津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

東京空襲63周年

2008-03-10 15:17:53 | 歴史
 私は昭和17年1月生まれ、18年に祖父母と父が相次いで亡くなった。六月に祖母が亡くなり、一月も経たない内に祖父が亡くなった。十一月の半ば病床にあった父が死んだ。母は上京してきた祖母(実母)と共に、三人のお骨を抱き、我々姉弟の手を引いて東京を離れた。多分19年の春のことだと思われる。東京大空襲は翌年20年の3月、今にして思うと良くぞ東京を離れてくれたと思う。終戦直前の広島・長崎の原爆投下のむごたらしさがよく語られるが、東京の被災は死者の数からするとそれ以上である。此の時期になると、父や祖父母の死が、我々を助けてくれたのかもしれないと、最近思うようになった。私・66歳。
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幽齋女・伊也の子供たち

2008-03-10 12:05:02 | 歴史
【伊也】永禄十一年生れ 初メ一色左兵衛督義有ニ嫁ス 義有亡キ後更ニ吉田左兵衛侍従卜部兼治
   (身上千石)ニ嫁ス 慶安四年辛卯二月廿四日洛外吉田山神龍院ニテ卒去ス 年八十四 
    法号浄勝院雄譽英光

 義有子
  一、愛宕山福壽院住持幸能法印
 兼治子
  一、兼英 兼治家督
  一、萩原右衛門督兼従
  一、愛宕山福壽印住持幸賢法印
  一、長束大蔵正家男・半左衛門室(細川家臣田中氏祖)
  一、阿野中納言室
  一、船橋従二位秀相室
  一、小笠原備前長元室・たま(細川家臣) 長基・長光とも・・迦羅奢夫人殉死少斎嫡子
  一、清田石見室(細川家臣)
                          「米田家臣中山宗俊覚書」より 
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細川家と清原家

2008-03-10 09:16:03 | memo
 幽齋は、姉(壽光院)婿・佐々木越中守没落後、其の娘を養育し息忠興の猶子として清原秀賢に嫁がせた。 

清原宣賢--+----業賢------枝賢--------秀賢
       |                     |
       |     佐々木越中守        |
       |         |           |
       +--智慶院   |----●      |
          |      |           | 
          |  +--壽光院         |
          |  |               |
          |---+--幽齋-----忠興==●
          |
        細川晴員
                        「米田家臣中山宗俊覚書」より作成
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