津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

宝暦の改革と町氏

2008-03-30 17:17:55 | 歴史
 宝暦の改革に於いての、町氏(長曾我部氏)の活躍が目を引く。町市郎右衛門とその子孫平太、
市郎右衛門の実弟・村山九郎次郎、従兄弟大里角次などである。夫々が奉行職を務めた。

■町市郎右衛門
    宝暦十年十月~宝暦十三年 奉行副役・後十挺頭ニ転

■町孫平太
    安永六年七月~天明五年七月 奉行副役
    天明五年七月~寛政二年九月 奉行(被差除)
      孫平太性甚だ酒を嗜む、或夜隣家の平井某の宅にて泥酔し、裸体に肩衣袴を着て帰宅
      する程なりしが、翌日早朝政堂に出て、事を処するや、判断流るゝ如く、少しくも滞ること
      なかりきとぞ、然れども之に因りて職を免ぜらる
    寛政十年七月(大組付)~寛政十一年三月 中小姓頭
    寛政十一年五月~文化十一年七月 奉行(致仕後隠居)

■村山九郎次郎
    宝暦五年五月~宝暦七年十二月 奉行
    * 御知行被召上候 宝暦七年十二月上知 高三百五十石
    (奉行職にて江戸行使中乱心知行没収・・細川霊感公より)

■大里角次
    安永二年八月~安永六年五月 奉行副役
    安永六年五月~天明五年三月 奉行 

  阿蘇大宮司惟種--+--惟光(嫡男)大宮司・文禄二年八月十三歳にて刑死
              |            
              +--惟善--+--(嫡男)阿蘇家
                     | 
                     | (二男)大里氏            (町源右衛門二男)
                     +--儀大夫惟直---牛右衛門惟仲---牛右衛門惟正---角次惟公 





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桜・・遠山の金さんの刺青

2008-03-30 13:24:45 | 書籍・読書
 「大江戸座談会」という本に、遠山左衛門尉についての話しがある。

 昔有名な遠山左衛門尉は、首まで刺青があった。それが病に付筒袖御免となっていた。彼を遠山の金さん金さんと云って、裁判する時、女郎が「御奉行様というのは金さんの事だよ」と云ったら「だまれ、今は遠山左衛門尉」と云った。

 このことを語っているのは伊藤晴雨という日本画家(1882~1961)で、明治末年頃から新聞の挿絵を担当したという人だが、映画やTVの金さんの話に通ずるものがある。
「講釈師見てきたような・・・」の類の話しでもなさそうだ。「病気に付筒袖御免」というのはどう云う意味だろうか。桜吹雪を散らせる風が寒かったのだろうか。真面目な本だけに興味深い。
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