津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

勝手不如意

2008-03-21 19:41:54 | 歴史
 ある方から先祖附に記されてあるという、「在宅」の意味についてお尋ねを受けた。熊本大学の吉村教授の著書から引用してご返事を差し上げた。つまり「勝手不如意の家に対し、城下を離れて知行地に居住させ、軍役・奉公の大幅免除を受けて家内整理をして自力更正を促す」というものである。一定期間を経て旧に復帰する事になるが、延長を願い出るケースもざらである。「勝手不如意」は何処にでもあった。100石取りの家では、手元に入るのは18石ほどである。家族と下男下女六七人では2石程の赤字が出て、前借をすると借金は雪だるまである。高禄の家とて、多数の人間を抱えると生活は困窮する。史料を見ると著名な家臣が沢山見受けられる。更に活き詰まると「上知」となる。「知行を差し出し、知行物成の一部を扶持方として受給し最低的生活を送りながら債務を完済する」更正方式である。
(参考:近世大名家の権力と領主経済・・吉村豊雄教授著)

色々の人が「上書」を上げる時期は、すでに御家中すべてが貧乏の中にあった。
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田原(タバル)坂

2008-03-21 08:46:53 | 熊本
 熊本から北へ10キロばかりの所に、田原坂という丘陵地がある。明治十年の西南の役では三月の十数日間で約5,000人の人達が命を落とした。昨日は慰霊塔がたつ現地で追悼の式典が催された。130余年まえのこのような悲惨な陣痛をもって、近代は夜明けを迎えた。熊本民謡「田原坂」の歌詞をみると、哀切胸に迫るものがある。

        雨は降る降る 人馬は濡れる
             越すに越されぬ田原坂

        田原坂なら 昔が恋し
             男同士の 夢の跡

        春は桜よ 秋なら紅葉
             夢も田原の 草枕

        心濡らすな 虫のね時雨
             此処は田原の 古戦場

        右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱
             馬上豊かな 美少年

        山に屍 川に血流る
             肥薩の天地 秋淋し

        草をしとねに 夢やいずこ
             あけの御空に 日の御殿

        泣いてくれるな 可愛しの駒よ
             今宵忍は 恋でなし

        どうせ死ぬなら桜の下よ
             死なば屍に花が散る

 熊本はそろそろ桜の開花時期である。慰霊塔周辺の桜の木々も其の時期を待ち、多くの死者に哀悼の花びらを散らしてゆく。この後も西郷軍は官軍の追討に抗しながら、勝ち目のない戦いを強いられ古里を目指す。西郷隆盛が自刃するのは9月24日、両軍合わせて13,000余の人達が命を亡くした。

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