巻(藤孝公)には、(天正九年)「五月、藤孝君御女伊也一色義有に嫁せられ候」(p139)そして「十二月朔日義有男子出生、五郎と名付らる」(p142)とある。義有についての情報は少なく、この時何歳で有ったのか分からないが、忠興とそう年は替わらなかったであろう。ままごと遊びのような新婚生活は、父・藤孝、兄・忠興の騙し討ちという方法で夫を失った。「伊也は十六歳・・・」である。宮津の城に引き取られた伊也は、懐剣で忠興に切りつけたという。鼻に傷を負ったらしいが、その痛みの代償はいかにも大きい。僅か一歳の愛し子五郎は、伊也から引き離され愛宕山福壽院へとやられ、二十五歳で亡くなっている。伊也は吉田兼治に再嫁、多くの子をなし長寿した。其の事だけがほっとする。

 忠興は一色氏の許にあった稲富伊賀などを召抱えたが、迦羅奢夫人の死に際しては、屋敷から逃亡するなどのしっぺ返しを受けている。又一色氏家老真下梶之介と鑓戦いをした米田助右衛門はこれをい止め、妻子を託されて育て上げた。後の細川家臣真下氏である。又梶之介女(妹とも)を妾とし是に生ませたのが末子・岩千代である。岩千代は幼くして松井康之の養嗣子となる、後の松井寄之である。妾・真下氏も又愛し子を手放し、沼田勘解由延元に嫁ぐ事になる。これが乱世の習いなのであろうか・・嗚呼・・
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