けいしょうざん
夏目漱石に「行く春や 瓊觴山を流れ出る」という句がある。
漱石俳句集には「けいしょうざん」としているが、浅学菲才の身には「瓊觴山を流れ出る」の意を解し得ない。
ところが、半藤一利先生は「けいしょう、やまを」と読むべきだとされる。「瓊=玉」であり「觴=酒杯」だから、「瓊觴=玉杯」だとされる。
そして、これは漱石先生お好みの「蒙求」の「劉阮天台」の話しからこの句をものにしたのだろうと推理される。
ある人が山中に迷い込み、桃の実を食べていたら川に玉杯浮かんで流れてくるのを見て、上流に人が住んでいると思った。
仙女と出会い歓楽を共にして半年後に帰宅してみると、知る人は居らず七代後の子孫にであったという話である。
別の一句にはやはり「蒙求」の「武陵桃源」から「桃の花民天子の姓を知らず」という句があるが、桃源の別天地を詠んでいるのだという。
難しい話はよくわからん~~~。
球磨川のことを「木綿葉川」といった。「ゆうば川」と読むが、綿の葉かと思わせるが「麻の葉」だとされる。
往古、下流の八代の人たちは木綿葉川に上流から「麻の葉」が流れてくるのをみて、その上流部に人が住んでいることを確認したという話がある。
桃源郷ならずとも、その「麻の葉」の流されたところをたどると、まさに平家の落ち武者の隠里があった。
扨そんな風景を句にしようとなると‥‥難題過ぎて遁走しなければならない。
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