津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

沢村大学吉重

2008-03-20 19:26:24 | 歴史
 寛永十二年六月の大学宛て忠利の書状はすごい。

   其方事毎日城廻其上風雨之時も見廻候由聞届候
   年寄候而ハ万事違物にて候間左様之心遣仕間敷
   候煩不申候様ニ心得可申候謹言
      六月廿三日        忠利
        沢村大学殿
    尚々其方いきて居候得ハ奉公にて候間其心得
    可申候以上

 「元気でいてくれ、それが奉公だ」というのだ。凄い殺し文句ではないか。
 それに答えてか、亡くなったのは慶安三年九月十七日、九十一歳である。
 光尚の傳役を勤めているが、その光尚の死をも見送っている。充分な奉公振りである。
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光尚の心遣い

2008-03-20 09:12:34 | memo
 正保二年松井寄之は持病を発している。僅か三つほど年長の叔父・寄之に対し、
光尚は見舞いの手紙を出している。松井家に対する思いやりが伺われる。

   式部少儀持病頃又差發候へとも用之儀者相勤候ニ付養生
   急度難成様ニ其聞候此節取究候て羪生可然候左候者佐渡
   守知行所其外在郷へも被越ゆる/\と逗留候て急度一ト
   養生可仕候尤不可有油断候 謹言
     六月十一日                光尚
        佐渡守殿
        式部少殿

     尚々温気之刻気分無心元候若水引いつともなく候
     てハ以来何とも苦々敷存候間取極保養干様候已上

 その年の十二月六日付け、長岡佐渡(興長)宛て光尚書状には、寄之がまだ快復していない事をうかがわせるものがある。
  一、式部少事寒気之砌気分如何候哉養生之儀寛容候由可被申候事
 又佐渡に対しても健康を気遣かっている。
  一、其方事寒ニ入息災候哉承度候仍万事気分能成候而花畠へ移候由満足申事候

 同日付けの澤村大学宛書状、上月文右衛門宛書状、小田原友庵宛書状も同様、家中の老臣たちに対する思いやりの言葉があって、光尚の心配りにほっとさせられる。
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