大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

当ブログは金銭目的ではなく、飽くまでも個人的な主義主張(思想や言論の自由)を表現する場として開設しています。悪しからず!

シリア 武装グループが警官120人殺害=「現地警察反乱?」の映像!!

2011年06月07日 21時00分17秒 | 古いシリア戦場ライブ・ロシア軍・フーシ、イエメン・アフリカ・北南米情勢
@やっと映像があがりました。やられた警察側は報復すると言っていますが、また滅茶苦茶な殺戮が繰り返されるんでしょうね。





これは銃撃戦ではありません。一方的に当局側に撃ち殺されています。こんなことをしていれば、そりゃ警察側もやられるでしょ。

天安門事件 学生リーダーの今

2011年06月07日 20時26分36秒 | 暴戻支那の膺懲
天安門広場での民主化運動が弾圧されて22年。運動の中心となった21人の学生リーダーが指名手配されました。そのうち3分の2は逮捕され、残りの3分の1は苦労の末、海外に逃れました。彼らの今を追ってみましょう。指名手配リストのトップに挙げられたのは北京大学の学生だった王丹(おう たん)さん。事件後投獄された後、1998年釈放されて渡米。ハーバード大学で博士号を取得し、現在、台湾の大学で教壇に立っています。今月には、中国の民主化を支援するための学校を設立します。台湾には、ウアルカイシ氏もいます。事件後海外に逃れ、1996年、妻と共に台湾に移住。最近、大陸に戻る意思を示しているものの、当局に拒否されています。

また当時、群衆の安全を守っていた周鋒鎖(しゅう ほうさ)さんも投獄された後渡米。今は投資管理会社の職員です。2002年、王丹さんなど学生リーダーは、ニューヨークで中国の李鵬元首相を人道に反する罪で提訴しました。事件でハンガーストライキを発起した柴玲(さい れい)さんは事件後アメリカに逃れ、現在、パソコン企業のトップです。その柴さんの元夫、封従徳(ふう じゅうとく)さんは、かつて天安門事件に関する書籍を出版。事件で両足を戦車にひかれた方政(ほうせい)さんを2009年、アメリカに迎え入れました。中国に残り、事件の記念活動を続けていた楊涛(よう とう)さんや張銘(ちょう めい)さんは経済犯罪の汚名を着せられて有罪となりました。拷問を受け続けた張さんは、いまだに自宅で療養中です。当時指名手配された学生リーダー、21人のうち、7人が中国に残り、2人が台湾、残りはアメリカにいます。違う人生を歩んでいても、民主・自由を願う思いに変わりはありません。

@アメリカに亡命した一人の活動家は、共産党が送り込んだ女スパイを見抜く事が出来ず、女に積極的にアプローチされ結婚してしまい、結局、党に監視されていたという話は以前ここで紹介しましたが、脇が甘いというか、ウアルカイシもシナに残る両親に会いたいなどと泣き言を言わず、生涯現役で反体制運動に身を捧げて欲しいものです。



シリアで集団中村主水? 武装グループが警官120人殺害=「現地警察の反乱」と反体制派―シリア報道

2011年06月07日 15時06分11秒 | 古いシリア戦場ライブ・ロシア軍・フーシ、イエメン・アフリカ・北南米情勢
シリア国営テレビは6日、首都ダマスカス北方330キロのジスラッシュグールで、武装グループが警察を襲撃し、警官120人が殺害されたと報じた。在外の反体制活動家は、現地警察が反乱を起こしたとの見方を明らかにした。襲撃がいつ起きたかは明らかでない。報道によれば武装グループは数百人で、治安機関の本部で80人が殺害されたほか、待ち伏せ攻撃で20人が死亡するなどした。シャー内相は声明を出し、武装グループを武力鎮圧する方針を明らかにした。一方、キプロスにいる反体制活動家はAFP通信に、「デモ隊への発砲を拒んだ警官が処刑されたため、反乱が起きた」と語った。 

@ここでも取り上げてきたので映像を観た方はお分かりと思いますが、シリアの秘密警察は恐怖の連鎖というか本当にたちが悪い。拒めば自分がやられるので仕方なくという連中もいたのでしょうが、昭和の初期でもあるまいに・・・・
13歳の少年が拷問にあって死亡した話はまだつい先日のでき事。










北京に挑戦  絶望から生まれるテロ

2011年06月07日 07時20分49秒 | 暴戻支那の膺懲
中国では最近、連続爆破事件など不穏な動きが続いています。これについてフランスの日刊紙“フィガロ”は、絶望した中国人が、暴力で中央政府に挑み始めたと指摘しました。フランスの日刊紙、フィガロは最近、中国で発生した連続爆破事件に言及。これは外国の脅威がもたらしたのではなく、中国国内の絶望主義者が起こしたと指摘しました。さらに内モンゴルで続くデモやアラブの民主化の影響などで、中国の指導者は不安におびえているとも分析。5月の末、江西省、撫州市の銭明奇容疑者は、連続爆破事件を起こし、本人も死亡。事件の裏には、2回も家を取り壊されたうえ、10年陳情しても何の結果も得られなかったという絶望がありました。去年の9月、やはり撫州市で同じ理由で3人が焼身自殺しています。

時事評論家 伍凡さん:「中国人は最初 耐えていました。お上にひざまずいて、哀願しました。それでも何ら反応がなくて、焼身自殺 首つり自殺に走りました。中国人は気づいたのです。哀願しても意味がないと激しい抵抗、暴力で暴力にあらがう、それが今 歩んでいる道です」このような絶望テロ主義はどのように生まれたのでしょうか。ある香港メディアはこう分析します。いわゆる“過激な事件”の裏には、利益が侵されても、まともに取り合ってもらえない悲劇があります。その悲劇は、官僚の腐敗や政府の暴力行為、不公平な司法などと切り離せません。つまり、当局の行為こそが過激な事件の原因だというのです。

中国では最近、おかしな現象が尽きません。四川大地震の真相を調査していた艾未未さんが失踪。毒ミルク事件の被害児童の親は裁判で有罪になり、四川大地震の被害を大きくさせた手抜き工事の責任を追及していた犠牲者家族も弾圧されました。武漢市の徐武さんは陳情を続けていたため、精神病院に送られました。ほかにも、人権派弁護士の失踪などが絶えません。
北京大学 蘇明元教授:「この30年 共産党は腐敗し、無実を訴える陳情者の数は30年前の2万人強から破竹の勢いで急増し、今では3000~4000万人です。人が絶望の淵に追い詰められれば共産党打倒を叫ぶだけでなく、いつでも共産党打倒を行動に移すでしょう」連続爆破事件の前には、庶民による警察官殺傷事件や裁判官銃殺事件なども発生。彼らはみな、英雄扱いされています。しかし個人の抵抗では、共産党のやり方を変えられないと専門家は指摘。

時事評論家 横河さん:「被害者にとって最も重要なことは共産党の本質を見極めること。共産党を脱退し、大勢の脱退も助けて共産党を解体させれば根本的に解決できます。被害者がそうすれば国 民 自分にとって、大いに利益になります」
現在、共産党と関連団体からの脱退を公にした人は9,621万2,108人。また先日、中国で“共産党が退陣し 人民が立ち上がる”というスローガンの風船が上(あ)げられ、話題になりました。

@まさに清朝末期と社会情勢が酷似してきました。外面(そとづら)だけは、一見すると経済大国、しかしその内実は惨憺たるもののようです。開放政策といいつつ、血の粛清と弾圧を一党独裁の肉とするシナ共産党の断末魔がみられる日も近いかも。